水の中から月を見る
浅田 亮 アサダ リョウ
里見 龍胆 サトミ リンドウ
水町 夏深 ミズマチ カフカ
八代 春美 ヤシロ ハルミ
京谷 実 キョウヤ ミノル
七星〈ナナホシ〉、エム男〈エムオ〉
浅田真之〈サネユキ〉、頼子〈ヨリコ〉、由子〈ユウコ〉
知っていることの方が多いつもりだった。父親とは少年にとってどのような存在であるのか。
いわく、「外からの者」、「社会の象徴」、「最初の敵」、「ライオス王」。
思春期と呼ばれる時期の只中にありながら、それについてを多く知ってしまうこと。それは不幸なことだろうか、それとも幸いだろうか。これまで長い時間を思惟に費やしてきた亮は、自分を知りたく、その類の本を多く読んできた。その度に考えた。自分の心の状態は、まさにそこに記されてある通りなのか、それとも違うのかと。父を嫌い、憎んでいるのは、単に「思春期」にありがちな「反抗期」の表れに過ぎないのだろうかと。
何か絶対の存在に「そうだ」といわれでもすれば、うなずくほかは無かったのかもしれない。しかし判断を委ねられたのは自分自身である。当然のこと、亮は否定した。自身の心の中心にある問題を、ありがちで当たり前なものだとは決して認めたくなかった。
ならばなぜ父を「敵」とするのか?
その考え方、思想が、自分のものとは徹底的に相容れないものであるからだろうか。まずはそんな理由が思い浮かぶ。それは最も妥当なものに思える。しかしひょっとすると、まず父に対する嫌悪が先にあって、それから彼に反対するところの考えを、自分は抱くようになったのかもしれない。自らにさえ容赦を与えない亮は、その可能性を拭い去らない。
ならばその行動、人格が気に入らないのだろうか。それも充分な説得力を持っていた。しかしその理由も、先のものと同様の可能性を以って、確たるものとなることを許されなかった。たとえば、父と同じくらいひたすら厳格で、曲がること、妥協することを知らず、家庭も顧みずに仕事に没頭し、息子に対してやたらと説教を垂れるような男が別に居たとして、自分は父に向けるそれと同程度の嫌悪を抱くだろうか? すべての関係の以前には、やはり彼と自分とが「父と子」であるのだという事実が先だって存在しているのだと、そう思えてならないのである。
始まりは何だったのだろう。無論、明確にそれを憶えているようなことはない。ただ、回顧に努めて得られるイメージというものはある。今より少し幼き頃、自分が父に対して抱き始めたイメージ。それは「高きもの」、「強きもの」、「侵食」、「圧迫」、「断罪」、そして「恐怖」。
では何故、父に対してそれらのイメージを抱いたのだろう。心に思い浮かべる父の視線は、何故いつも高きからこちらを見下ろしているのだろう。その姿はなぜ強大なのだろう。どこまで走って行っても意を見透かされている気がする。ひとたび拳を振り下ろせば、必ず我が身に届くのだ。何を許されようとしていないのか? この心を燃やし奮わせる感情は、所詮は恐怖の裏返しでしかないのか?
「何故」なのか? ―わからない。
知っていることの方が多いつもりだった。しかし、幾多の知りえた情報たちは、結局は肉も骨も得ることはなく、今に至り何の役に立つこともなかった。本の中に存在した「理由なき反抗」にもがき苦しむ少年たちは、どれも自分とは違っていたのだ。たとえどれだけの一致を見出そうとも、「何もわからない」ことが、自分も「少年」の一人であることの何よりの証左であるのだと、うすうす感づいていたとしても。少なくとも亮にとっては。
自分は、父を前にむなしい独り相撲を演じているのではあるまいか? 自身の心の中にある敵、憎むべきものを、父という存在に投射しているだけで、本当は別の何かと闘っているのではあるまいか? ときにふと、そんな危惧を抱くことがある。そしてそんな自問には、いつも焦りが伴っていた。亮はそのたびに、否を吼えてきた。
自分は風車に立ち向かう愚かな男なんかじゃない。暗闇に居もしない敵を見出している臆病な男なんかじゃない。憎むべき敵は、憎むべき理由をもって確かに眼前に立っているのだ、と。
…ジェームス・ディーン、ホールデン、オイディプス― 思春期、反抗期、「誰もが通る道」?―
「違うっ! そんなんじゃない!」
リビングの空気はその叫びに震蕩し、はたと時を止めた。パジャマ姿でテレビを見ていた妹の由子が不安げにこちらを振り返り、そばに立つ母の顔が見る見る哀しみを帯びていく。食卓の椅子に座ってこちらを見下ろす父を、席を立って見上げながら、亮は振り上げることのない拳を固く握り締めた。
