07話 辛労
午前の筆記試験は、思っていたより普通だった。
会場は山中の施設らしく質実剛健で、長机と椅子が整然と並べられている。
監督官は陰陽師が中心で、皆そろって無駄に目つきが鋭い。
武士の昇進試験は陰陽師が担当し、陰陽師の昇進試験は武士が担当する。
互いに監督することで不正を防ぐための仕組みらしい。
もっとも、実際には不正防止というより、相手に甘くしないための制度になっていると聞いたことがある。
武士と陰陽師は、建前ほど仲が良くない。
だから試験も、たいてい必要以上に厳しくなる。
今回は一般枠での受験だ。
甘い空気はない。
むしろ華族相手ではないぶん、遠慮がないのかもしれない。
配られた問題用紙をめくって、私は少しだけ眉を上げた。
(……簡単だけど、意地の悪い問題もいくつかあるなぁ)
黄泉比良坂の階層構造。
穢れの初期症状。
低級妖魔への対処法。
結界札の基礎運用。
このあたりは、武士見習い修了試験として妥当な問題だ。
けれど、その一方で。
陰陽術の術式構成。
霊力回路による霊力コントロールの鍛え方。
四死妖の攻撃傾向を踏まえた設問。
穢れに身を落とした禍津侍への対処法。
このあたりは、明らかに武士見習い修了試験の範囲を越えている。
難易度が一段どころか二段くらい跳ね上がっていた。
……陰陽師側の嫌がらせ、だね。
前の人生では華族枠で受ける側だったから、こういう露骨な混ぜ方は見なかった。
一般枠だと、こういうことも普通にあるらしい。
まあ、難しい問題ではある。
でも大尉昇進試験あたりの水準だ。
私にとっては、満点を取ること自体は難しくない。
問題は、そこじゃない。
閂と約束した。
一般枠で目立たないように受ける、と。
それなのに筆記で異様な点数を叩き出したら、本末転倒である。
(どのくらい崩すべきかな)
《八割ほどが無難かと。高難易度設問は意図的に避けるべきです》
(太公望、こういうときだけ妙に具体的だね)
《目立たないことが本日の重要課題ですので》
たしかに。
私は少しだけ解答の精度を落とし、わざと迷ったふりをしながら筆を進めた。
それでも、手は止まらない。
前の人生で叩き込まれた知識は、こういうときに厄介だ。
周囲では、紙をめくる音、筆の走る音、押し殺した息遣いが続いている。
ちらりと横を見ると、隣の受験者はかなり焦っているらしく、額に汗を浮かべていた。
……まあ、普通はそうだよね。
私は視線を戻し、最後の設問に答えを書き込む。
少し早すぎたかもしれない。
監督官の一人がこちらを見ている気配がしたけれど、気づかないふりをした。
筆記は、無難に終わった。
SIDE: 素戔嗚風臥
頭が痛い。
胃も痛い。
剣山に仮設された監督官用の休憩所で、俺は頭を抱えていた。
不正防止の観点から、試験中は結界によって電子機器を使った通信が阻害されている。
そのため、午前の筆記試験が終わり、妹の従者である閂が報告に来るまで、神奈が一般枠で受けているなど知りようがなかった。
……まあ、あの妹のことだ。
それくらい突拍子もないことはしてくるだろう。
問題は、そこじゃない。
「どうして貴方様がここにいて、試験を受けていらっしゃるのです。蒼天さま」
睨むようにして問いかける。
目の前にいるのは、俺よりも幼く、神奈と同年齢の少年。
天ノ宮蒼天さま。
本来であれば、天照家が天皇として大和を治めるはずだった。
だが今では本家筋は離島へ退き、表舞台から遠ざかっている。
そのため現在は、分家の中でもっとも血が濃く、神力を扱える天ノ宮家が天皇位を継ぎ、大和を治めていた。
その天ノ宮家の長男。
次期天皇と目されるのが、目の前の蒼天さまだ。
四死妖の一柱、酒呑童子が率いた万妖暴走――スタンピードで父上が死んだ際、当主代行として出雲鎮護幕府と平安京へ上がったことがある。
そのとき、まあ色々あって、蒼天さまとは友になった。
それ以降、互いの立場上、気軽に会うことはできない。
それでも通話やメールのやり取りくらいはしていた。
だからこそ分かる。
本来なら四国まで来ることなく、京都で試験を済ませるはずの方だ。
それがなぜか、華族枠で剣山にいる。
監督官として試験会場に入ったとき、椅子に座る蒼天さまを見つけた瞬間の驚きといったらなかった。
「私は華族枠ではなく、一般枠でもよかったのだがな。ただ、周りが無茶だと言って止めてきた」
「それは、そうでしょう」
蒼天さまは、天皇家の血を引くだけあってカリスマ性が高い。
華族枠ですら浮いていたのに、一般枠に混ざるなど無茶にもほどがある。
石の中にダイヤモンドを放り込むようなものだ。
「それで、どうして四国まで?」
