39話 折れない精神
「さて、俺へ反抗した以上……四肢を切断される程度は覚悟しているだろうな、神奈」
その言葉が落ちた瞬間、喉の奥がひやりと冷えた。
脅しじゃない。
目の前の源嵐お父様は、本気でそうするつもりだ。
昔からそうだった。
口にしたことはやる。
容赦も、手加減も、情けもない。
それが源嵐お父様だった。
身体が、わずかに強張る。
逃げる?
巫山戯るな、私。
もう二度と手合わせできないと思っていた源嵐お父様が、今、目の前にいる。
それなのに尻尾を巻いて逃げるなんて、生きていたとしても死んでいるのと同じだ。
「神奈さま、気をつけるッス。屋島大親分のスキル【偽り故に真たり得る】と、本山婆様のスキル【見えぬ故に無く、見ゆる故に在る】によって、目の前にいるのは間違いなく素戔嗚源嵐ッスよ」
横から聞こえた声に、私は一瞬だけ目を向けた。
「樒。……なにその格好」
いつの間にそこにいたのか、樒が縄でぐるぐる巻きにされて転がされていた。
「この縄は封能縄ッス。この縄のせいで、私はスキルが封じられてるッス」
《百八のスキルを持っていてこの体たらく。姉と自称するなら、その程度はどうにかしてほしいですね》
太公望は白けたように言う。
《【我、境界の外より観測す】により解析完了です。【偽り故に真たり得る】は完全擬態型スキル。【見えぬ故に無く、見ゆる故に在る】は認識と存在の関係性へ干渉する高位認知操作型スキル。この組み合わせによって、神奈さまは目の前にいる素戔嗚源嵐を本人と認識しているのだと判断します》
完全擬態。
だからって、私と風臥兄さんが持つ霊剣まで再現できるなんて。
太三郎大親分の変化は大和一だと聞いてはいたけど、ここまでの性能だったとは知らなかった。
源嵐お父様が、一歩踏み出す。
来る。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
「素戔嗚流、雷燿絶華・無間」
視界から姿が消える。
次の瞬間、右脚に激痛が走った。
膝下が斬り飛ばされる。
遅れて左脇腹にも衝撃。
浅くはない。
肉が裂け、血が噴く。
私は体勢を崩しかけながら、どうにか愛染明王を地面へ突き立てて踏みとどまった。
《追撃が来ます!》
太公望の警告と同時に、私は反射的に【在りしへ還る】と【傷、未だあらず】を同時に発動する。
だが、戻らない。
斬られた右脚はそのまま。
裂けた脇腹も閉じない。
血だけが熱く流れ続ける。
やっぱり。
思っていた通り、終極・万象滅却によって、ダメージを受ける前の因果事象そのものが無かったことにされている。
無かったことにされたものは、元に戻せない。
「遅い。脆い。浅い」
淡々とした声だった。
「その程度で武を名乗るな。風臥や雷臥の足元にも及ばん」
胸の奥が、また熱くなる。
悔しい。
腹が立つ。
「確かに源嵐お父様が言うように、私は弱い。でも、それはあくまで現時点です」
私は血の混じる息を吐きながら、愛染明王を握り直した。
「一秒先の私は、今の私より確実に強い!」
躰に亀裂が走る。
終極・万象滅却によって無くなったのならば、それを捨てればいい。
壊れた今の私を治すんじゃない。
この壊れた私ごと、置いていく。
そして私は、少しだけ理想の私へ近づく。
「――【我、未だ完成に至らず】」
古い皮を脱ぐみたいに、表層の肉体がぼろぼろと崩れ落ちる。
まるで乾いた泥が剥がれるみたいに、今の私の肉体がひび割れていく。
その内側から、新しい輪郭がせり上がってくる。
熱い。
痛い。
でも、それは斬られた痛みとは違った。
もっと内側から、構造そのものが組み替わる痛みだった。
砕け落ちた外殻の内側から、新しい肉体が押し出される。
血の巡りが変わる。
霊力の流れが変わる。
視界の輪郭が、少しだけ鋭くなる。
空気の流れが見えるような錯覚。
足元の感触が、さっきよりもはっきりしている。
終極・万象滅却で固定された損傷は、古い器の側へ置き去りにされた。
戻したんじゃない。
治したんじゃない。
脱ぎ捨てたのだ。
《……確かに【我、未だ完成に至らず】ならば、損傷した肉体そのものを旧式として破棄し、新たな構造へ移行できます。因果の巻き戻しではない。更新です。しかし神奈さま、使いすぎれば人でないものに近づいて――》
覚悟の上。
別に私は、人間であることに拘りはない。
強く。更に強く。
誰も文句が言えない強さの頂へ。
そのためなら、人間か人外かなんて細かいことだ。
