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第8話 双剣の獅子と、眠れる子どもと、鉄の梟の夜


夜はすっかり更けていた。

森の外れ、小高い丘の上に張られた《鉄の梟》の簡易キャンプ。

 いくつかの焚き火が点々と灯り、その中心に、ひときわ大きな炎が揺れている。

そのすぐそばで、フィンはまだ眠っていた。

ルミナの翼に包まれたまま、微かな寝息を立てている。

 触角は力なく垂れ、イヤリングはかすかに揺れ、焚き火の光を反射していた。

その寝顔は、あまりにも静かで、あまりにも無防備で、あまりにも幼かった。

アリシアはその横に座り、腕を組んで焚き火を見つめていた。

 その隣には、ガルドがどっしりと腰を下ろしている。

周囲では、団員たちがそれぞれの持ち場で見張りや準備をしていたが、

 この焚き火の輪の中だけは、どこか“家族の団欒”のような空気が流れていた。


ガルドはしばらく黙っていた。

焚き火の炎が、彼の獅子のようなたてがみを赤く照らす。

 その横顔は、岩のように無骨で、戦場を知り尽くした男のものだった。

だが、その目は――眠るフィンを見つめるときだけ、どこか柔らかかった。

アリシアはそれに気づいていた。

「……ガルド」

「なんだ、団長」

「さっきから、ずっとフィンを見ているな」

「……そう見えるか」

「見える。

 お前が、あんなふうに誰かを見つめるのは珍しい」

ガルドは少しだけ視線を逸らした。

「……似ているんだ」

「誰に?」

「昔の俺に、だ」

アリシアは片眉を上げた。

「お前に? あの小さな子が?」

「笑うなよ、団長」

「笑ってないさ」

アリシアは口元だけで微かに笑った。

「……話せるか?」

ガルドは少しだけ考え、それから静かに頷いた。

「……ああ。

 どうせ、いつかは話すことになる」


「物心ついたとき、俺はもう奴隷だった」

ガルドの声は低く、焚き火の音に溶けるように響いた。

「親の顔は知らん。

 おそらく親も奴隷で、俺は生まれた瞬間から“所有物”だった」

アリシアは黙って聞いていた。

「だが、幼い俺はそれを不幸とは思わなかった。

 それ以外の世界を知らなかったからだ」

焚き火の火の粉が、夜空に舞い上がる。

「ある日、俺は貴族に買われた。

 理由は一つ――剣闘士として育てるためだ」

「……剣闘士、か」

「そうだ。

 貴族は俺に愛情を向けることはなかった。

 だが、食事だけは異様に豪華だった」

ガルドの目に、遠い記憶の光が宿る。

「肉、乳、穀物、果物。

 奴隷にしてはあり得ないほど栄養価の高い食事が毎日与えられた。

 俺はそれを“幸福”だと思った」

(……こんなに食べられるなんて……)

