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PAN  作者: hkdyksry
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こんなにもリアル②

「どこへ行こうというのか」

などと、最近よくそんなことを考える。ただし主語がない。

 向かいのホームはすでに陰に染められている。赤銅色のレールが傾いた陽にじりじりと灼かれていた。少しのあいだ列車の到着を待って、亮は出入り口の扉の付近に乗車した。この時間帯にこの駅を利用するのはほとんどが同じ制服を着た者ばかりで、亮がまたいだ乗降口からも続いて幾人かの生徒たちが乗り込んできた。その内にはクラスで見た顔もあったが、なんらの呼びかけがあるわけでもないし、むろん亮がそれをするはずもなかった。そのうちに列車は気だるそうに動き出した。

「どこへ行こうというんだ」

 腕を組み、亮は肩で扉にもたれていた。そうして窓の外を見ている。横滑りの流れの中、おびただしい数の看板が目の端にとまり、一秒ごとに色を塗り替えて行く。そこには一枚も同じ絵がなかった。何を見るともなく、しかし亮の視線はある一点から縫い付けられたように動かなかった。そうして窓の外を見ていた。

「いったい、どこへ―」

 たとえば列車には、決められた行き先がある。そこには敷かれたレールもある。その道は逸れることはないし、行き着く先がどこなのかは周知の事実だ。しかし人々は、その先に何を求めているのだろう。何のために、どこに向かっているのだろう。

 なるほど人々は、一見して一定の方向に向かっているように見える。あるいは「金」のため、もしくは「単純な享楽」のため、人々が日々を費やしている光景が、若き亮の目にも映る。しかし、

「それでいいのか?」

人の一生というものが、何か一つの様式を持つべきものだとして、その果てに得られるものが、行き着く先に打ち立てられる目標がそんなものであって、はたしていいのだろうか? 

「数え切れないほどの札束。ただ繰り返される快楽。そんなものにどれだけの意味があるっていうんだ」

額に深いしわを寄せ、亮は胸の前で腕を組んだままうつむいた。そうして瞳をとじると、胸中の闇に、渦巻く煙のように不快な感情が広がっていった。気づくと呼吸を止めていた。わっと、目覚めたように顔を上げ、吸い込んだ空気で胸の煙を蹴散らした。そのとき、ふとあるものが目にとまった。

『休日の惨劇! 何が少年にナイフを握らせたのか!』

それは居並ぶ中吊り広告のうちの一枚だった。週刊誌の発売を喧伝するその紙片には、続いていくつもの文言が並び、ほとんどのスペースをあるひとつの事件の内容で埋めている。ひととおりを一瞥した亮は、いつものように、精神において吐き気を催した。

「―人の悲しみに題名をつけて、人の死を切り売りして、それでもそれを正義のジャーナリズムだとでも謳う気か!」

 彼らにとってはどうやら一人より二人が死ぬことのほうが望ましいらしい。さらに多ければよりよいのだろう。それが子供であればなおよく、かつ殺人者が少年であるとなれば、嬉々として紙面は踊る。

「知る権利」であるとか「社会への警鐘」だとか、もしくは「報道の使命」だとか、彼らのいうそんな名分というか建前を、その弁を聞くまでもなく亮は知っている。ただ同時に、それらの正体が結局は大衆の興味や好奇心でしかないことも知っていた。大衆の知る権利は遺族の安らかに生活する権利を迫害している。社会への警鐘とは、お決まりの表現でお茶を濁すことではないだろう。そしてそもそも報道するということに、レッテリングやおどろおどろしい活字や、被害者の私的な情報や必要以上に人心を不安へと追いやる決め台詞や、つまりはそういった一切の演出などは必要ないはずなのだ。

 事件に限ったことではない。中吊り広告にはさまざまな情報が「報道の使命」の結晶として同列に並べられてある。

 誰と誰がくっついたとか、ファッションリーダーの裏の素顔だとか、野球選手が夜の街でどうだとか、巨乳アイドルがアレしてすごいとか―「個人情報の流出」を糾弾する記事のとなりで芸能人のプライバシーを流出し、「少年少女の性の乱れ」を、ちりばめた風俗情報で後援する。何故、決まって表紙は薄着の女なのだ?

 亮は、いつも思う。

「彼らは自分のしている仕事を、自分の子供にどんな風に説明するんだろう」

 需要があるのだ。それが、亮が最も苛立ちを覚えるところの事実だった。

 あんなにもくだらない紙を、それでも買う人たちがいる。そしてそのうちのほとんどが、あるいはすべての者が、自らのその動機が「野次馬根性、覗き見趣味の充足」であるということに、うすうすは気づいているはずなのだ。

 そういった状況は、健全なものなのだろうか? それは生活に不可欠なものなのだろうか?

