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華には修羅がある~修羅道より回帰した令嬢は運命を覆す~  作者: 華洛
第一章:武士見習修了試験

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06話 剣山

 試験会場である剣山までは、高知の別邸から車で三時間ほどかかる。


 まだ夜の名残が薄く残る早朝、私は閂の運転する車の助手席に座っていた。

 窓の外では、山あいの道を淡い朝靄が流れていく。

 空は白み始めているのに、空気はまだ冷たく、眠気を誘うにはちょうどいい静けさだった。


「神奈さま」


「うん?」


「もう一度確認します」


 来た。

 私は半分閉じかけていた目を開ける。


「本日の神奈さまは、素戔嗚家のご息女ではありません」


「うん」


「高知在住の一般受験者です」


「うん」


「お名前も、所属も、提出書類上はすべて別です。データは暗記されていますか」


「うん」


 私の仮初の名前は、須佐花奈すさ・かな

 素戔嗚家の分家の中でも端に位置する家の娘。

 父さんは大尉で、華族ではない。

 私は武家の父さんに憧れて武士を目指している可憐な少女――という設定だ。


《可憐、ですか?》


 そこは突っ込まないでよ。

 意識を閂の方へ戻す。


「ですから、くれぐれも普段通りに振る舞わないでください」


「それ、かなり難しくない?」


「難しくありません。目立たなければよいのです」


 閂は前を向いたまま、きっぱりと言った。

 朝日がフロントガラス越しに差し込み、その横顔を淡く照らしている。

 相変わらず隙のない顔だ。試験当日の付き添いというより、潜入任務の護衛に見える。


「目立たないって、どのくらい?」


「少なくとも、試験前に指を破裂させたり、監督官に喧嘩を売ったり、必要以上に優秀さを見せつけたりしない程度には」


「最後のは曖昧だなあ」


「神奈さま基準で曖昧なだけです」


 ひどい。

 でも否定しづらい。


 私はシートに背を預け、窓の外へ視線を流した。

 山道はゆるやかに続き、遠くの稜線が朝の光に滲んでいる。

 高知から徳島へ。四国の山を越え、霊峰・剣山へ向かう道だ。


 剣山。

 古くから霊場として知られ、同時に黄泉比良坂への接続が比較的安定している土地でもある。

 武士見習い修了試験の会場として使われるのは、そのためだ。


 山そのものが結界の支柱になっていて、現世と幽世の境が薄い。

 試験場としては最悪に近いが、実地試験の場としてはこれ以上なく都合がいい。


「……剣山って、昔から試験会場だったの?」


「少なくとも近年はそうです。一般枠の修了試験は、黄泉比良坂への接続が安定している霊場で行われることが多いので」


「へえ」


「もっとも、神奈さまにとっては“へえ”で済む話ではないと思いますが」


「どういう意味?」


「本日の実技は、神奈さまにとって今世初めての本格的な潜行になります」


 その言葉に、私は少しだけ黙った。


 今世初めて。

 たしかにその通りだ。


 前の人生では、嫌というほど潜った。

 黄泉比良坂の上層も、中層も、その先も。

 空間の歪みも、瘴気の重さも、妖魔の気配も、もう身体に染みついている。


 けれど今の私は、十二歳の身体に戻った神奈だ。

 知識も経験もあって、霊力だけは過剰なくらい積み上がっている。

 そのくせ器が追いついていない。


《繊細な霊力コントロールを行えば問題ありません》


(繊細ってどれぐらい?)


《五十階建ての建物の屋上から、地面に落ちている米粒へ文字を書く程度です》


(……まだ細い穴に糸を通すくらいの例えがよかったんだけど)


《神奈さまの霊力精密操作を表すには、その程度では足りません》


 まあ、実戦で慣れていくしかない、か。

 今回は太公望に霊力コントロールを頼るしかない。

 でも、いつまでも任せっきりというのは私らしくない。


 回復、再生、復元。

 その辺りのスキルが使えるようになれば、身体を壊しても戻せる。

 穏当な鍛え方では間に合わない。なら、壊しながらでも出力に慣れていくしかない。


《霊力コントロールはお任せください。神奈さまにできないことを行うのが此の役割です》


(ありがとう、太公望)