「お前の妹に会いに来たんだ。私の婚約者候補だからな。試験会場で会えるかと思っていたが、まさか一般枠だとは思わなかったぞ」
「……妹は直感に優れていますので。面倒事を避けたのではないでしょうか」
「アハハハハ。私は面倒事か」
蒼天さまは楽しそうに笑った。
「お前から写真は何枚か送られてきていたが、器というのは実際に見ないと分からないからな。そうだ、午後の試験まで、お前の自慢の妹――神奈のことを聞かせろ」
渋々と口を開きかけた、そのときだった。
頭の奥に、鈍い痛みが走る。
(風臥。お前は神奈のことを話せ。私は四国に来た本当の理由を話す)
蒼天さまからの思念通話だった。
(……やっぱり面倒事ですか)
(いや、面倒事というより厄介事だな)
一拍置いて、蒼天さまの声が低くなる。
(――月光家が占術を行った結果、晴明が陰陽寮に潜入したと報告が上がった)
(……っ)
月光家。
月夜見家本家は、ある事情で表から姿を消している。
そのため現在、実際に表に立っているのは分家筋である月光家だ。
(陰陽寮に潜るということは、狙いは術だろう。父上は、晴明が明確に動くまでは静観を貫くそうだ。玉藻前は晴明を溺愛していることで有名だからな。下手に尾を踏んで怒らせる必要はない、とのお考えだ)
(……四死妖……)
酒呑童子。
玉藻前。
鞍馬天狗。
禰々子河童。
伊邪那美によって力を与えられた四大妖怪。
総合最強は鞍馬天狗。正面武力は酒呑童子。水域限定最強は禰々子河童。
そして、もっとも厄介なのが玉藻前だ。
あれは単純な強さだけで測れる相手じゃない。
術を操り、人を誑かし、盤面そのものを壊してくる。
晴明が陰陽寮に潜ったという報が事実なら、最悪、玉藻前まで裏で噛んでいる可能性がある。
(とはいえ、万が一、晴明が九尾と共に父上を殺すようなことになれば困る。そこで私と、月光家の者を一人、京都から引き離す名目で素戔嗚家へ預けることになった)
(聞いていませんよ!)
(今、言った。こんなことを通話やメールでやり取りできないのは分かるだろう?)
(それは……そうですが……)
(案ずるな。あと来るのは月光輝夜だ)
(輝夜、ですか)
名前だけは知っている。
月光家の中でも術に秀でた娘。
表に出ることは少ないが、占術と解呪の才は同世代でも抜けていると聞いたことがあった。
(大人しい子だ。術に長けた優等生でな。表に立つより、補佐や調整の方を好む。今回も私に同行しているが、華族枠ではなく一般枠で受けている。名は確か……水月鏡に変えていたな)
(一般枠に……?)
一瞬、午前の監督時に見た午後の実技試験用名簿が脳裏をよぎった。
受験者の偽名と班分け候補が並んでいた一覧。
その中に、神奈の偽名――須佐花奈と、もうひとつ。
水月鏡。
思わず眉がひそむ。
(蒼天さま……仕組みました?)
(なんのことだ)
返ってきた声は、拍子抜けするほど自然だった。
とぼけている響きではない。
本当に心当たりがないときの声音だ。
……少なくとも、この方は嘘をついていない。
だとすれば、たまたまか。
あるいは、第三者による思惑か。
神奈が一般枠に潜り込み、蒼天さまに同行してきた月光輝夜が水月鏡の名で同じく一般枠にいる。
それだけでも十分に面倒だというのに、もし午後の実技で接触するよう仕組まれているのだとしたら、笑えない。
(どうした、風臥)
(……いえ。少し、嫌な符号が重なっただけです)
(お前は昔から考えすぎるところがあるな)
誰のせいだと思っているんですか、と言い返したくなったが飲み込んだ。
(ああ、言っておくが、輝夜は扱いやすいぞ。大人しくて、術に長けていて、気も利く。言えば大抵のことは先に整えてくれる。ああいう優等生が一人いると助かる)
蒼天さまの声音は、あくまで自然だった。
そこに特別な含みはない。
ただ、使い勝手のいい優秀な側近を評しているだけだ。
たぶん、この方は気づいていない。
自分に向けられる好意や献身を、あまりに当然のものとして受け取っている。
天ノ宮の嫡男として生まれ、仕えられ、整えられ、支えられることが当たり前の人生を送ってきた人だ。
だからこそ、その中に混じる個人的な情まで、いちいち拾わない。
(分家とはいえ天照家と月夜見家、そして素戔嗚家本家。御三家が揃うのだ。多少のことならどうにでもなるだろう)
多少のこと、で済む話ではない。
辛労がきつい。
この様子では、蒼天さまたちはそのまま我が家に泊まることになるのだろう。
……閂に報告して、二人分が寝泊まりできるよう家に連絡を入れてもらうとしよう。
頭痛も胃痛も、しばらく治まりそうになかった。
読んでいただきありがとうございました。
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