 しかし誰も大声をあげる者はない。あまつさえ一部の人々は、自分自身のくだらない人生に刺激といういくらかの彩りを添えるためにか、金を払ってまでその状況の悪化に加担している。そしてそんな紙を刷り続けるために、森の木々は切られ続けているのだ。それを思うと亮は、前歯に噛んだ下口唇を、そのまま食いちぎってしまいそうになる―

「みけぬまー」

と繰り返す単調な声が頭上に響いた。その音に、亮は身を縛る緊張のいくらかを解かれた。

 この駅が乗り換えとなる。「御毛沼」と書く。

 環状線の中でもかなり大きな駅で、ここを起点にいくつかの沿線が乗り入れている。いわば西北部から中央への玄関口となっているこの街は、昔は大人のための落ち着いた場所であったが、今は若者たちのためのそれへと変わってしまった。そういう評判を亮は聞いたことがある。なるほどその広大な駅の敷地には三つもの百貨店が軒を連ね、負けじとその周辺にも高層のビルが立ち並んでいる。駅口から伸びた大通りでは極彩色の看板がうるさいほどに目に付き、尻の見えそうなスカートをはいた女子生徒たちやサイズを間違えたような服を着た若者たちがあちらこちらに座り込んでいたりする。駅から少し離れ路地裏へ入れば、華やかさは意味を変え、風俗店やあまり生活の呼吸の感じられないマンションが立ち並ぶような通りも見ることが出来た。亮はそれほど深い時間帯を知るわけではないが、夜半になると途端に外国人の姿が増えるらしい。要は、いかにも良識派ぶった大人たちが眉をひそめて「いかがわしい」と評するような様相が、ここでは表の顔においても裏の胎内においても絶えず蠢動している。御毛沼とはどうやらそういう街だった。

 亮は東口から駅ビルを出た。陸橋の階段を下りる。ビルの鏡面が照り返す陽光が目の端にうるさい。通りに出ると、人の多さに湿った空気は排気ガスとほのかな腐臭とに満たされていた。行き交う人々の存在がうっとうしく、ビルにはさまれた谷の底を、亮は日陰に染められたコンクリートに視線を落としながら歩いた。

 どこへ行こうというわけではなかった。ターミナルで乗り換えずに駅を降りたのも、さしたる目的があったからではない。しかし何の目的もないのだが、そうすることはほとんど日課となっていた。家に帰りたくないのか、それともこの街に何かを求めているのか、あるいはその両方なのか。理由を考えることはずいぶんと前にやめてしまったが、帰路の途中、亮はほぼ毎日この街を何をするでもなくうろついている。そして、知っていたはずの人の多さに腹を立てて、喧騒に苛立ちを増やしながら、悶々と何かを考えている。

「―この街には春がない」

来ることは来るが、感じる変化は気温くらいのもので、花かおる匂いもなければ、茂る緑の移ろいもない。木立のひとつもない通りには陽光の染める暖色は見られず、コンクリートとミラーに弾かれた不自然な青白さしかありはしない。

 変化といえば、ウィンドウからはファーの陳列が消えた。つぶれたカフェは知らないあいだにコインパーキングになっていた。コンビニからはおでんが消え、全米一位の肩書きは取って代わられ、あまり客の入っている様子のないビストロは、そのうちに牛どん屋にでも変わるのだろう。つまりは、この街にある変化とは「商品」のそれでしかないのだ。この街にあるものはすべてが売られている。この街における四季とは、要するに繰り返される商品の変遷だ。

 銀行の角を曲がり信号を渡ると、道は少し下り坂になった。同時に通りの視界もひらけた。アミューズメントパーク、ドラッグストア、ファーストフード、谷間にATMの自動ドアが埋もれている。道の両側にシネマコンプレックスが建っているこの目抜き通りは、常にあるように行人に溢れかえっていた。

 どこからか、薄まった大音量のポップスが聞こえてくる。何をいっているのかはわからないが、大体の内容ならばよく聞くまでもなく想像できる。

『愛がどうして恋がこうで、今まで傷つくことばかり怖がっていたけど、わたしはあなたに会えたから、ひどい世の中でアレだけど、二人だけは清く美しく純粋で、結局はそれで愛してるんだよね、だから愛してよ・・・』

ちょうど右手のビルの何階かにカラオケボックスの看板が見えた。その店内ではおそらく今も、「どれだけイケてるか」という尺度でしか異性を見られない女たちが、同じ歌を歌っているのだろう。

「―まったく、何をそんなにごまかしたいんだ」

 そのときふと何かが左肩にぶつかり、亮は後ろを振り向いた。見ると、よく見かける制服を着た女子生徒が、手を振りながらその向こうにいる集まりのもとへと駆け寄っていた。ぶつかったのはその女の持っていたバッグらしい。

 立ち止まり、亮はその背を目で追った。眉間には深いしわがよっている。

 女は仲間のもとへたどり着くと、何がどうしたのか、狂ったようにその場を跳ねている。亮はしばらくその姿をにらんでいたが、やがてきびすを返して歩みを戻した。その心中はすでに怒りに沸騰していた。

 おそらくあの女は、自分の不注意に気づいてもいない。そしてたとえ気づいていたとしても、それがどれほどに無礼なことなのか見当もつかないのだろう。理由はひとつ。あの女にとって、亮が「人」ではないからだ。何かをしてくれる存在ではないからだ。友人であったならば謝りもするかもしれない。しかしそれは関係を悪化させないためで、非礼を自覚してのことではない。あの女のような連中は、結局自分以外の存在を「得か損か」という関係でしか捉えていないのだ。だから何の関係もない、つまり「人」ではない亮に非礼を詫びる必要もないのだ。