源嵐お父様の目が、初めてわずかに細くなった。
「ほう」
その一音だけで分かる。
今のは、少しだけ予想外だった。
私はゆっくりと立ち上がった。
身体が軽い。
軽いけど、同時に少し怖い。
さっきまでの自分と、完全に同じではない感覚がある。
何度か使ったことはあるけど、この更新される感覚にはなかなか慣れない。
「……源嵐お父様。行きます」
前世では結局習得する時間はなかった。
でも、修羅道無限回廊ではいくらでも時間があって、習得することはできた。
ただ、今の私の肉体では耐えきれない。
(太公望。【在りしへ還る】と【傷、未だあらず】への制禦をお願い)
《……反対しても無意味でしょうね。かしこまりました。神奈さま。ご武運を》
躰に流れる霊力を、雷へ変換していく。
血管が。神経が。皮膚が。
熱を持つ。焼ける。焦げていく。
だけど太公望が【在りしへ還る】と【傷、未だあらず】で元へ戻していく。
まあ、戻した直後からまた破損が始まるんだけど。
「素戔嗚流、雷燿絶華・無間」
私が踏み込む。
少し遅れて、源嵐お父様もまた構え、一歩を踏み出した。
「素戔嗚流、雷燿絶華・無間」
雷の閃光が辺り一面を駆け巡る。
……やっぱり、同じ業だと源嵐お父様の方が一日の長がある。
パワー。
スピード。
テクニック。
この躰の私の全てを上回っている。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
まだ源嵐お父様のことは怖い。それでも、それを上回るぐらい楽しい!
あの源嵐お父様と戦える!!
雷光が交差する。
霊剣がぶつかり合うたび、耳障りな音と火花みたいな霊光が散った。
一合。
二合。
三合。
打ち合うたびに、腕が痺れ、骨が軋み、肉が裂ける。
それでも止まらない。止まりたくない。
「……ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
何度も霊剣をぶつけ合い、私はついに膝を地面へつけた。
躰のあちらこちらが傷だらけだ。
【我、未だ完成に至らず】は連続使用できない。
だから、もうこの傷は治らない。
源嵐お父様の姿にノイズが走り、太三郎大親分の姿へと戻る。
「以前とは比べもんにならんほど強うなっちゅう。じゃが、躰と魂魄が噛み合うちょらんようじゃな」
……まだ修羅道無限回廊から戻ってきて、一ヶ月も経っていない。
魂魄の質に比べて躰が追いついていないのは百も承知だ。
修羅道無限回廊で積み上げたものは、確かに私の中にある。
技も、経験も、殺し合いの勘も。
でも、それを今の肉体が十全に扱えているかと言われれば、答えは否だ。
分かっている。
踏み込みの深さも。重心移動の甘さも。霊力の通し方の無駄も。
魂魄の側だけが先へ行きすぎて、躰がそれに振り回されている。
だからこそ、それを言い訳にしたくなかった。
「何があったかは聞かん。……そこの死神がおる。それだけで、何が起きたかは大体察しがつくがな」
太三郎大親分は、ちらりと樒を見た。
震えた樒は、輝夜の後ろへ隠れて太三郎大親分の視線から逃れようとする。
でも、あの一言だけで十分だった。
太三郎大親分は、私が普通の鍛錬では辿り着けない場所を通ってきたことを、細かく聞かずとも見抜いている。
「御嬢。今のおんしは、強い。そりゃ間違いない」
太三郎大親分は、そこで一拍置いた。
「じゃが、その強さはまだ荒い。刃金としては上等でも、打ち方が足りとらん。振るうたびに自分の方が先に壊れかねん危うさがある」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
図星だった。
さっきの雷燿絶華・無間だってそうだ。
使えはする。
でも、使うたびに躰が焼け、壊れ、それを太公望の補助で無理やり繋いでいた。
成立しているように見えて、実際には綱渡りもいいところだ。
「独学でここまで来たんじゃろうが、そのせいで技の幅が狭うなっちゅう。勝ち筋を通す勘はある。土壇場で踏ん張る胆力もある。じゃが、型が足りん。崩された時の立て直しも、相手に合わせた組み替えも、まだ甘い」
言い返せなかった。
悔しいけど、その通りだ。
私はずっと、自分で考えて、自分で足掻いて、自分で強くなるしかなかった。
それでここまで来た。でも逆に言えば、それしか知らない。
正面から叩き潰す。
無理なら食らいつく。
それでも駄目なら、さらに無茶を重ねる。
