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PAN  作者: hkdyksry
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赤い春⑩

「まあ、奴はあまり頭は良くない。だが十二分に機転が利く。さらに経験がそれを補っている。目的に向かう強靭な意志を持ち、手下への統率も行き届いている。―あれを僕らで使うんだ。わくわくしてくるだろう?」

亮は京谷実を振り向いた。使う。意を解せぬその言葉が、注意を振り向かせた。

 笑みが粘着を取り戻している。何のことだと問う亮の視線に、にやりと、口元が大きく粘ついた。

 腰を上げ京谷実は立ち上がった。そして丸く空いたゴミ箱の口にペットボトルを放り込むと、身を翻し、両手をついてゴミ箱にもたれかかった。

「話が途中だったね。いま思い出したよ」

自嘲するようなその口調には、わざとらしい、人工的な鷹揚さがともなっている。立ち上がり、上段に還った目には、先の輝きは灯されていなかった。

「何のために、あれを見せたのか。君はそう訊いたな。もうわかったろうが、要するに品定めのためさ。どんなに口で言うよりも、見たほうが早い」

「何のために?」

間髪を入れず、亮は努めてわざとらしく同じ問いを重ねた。するとすかさず、京谷実は答えた。

「うまくやるために」

真っ直ぐに撥ね返ったその言葉と視線に、亮は緩みかけた頬を締めた。それに呼応するかのように、京谷実の口元がほころんだ。

「例の犯人のことだよ。奴は下手くそだった。そう言ったろう? 為した行為そのものについては、僕の考えでは少なくとも不自然なことじゃない。人殺しというのは究極の他者否定、つまり自己肯定、すなわち利己だ。確かにそれは悪だが―」

といいかけて、京谷実は口をつぐんだ。そして緩んだ口元を一層に粘つかせ、

「―だからこそ、自由でもある」

といった。そこで笑ったのは、先の演説の余韻を思い出したからに違いない。京谷実は亮の目を見ながら続けた。

「だが奴のやり方では、そのあとに待っているのは拘束だ。そうなってはどんなに優秀だろうと大した意味はない。一般社会対凶悪犯。六十億対一の構図を避けないのは、邁進ではなく単なる愚だ。まあ、奴は殺したい人間を殺したわけじゃなさそうだが、たとえば僕なら、まず自分の手は汚さない―」

「誰かを使う」

そういう二人の言葉が重なった。にやついた笑みから視線を逸らし、亮はこれ見よがしに溜息をついた。

「そういうことか。その誰かに連中を充てようっていうんだろう。それで、どうするんだ? 誰か殺したい奴でもいるのか?」

半ば以上、努めてした呆れ顔で亮は問うた。京谷実は口を閉じた。そしてやたらと挑戦的にその視線を尖らせ、しばらくの沈黙のあと、ゆっくりと呟いた。

「少年だよ」

「何だって?」

京谷実は亮を指差した。手首を返し、続いてその指で自身の胸を叩いた。

「僕らは少年だ。世界はそんな名前しか僕らに与えようとしない。ならそれに従ってやればいい。少年は少年らしく、遊ぼうじゃないか」

ゴミ箱に乗せていた腰を浮かし、京谷実は一歩を歩み寄った。そして、手を差し伸べるような形で、上向けた手のひらを二人の真ん中に置いた。それは、何かを掴もうとしているのだろうか。あるいは、何かを受け止めようとしているようにも見える。亮はその目をにらんだ。

「どういう意味だ」

「龍胆と、連中の力はわかっただろう。『少年の世界』じゃ、奴らに敵はいない。ひょっとすると不可能すらないかもしれない。僕らが使えば、なおさらだ」

京谷実はこめかみを指で叩いた。

「この有り余った才と活力を満たす方途が、そこにあるんだ。連中を使えば何でも出来る。さっきみたいに、くだらない連中を潰してまわるのもいい。吸収していってもいい。そうすれば、この街もずいぶん住みよくなるだろう。…僕らの手で操って、そうしてやるんだ!」

