こんなにもリアル④
「思春期という言葉は嫌いだ」
けっきょく二十一時過ぎまで御毛沼の街をうろつき、二十二時ごろになって亮は帰宅した。玄関から自室に向かうまでの間に居間から出てきた母親が何かをいう声が聞こえてきたが、亮はそれを無視して扉を閉めた。
「それは言い訳のように聞こえるから」
夕食は御毛沼のファーストフード店で適当に摂った。脱いだ制服をデスクチェアにかけ、Tシャツとトランクスだけの姿になると、ベッドに倒れこみ、亮はリモコンを手にとってテレビを点けた。
相も変わらず、どのチャンネルもつまらない番組ばかりをやっている。
キャリアウーマンの恋愛模様―戦略の見え透いたドラマ。
必ず死体を見つけるスチュワーデス―予定調和のサスペンス。
豪邸に驚くリポーター―世相迎合のバラエティ。
ひと通りをザッピングしたところで、亮はあるチャンネルのところで手を止めた。
木目のテーブルに、バックには夜の街の遠景を模したスタジオセット。アシスタントの女子アナを挟んで、キャスターとコメンテーターが深刻な表情で言をつき合わせている。それは、亮が産まれる前から続いているらしいニュースプログラムで、このチャンネル局の看板番組となっている。らしいのだが、その内容には明らかな思想的偏りが見て取れて、亮は嫌いだった。腹が立ってくるので普段ならばまず見ることはないのだが、何か気になる事件などが起こったときには、苛立ちを我慢しながらも見ることにしている。
この日の特集の内容は、連日に続いて、先ごろ容疑者が逮捕され世を騒がせた、連続通り魔殺人事件についてだった。
隣接する二つの市にまたがり、二名の犠牲者と一名の重傷者を出したその事件は、数週間前からニュースの一部分で取り上げられていた。それがつい一週間ほど前に容疑者が逮捕されたとたんに、すべての新聞、ニュース、ワイドショー、週刊誌においてトップ項目を飾るほどの大騒ぎとなってしまっていた。
その容疑者とは高校生の少年だった。そして警察の取調べに対し、意味不明な供述をしているという。しかも、取り乱すことも暴れることもなく、支離滅裂や前後の不一致もなく、あくまで淡々としながら自らの犯行について語っているらしい。
少年が何を考えているのかわからない。なぜ人を殺したのか、まったく合理的な説明がつかない。ただでさえ浮き足立っていたマスコミは、徐々に徐々に漏れてくる情報を前にして、今やまさに狂騒の相を呈していた。当初はただの連続通り魔殺人事件だったはずのものが、「本当の犯人さがし」を繰り返しているうちにいつの間にかさまざまな問題に議論が飛び火してしまい、イジメや管理教育、テレビゲームにインターネット、昨今の家庭内環境や少年非行、果ては精神医療や表現の自由、そしてお決まりの少年法改正問題と、あらゆる社会問題のシンボルにまで祭り上げられ、やもすればきっかけの事件が何だったのかを忘れかねないような、そんな状況になってしまっている。
亮は事件に関する報道のあらかたをチェックしていた。中には大いに賛成できる意見やコメントもあったのだが、しかしやはり、そのほとんどは反発を覚えざるを得ない内容のものだった。
「誰が悪いって、そんなのは殺した本人に決まってるじゃないか!」
やれ学校が悪い、教師が悪い。奇行を見て見ぬ振りする同級生が悪い。インターネットが悪い。バーチャルが悪い。不用意にレッテル張りをした医者が、子供が刃物を手にできる状況が、個性を封ずる風潮が、暴力描写が、あげく不況が、そして「時代」が、悪い。
「強いていえばお前らが悪いんだ。そんなことしかいえないお前らが」
キャスターは今日も、盛大なゲストを前に深刻な顔をしながら、内心で張り切って「独自の切り口」を自慢している。派手なノンフレームの眼鏡をかけ、しかし渋めのスーツで重厚さを忘れない、嫌味な格好をした「肩書き・精神科医」のコメンテーターのいうところによれば、今ここで腹を立てている十四歳の亮も、あと三年すれば人を殺してしまうらしい。
