40話 デート
地上へ戻ると、空気がまるで違った。
幽世路の冷たく淀んだ気配はなく、代わりに春の夜の匂いがした。
少し湿った風。
遠くから聞こえる人の声。
街の灯り。
ついさっきまで死と隣り合わせの場所にいたせいか、そんな当たり前の気配が妙に眩しく感じる。
よさこい稲荷神社の前に、一人の少年が立っていた。
蒼天さまだ。
街灯に照らされた横顔は静かで、けれど私たちの姿を見つけた瞬間、その表情がわずかに変わった。
特に、私を見た時に。
「神奈」
短く名前を呼ばれる。
その声だけで、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。
さっきまで源嵐お父様と斬り合っていたのに、蒼天さまの前に立つ方が別の意味で心臓に悪いのは、なんだか納得がいかない。
蒼天さまはすぐにこちらへ歩み寄ってきた。
その視線が、私の肩口や腕、服の裂けたところを順に追っていく。
「……ひどいな」
低い声だった。怒っているわけじゃない。
でも、抑えた心配が滲んでいる。
「見た目だけです。深いダメージはありません」
そう答えると、蒼天さまは少しだけ眉を寄せた。
「見た目だけで済む格好には見えない」
「そこは……まあ、うん」
否定しづらい。
実際、見た目はかなり酷い。
終極・万象滅却で傷をつけられたところは塞がらない。
緊急処置で樒が縫ってくれてはいるけど、服は裂けているし、土埃もついているし、髪も乱れている。
自分でも、あまり見られたい姿じゃない。
蒼天さまは何か言いたげに私を見たけど、そこで樒がひょいと割って入った。
「蒼天さま、神奈さまのことお願いするッス。私は風臥さまへ報告があるッスから先に帰ってるッス」
輝夜も静かに頷く。
「神奈さま。私は朔影が気がかりですので、樒さんと一緒に帰ります」
「……そうだね。分かった」
晴明に指摘されて動揺していた朔影。
私から何か言うことではないし、あとは朔影の気持ち次第だ。
輝夜は一瞬だけ私を見て、それから蒼天さまへ視線を向けた。
「蒼天さま。神奈さまを、よろしくお願いします」
「ああ」
短い返事。
でも、それだけで十分だった。
樒はくるりと踵を返しかけて、ふと思い出したようにこちらを振り向く。
「そうそう、神奈さま。蒼天さまに御守を渡してるッスから安心するッス」
「……御守?」
ぴたりと動きが止まった。
樒はニコニコしている。
その笑顔が、ものすごく嫌な予感しかしない。
「じゃ、そういうことで!」
「待って樒」
呼び止めるより早く、樒は輝夜を巻き込むようにしてさっさと行ってしまった。
輝夜は去り際、ほんの少しだけ困ったような顔をしていた。
あれはたぶん、止めるのを諦めた顔だ。
残されたのは、私と蒼天さまの二人だけ。
沈黙が落ちる。
(……御守)
樒がそんなまともなものを、わざわざ蒼天さまに渡すかな。
いや、渡さない。断言できる。
こういう時の樒は、従者兼護衛役のくせに妙な気を回して、だいたい余計なことをする。
私はじっと蒼天さまを見た。
「蒼天さま」
「なんだ」
「樒から渡された御守、見せてください」
蒼天さまが、ほんのわずかに視線を逸らした。
その反応だけで確信する。
何かある。
「……別に、今見せるようなものじゃない」
「余計に怪しいです」
「怪しくはないぞ」
「樒が渡した時点で怪しいです」
私は一歩、蒼天さまへ詰め寄った。
蒼天さまは普段ならそう簡単に気圧される人じゃない。
でも今は、なぜか少しだけ困った顔をしている。
「出してください」
「神奈」
「出してください」
自分でもちょっとしつこいと思う。
でも、ここで引いたら絶対に後悔する。
樒の仕込みを放置する方が怖い。
蒼天さまはしばらく黙っていたけど、やがて小さく息を吐いた。
「……怒るなよ」
「内容によります」
「それはたぶん無理だ」
そう言って、蒼天さまは懐から小さな包みを取り出した。
一見すると、たしかに御守っぽい。
でも、よく見ると全然違う。
というか、見覚えはある。前世では何度か見たし、使ったこともある。けれど、今世で実物を見るのは初めてだった。
薄さ0.001ミリと書かれた箱。
そこに書かれていた文字を認識した瞬間、思考が止まった。
「…………」
蒼天さまも黙っている。
春の夜風が吹いた。
