そして性悪男はこの世から消えた
性悪男とポンコツ悪魔の最終話です。
跋人は死に、その復活には魔王と女神が立ち塞がる。この絶望にリリルは何を思うのか。
どうか最後の最後までお楽しみください。
「はつひと……、はつひと……」
魔王と女神、強大過ぎる障害に、リリルは助けを求めるように跋人の名をうわ言のように繰り返す。
「リリル、落ち着きなさい。死んだ者を蘇らせようなどと、また貴女は同じ過ちを繰り返すのですか? 以前それで天界を追放になった事、忘れてしまったのですか?」
厳しく、しかし優しさのある女神の声。
「騙されてとは言え、貴女の力で行った行為は天界でも高く評価されています。以前摂理を破った罪も許してはどうかという神々までいるのです。今なら貴女は天界に帰れます。愚かな事はやめなさい」
「おお、いいぞいいぞ。早いところ天界で引き取ってくれ。こいつは俺の手に負えん」
茶化す魔王を無視して、女神はリリルに手を伸ばす。
「さぁ、リリル、天界へ。多くの人を救った貴女は救われるべきです」
救われるべき。その言葉に、リリルの耳がぴくりと動いた。
「……女神様ー。……あたしが天界に戻ったらー、跋人の魂は救われる、の……?」
「っ……」
虚な目のリリルの問いに、女神は一瞬唇を噛む。だが真実を善とする神が偽りを口にする事は出来ない。
「……悪魔と契約した魂は、例えどれだけの善行を行なったとしても、悪魔に引き渡す決まりです……」
「……ぇ……」
「ま、生っ白い魂だが、俺がたっぷりいたぶり、悪魔を騙した罪を後悔させた後食ってやるさ」
片手で跋人の魂を弄ぶ魔王に、リリルの目が炎が宿す。
「……かえ、して……」
「何?」
「……跋人を! 返して!」
「こんなもの、欲しいのであれば返してやるが」
突進してくるリリルに、魔王は魂を放り投げる。
「跋人っ!」
魂を掴むリリル。その背に、
「あがっ!?」
魔王の鋭い爪が突き刺さる!
「ならはこいつは返してもらおう」
魔王の手がリリルの身体から、紫と桃色が混じり合った塊を引きずり出す。
「これは俺が貸してやった悪魔の力だ。俺に逆らうなら取り上げるのが当然だろう?」
「あっぐ……、かはっ……」
「ん? まだ足掻くか。面白い」
力の根源を抜き取られ、地を這うようにして、それでも跋人の魂を胸に抱いて、リリルは跋人の元へ向かう。
「繰り返しになるが、貴様に僅かに残る自身の悪魔の力も、お前が悪と認識しなければ使えない。愛しいと思う命を救おうとするその行為を、貴様は悪と認識できるのか?」
「……知らない……」
「……何?」
「おやめなさい。悪魔の力を失って、摂理の壁に阻まれて、何よりその男は死を受け入れているのです。だから」
「……関係ない……」
「え?」
リルルの心に灯った火が、炎となり燃え盛る!
「知らない! 知るもんか! あたしは跋人にもう一度会いたいんだ! 悪魔の力の決まりとか! 摂理とか! 跋人があきらめてるとか! そんなの知らない! 関係ない!」
わずかな力で、摂理の壁に拳を叩きつける。
「掟がなに!? 秩序がなに!? そんなものにしばられてたまるか! あたしは跋人に会うんだ! またポンコツって呼ばれるんだ! 死ぬほど面白くない映画を観るんだ!」
壁には傷どころかヒビも入らない、それでも。
「応えろ! あたしの力! あたしの前に立ちふさがる掟と秩序を全部吹き飛ばして! このわがままな願いを叶えろ! あたしは、あたしは……!」
リリルの拳は白く硬い壁を叩き続ける。
「あたしはリリル! 自由と欲望のために生きる悪魔だあああぁぁぁ!」
その目は涙に濡れながら、しかし炎は消える事なく、より勢いを増して燃え上がる。
「……リリル、貴様が悪魔を語るとは、な。だがその通りだ。よくぞ吠えた」
魔王はくるりと女神に振り返る。
「俺も悪魔の本能に従うとしよう。考えてみれば、俺を追い出した仇敵が側にいて、しかも手が塞がってる今、黙って見ているなど悪魔らしからぬ行いであった」
「貴方、何を……?」
「邪魔だなこれは」
掴んでいたリリルの力の根源をぽいと放り投げる。魔王の手を離れた力は、吸い込まれるようにリリルに戻っていく。
「これで俺は両手とも空いた」
「ちょ、何、その、いやらしい手の動きは……!?」
青ざめる女神。指をわきわきさせながらにじり寄る魔王。
「や、やめて……」
「ぐへへ、良いではないか減るものでもなかろうに」
「いやーっ! 近寄らないでー!」
「ぎゃああああぁぁぁ!」
魔王に天の雷が炸裂する。その瞬間、跋人を包んでいた摂理の壁が砕けた!