いわく、「今の時代、ヒジョーに人間関係がキハク」になっている。だから「今のコドモタチ」は、「ほんらい生身の人間同士で培われるべきシンライ関係」が育っておらず、「マンガやゲームなど、都合のいいバーチャル」なものにしか魅力を感じることができずに、「生きていることそのもののリアルな実感」が持てないでいる。犯人の「ショーネン」はそういった状態に耐えることができず、また「イジメや精神異常というレッテルを貼られたという思い込みによるレットウカン」が後押しし、「他者の命に触れ、あるイミで支配」しようとすることで、「失われた自尊心とリアル」を取り戻したかったのではないか。
「・・・今回の少年に関しては、非常に稀有なケースではあると思いますが、そういった傾向は現代の子供たちにあまねく見られるものなのかもしれません。一見して普通のように思えても、心の闇の部分で、この少年に似通った、恐ろしいものを抱えているんじゃないでしょうか。何にしても、あらゆる意味で、非常に危険な時代になってきたな、という実感がありますね」
そこで画面がスタジオから切り替わり、ありがちな街頭インタビューの模様が映し出された。めまぐるしく場面は立ち代り、いちいちのそれで、首から下だけを映された「少年少女」たちが「なんとなく」という言葉を多用しながら、インタビュアーの問いに答えている。
「えー? 殺すのはイケナイけどぉー、ちょっとわかるかも」
「ネット、やりますよ。部屋に持ってる。4、5時間くらい。何もいわれませんよ。知らないんじゃないかな」
「わかるわかる、オレもいろいろ、学校とかウゼーもん!」
そしてスタジオに戻ったところで、おかしな髪形をした例のキャスターが、テーブルに片肘をつき斜に構えたポーズをとりながら、きめ台詞を口にした。
「え、われわれが考えている以上に、子供たちは時代とともに変化していっているのかもしれません。あなたのお子さまはどうでしょうか」
―CMのあとスポーツです。そうキャスターが続けて、画面は切り替わった。見事な演出はひとまず完遂され、巧みな印象操作に、「うちの子は大丈夫か?」と、各地で何万人もの親たちが不安に駆られたことだろう。
自動車のCMが流れている。画面の中で、「理想的な家族」たちはおどけて笑っている。うつろな目でそれを見つめながら、亮はつぶやいた。
「・・・ふざけるな」
「馬鹿にするな。一緒にするな」
生きていることの実感という言葉を、ここのところの報道でよく耳にする。今の少年にはそれがないはずだという。あるいはそれは、思春期における特徴的な心性のひとつだ、とも聞こえてくる。それが本当だとして、しかしそれは、「なんとなく」生きている連中に限ってのはなしだ、と亮はそのたびに吼えてきた。
「俺は違う!」
「俺は生きてる!」
自分は「なんとなく」生きているわけじゃない、真剣に物事を考えている。バーチャルにもインターネットにも親和性はないし、「生の実感」とやらもしかと感じている、と。確かにぼんやりとした不満は抱えているし理解不能な苛立ちもありはするが、それはお前らのような人間が怒りを募らせるからだ、と。
それこそ繰り返すように、抵抗の意志を示すように。そして実のところで、こみ上げようとするわけのわからない不快な何かを必死に押し隠すように。漠然とした不安を、ごまかしてしまいたいかのように―
亮はテレビを消した。ベッドの上で身を起こし、しばらく漫然としたあと、ふと立ち上がって部屋の明かりを消し、またベッドに寝転んだ。
天井の木目の節を目でなぞる。
シーツの上で転がって、寝位置の快適を探してみる。
やがて仰向けになり、亮は薄暗闇の中で目を閉じた。二の腕を顔にまで持ってきて、眼窩に押し付けた。眉根を寄せ、無理やりにまぶたを閉じた。しかし、眠りに落ちていこうと、そうしているわけではなかった。もう眠りたいが、それは許されないのだ。