遠くで誰かの笑い声がした。なのに、この場だけ妙に静かだった。
私はもう一度、手元のそれを見る。
見間違いじゃない。
どう見ても避妊具だ。
顔が、一気に熱くなる。
「し、樒ぃぃぃ……!」
思わず低い声が漏れた。
怒鳴りたい。
今すぐ追いかけて頭をはたきたい。
でも、それ以上に今は蒼天さまが目の前にいるのが最悪だった。
あの従者、本当にろくでもない。
「……その」
蒼天さまが珍しく言い淀む。
「俺も、渡された時は御守だと聞いた」
「でしょうね!」
そうじゃなかったら困る。
蒼天さまが自分でこんなものを持ち歩いていたら、それはそれで心臓に悪い。
私は包みを押し返すように蒼天さまへ返した。
でも、返した瞬間に「いや返すのも変では?」と頭の中が混乱する。
受け取るのも変だし、返すのも変だ。
どうすればいいの、これ。
「……私は何も知りません。蒼天さまは、樒から何も受け取っていない。そういうことで問題ありませんよね?」
葛藤の末、私はそう絞り出した。
蒼天さまは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「分かった」
その笑い方が少しだけ柔らかくて、余計に顔が熱くなる。
駄目だ。
今の私は完全に調子が狂っている。
「……笑わないでください」
「笑ってない」
「今、笑いました」
「少しだけだ」
「笑ってるじゃないですか……」
自分でも声が弱い。
さっきまで源嵐お父様と斬り合っていた人間の声とは思えない。
でも、蒼天さまの前だとどうにも調子が狂う。
蒼天さまはそれ以上その話題を引っ張らなかった。
たぶん、気を遣ってくれたんだと思う。
ありがたい。
今は本当にありがたい。
「少し歩くか」
蒼天さまがそう言った。
「近くに城西公園がある。夜桜が綺麗だ」
私は一瞬だけ迷って、それから頷いた。
「……はい」
よさこい稲荷神社を後にして、私たちは並んで歩き出した。
夜の空気は少しひんやりしていて、火照った顔にちょうどよかった。
高知城の傍らへ向かう道は静かで、街の灯りがやわらかく地面を照らしている。
隣を歩く蒼天さまとの距離が妙に意識されて、さっきの御守の件を思い出しそうになるたび、私は慌てて別のことを考えた。
でも、完全には無理だった。
思い出すたびに顔が熱くなる。
最悪……。
やがて城西公園へ着くと、そこにはライトアップされた桜並木が続いていた。
夜の闇の中に、淡い花の色だけが浮かび上がっている。
風が吹くたび、花びらがはらはらと舞って、光を受けて白く瞬いた。
「……綺麗ですね」
思わず、そんな言葉が口をついた。
昼間の桜も好きだけど、夜の桜はまた別だ。
闇の中に花の色だけが浮かんで見えて、どこか現実感が薄い。
さっきまで幽世路にいたせいか、なおさらそう感じる。
「ああ」
蒼天さまも桜を見上げたまま、小さく頷いた。
「満開には少し早いが、それでも十分だな」
「そうですね」
会話は続いているのに、どこかぎこちない。
さっきの御守――いや、避妊具の件が尾を引いているのもあるし、蒼天さまとこうして二人きりで並んで歩くこと自体、やっぱり少し落ち着かない。
しかも、隣にいるのが蒼天さまだと思うと、余計に意識してしまう。
沈黙を埋めるみたいに、また風が吹いた。
花びらが肩へ落ちる。
その時、蒼天さまがふと足を止めた。
「神奈」
「はい」
「少し、こっちを向け」
言われるまま顔を向けると、蒼天さまの手が伸びてきた。
びくりと肩が揺れる。
でも、その指先は私の髪にそっと触れただけだった。
乱れていた前髪に引っかかっていた花びらを、蒼天さまが摘まみ取る。
「ついていた」
「……あ、ありがとうございます」
たったそれだけのことなのに、顔が熱い。
自分でも分かるくらい、変に意識してしまっている。
蒼天さまは何でもないことみたいに花びらを指先から離した。
白い花弁が、夜気に乗ってふわりと落ちていく。
「それと」
蒼天さまは自分の上着を脱ぐと、私の肩へかけた。
「今の格好のままでは冷える」
「え、でも」
「遠慮するな」
静かな声だった。
押しつけるような強さはないのに、断りにくい。
私は少し迷ってから、素直にその上着の端を握る。
蒼天さまの体温が、まだ少し残っていた。
それだけで、胸の奥が妙に落ち着かなくなる。
「……ありがとうございます」