「イケメン」とかいうものは、つまりは自らの価値を引き立たせるための装飾品で、要するに「ブランドもの」と同列だ。愛だ恋だ友情だとか、一見して美しく見える言葉もそうで、それを使えば自らもが美しく思えて気持ちがいいから、意味もわからずに口にしている。皆もしているから、という理由でつまらない男と恋愛をしているとき、連中は決まって、「歌姫」の真似をして「愛してるよ」などといってみる。そのとき連中は、本音のところでは要するにこういっている。

『それで、結局あんたはわたしに何をしてくれるわけ?』

「・・・自己中心的だとか、わがままだとか、そんな『傾向』の問題じゃない。馬鹿なんだ奴らは。何も考えてこなかっただけだ。頭を使うことは嫌いなくせに、頭を使っていないといわれることはもっと嫌いな、ただの白痴だ」

自分は、そんな馬鹿と同じ酸素を吸い、同じように二酸化炭素を吐き出し、同じ色をした血液を循環させているのか。それを思うと亮は、叶うものならば、いっそ奴らと同じ人間であることをやめてしまいたくなる―

 さまよう亮は、またも道を折って裏通りに入った。

 さっきまでの大通りとは違い、そこでは一等地に入れなかった店舗が猥雑に軒を連ね、人を集めている。ゲームセンターに新古書店、進学塾の入った雑居ビルなどもあって、必然と制服を着た学生の姿が多い。

 ただ、亮と同じそれを着た者の姿はなかった。そしてそれは偶然ではなかった。この街で亮は同じ学校の生徒の姿を見たことがない。理由があるのだ。

 ひと昔前、亮の通う学校の生徒たちが、いわゆる街の不良たちに集中して目をつけられていた時期があった。授業料の高い一流進学校。それは彼らにとって実益とストレス解消のいずれをも兼ねていたのか、ごく局所的にではあるが、流行めいた風潮にまでなっていたらしい。むろん、若者の流行に粘性などはないのだから、今はもうそのような風潮はなくなっている。事実、毎日のようにこの街をうろついている亮だが、誰かに因縁をつけられたというようなことは一度もない。

 しかし、亮の通う学校内ではその昔話はいわば負の伝説となってしまっており、制服を着てうろついてはいけない街はどこか、といった情報が代々に渡って生徒間に受け継がれているのだ。プライドの高い一流進学校の生徒たちは当然それを快く思ってはいないようだが、現状に至っている。

 学力と腕力。そこにはそういった対立の構図があることを亮は知っている。彼らは結局、互いに劣等感を抱いているのだ。学力のないものは学力を、腕力のないものは腕力を羨望し、その劣等感を自らが持つものを誇示することで払拭しようとしている。だから「ガリ勉」たちは「我々はエリート。将来の勝ち組だ」などといって惨めさを隠し、「不良」たちは「喧嘩もできないオタク野郎」などと揶揄して、今をごまかしている。そうして互いを蔑み合うことで、自らを慰めようとしているのだ。

「―まったく、何をそんなに怖がってるんだ」

今日もこの裏通りは臆病な少年たちの姿にあふれている。イヤホンで耳をふさぎ立ち読みにふける少年。ゲームセンターの店先では、数人の集まりがわざとらしい大声で何か騒いでいた。道端に座り込む連中のかたわらには当然のごとくコンビニのビニール袋、ペットボトルに、吸がら。

「人と同じことなんかしたくねえ」といいながらファッション雑誌と同じ格好をし、皆が皆、同じように髪を染めている。臆病な獣ほど大げさな挙動で自らを大きく見せて他を威嚇しようとするらしいが、通りを行く少年の、一歩を蹴り出すにようにガニ股で歩くその挙動に見るに、どうやらそれは人間も同様らしい。「クール」というのは要するに「無気力」のことだ。そんなものは真剣に物事にぶつかることを避けるための逃げ口上だ。そのくせにくだらないプライドだけは増長させて、みずからの「ちから」を示すことだけには躍起になるが、といって何ほどかの者になろうという気概は一切ない。ただイヤホンで現実をふさぎ、日々をだらだらと、誰かの決定を待つ。とりあえずの行動の指針は下半身に牛耳られ、そうしてこぼれる言葉はこうだ。

『ああ、つまんねえな。何か面白いことねえかな』

「・・・無軌道だとか、無分別だとか、そんな上等な問題じゃない。獣なんだ、奴らは。だから行動に単純な原則しかありえない。ヒト科ではあっても人に成りきれてはいない、雑食の卑屈な獣だ」

亮は一流進学校に在籍してはいるが、学力における優越意識など微塵も抱いていない。しかし、自分が将来得る一票の資格と、彼らが得る一票の権利とが同等のものとして扱われるのかと思うと、経歴に支えられた権力者の悪名を、支持し羨みたくもなる―


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