ひとつ。
考えることを、避けようとしていることがある。しかしそれが出来ずに、この時間になって眠りのまえを延ばしつづけるものがある。
「僕はいったい、なにものなんだろう」
「どこから来て、どこへ行くんだろう」
自らの闇の中で、亮は今日も考えていた。考えているのか、考えさせられているのか、とにかくもその疑問は、止めようもなく胸中に膨らんでいく。はじめはたったひと粒のものだった疑問が、ぼつぼつぼつぼつと次々に増殖していき、やがて心の全面を埋め尽くし、なお絶えず蠢き始める。それは不快だが、それは不安だが、やめられはしない。
いまここにある浅田亮という存在とは、いったい何なのか。なぜ産まれてきて、どうして今ここにいるのか。どんな意味を持っているのか。どれだけの価値があるのか。どこからどこへ、どのような路をたどり、そしてどのような果てに至るのか。いつ? どこで? 何が? どうして? どんな?・・・
生まれいずる疑義は、心底から浮かんでは弾け、不快な香りを放ち、立ち消えてはまた浮かび上がり繰り返される。それは絶えることなく続き、胸中の水面はまるで沸騰したように泡立ち、目をつむり耳をふさいだまま身じろぐことも出来ない亮は、ベッドの上の「心の闇」を、音を立ててずぶずぶと沈んでいく。
亮は知っていた。幸か不幸か、ごまかすとか取り繕うとか見て見ぬ振りをするとかいう発想がその心のうちにないので、亮は気づいてしまっていた。自分がまだ、何者でもないということに。
たとえ一流進学校に在籍していようとも、中学生は中学生でしかない。優秀だとされていても、頂点にいるわけではない。同窓の徒に軽蔑を、街に怒りを、マスコミに異議を、社会に御託宣をどれだけ垂れようが、それで何が変わるというわけでもない。誰も聴きはしないし、そもそも声が届くこともないだろう。
無力なのだ。
無力だった。
世界は、思いどおりにならない。強大な理想は、現実と添うことを許されない。不満や不安はあっても闘う術のひとつもわからず、夢や希望という言葉は知っていても意味はわからず、結局は街に埋もれるだけの、ただの「少年」。
「でも違う。なんとなくの連中とは、俺は違う」
両価性の少年は、それでも自分は特別な存在であるのだと思い込むために、ぬかるみから這い上がるために、主張する。自分は違う。何が違うのか?
「ちゃんと考えてる。ちゃんと生きてる。意味なんていらないなんて思わない。大切なことがあるもの知ってる」
「俺は違うんだ! 絶対に違う!」
しかしその主張ですらも、結局は繰り返されるループの一環でしかなく、疑問は最前のそれへと翻る。自身の両腕に包まれた圧迫の中、亮は眉を寄せた。口唇をかんだ。泣き出しそうな顔をしながら、それでも考えた。
「でも、だったら、今の僕はいったい何者なんだろう」
「どこから来て、何故ここにいて、どこに向かっているんだろう」
自分にはいったい何ができるのか。
狂った世界の中で。自らの正体も知らないままで。
なぜ苛立つのだろう。何がそんなに不満なのだろう。何が不安なのだろう。どこにいて、どこに向かおうというのだろう。いったい何を望み、何を求め、何がしたいのだろう?
「俺は―・・・」
そのようなことを悶々と考えているうちに、亮は肉の中心で不穏な疼きを覚え、ベッドの上でおもむろに身を起こした。トランクスを下ろした。そして、何者でもない右手で、何者でもない自身を握りしめ、繰り返ししごき、しごき、しごいて、蒸れた快感の果てに、何者でもない体液を吐き出した。そうして脱力し、しばらく茫然としたあと、吹かれたように倒れて顔を枕に埋めた。醜悪な臭いに満ちた暗闇の中、亮は口唇をかみしめた。未来が、怖かった。
…僕は違う
僕は生きてる
こんなにも、リアル
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