「ああ」
また少し歩く。
桜並木の下を、二人でゆっくりと。
夜の公園は静かで、遠くの街の音もここまで来るとだいぶ薄い。
だからこそ、隣にいる蒼天さまの気配ばかりが近く感じた。
さっきまであんなに恥ずかしくてたまらなかったのに、こうして蒼天さまと並んでいると、少しずつ力が抜けていく。
「神奈」
足が、少しだけ止まりかけた。
蒼天さまの声が、さっきまでより少し低い。
真面目な話をする時の声だ。
「明日、私は京都へ帰る。その前に少し話しておきたかった」
私は黙って蒼天さまを見た。
街灯の光が横顔を照らしている。
その表情は静かだったけど、迷いがないわけじゃない。
言葉を選んでいるのが分かった。
「東京へ行くんだろう」
「……はい」
「本当なら、私も行きたい」
その一言に、胸の奥が小さく揺れた。
蒼天さまは前を向いたまま続ける。
「傍にいて、何かあった時に手が届く場所にいたい。そう思っている」
夜風が吹く。
桜の枝が揺れる。
私は上着の端を握る手に、少しだけ力を込めた。
「でも、私は行けない」
その声は静かだった。
言い訳がましさはない。
ただ、事実を言っているだけだ。
「晴明の件で、京都は今かなり不安定だ。父の移座の話まで出ている。そんな時に私が東京へ動けば、余計な意味がつく」
「……はい」
それは分かる。
蒼天さまは、ただの一個人じゃない。
天皇家である天ノ宮家の人間で、次代を担う立場にいる。
その人が東京へ行くというだけで、色々な思惑が絡んでしまう。
「それに」
蒼天さまはそこで一度言葉を切った。
何かを決めるみたいに、静かに息を吐く。
「私は、ただ心配しているだけじゃない」
その言い方に、私は少しだけ眉を寄せた。
ただの心配じゃない。
じゃあ、何だろう。
蒼天さまは、しばらく黙っていた。
夜桜の下で、その沈黙だけが妙に重い。
やがて、蒼天さまは低い声で言った。
「夢を見た」
「……夢、ですか?」
「ああ」
蒼天さまは私を見ないまま、前を向いている。
「ただの夢じゃない。神奈の中にある天照の神力が、月夜見の神力を通して見せたものだった」
息が止まりそうになった。
胸の奥がざわついた。
思い当たるものが、ないわけじゃない。
たぶん【万華鏡雅叙苑】の一件だと思う。
「その夢の中で、私は神奈を救えなかった」
「……いえ。あの時の蒼天さまは、私を救ってくれました」
首を振って否定した。
確かに私は【万華鏡雅叙苑】で死んだ。
でも、操られるまま凶行を行う私を、神具・天逆矛で時間停止することで止めてくれた。
結果として周りの武士によって殺されてしまったのだけど……。
「あまり誇れる生き様ではなかったですけど、蒼天さまが天逆矛を使ってくれたお陰で、死に様は自分で決めることができました」
左目に埋め込まれている自決用自焼瞳術【火之迦具土】。
最後の最後で、私は己の意思を通す事が出来た。
誇れるようなものでもない。
それでも、【終極・万象滅却】で存在も因果も何もかも滅却される終わり方に比べれば、まだずっとましだった。
少なくとも、自分で死に様は選べた。
自分の意志で終われる。
誰かを巻き込む前に、自分で幕を引ける。
あの時の私にとって、それは救いだった。
もしもあのまま発動して、蒼天さまや、あの場所にいた面々を殺してしまっていたら。
たとえその後に私が死んだとしても、そんなものでは到底償いにならなかった。
死んでも死にきれない、なんて言葉ですら足りない。
だからこそ、天逆矛で止めてもらえたことには、今でも感謝している。
あの一瞬があったから、私は最後の選択だけは自分のものとして掴めたのだ。
「しかし、私が間に合わなかったのは事実だ。他にできる術もあったはずだという後悔だけが残った」
蒼天さまの声は静かだった。
責める響きはない。
けれど、その静けさの奥に、長く沈殿した悔恨があるのが分かった。
私の内にある天照の神力は、蒼天さまに由来する。
だからこそ、あの時の蒼天さまの後悔が、この世界の蒼天さまに流れ込んだのだろう。
救えなかったという痛み。
間に合わなかったという悔しさ。
もっと別の道があったのではないかという、答えの出ない問い。
それはきっと、夢なんて曖昧な言葉で片づけられるものじゃない。
見せられた側にとっても、十分すぎるほど現実だったはずだ。
