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地獄に堕ち修羅道より回帰した最強少女は運命に抗い覆す  作者: 華洛
第三章:天敵

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38話 変化


 晴明が去ったとはいえ、危険がなくなったわけじゃない。


 むしろ、あいつが残していった嫌悪と不快感のせいで、場の空気はまだどこか歪んだままだった。

 幽世路の冷気とは別の寒気が、皮膚の内側に貼りついている。

 鳥肌は引かない。

 腹の奥のざらつきも消えない。

 吐き気に似たものだけが、じわじわと遅れて込み上げてくる。


 私は愛染明王を握ったまま、ゆっくりと視線を動かした。

 そこに立っているのは、屋島太三郎大親分。

 四国最大の任侠組織、隠神刑部組の組長。

 その正体は、四国に古くから根を張る狸の大妖怪だ。


 妖怪は妖魔から分かれた存在だ。

 黄泉の瘴気から生まれ、人を害するためだけに在る妖魔とは違う。

 長い時の中で人と敵対しながらも、完全な滅ぼし合いではなく、共存という形を選んだ者たち。

 もちろん、それは人間の味方という意味じゃない。


 妖怪は人に恐れられ、語られ、信じられ、ときに祀られることで成り立つ。

 人が滅びれば、妖怪もまた立ち行かなくなる。

 だからこそ、人間側にも妖魔側にも完全には与せず、中立を保ってきた。

 中立。

 言葉にすれば聞こえはいいけど、実際には、都合のいい距離を取っているだけだ。

 必要なら助けるし、必要なら見捨てる。

 敵か味方かで言えば、少なくとも人間の味方ではない。


(一応、助けてはくれたけど……敵か味方かで言えば、敵側なんだよね)


 警戒は解けない。

 むしろ、晴明が去った今だからこそ、次に何が来てもおかしくなかった。


「朔影。いったん戻ってください」


 輝夜の声が、静かに響いた。


 振り向くと、輝夜はまだ朔影を支えていた。

 朔影は顔色こそ変わらないけど、明らかに消耗していた。

 目の焦点が少し揺れていて、さっきまでの言葉をまだ引きずっているのが分かる。

 晴明に抉られた傷は、そう簡単に塞がるものじゃない。


「でも……」


「今は休んでください」


 有無を言わせない声音だった。

 朔影は唇を噛み、それでも逆らわずに頷く。

 そのまま影が揺れ、朔影の身体は輝夜の足元へ溶けるように沈んでいった。

 完全に姿が消えると、場の空気が少しだけ静かになる。

 でも、重さは消えなかった。


《輝夜さまの判断は妥当です。朔影は精神的動揺が大きい。これ以上この場に留めるのは危険でしょう》


(……うん)


 分かっている。

 分かっているけど、胸の奥のざらつきは消えない。

 晴明が残していったものは、嫌悪だけじゃなかった。

 疑念と、後味の悪さと、見たくないものを見せられた感覚。

 そういうものが全部、まだ身体の中に残っていた。


「お嬢」


 太三郎大親分が私を呼び、一歩踏み出す。

 その瞬間、本能が警鐘を鳴らした。

 太三郎大親分の姿に、ぶつりとノイズが走る。


 輪郭が歪む。

 背丈が変わる。

 骨格が変わる。

 着流しの線が崩れ、別の服の形へ組み替わっていく。

 顔立ちが削られ、積み直される。

 それは変化だった。

 妖怪の得意とする、姿を変える術。


 そう、頭では分かる。

 見た。

 確かに、見たはずだ。

 太三郎大親分が別の姿へ変わる、その途中を。

 なのに。

 その記憶だけが、妙に薄い。

 目の前で起きたはずの変化の方が、遠い。

 曖昧だ。

 現実感がない。

 逆に、変化し終えた後の姿だけが、異様な重みを持ってそこに立っていた。


 そこに立っていたのは、壮年の男だった。

 その姿を、私は知っている。

 見間違えるはずがない。

 あまり顔を合わせる機会は多くなかった。

 それでも、その姿だけは絶対に忘れない。


(源嵐お父様)