「それだけで十分だった。

 その代わり、訓練は苛烈だったがな」

ガルドは自嘲気味に笑った。

「木剣を握り、倒れるまで振り続ける。

 倒れたら蹴られ、立てと言われる。

 だが俺は泣かなかった。

 泣くという感情を知らなかった


「成長するにつれ、俺は騎士団の訓練相手にされるようになった」

ガルドの声が、少しだけ柔らかくなる。

「騎士たちは誇り高く、規律を重んじ、

 俺を奴隷として扱わなかった」

『お前、強いな』

『次は俺が相手だ』

『手加減はしないぞ』

「彼らは純粋に“武”を尊んでいた。

 俺は初めて知った。

 ――戦いには意味がある、と」

アリシアが静かに頷く。

「ただ殴り合うだけではない。

 誇り、技、精神。

 それらをぶつけ合うものだと。

 その気づきは、俺の心に火を灯した」

「……いい騎士たちだったんだな」

「ああ。

 少なくとも、俺にとってはな」


「十四になった頃、俺は若年リーグに出場した」

「命の取り合いではない方のか」

「そうだ。

 技量とルールで勝敗が決まる。

 俺は無双した。

 誰も俺の力に耐えられなかった」

ガルドはそこで、少しだけ口元を緩めた。

「ただ一人――虎獣人の少女、ラウラを除いて」

「ラウラ?」

「鎖鉄球と斧を使う戦士だ。

 俺と互角に渡り合った。

 勝率は俺がやや上だったが、どの試合も激戦だった」

「……いいな」

「何がだ」

「そういう“互角の相手”ってやつだ。

 私も昔、一人だけいた」

アリシアは遠くを見るような目をしたが、すぐに戻ってきた。

「二人は、仲が良かったのか?」

「一度も言葉を交わさなかった」

「……え?」

「だが、互いを“戦士”として認めていた。

 それで十分だった」

アリシアは少し笑った。

「お前らしいな」


「成人して、俺はトップリーグへ上がった」

「命の取り合いの方だな」

「ああ。

 そこでは、どちらかが倒れ、動かなくなるまで終わらない」

ガルドは焚き火を見つめた。

「俺は勝ち続けた。

 血と汗と砂にまみれながら、ただ前を向いて戦った。

 そして――決勝戦の相手は、ラウラだった」

アリシアは息を呑んだ。

「そこで初めて、ラウラは口を開いた」

『……ガルド。

 俺たちは何度も戦ったが、これが最後だ』

『ああ』

『どちらかが倒れ、どちらかが自由になる。

 なら……相手はお前がいい』

『俺も同じだ』

『お前を倒して自由になるなら、それは誇りだ。

 もし俺が倒れても……お前が自由になるなら、それも誇りだ』

「……いい戦士だ」

「ああ。

 俺は短く答えた。

 そして――戦いが始まった」


「俺は両手に分厚い鉈のような双剣を構えた。

 ラウラは鎖鉄球を振り回し、斧を構えた」

ガルドの目に、あの闘技場の光景がよみがえる。

「鉄球が空を裂き、俺の剣が火花を散らす。

 砂が舞い、観客の歓声が遠くに聞こえる。

 俺は鉄球を弾き、ラウラは斧で双剣を受け止める。

 互いに一歩も引かなかった」

「……」

「技と力と誇りがぶつかり合う。

 やがて――俺の双剣がラウラの武器を弾き飛ばした」

焚き火の音が、静かに弾けた。

「ラウラは膝をつき、静かに目を閉じた」

『……見事だ、ガルド』

「俺は剣を振り下ろした。

 砂が舞い、風が吹き抜けた」

アリシアは目を閉じた。

「ラウラの体は傷だらけだったが、背中には傷が一つもなかった。

 俺も同じだ。

 ――決して背を向けない戦士の証だ」

「……戦士の勲章、か」

「ああ。

 俺は静かに目を閉じて思った。

(……ラウラ。

 お前の誇りは、俺が背負う)」


「だが、俺の自由は与えられなかった」

ガルドの声が低くなる。

「雇い主が権力者に賄賂を贈り、俺の解放は取り消された。

 俺は怒りで震えた」

(……俺のことはいい。

 だが……ラウラとの誓いを汚した……!)