そういう戦い方ばかりが、私の中で太く育っている。
「折れんのは美徳じゃ。じゃが、折れんだけでは足りん時もある。硬いだけの枝は、しならんまま折れてしまうきな。おぬしは今、まさにその境目におる」
静かな声だった。
責めるでもなく、脅すでもなく、ただ事実を置くような声音。
「魂魄だけが先走っちゅう。じゃが、躰も技も、それに追いついちゃおらん。見えるようになったもんと、扱えるもんは別じゃ。己の変化に、己自身が追いつけておらんのう。あの狐の倅や、その奥におるもんどもを相手にするなら、それでは長うは持たん。いずれ足を掬われる」
晴明の顔が脳裏をよぎる。
あいつは強いだけじゃない。
人の傷を見つけて、抉って、揺らして、崩してくる。
真正面から殴り合うだけの相手じゃない。
太三郎大親分は鼻を鳴らした。
「今のままでは、狐の倅らの掌の上で転がされるだけじゃ。わしは、そういうんが好かん。彼奴らに好き勝手されるんは、もっと好かん」
その言葉には、はっきりとした苛立ちがあった。
晴明個人に対してか。
それとも、四国を土足で荒らされることそのものに対してか。
たぶん、その両方だ。
「せやき、御嬢を鍛える。それが結果的に、彼奴らの邪魔にもなる」
私は太三郎大親分を見返した。
「……太三郎大親分のもとで。どうして私にそこまでするんです?」
「気まぐれ半分、利害半分じゃ」
あっさりと言う。
「じゃが、それだけやない。さっき手合わせして分かった。御嬢は、まだ伸びる。しかも、折れん。ああいう手合いに心を揺さぶられても、最後に前へ出る足を止めんかった。あれは才能や」
少しだけ、目を細める。
「強うなる奴には、強うなる理由がある。御嬢にはそれがある。なら、鍛える価値がある」
胸の奥が、じわりと熱くなった。
褒められたからじゃない。認められた、と思ったからだ。
源嵐お父様とは違う。値踏みはされている。
でも、その上で「価値がある」と言われた。
《此は修行することに賛成です。修羅道無限回廊は単純な行動の相手ばかりでしたので、太三郎大親分のような方に鍛えてもらえるのは、神奈さまの今後にとって掛け替えのないものになると思います》
太公望の言葉に、私は小さく息を吐いた。
分かっている。
今のままじゃ足りない。
晴明にも、その先にいる四死妖にも――届かない。
太三郎大親分が、改めて問う。
「わしも暇じゃない。期限は一ヶ月じゃ。その間にどこまで強うなれるかは、御嬢次第。さて――どうする?」
迷いは、なかった。
「やる。やります!」
即答だった。
躰は痛い。傷も残っている。
でも、心は妙に晴れていた。
足りないなら、埋める。
届かないなら、届くまで伸ばす。
それだけだ。
太三郎大親分は、そんな私を見て口の端をわずかに上げた。
「いいじゃろう。明日、素戔嗚の家まで迎えに行く。準備しちょけ」
「――はい」
私が返事をすると、太三郎大親分は頷いた。
すると、その横に白い老婆が現れる。
存在自体が希薄で、少しでも視線を外せば、そこにいたことすら忘れそうだ。
たぶん彼女が、本山白姥だ。
白姥は私を見て、静かに言った。
「次に会う時は、もう少し見えるようになっておれ。己のことも、敵のこともな」
その言葉を残し、空間が渦巻く。
二人の姿は、そのまま薄れるように消えていった。
「神奈さま、大丈夫ッスか」
「んー、そこそこ。今は帰って熱いシャワーを浴びたいかな」
そう答えた瞬間、張っていた気が少しだけ緩んだ。
私は大きく息を吐き、その場に腰を落とした。
戦っている最中は気力で誤魔化していたけど、こうして気を抜くと一気に疲労が押し寄せてくる。
躰のあちこちが痛い。【我、未だ完成に至らず】で更新したとはいえ、消耗そのものが消えたわけじゃない。
むしろ、内側の芯の方がじんじんと熱を持っていて、まだ完全には馴染みきっていない感じがあった。
縄から解放された樒が、心配そうな顔で近づいてくる。
さっきまでぐるぐる巻きにされていたくせに、護衛役としての顔はちゃんとする。
「本当に大丈夫ッスか? 無理してるように見えるッスよ」
「無理はしてるよ。でも、今ここで倒れるほどじゃない」
そう言ってから、私は肩を回した。
鈍い痛みが走る。
やっぱり、そこそこどころじゃないかもしれない。
でも、樒にそれを正直に言うと面倒くさそうだったので黙っておく。
輝夜が私の隣にしゃがみ込み、静かに顔を覗き込んだ。
