赤い春⑦
駐車場内を照らす街灯の袂に、少年たちは輪になるでもなく寄り集まっている。シートに腰掛けたままの者、ふらふらと、身体を揺らしながらたたずむ者、一台はまだエンジンをかけたままで、無意味にアクセルを噴かしている。薄光に中てられた貧弱な闇の中心から、詰まったようなその噴気音だけが絶えず響き渡ってきていた。
これから何が起ころうとしているのか。供物という言葉と、少年たちの性質から、おおよその見当はつく。少年たちは、何かを探すようにたびたびあたりを見渡していた。そして何かを待つように、その場を動こうとしない。過剰なマフラーの為す噴気音は、あるときには高まり、かと思うとおさまり、収めようとも静まらない興奮を携えて、変わらず橋上の二人に届いている。
亮は漫然と少年らに目を向けていた。そうして京谷実の意図を想像していた。予想の通りにこれから乱闘が起こったとして、それが何だというのだろう。しかし考えようともわからず、亮はただ待つしかなかった。その胸中は、さして期待に躍るわけでもない。
あるとき、噴気音が一段の高まりを見せ、そしておさまって絶えた。見ると、数人の人影が、ワンボックスカーの車高の陰から姿を現した。
あれがそうか、と亮はたずねた。京谷実は相槌のみで答えた。
新たな集団は、数歩の間合いを取って少年らと対峙した。数えると、四人しかいない。七、八人を相手にしては、随分と不利なのではないか。―中に一人、ずば抜けた図体の持ち主がいた。どちらの集団にあっても、その背丈は頭ひとつ分は飛びぬけている。だけでなく、遠目にわかるほどにその肢体は隆々と盛り上がっていて、ひとつだけ、明らかに影が太い。
「あのでかいのが、その『龍胆』か?」
亮は問うてみた。すると京谷実は、はん、と高く、一息の噴飯を見せた。
「まさか。―そうだな、じきに嫌でもわかるだろうが。その手前の奴だよ。フードとハーフパンツの。でかいのは、ただの馬鹿だ」
巨漢の手前に、いうような風体の者がいた。生成色のカーゴパンツの裾下からは細い足首がのぞき見え、バスケットシューズがやたらに大きく見える。パーカーの黒のスウェット地が、照明に当てられて青白い光沢を為していた。
少年は集団の先頭に立って対峙している。なるほど確かに、それは後方の者を率いているようにも見えた。しかし、
(あれがか?)
と、その姿容を注視しながら、亮は怪訝に眉を寄せた。異彩がないのだ。体躯が大きいわけでもなし、異様な風貌をしているわけでもない。要するに、何の特徴もない。
しかしそこで、亮はあることに気づいた。俯瞰して見ると、「龍胆」だけが妙に落ち着いているのだ。他の少年は、左右のグループを問わず、皆が興奮のさまをどこかに見せている。あるものは舐め上げるように相手をにらみつけ、またあるものはポケットに手を入れふんぞり返り、例の巨漢は腕を組んでその高みから他を見下ろしたりしている。だが「龍胆」にだけ挙動がない。パーカーの懐に手を入れて、ただ突っ立っている。それはあたかも、信号が変わるのをただ待っているかのような佇まいで、興奮の渦中にあって、熱をすら感じ得ない。荒ぶる獣の群れの中に、ただ一匹だけ草食動物が混じってしまっている。そんな風にも見える。
あの少年に、京谷実は何を見ろというのだろう。その、ある種の異様さとも取れる落ち着きはいったい何から来、そして京谷実のいう何に結びつくのだろうか。亮は少し考えた。しかし展開がその回答を待たず、動き出した。
「そら、もう火がつくぞ。馬鹿は簡単だ」
京谷実の言葉と、どちらが先だったのかわからない。彼を振り向いている間に、少年のうちの一人が「龍胆」の胸倉をつかみ上げていた。そうして何かを吠えている。怒号の響きが橋上にまで伝わり、ともなって集団の昂揚も度を高めた。一触即発。皆がバイクを降りる。―そして瞬間、鉄火が弾けた。
「うわっ」
乾いた音だった。軽石を踏み砕いたような、生理に不快に触れる音が響き、亮は思わず声を立てた。「龍胆」が、何の前動作もなく頭突きを食らわしたのだ。
少年は膝から折れて崩れた。「龍胆」はその髪を掴み、また顔面に膝頭を叩き込んだ。血飛沫が飛び、そして爆ぜるような、奇声があがった。
「かァぁあああっ!」
それが鬨の声となり、たがの外された幼い獣たちは、それぞれに掴み合って血を吹き始めた。
顔面を潰された少年は、膝を折ったままアスファルトに背を貼り付け、壊れた人形のように身動ぎのひとつもしない。遠目にもそれと知れる血溜まりが小さく広がっていくのが見えた。
「龍胆」が壊れた人形を飛び越えた。そして跳梁の終着に蹴りを放ち、次に控えていた少年の腹を突き飛ばした。少年は転倒する。次の者が「龍胆」を襲う。その突進に拳骨を穿ちて止め、そして背後にまわった者を、背の高さまで上がった足刀で空を切って牽制してみせる。
「…すごい」
小さく、感嘆が漏れた。たった数秒のうちに、亮はその者が異形であったことを理解した。いや、させられた。先の瞬間まで、最も静かで最も冷たかったはずのその少年は、次の瞬間である今、橋上の袂にまで届きそうなほどの熱波を放ち、暴風を振るっている。ただ一人で四人もの敵手を向こうにまわし、そしてそのうちの一人を瞬きほどの間に無力化してしまったのだ。