反論を受けた父は、「ならばどういう連中か」などと問うことはなく、ただ太く鋭い視線を向けるのみである。亮はそれへと真っ直ぐに怒りを差し向かわせながら、しかしそれ以上の言葉を重ねることはせず黙っていた。以前のように反論の根拠がないからではない。その怒りがあまりにも純然たるものであったために、何をいう気も失せてしまったのだ。
「亮。お父さんはね」と、そのときキッチンで洗いものをしていた母がその手を止め、テーブルへと歩み寄った。しかし父が手を挙げてその言葉を制した。
「亮。なにも友達を撰べと言っている訳ではない。行動を撰べと言っている。遊ぶのはいい。それは今のお前にとって何より重要なことだろう。だが何事にも節度というものがある。それを破ってまで為すべきことなどいくらもないのだ。行き過ぎた夜遊びを許すわけにはいかない」
亮は下を向いた。目をとじ、またも現れた父のいう「良識」になお苛立ちを沸き立たせ、冷笑しながら歯噛みをした。どうせなら頭ごなしにすべてを否定すればいい。結局は縛りつけようとするくせに、いったんは子の言い分をあるていど認めて見せる。その余裕が何より気に喰わないのだ。
「…節度って何だよ」
「自他を慮り、自らを律する態度だ」
下を向いたまま、呻くようにこぼしたその問いに、父はそういって即答した。亮はそこで顔を上げ、嘲笑の面を父に向けた。
「何の話だよ。じゃあそれは誰が決めるんだ。自他を慮るその基準はどこにあるんだよ、あんたにか! ただただあんたに従って! 俺は俺を縛り付けなきゃならないのか!」
「それは違う」
「どう違う!」
父はしばし押し黙った。亮は前のめりになってテーブルに両手を着き、ただただ父をにらんでいた。
まさかこのまま黙っているはずはない。亮は息せき切るように口をあけた。何でもいい、何とでも、また腹立たしいことをいえばいい。すぐさま反発してやる、と。
しかし亮の反骨の意志は、意外にも裏切られた。
「わたしではない。お前はお前に従うんだ」
卓上で二つの拳を握りながら、父はそういった。そしてその言葉の後には、「だが」も「しかし」も続かなかった。返答は終わっているのだ。これ以上いうことはないと、父の目がそういっている。亮はそれを前にして、怒りや反発の色をその表情から失ってしまった。
(俺は、俺に従え?)
ならば何をいう必要がある? なぜ注意を、説教を垂れようとするのだ?
父が何をいわんとしているのか、わからなかった。矛盾しているとしか思えなかった。しかし父の目は、自身の言葉に対する迷いを見せてはいない。語義の上で矛盾しているとしても、本義においてはそうではないとでもいうのか?
亮は思い出したように怒りを取り戻し、テーブルを打って弾けた。
「それならっ、それなら何で文句をつける! 俺は俺に従って俺の行動を撰んでるんだ!」
しかし、父は何も応えなかった。身じろぎのひとつもせず、先とまったく変わらない姿勢と視線で、亮の決死の反駁を縫いつけた。
いや、変化がまったくないわけではなかった。父の視線は、つまりそれが放っている何ほどかの「力」は、徐々に高まり強まっていた。さらに太く、しかしさらに鋭く、大きく、重く、熱く、苦しく。亮の見る世界はすでに捻転を始めている。抵抗の意志を、闘志をくじこうと、まして激しい歯軋りをいざなっている。しかし亮はそれでも父の目をにらみ続けていた。負けてはいけない、逃げ出してはいけないと、自分を射るその目をにらみ続けた。
父が黙って視線を向けているのは、いうべき言葉を持たないからではなく、何をいう必要もないからだということを、哀しいかな亮は知っている。何も語ろうとしないその目は、その実ひとつの反問を繰り返しているのだ。亮はこのときもまた、聞こえてくるはずもない声を聞いていた。どこから発せられたのか、それすらも定かではない父の声を、心中に聞いていた。
「本当にそうなのか」と。「本当にそれが自分自身に従った結果なのか」、と。「本当は何かを誤魔化しているのではないか」、「本当は何かから逃げ出しているだけなのではないか」、「ほかでもない、このわたしから」、と。
「違う!」
と、心中に聞く声に抗い実際に叫んだことを、亮は自覚していなかった。気づかずに、負けてはいけなかったはずの父の「力」に負けて、目をつむりうつむいてしまっていた。
父はいまだ何も語らない。しかし心中には父の声がこだまし続けている。目をつむり耳を塞いでうずくまっている亮に、全方位からその反問が浴びせかけられている。どれだけ否を叫ぼうとも、全身を鋭い刃が突き刺し続ける。
そのとき、父に所作の音があった。かたん、というその物音に怯えて、亮は顔を上げないまま目だけをひらかせた。父は、心中に聞くそれとは違う色を帯びた声で、たったひとことを、こぼすように呟いた。
「何がそんなに気に入らない」―