「はつひとーっ!」
リリルの力が弾け、跋人の身体は眩い光に包まれた……。
「全く人騒がせな!」
「次やったら承知しないからね!」
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
怒りを露わにして帰る救急隊員にひたすら頭を下げる唯。それを跋人は呆然と見送っていた。
「……私は、生きて、いるのか?」
「……うん!」
「癌の痛みもない……」
「……治した!」
「血塗れだったはずだが……」
「……戻した!」
ぼろぼろ泣きながらくしゃくしゃの笑顔を向けるリリル。
「……私は既に覚悟をしていたと言うのに……。だからお前はポンコツだと言うんだ」
「……ゔん!」
いつもの悪い笑顔の跋人の胸に、リリルは迷わず飛び込んだ。そして、
「鬱陶しいぞポンコツ」
顔を押し返されるリリル。
「うー! こんな時くらいいーじゃないかー!」
「黙れ。こんな時だからこそ自重しろ。まだ魔王も女神もいるんだぞ」
「あ」
完全にリリルに忘れ去られていた魔王が、物憂げに口を開く。
「……気遣い痛み入るぞ人間」
「魔王、だよな……? 何か焦げていないか?」
「貴様が死んでいる間に色々あったのだ。それはさておき」
魔王はリリルを引っぺがした跋人に指をさす。
「貴様は悪魔を騙し、唆し、最後には俺に逆らわせた。リリルは追放せざるを得ない。その罪、償って貰わねばならん」
「魂はやらんぞ。これは先約済みだ」
「跋人ー!」
「貴様の汚れの薄い魂など要らんわ。もっと酷な罰を与えてやる」
魔王が実に悪い笑顔を浮かべた。
「天界としても、振天堂跋人、貴方を見過ごす訳にはいきません。天界に帰れるはずであったリリルに新たな罪を犯させたのですから」
女神が実に悪い笑顔を浮かべた。
「おい、魔王はともかく、女神がそんな笑みを浮かべていいのか……」
「跋人跋人ー。大丈夫だと思うよー」
「何故だ」
リリルが、親に抱きしめられた子どもの様に、にっこりと笑う。
「二人の顔ねー、跋人のにそっくりなんだよー」
「あの人間、全く躊躇わなかったな」
「そうでしたね」
跋人の屋敷を見下ろしながら、魔王と女神は笑う。
「魔界を追放され、天界にも戻せないリリルは人間にするしかありませんでした」
「押し付けたと言うべきだろう。あのお気楽馬鹿の扱いには神も悪魔も手を焼いていたからな」
「言い方」
魔王を嗜める様に言いながら、女神の口調は軽い。
「ですが彼は受け入れました。彼とならリリルも幸せになれるかも知れません」
優しく微笑む女神に、魔王の悪戯心が疼く。
「貴様、俺に礼はないのか?」
「は!? 私は摂理の壁を守れなかった事で、この後他の神々からお叱りを受けるんですよ!? 妨害した貴方にお礼など……」
「だが博愛と自己犠牲を尊ぶ女神として、あの事態を見過ごす事に貴様は煩悶していた。でなくばあの程度の妨害で摂理の壁が崩れるものか」
「っ」
女神の呼吸が一瞬止まる。それは何よりも雄弁な肯定。
「……嫌な奴」
「俺は悪魔であるぞ」
「……天界に密告するつもり?」
探るような目を、魔王は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに手で振り払う。
「せぬわ。俺とて悪魔の本質の自由と欲望を貫こうとするリリルに絆され、掟を曲げた。同罪だ」
「……貴方は怒られないくせに」
「俺は魔王であるからな」
「……ずるい」
口を尖らせる女神に、魔王は軽口を叩く。
「何なら昔のよしみで口利きをしてやろうか?」
「え?」
「女神は俺に胸を揉まれるのを期待して集中が乱れ……、っておい貴様! それは……!」
青空に轟いた雷は、その日の地方ニュースの片隅を少しだけ彩った。
数日後。
「跋人様……、書類が届きました……」