 太公望と思念会話をしているうちに、車は山あいの休憩所で一度だけ止まった。


 まだ朝も早いせいか、人影はまばらで、売店も半分眠っているような空気だった。

 私は温かい茶を買い、閂は簡単な軽食と水を用意する。


「食べてください」


「そんなにお腹空いてない」


「空いていなくてもです。午後まで保ちません」


「お母さんみたい」


「本日だけで何度目でしょうね、その台詞」


 閂はため息を吐いた。

 そこで私は、念のため確認することにした。

 前の人生では剣山ではなく別の場所で試験を受けていたので、ルールが違っていれば困る。


「ところでさ、武器の持ち込みは可能なんだよね」


「規定上は可能です。見習い修了試験は実戦を想定した実技ですので」


「じゃあ、愛染明王を持っていっても問題ないよね」


 腰のところに差している柄へ触る。

 素戔嗚家に伝わる二振りの霊剣の一本――愛染明王。

 もう一本の霊剣・不動明王は風臥兄さんが持っている。


 閂の手がわずかに止まった。

 ほんの一瞬だったが、分かった。


「……愛染明王を、ですか」


「うん」


「それは、少し考えていただく必要があります」


「なんで?」


「愛染明王は素戔嗚家に伝わる霊剣です。試験会場へそのまま持ち込めば、一目で分かる者には分かります」


 ああ、そうか。

 偽装身分で一般枠を受けるなら、素戔嗚家の得物をそのまま持ち込むわけにはいかない。


 でも、前世で嫌というほど思い知った。

 何が起こるか分からないのが世の常だ。

 霊力が安定して出せない今は、愛刀を手元に置いておきたい。


 閂は少し考え込んだあと、何かを思いついたように口を開いた。


「愛染明王は本来、霊力によって刃を形成する霊剣です。実体があるのは柄と鯉口のみで、刃そのものは霊刃として顕現します」


「うん」


「ですから本日は、偽装用の刀身を別途取り付け、通常の刀として持ち込む形にします。見た目はごく普通の刀です。愛染明王だとは分かりません」


「なるほど」


「では、休憩中にこちらで刀身を取り付けますので、愛染明王をお貸しください」


 私は腰に差していた愛染明王を閂へ渡した。

 受け取った閂は車の後ろへ回り、バックドアを開ける。

 そこから予備の刀を取り出し、刀身を外して、愛染明王へ取り付ける作業を始めた。


「神奈さま。拵える刀身は、ただの刀身です。必要以上に霊力を流せば壊れ、本来の霊刃が顕現します」


「分かった。緊急時以外は、流さないようにする」


 閂はそれ以上は言わなかった。

 了承と諦めが半分ずつ、といった感じだ。


 閂が作業しているあいだ、私は渡された握り飯をひとつ食べることにした。


 塩気がちょうどよくて、少しだけ気持ちが落ち着く。

 試験前だというのに、こうしていると遠足みたいだ。

 行き先が黄泉比良坂でなければ、だけど。


 再び車に乗り込み、山道を進む。

 やがて空気が変わった。


 目に見えるわけじゃない。

 でも、分かる。


 山の霊気が濃くなる。

 空気が澄んでいるのに、肺の奥に重みが落ちる。

 風は冷たいのに、どこか湿っている。

 山へ登っているはずなのに、感覚のどこかでは“下へ引かれる”ような違和感があった。


「着きます」


 閂の声に顔を上げる。


 木々の向こうに、石造りの鳥居と、広く整えられた前庭が見えた。

 その先に、試験会場として使われる施設がある。

 山中の霊場らしく、華美さはない。

 けれど簡素というには、あまりにも張り詰めていた。


 結界が幾重にも張られている。

 見えなくても分かる。

 山そのものを囲うように、抑え、縛り、整える術式が重なっていた。


 剣山は霊峰だ。

 だからこそ、放っておけば現世と幽世の境が曖昧になる。

 試験場として使うためには、こうして無理やり人の管理下にある霊場にしておく必要があるのだろう。


 車を降りると、空気の重さが一気に肌へまとわりついた。

 高知の別邸周辺も霊場ではあったけれど、ここは質が違う。

 静かで、澄んでいて、それなのに底が見えない。


 山が、口を閉ざしている。

 そんな感じがした。


 前庭にはすでに何人もの受験者が集まっていた。

 年齢は私と同じくらいから、少し上まで。

 皆、緊張した顔をしている。

 一般枠だからだろう。華族枠のような余裕や取り巻きはいない。

 家名ではなく、自分の力で通らなければならない者たちの空気だ。


 私はその中に紛れ込む。

 偽装身分の札も、書類も、閂が完璧に整えてくれている。

 少なくとも、一目で素戔嗚家の娘だと分かることはない……と思いたい。


「神奈さま」


「うん?」


「今から私は表立っては付き添えません。必要な手続きは済ませてありますので、あとは受験者として行動してください」


「分かった」


「それと」


 閂は少しだけ声を落とした。


「無茶はなさらないでください」


「善処する」


「確約を」


「……します」


「本当でしょうね?」


「たぶん」


「神奈さま」


「はい。します」


 即座に言い直すと、閂は深く息をついた。

 その顔は、今日の朝とほとんど同じだった。

 心配と諦めと、それでも送り出すしかないという覚悟が混ざっている。


「では、行ってらっしゃいませ」


「うん。行ってきます」


 そう返して、私は受験者たちの列へ向かった。




読んでいただきありがとうございました。

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