第29話:時空の特異点――理(ことわり)の外へ
最速のさらに先。時間は止まり、理は書き換えられる。フィンの覚醒がもたらしたのは、勝利か、それとも――。
「……っ、あ、あああぁっ!」
悲鳴を上げたのは、空を舞うルミナだった。ゴーレムが放った対空誘導弾のような魔導の光が彼女の翼を掠め、螺旋を描きながら地面へと叩きつけられる。
《鉄の梟》の陣形は、すでに瓦解していた。
「団長! 退いてくれ、もう盾が持たねえ!」
ガルドが叫ぶ。彼の誇る城門のごとき大盾は、ゴーレムの超振動ブレードによって無惨に断ち切られ、その巨躯には無数の弾痕が刻まれていた。
最強の女剣士、アリシアもまた、血に染まっていた。大剣は半ばから折れ、肩からは鮮血が滴る。それでも彼女は、フィンの前に立ちはだかり、折れた剣を構え直した。
「フィン……逃げろ。こいつらは……私たちが食い止める……」
その姿を見たとき、フィンの内側で何かが音を立てて弾けた。
サンテス族の静かな血が沸騰し、脳内の量子AI「サンテス」が、警告の赤一色に染まる。
『――リミッター、最終段階まで解除。マスター、これより……「事象地平」への干渉を開始します。代償として、全神経系の90%を演算に割譲してください』
「……いいよ。全部、使って」
フィンの瞳から感情が消えた。
その時、絶望的な戦場を二つの影が駆け抜けた。
一人は、オオカミ獣人の特攻隊長、ギバザ。彼は「すべての生物の頂点に立つ」と称される俊足のスキルを誇る。その脚力は、地面を爆砕させながら、肉眼では捉えきれない速度でゴーレムの懐へと肉薄する。
そしてもう一人、ネズミ族王家の秘伝を極めた参謀リッカ。彼は普段のやる気のなさを捨て去り、音速をも超える「神速」を以て、ゴーレムのセンサーを撹乱する。
だが。
「――遅い」
フィンの呟きは、誰の耳にも届かなかった。
ギバザの俊足も、リッカの神速も、その場にいた全員の動きが、唐突に「停止」したからだ。
否、停止したのは世界の方だった。
フィンの意識は、現在・過去・未来が混ざり合う高次元へと跳躍した。量子もつれの法則、宇宙の基準とされる光速すらも超え、因果関係を無視した移動。そこには時間も空間の概念もない。理の外にある神秘そのもの。
フィンはゆっくりと歩き出した。
静止した空気の中、ハクとドラゴンの幼体だけが、フィンとの契約の絆によって、その「停止した世界」に追随している。
「……仇を、取るよ」
フィンが従魔たちに叫ぶ。ハクが銀色の雷光を纏い、赤竜の幼体が時空を焼き切る熱線を凝縮させる。
フィンは、動かないゴーレムの眉間へと右手を差し向けた。
「消えて」
理の外側から放たれた一撃。
時間が再び動き出した瞬間、ギバザとリッカだけが、その「何か」を感知した。
彼らの速度を遥かに凌駕する、認識不能の現象。
ゴーレムの巨体は、物理的な破壊のプロセスを飛ばし、一瞬にして分子レベルで「存在」を消滅させた。爆発すら起きない。ただ、そこにあったはずの殺戮兵器が、真空の中に溶けるように消えたのだ。
「……え?」
アリシアが折れた剣を握ったまま、呆然と立ち尽くす。
土煙が晴れた戦場。そこには、ただ独り、立ち尽くすフィンの後ろ姿があった。
「フィン……くん?」
リッカの声に、フィンは振り返ろうとした。だが、その身体が激しく揺れる。
バキバキと、神経が焼き切れるような音が身体の奥で鳴り響いた。
「あ、が……っ!」
フィンは糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
全身の毛穴から血が滲み出し、瞳の焦点が合っていない。絶大な力を使った代償は、子供の身体にはあまりにも残酷だった。
駆け寄ろうとしたガルドの足が、止まった。
彼は見た。倒れ伏すフィンの周囲の空間が、今なお微かに歪み、近寄るものすべてを拒絶するような「神性」を放っているのを。
「……化け物、なんて呼ぶつもりはねえ。だが……」
ガルドの喉が鳴った。敬意、畏怖、そして得体の知れない恐怖。
最強の傭兵団《鉄の梟》の団員たちは、自分たちが守っていたはずの少年が、自分たちが一生かかっても到達できない「外側」の存在であることを突きつけられ、ただ静まり返るしかなかった。
ハクがフィンの頬を必死に舐め、赤竜が彼を温めるように寄り添う。
アリシアだけが、震える足でフィンの元へ辿り着き、その小さな身体を壊れ物を扱うように抱きしめた。
「……ごめんね。こんな力、使わせたくなかった……」
彼女の涙が、フィンの血に汚れた頬を洗う。
勝利の歓声はどこにもない。ただ、夜の静寂と、恐ろしいほどの余韻だけが村を支配していた。
今回はフィンの「本気」を描きました。光速すら超える量子もつれの力……かっこいいですが、その代償はあまりに重いものです。
団員たちの見る目が変わってしまった今、一行はどこへ向かうのか。
次回の第30話、この章のクライマックスです!
ぜひ評価とブックマークで応援をお願いします!