「蒼天さま。察していると思いますけど、今の私は未来――並行世界の魂魄が宿っている存在です」
「……」
蒼天さまは何も言わなかった。
たぶん、もう薄々は分かっていたのだと思う。
私の言動の端々に、今の年齢の私だけでは説明のつかないものが混じっていることを。
戦い方も、物の見方も、ときどき零れる諦めや執着も。
「蒼天さまとは、色々とあって恋人関係でした。――だからといって、それを意識しなくていいです」
言いながら、自分でひどく欺瞞めいていると思った。
意識しなくていい、なんて。
そんなふうに言えるほど、私は割り切れていない。
蒼天さまと一緒にいるだけで、心が安らぐ。
隣に立っているだけで、どこか張り詰めていたものがほどけていく。
こうして夜桜の下を並んで歩いているだけで、ずっとこのままでいたいと、そんなことまで思ってしまう。
可能なら。
できることなら。
今世でも、付き合いたい。
でも、それは私の側の事情だ。
私にとっては前世の続きでも、蒼天さまにとっては、あり得たかもしれない未来の残滓でしかない。
見せられた後悔や、流れ込んだ感情を土台にして関係を始めるのは、どこか違う気がした。
それはたぶん、前世の蒼天さまにも、今ここにいる蒼天さまにも、不誠実だ。
「……そうか。少し安心した」
「蒼天さま?」
「神奈は向こう側の私と、今の私を同一視しているのではないかと思っていた」
その言葉に、胸の奥がきゅっと縮んだ。
そんなふうに不安にさせていたのかと思うと、少しだけ申し訳なくなる。
「そんなことは、ありません」
はっきりと言い切った。
もちろん、前世の記憶に引っ張られて、蒼天さまに少しドキドキすることはある。
声の調子とか、ふとした仕草とか、真面目な顔で優しいことを言うところとか。
そういうものに、前世の記憶が勝手に反応してしまうことはある。
でも、それとこれとは別だ。
ここにいる蒼天さまと、前世での蒼天さまは、同一であっても別の存在だ。
同じ魂の流れの上にいるとしても、積み重ねてきた時間が違う。
見てきた景色も、抱えている責任も、今ここで私に向けてくれる言葉も違う。
それくらいの分別は、ちゃんとついている。
私の中にある天照の神力が、どこまで蒼天さまに見せたのかは分からない。
でも、少なくとも今ここで向き合っている相手は、夜桜の下で、私の隣に立っている蒼天さまだ。
「蒼天さま。前世の蒼天さまは、情熱的な愛の告白をされました。今度は私のほうから告白されるぐらい、良い漢になってください」
少しだけ冗談めかして言ったのは、照れ隠しでもあった。
これ以上真っ直ぐに言葉を重ねたら、自分の方が先に耐えられなくなりそうだったからだ。
「――ああ。精進しよう」
蒼天さまは、真面目な顔のままそう返した。
その返し方があまりにも蒼天さまらしくて、少しだけ可笑しくなる。
でも、次の言葉は予想外だった。
蒼天さまは、ふと思い出したように言った。
「ならば、次は神奈からキスをしてきたれて告白をしてくれるのだな」
「っゲホゲホ」
思わず咳き込んでしまった。
肺に変なところで空気が入った。
たぶん私は、今ものすごく顔が赤い。
夜でよかった。いや、夜でもたぶん隠しきれていない。
「天照の神力は、そんな場面まで見せたのですか!」
半ば悲鳴みたいに問い返すと、蒼天さまは珍しく少しだけ言い淀んだ。
「あ、いや、私が神奈に告白した場面は、樒が……」
「樒!?」
思わず声が裏返った。
いやいやいや。ありえない。
だって樒は、前世で顔を合わせたこともない。
だから、私と蒼天さまの告白場面なんて知りようがないはずだ。
「死神として向こう側で調査するにあたり、スキル【過ぎし刻は未だ此処に】で観測したらしい」
「そ、そうですか」
頭が痛い。
どうやら樒とは、一度プライバシーについてとことん話し合わないといけないようだ。
というか、話し合いで済むのだろうか。
済まない気がしてきた。
「蒼天さま。樒はどこまで見せましたか」
「告白をして、生徒会室でする直前までだな」
「本当ですね!」
思わず身を乗り出して確認してしまう。
蒼天さまはそんな私を見て、少しだけ苦笑した。
「ああ。天ノ宮の名に誓おう」
その言い方が妙に真面目で、逆に少しだけ安心する。
……いや、安心していいのかは分からないけど。