「なんだそりゃ。新連載のあらすじか?」

またも輝きを帯び始めた目をいなして、亮は皮肉を投げた。しかしやはりというべきか、それは通用しなかった。

「まあ、マンガのようには行かないさ。わかりやすく対立しているわけじゃない。だがな、さっきのを見たろう? そんな展開に持ち込むのは難しいことじゃないんだ。そして奴なら、龍胆なら、どんな相手にでも勝てる!」

叫ぶようにそういって、京谷実はまたもガッツポーズを作った。他人の、しかも仮定でしかない勝利に酔い、いきおい興奮を増していく。もはや亮を見ることもせず、京谷実は語気を高めてまくし立てた。

「あいつは本当にたいした奴なんだ、奴はまったくといって暴力に抵抗を持っていない。いや、きっと悪そのものにもだ。惜しむらくはその力を使う頭がないから、今はくだらないことばかりやっているが、僕らが駒として使えば、それこそ自由自在だぞ! ひょっとすると、殺人ですら本当にやってのけるかもしれない!」

その言葉を聞きながら、というよりもそう語る興奮の様を眺めながら、亮はひとつの気づきを得ていた。京谷実の、本来の目的である。

 面白いもの、自由を見せるといって京谷実は亮を誘い出した。そして「龍胆」を指差し、あれを使って遊ぼうという。不満を解消する術はそこにあり、それにともなうであろう悪行を肯定してくれるものこそが、自由への意志であるとした。いろいろと言葉を弄してわけのわからない思想を繰り広げてきたが、「龍胆」についてを熱く語る今のこの姿を見れば、結局は何をしたいのか、それは一目瞭然だった。要は、何のたとえでもひねりでもなく、自身の言葉の字義の通り、「遊びたい」のだろう。

 不満の解消が目的のひとつではあるかもしれない。しかしそれは、活力の方途を得ることではなく、単に「龍胆」に関わることで達せられるものに違いなかった。「龍胆」を見ていたいのだ。ヒーローの仲間に加わりたいのだ。

 しかし、自らを至高に置く京谷実にとっては、他に憧れを抱くことや、仲間に入れてもらうといったことは、認められるものではなかったのだ。ために、妙な理屈をこねくり回し、自らが上段に立ち、かつ「龍胆」を存分に見ていられるようなストーリーを築き上げたのだ。そして、それに亮を誘い入れようとしたのは、

(一人じゃつまらないから。もしくは、淋しいからか?)

でなければ、同じ目線を持つものを置くことで、築き上げたストーリーの正当性を担保したかったのかもしれない。おそらくはそれらのすべてが理由だろう。

 理解に達した亮は、しきりに興奮する京谷実を尻目に、大きな溜息をついた。なぜ自分はこんなところにいるのかと、客観に立ち自らを嘆いた。

「出来るのか、そんなことが」

「ああ、出来るとも!」

性急に振り返ったその目は、やはり憧憬の輝きを灯している。強気に肯定して見せたその回答には、しかし、質問との間に齟齬があった。

「そうじゃない。お前に、あいつらを使うなんてことが出来るのかって言ってんだ」

「ああ出来るさ! 現にさっきのを見たろう、あれは僕が仕向けたんだ!」

亮は黙った。納得したからではない。訊くだけ無駄だったことを、後悔したのだ。

 亮はあの暴風をコントロール出来るのかと問うたのだ。本人は現にやって見せたというが、京谷実がやったのは、暴風の渦中に哀れな木の葉を放り投げただけのことに過ぎない。それでは「龍胆」を使ったことにはならないと、どうして気がつかないのか。