「神奈さま。帰ったら、まず休んでください。修行のことを考えるのはその後です」
「……うん。そうする」
そう返しながらも、頭のどこかではもう明日からのことを考えていた。
太三郎大親分の修行。
一ヶ月。
短い。
でも、あの人がわざわざ期限を切るってことは、その一ヶ月で最低限叩き込めるものだけ叩き込むつもりなんだろう。
楽しみだ。同時に、ちょっと怖い。
たぶん、かなりきつい。
「それじゃ地上へ帰るッス。蒼天さまも居るッス」
「……なんで?」
思わず聞き返した。
樒はにこにこと、いかにも何か知ってますみたいな顔をしている。
その笑い方が、ちょっと腹立つ。
「神奈さまと話があるからッス」
「話って、何の?」
「そこまでは聞いてないッス。でも、待ってるッスよ」
蒼天さま。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が妙に落ち着かなくなった。
戦闘の熱とは違う。
太三郎大親分に認められた時の熱とも違う。
もっと静かで、でも変に意識を持っていかれる感じ。
さっきまで源嵐お父様のことで頭がいっぱいだったのに、その名前ひとつで別の意味で調子が狂う。
なんで今。
いや、今じゃなくても困るけど。
私は自分の袖口を見た。
血はだいぶ消えているけど、土埃はついているし、髪も乱れている。
汗だってひどい。
正直、今の私はかなりぼろぼろだ。
そんな状態で蒼天さまに会うのかと思うと、さっきまで平気だったはずの疲労が急に気になってきた。
「……せめてシャワー浴びてからじゃ駄目?」
思わず本音が漏れる。
樒の笑みが、さらに深くなった。
「駄目じゃないと思うッスけど、たぶん先に顔は合わせることになるッス」
「うわぁ……」
今度は隠しきれずに声が出た。
別に会いたくないわけじゃない。
でも、だからこそ今のこの状態で会うのは嫌だ。
せめて一回落ち着いて、髪ぐらい整えてからにしたい。
樒はそんな私を見て、完全に面白がっていた。
「神奈さま、顔に出てるッスよ」
「何が」
「色々ッス」
「……殴るよ」
「今の神奈さまに殴られたら洒落にならないッス」
口ではそう言いながら、樒は全然怖がっていない。
むしろ楽しそうだ。
本当にろくでもない従者だ。
輝夜はそんなやり取りを見て、ほんの少しだけ口元を和らげた。
でも何も言わない。
たぶん、言わないでいてくれているだけで、だいたい察している。
《修行が始まったらそういうことは出来ませんので、今の内に楽しんでおくべきだと具申します。此は邪魔になると思うので、しばらくリンクを切っておきます》
「ちょっと待って太公望、その言い方だとなんか――」
言い終わる前に、太公望からの思念がふっと切れた。
「……逃げた」
《……》
今度は返事がない。
本当に切ったらしい。
私は思わず額を押さえた。
なんだろう。
源嵐お父様と本気で斬り合った後なのに、今の方が妙に居心地が悪い。
輝夜が静かに立ち上がり、私へ手を差し出した。
「神奈さま。帰りましょう」
「……うん」
私はその手を借りて立ち上がる。
足元はまだ少し重い。
でも、さっきまでみたいな張り詰めた空気はもうなかった。
戦いは終わった。
課題も見えた。
修行も決まった。
その上で、地上に戻れば蒼天さまが待っている。
なんだか一日で色々ありすぎる。
私はもう一度だけ、太三郎大親分たちが消えた場所を見た。
あそこにはもう誰もいない。
でも、あの圧も、言葉も、打ち合った感触も、まだ躰の奥に残っていた。
次に会う時は、もっと強くなっている。
そう胸の中で小さく呟いてから、私は歩き出す。
けれど数歩進んだところで、ふと自分の髪に触れた。
やっぱり乱れている。
指先で軽く整えてみるけど、焼け石に水な気がした。
「……樒。私、そんなに酷い格好してる?」
「今さらそこ気にするッスか?」
「うるさい」
即答されて、少しだけむっとする。
でも、否定してくれないあたり、本当に酷いんだろう。
樒はにやにやしながら先を歩く。
輝夜は何も言わないまま、でも少しだけ優しい目でこちらを見ていた。
私は小さく息を吐く。
会いたくないわけじゃない。
むしろ、会うのが嫌じゃないから困るのだ。
そんな自分の内心をこれ以上掘り返したくなくて、私はそれ以上何も言わず、樒に先導される形で地上へと戻ったのだった。
読んでいただきありがとうございました。
少しでも「いいな」と思ったら、ブックマーク・評価・感想をいただけると嬉しいです。