「俺は奴隷拘束の呪法に耐え、飼い主を斬り、脱走した。

 追手との戦いで、俺の背中には無数の傷が刻まれた」

アリシアは、ガルドの背中の傷を思い出した。

「……それが、お前の背中の傷か」

「ああ。

 賞金稼ぎたちも、追手も、容赦はなかった。

 俺は一人、森の洞窟で雨を避けていた」


「焚き火の前で、俺は濡れた毛皮を乾かしていた。

 そのとき、洞窟の入口から声がした」

『おーい、先客さんか。悪いな、雨宿りさせてもらうぜ』

「金髪の女が入ってきた。

 背中には巨大な大剣。

 アリシア、お前だ」

アリシアは少しだけ目を細めた。

「……あの日か」

「俺は一瞬、追手かと警戒した。

 だが、この女からは“あの匂い”がしなかった」

「“あの匂い”?」

「奴隷商人や、腐った貴族の匂いだ。

 お前からは、鉄と血と、戦場の匂いしかしなかった」

「褒め言葉として受け取っておく」

「そうして、俺たちは焚き火を挟んで座った」

『お前、相当鍛えてるな』

『そっちもな』

「お前は俺の背中の傷を見て、マントを脱いで自分の背中を見せた」

『俺は傭兵をやっててな、仲間を十人ほど抱えている。

 戦場じゃ誇りも敬いも何もねぇ』

『……』

『だからこそだ。

 傷は全部、勲章みてぇなもんだ。

 恥じることじゃねぇ』

「お前の言葉は、妙に腹に落ちた」

『一皮むけばこの世の中、信も義もねぇ。

 だったら信も義も、仲間同士だけでも貫こうと思ってるのさ』

「俺は思った。

 ――この女は、本気でそう言っている、と」

『今は俺の団は小せぇが、大きくしてこの世界を飲み込めば、

 この世の中も信義が大手を振って広がるってもんよ』

「聞いていて、少し笑いがこぼれた」

『因みに旦那、俺の団に入らねぇかい。

 旦那が入ったら百人、いや千人力だ』

『旦那と言われる年じゃない』

『じゃあいくつなんだい』

『……二十一だ』

『俺は十八。やっぱ旦那じゃねぇか』

「お前のその軽さが、妙に心地よかった」


「間もなく、お前の仲間たちが洞窟に合流した。

 俺を怪訝そうに見ていたが、全員が異様な雰囲気を纏っていた。

 強者のそれだ」

『おいおい、そんなに睨むんじゃねぇ。

 この旦那を俺たちの団にってリクルートしてるところなんだからよぉ』

『え、このライオンの旦那を?』

「仲間たちの表情が陽気に明るくなった」

『だから旦那と言われる年じゃ――』

『俺十八!』『俺十九!』『俺十七!』

「全員、俺より年下だった。

 そして全員が笑って言った」

『やっぱり旦那だな!』

「……あれは、悪くない呼び名だった」

アリシアが笑う。

「気に入ってるくせに」

「悪くないと言っただけだ」

「そういうところが“旦那”なんだよ」


「その後、俺は《鉄の梟》で数々の戦場を駆けた。

 お前の無茶な突撃に付き合い、

 仲間たちの背中を守り、

 敵の隊列を切り裂いた」

「無茶とは失礼な」

「事実だ」

「……否定はしない」

「各勢力の圧力もあって、俺にかけられていた指名手配は解除され、

 奴隷としての身分も正式に解かれた。

 その頃には、俺は“戦場で恐れられる双剣の獅子ガルド”と呼ばれていた」

「自慢か?」

「事実だ」

「ふん」

アリシアは鼻を鳴らしたが、その目はどこか誇らしげだった。

「傭兵団では、それからお前は“姉御”、俺は“旦那”と呼ばれるようになった。

 ……悪くない呼び名だ」

「だろう?」


ガルドは焚き火の前で、眠るフィンを見つめた。

ルミナの翼に包まれた小さな体。

 胸の上下はかすかで、触角は力なく垂れている。

ガルドは静かに拳を握った。

(……守る。

 あの頃の俺のように、一人にはしない)

その決意は、彼の本性そのものだった。

アリシアが口を開いた。

「ガルド」

「なんだ、団長」

「お前は、もしあの時……

 私に会っていなかったら、どうなっていたと思う?」

「……さあな」

「死んでいたか?」

「かもしれん。

 だが、あの時お前に会った。

 だから今ここにいる」

「……そうか」

アリシアは焚き火を見つめた。

「フィンも、そうだな」

「そうだ」

「もし、あの時。

 私たちがあの村の近くを通っていなかったら」

「この子は、今ここにはいない」

アリシアは眠るフィンの髪をそっと撫でた。

「……運命、か」

「俺は、運命って言葉はあまり好きじゃないがな」

「なぜだ」

「運命って言葉で片づけると、

 “何もしなくてもいい”って顔をする奴が多い」

「……ああ、いるな」

「だが、俺たちは違う。

 俺たちは“選んだ”。

 戦うことを。

 守ることを。

 この子を拾うことを」

アリシアは少し笑った。

「そうだな。

 運命なんてものがあるとしても――

 それを掴むかどうかは、自分で決める」

「団長らしい言い方だ」


「ガルド」

「なんだ」

「……私はな」

アリシアは焚き火を見つめたまま、ぽつりと言った。

「この子を見ていると、どうしようもなく抱きしめたくなる」

「知ってる」

「だが、折れそうで怖い」

「それも知ってる」

「お前は、どうだ」

「俺か?」

「お前は、この子を見て、何を思う」

ガルドは少しだけ考え、それから静かに言った。

「……俺は、この子を見ていると、

 “もう二度と、誰にも背中を向けさせたくない”と思う」

「背中を、か」

「ああ。

 ラウラも、俺も、背中に傷はなかった。

 だが、この子は――

 背中を見せる前に、全部奪われた」

アリシアは目を細めた。

「だから、俺は決めた。

 この子がいつか、自分の足で立って、

 自分の意思で前を向いて戦う日が来るなら――

 その時まで、俺はこの子の背中を守る」

「……いいな、それ」

「何がだ」

「“双剣の獅子ガルド”が、

 一人の子どもの背中を守ると決めた。

 それだけで、この子はもう半分くらい無敵だ」

「半分か」

「残り半分は、私だ」

アリシアは胸を張った。

「……お前の胸は、鉄門を凹ませるからな」

「それは言うな」


焚き火の炎が、少しだけ弱くなってきた。

空には星が瞬き、

 森の向こうには、かすかに夜明け前の気配が漂い始めている。

フィンはまだ眠っている。

だが、その寝顔は、さっきよりも少しだけ穏やかに見えた。

ルミナがそっと翼を撫でる。

「……ねぇ、姉御」

いつの間にか、ルミナも目を覚ましていた。

「なんだ、ルミナ」

「フィン、起きたら……なんて言うかな」

「さあな」

アリシアは少し考え、それから言った。

「きっと、こう言うさ。

 “おはよう”ってな」

「……ふふっ。

 それ、いいですね」

ガルドも静かに笑った。

「悪くない」

焚き火の炎が、最後にぱちりと大きく弾けた。

それはまるで――

 新しい物語の始まりを告げる合図のようだった。


この夜は、後にこう呼ばれることになる。

――“眠れるサンテスの子が、鉄の梟に拾われた夜”。

そして同時に。

“双剣の獅子ガルドが、初めて自分から『守りたい』と言った夜”。

さらにもう一つ。

“アリシア・ヴァルトが、本気で『家族』という言葉を口にした夜”。

だが、そのことを知る者は、まだ誰もいない。

今はただ――

 焚き火のそばで、一人の少年が眠り、

 その周りを、奇妙で、強くて、優しい傭兵たちが囲んでいるだけだった。

夜は、静かに更けていった。


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