「何だ、不安なのか? ためらうことはないぞ?」

京谷実がいった。興奮が伝播していないことにようやく気づいたようで、その語調は一転して落ちていた。

「大丈夫、うまくやれば僕らが捕まるようなことは避けられるよ。それは任せてくれていい。リスクはゼロじゃないが、こんな好機はそうあるものじゃないぞ?」

そのとき、なれなれしく肩に手を置かれた。瞬時に、亮は尖らせた視線を舐め上げた。京谷実は溜息をついて手を下ろした。

「やらなきゃやらないでかまわない。だが、何もしないでいて、この不満や鬱屈を君はどうするつもりなんだ? 中学生というだけで子ども扱いされて、子供は子供らしく遊べと何をする機会も奪われる。だから、子供らしく遊んでやるんだよ。少年の世界で。君も退屈しているんだろう? チェスや将棋じゃ座興にしかならないが、使うのは生きた駒だ。盤面はこの街だ。少なくとも、退屈は解消できるさ。それは保証する」

長々と続いた説得を、亮は目も合わせずに聞いた。述べきった京谷実は、所在無げに腕を組んだ。そうして、両者を沈黙が掴んだ。

 どうしてこれほどまでに亮が乗り気を見せないのか。京谷実にとってはそれが相当に意外だったらしく、嘆息を吐くその姿からは、苛立ちが垣間見て取れる。しかし亮はそれを放って、何もいわなかった。

 ところが、その態度がすなわちノーというわけではなかった。といって、可否を両天秤にかけて、含みを持たせているわけでもない。実はまったく別のことを考えていて、目の前の男のことなどどうでも良かったのだ。

「龍胆」のことを考えていたのだろうか。正確にいえば、それを端緒として、また別のことを考え始めていたのだ。心中に、低徊の深き森が拡がろうとしていた。こうなっては、もはや目の前の男は邪魔者でしかなかった。

「終わったな?」亮はふと顔を上げた。「―今日の出しものは」

そしてそういった。直後に、いくらなんでも今は皮肉をいう場面ではなかったなと、少し表情を歪めた。ときすでに遅く、京谷実は何も応えないまま、むっと口を尖らせてしまった。

 ようやく通用した皮肉は、それこそ皮肉なことに、不本意に口にしたものだった。京谷実は、意外にも居丈高に雑言を返すこともなく、真一文字に口を閉めて非難の視線を寄越すのみだった。すねた子供のような不機嫌なその様は、あるいはそれこそがこのプライドの高い少年の正体なのかもしれない。そして亮は、こちらの方がよほどやりにくく感じた。しかしやりにくくはあったが、その視線を振り切って、いい放った。

「じゃあ、俺は帰るよ」

そして踵を返し、背を向けた。そのとき、呼び止めるでもなく、ポツリと京谷実が一言を漏らした。

「好きにすればいいよ」

それは、やけに投げやりな、この何事にも芝居がかった少年にしては珍しい、何の色もない声だった。亮は半身に振り返った。

「もともと一人で始めたんだ。それならそれでもいい」

京谷実は下を向いていた。言葉の終わりに、ゆっくりとその面を持ち上げた。

「君は、自由という言葉にいやに反応したね。気持ちはわかるよ。だからこそ僕も口にしたんだ。…僕は行くよ。一人でね。君は、あの何もない教室で、またノートに愚痴でも書いていればいい」

京谷実はくすりとも笑わなかった。そしてまっすぐに亮をにらんでいた。亮はしかし、その真剣さに応えない形で、少し迷っていた。何か強くいい返してやろうか、更なる皮肉を投げてやろうか、いっそ詰め寄ってやろうか。

 一瞬の、さして真摯でもない逡巡があった。しかし結局は放って置こうと思い、黙って背を向けた。そのとき、京谷実がまた何かをいった。

「いいか、自由とは、―」

という言葉で始まる台詞を、亮は聞き流した。それは、聴くべきではないと思ったからなのか、聴く必要がなかったからなのか、はたまた、またも低徊の森に赴こうとしている亮に、それを受け取る暇がなかったからなのか。

 亮を通り過ぎた言葉は、そのまま闇夜へと溶け、染み入るようにくぐもって響いた。

 亮は振り返らずまっすぐに歩いていった。聞き流したはずの言葉が、正面の闇に、こびりついていた。


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