少なくとも、最悪の事態ではなかったらしい。
蒼天さまは苦笑を引っ込めると、また真剣な表情になった。
「神奈」
「はい」
「一つ、約束してくれ」
蒼天さまの声が、また少しだけ真面目になる。
私は自然と姿勢を正していた。
「無茶をするな、とは言わない」
「……はい」
それはたぶん、私が守れない。
蒼天さまも分かっているんだと思う。
私が戦うことをやめないことも、必要なら自分を削る選択をすることも。
「だが、一人で全部抱え込むな」
その言葉に、少しだけ目を見開いた。
「強くなろうとするのはいい。戦うのも止めない。だが、何もかも自分一人で背負って、自分を削ることを当然にするな」
源嵐お父様の言葉。
太三郎大親分の言葉。
色々なものが頭をよぎる。
折れないだけでは足りない。
硬いだけでは、いずれ折れる。
自分一人で全部を抱え込むな。
違う人たちの言葉なのに、不思議なくらい同じところへ刺さってくる。
たぶん私は、昔からそういう生き方をしすぎていたのだ。
自分で背負って、自分で決めて、自分で壊れる。
それを強さだと思い込んでいた。
「頼ってくれ」
蒼天さまは、静かに言った。
「傍にいられなかったとしても、私にできることはある。必要なら、遠慮なく言ってほしい」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
前世の私は、一人で閂を助けようとして、結果として閂を殺してしまい、万華鏡雅叙苑での凶行にまで至った。
あの時、もっと誰かに頼れていたら。
もっと早く手を伸ばせていたら。
違う結末があったのかもしれない。
きっと蒼天さまは、天照の神力を通してそこまで知ったからこそ、今こう言ってくれているのだろう。
ただ優しいからじゃない。
ただ心配だからでもない。
私が一人で抱え込んだ先に何があるのかを、痛みとして知ってしまったからこその言葉だ。
「はい。困ったことがあったら蒼天さまに頼ります」
そう答えると、蒼天さまは小さく頷いた。
「ああ。……そうだ。風臥には教えていたが、神奈には教えていなかったな。私のスマホの番号」
「そう、でしたね」
今の私の立場は婚約者候補の一人。
それでも、実際には今世で蒼天さまと接する機会はあまり多くなかった。
だから、蒼天さまの電話番号も知らなかった。
私はポケットに入れてあったスマホを取り出し、電話帳を開く。
蒼天さまが番号を告げる。
その数字を一つずつ打ち込んでいくだけなのに、妙に緊張した。
たったそれだけのことなのに、今までより少しだけ距離が近づいた気がしてしまう。
「中々電話には出られないと思うが、何かあればメッセージでもいい。連絡をくれ」
「はい。わかりました」
登録を終えて顔を上げると、蒼天さまが少しだけ笑っていた。
その穏やかな表情を見ていると、胸の奥のざわつきが少しずつ静まっていく。
風が吹く。
花びらがまた舞う。
夜桜の下で、しばらく二人で黙って立っていた。
沈黙なのに、さっきまでみたいな気まずさはない。
むしろ、静かで心地いい。
やがて、私がぽつりと言った。
「……修行、頑張ります」
「ああ」
「強くなって、風臥兄さんも、蒼天さまも、閂も、輝夜もみんなを守れるぐらいになってみせます」
口にしてから、自分でも少し欲張りだと思った。
でも、本音だった。
守られるだけじゃ嫌だ。
大切な人たちを、今度こそ自分の手で守れるくらい強くなりたい。
「ああ。神奈ならやるだろう」
即答だった。
迷いのない声だった。
その信じ方が、嬉しい。
無責任な励ましじゃない。
ちゃんと私を見た上で、そう言ってくれているのが分かる。
その時、また風が吹いた。
花びらが一斉に舞い上がる。
白く、淡く、夜の中で揺れる。
綺麗だと思った。
桜も。
この時間も。
たぶん、今のこの気持ちも。
修行はきっと厳しい。
一ヶ月なんて、たぶんあっという間だ。
それでも、終わった時にまた電話か、あるいはメッセージで話せると思えば、不思議と怖くなかった。
私はそっと、蒼天さまから借りた上着の端を握りしめる。
まだ少しだけ残っている体温が、夜の冷えた空気の中でやけにあたたかかった。
読んでいただきありがとうございました。
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