「よし、これで財産の譲渡の手続きは完了した。晴れてこの屋敷の持ち主は唯だ」
「畏れ多いのですけど……」
「今更手続きを白紙に戻す方が手間だ。元々私は手放すつもりだった物だ。拾い物だと思って諦めろ」
「はぁ……」
不安げな唯。縋る様な目を跋人に向ける。
「そう不安がるな。固定資産税に関するマニュアルは一昨日レクチャーしただろう」
「いえ、あの、そうでは……、ありがとうございます」
唯の言葉に、大きく息を吐く跋人。
「思っていたのとは違ったが、一応は全て解決したな」
「うん! でもでも安心するのは早いよー!」
「そ、そうです! 最後に一つ、解決しなければならない問題があります!」
「何?」
訝しがる跋人の右にリリル、左に唯が立ち、ソファに座る跋人に迫る。
「あたしと唯のどっちをお嫁さんにするのー!?」
「は?」
「選んでください!」
呆然とする跋人を挟んで二人の女が火花を散らす!
「当然あたしでしょー!? 命がけで跋人を助けたんだからー!」
「確かに、あの場では私は何も出来ませんでした……! しかし! 思い出の詰まったこの屋敷を託したのは私ですよね跋人様!」
「うぅー! 確かにー! でもでもあたしは人間に生まれ変わったばかりだから、私の初めては全部跋人にあげられるよー! ねー跋人ー!」
「うぐ、私にはその初々しさはありませんが、長く振天堂家に仕えてきた経験があります! 跋人様の求めるものは全て叶える所存です! お分かり頂けますよね跋人様!?」
「むー! やるねー!」
「負けません!」
背景に竜と虎が浮かび上がるような迫力! その二対の目が跋人に向く!
「あたしだよねー!?」
「私、ですよね!?」
二人が差し伸べた手を無視して、跋人が悪い笑みを浮かべる。
「なかなかの熱演だが、私がそんな不自然な演技で騙されるとでも?」
ぎくりとする二人。
「大方目的を果たした私が、生きる目的を見失わない様、情で繋ぎ止める、その為の『不自由な二択』なのだろう? 私が以前使った手で陥れられると思っていたとはな」
「あちゃー……」
「やっぱり跋人様を騙すなんて……」
「唯がビクビクしてるからー!」
「リリルさんこそ棒読みが酷いですよ!」
策を看破され、狼狽える二人に、跋人のあの笑みが迫る。
「……私を手玉に取れると思った思い上がりには、罰が必要だな」
「ぴっ……!」
「は、跋人様……」
恐怖し、立ち尽くし、手を差し伸べたままの二人の手を引き、自分の横に座らせる。
「あえっ!?」
「は、跋人、様……?」
呆気に取られる二人の頭を寄せ、その耳に冷たく、しかし温かい言葉を囁く。
「死ぬまで私の側を離れるな」
二人の顔が、涙と共に笑顔に変わる。
「……二人いっぺんにだなんて、悪いお方……」
「選んでって言ったのに両方とか性悪ー! でもでもそんなところが好きー!」
リリルと唯は同時に跋人に飛びついた。
悪魔を従え、悪行の限りを尽くした性悪男の物語はここまで。
ここからは綺麗な奥さんと可愛い嫁さんに挟まれた、幸せな男の物語……。
読了ありがとうございました!
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
「何だったんだあのタイトルは!」と思うかも知れませんが、嘘はついていません。もう跋人が性悪になる必要はないんですから。私は悪くない。悪くないけどごめんなさい。
私のこれまでの作品をご存知の方には、「はっ、どうせご都合主義のハッピーエンドだろ?」と思われていると思いますが、それでもここまで読み切って頂いたのなら、本当に嬉しく思います。
またこんな感じの短編一気連載を企画してはおりますが、しばらくは仕事の合間にという感じになりますので、ゆっくりお待ち下さい。