例の巨漢は、一人の首根っこを脇に抱え込みながら、もう一人に蹴りを浴びせている。残る四人もそれぞれに取っ組み合い、そしてそれぞれが奇声を発し、怒号を交わし、乱闘の夜の駐車場は熱した油鍋のように騒然とし始めているが、亮はそのうちの一人から、もう目が離せなくなっていた。
「まるで遊んでいるようだな。見ろ、一人だけ笑ってる」
京谷実がつぶやいた。振り返ってみると、そういう自身もいやらしく笑っており、その目はやはり好奇の光に照っていた。
いうように、乱闘の只中にあって「龍胆」は笑っていた。その表情を委細に見取ることは出来ないが、大きく開かれた口はわかる。呼吸のためではない。紺碧の闇の板に撥ねるような哄笑の声。「龍胆」が発したと思しきその高らかな笑い声が、怒号や骨の音に混じって、時おり届いていた。
振りあげられる拳、弧を描く足刀、暴風の渦の中心には、「龍胆」がいる。一瞬の迷いも躊躇いもなく敵手をなぎ倒し、迎え撃つその姿は、まるでカンフーアクションの主人公のようだった。あらかじめ決められてある殺陣を、ただ演じているだけ。危うくそう錯覚しそうになるほどに。しかし違う、その暴風の渦は、ただ一人の少年が演出し、生み出しているものなのだ。―そう考える亮の心中に、かすかに滲んでいくものがあった。揮発し、強い香りを放ち、胸中を漂う、ある感情。それは痛快、爽快、昂揚、あるいは興奮。亮自身は自覚していなかったが、それらは確かに心に浸潤し始めていた。何より、「龍胆」という暴風から目を離せなくなっているという事実が、それを証明していた。
「―お前が呼びつけたって言ったな。これを仕向けたのも、お前なのか」
「ああ、そうだ。相手連中に、見知った仲の奴がいてね。それでコンタクトが取れた」
「でもどうやって」
「流言だよ」京谷実は指先でこめかみを叩いた。
「龍胆が君たちを馬鹿にしていたと、それとなく伝えてやった。単純なことだが、ああいう奴らには最も効果的だ。一度火が点けば、あとは成り行きさ」
京谷実がいうには、それぞれのグループは、この街の少年の世界にあって、もともとは特に対立するでもなく存在していたらしい。互いを知らぬ関係ではなかったが、さしたる交流もなかった。しかしあるときを境に一方が一方に敵意を持った。そして京谷実の策略の通りに、現在の事に及んだ。いや、及ばされた。
「俺に見せるために、か」
「まあ、半分はそうだな。本当は昨日のはずだった。それを今日にずらしたんだ。面倒だったぞ」
そういって京谷実は上目遣いににやついた。亮は目を逸らし、乱闘へと視線を戻した。それにしても、と、ひとつの疑問は解けたものの、胸中にはいまだ奇異が残る。
(何のために?)
この光景を見せるのだろう。
それは確かに、日常にはない世界の発露だった。自分たちとは違う世界の住人。これほどの人数の乱闘など今まで見たこともなかった。そういった意味では、眼前の光景は確かに刺激的であり、心中には今までにない波が立つ。しかし、それを見てどうしろというのか。「あの世界へ飛び込もう」とでもいうつもりなのだろうか? 京谷実の性質からすると、それは考えにくい。
「何故だ?」
亮は眉間にしわを寄せた。
「これを見せて、どうしろという。何が言いたい。大体、こんなののどこに―」
といいかけて、亮は言葉を呑んだ。
「自由を見出せというのか」
先に続くはずだったその言葉が、自分がまんまと京谷実の垂らした餌に食いついたことを告白するようなものだと、気づいたからだ。しかしいわなくとも、現に約束の時間に来ているのだから、すでに同じことなのだ。それにまた気づいた亮は、言葉の後の間隙に、乱闘から目を伏せて口唇をかんだ。
亮の問いに、京谷実の言葉はなかった。反応を待ちわびて横顔を向くと、その目は変わらず乱闘の絵画を眺めていて、やはり何がしかの光に輝いている。
この男に、いまさら腹を立てても仕方がない。ため息をつきながら、亮は前を向いた。そしてやはり、その視線は「龍胆」を求めて傾いた。
見ると、いつの間にか「龍胆」の傍らに一体、壊れた人形が増えている。それは顔面と片腹に手を当てて、アスファルトの上でぎりぎりとその身を捩じらせながら、破壊の果ての、末期の駆動を続けている。「龍胆」はというと、自らの足跡などは一切顧みずに、もう次の玩具に夢中になっていた。
哀れな少年は、その前髪を主人に鷲掴みにされて、ひたすらに顔面に鉄拳を打ち込まれ続けている。身をかがめ、許しを乞うように、祈り縋るように主人の腰に抱きついてはいるが、願いは叶うはずもない。「龍胆」は笑ってはいなかった。大きくひらかれていた口を今は真一文字に締めて、その目は、繰り返すショートアッパーの標的をただただ凝視している。―それは、人が自らの作業に没頭し、集中しているときの表情だ。亮は思った。トランプタワーの最後の二枚を置こうとしているときの、あの表情。少年にとっては生き地獄にも思えるであろうその状況も、「龍胆」にとっては単なる「作業」に過ぎないのだろうか?
そのとき、京谷実からようやくの言葉があった。