 死んでいる。

 そんなことは分かっている。

 分かっているはずなのに、その認識が一瞬で押し流された。

 理屈じゃない。


 素戔嗚の血が。私の認知が。

 目の前の存在を『本物』だと断定していた。

 幻術でも、ただの変化でもない。

 そうとしか思えない。

 そこにいるのは、正真正銘の源嵐お父様だと、身体の奥が勝手に理解してしまう。


 立ち方。

 肩の開き方。

 重心の置き方。

 視線の高さ。

 呼吸の間。

 そこに立っているだけで周囲の空気が張り詰める感じまで、全部知っているものだった。


 偽物だと理解している思考の方が、薄っぺらかった。

 太公望の警告よりも、目の前の現実の方が重い。

 目の前にいるのは父だと、血が、骨が、記憶が、頑として譲らない。

 思考が止まった。


≪神奈さま!≫


 頭の奥で、太公望の声が鋭く響いた。

 次の瞬間、目の前に二振りの霊剣が現れる。

 今は私が持っている愛染明王。

 今は風臥兄さんが持っている不動明王。


 振り下ろされる二つの刃を迎え撃つように、本能的に私の腕が愛染明王を構えた。

 霊力の刃がぶつかり合い、耳障りな音が弾ける。

 火花のように散る霊光が視界を焼いた。

 衝撃が腕から肩へ、肩から背骨へ突き抜ける。

 咄嗟のことだったけど、修羅道無限回廊での経験が無かったら、間違いなく私はそのまま斬られていた。


《力負けしています。――押し切られます》


 太公望の声が飛ぶ。

 地面に亀裂が走り、足元がへこんでいく。

 押し込まれる。

 受け止めているだけで、骨が軋む。

 霊力の刃越しに伝わってくる圧が、あまりにも重い。


 そして私は力負けし、そのまま吹き飛ばされた。

 地面を滑る。

 ひび割れた土が削れ、靴底が嫌な音を立てた。

 どうにか体勢を立て直す。

 腕が痺れていた。

 受け止めただけなのに、骨の芯まで衝撃が残っている。


「……源嵐お父様……」


 口から、勝手に名前が零れた。

 目の前に立つその男は、間違いなく源嵐お父様だった。

 もうこの世にいるはずがないのに。

 それでも、私の認識はそれを否定できない。


《神奈さま、引きずられないでください。あれは本人ではありません。変化するところを見ましたよね》


(分かってる! 見た、見たはずなのに……っ)


 言い返しながら、自分でもぞっとした。

 見たはずなのだ。

 太三郎大親分が変化するところを。

 なのに、その記憶だけが水の底に沈んだみたいに遠い。

 思い出そうとすると、目の前に立つ源嵐お父様の姿の方が、もっと強い現実として割り込んでくる。


(目の前にいるのが源嵐お父様じゃないのは、分かってる。でも……!)


 分かるのに、身体が納得しない。

 目の前にいるのは父だと、血が、骨が、記憶が叫んでいる。

 源嵐お父様は私を見る。

 その目にあったのは、懐かしさでも情でもなかった。

 値踏みと、失望。

 昔、会うたびに向けられていた冷たい目。

 認める価値があるかどうかを測る目。

 そして、測るたびに「足りない」と切り捨てる目。


「――風臥、雷臥であれば、この程度の攻撃は反撃してきただろうに」


 低い声。

 抑揚は少ない。

 怒鳴っているわけでもない。

 それなのに、その一言だけで胸の奥が強く軋んだ。


「所詮は女か……。武を捨て、花嫁修行にでも専念すればいい。お前にはそれぐらいの価値しかない」


 頭の奥で、何かが熱くなる。

 知っている。

 こういう言葉を向けられてきたことを。

 兄たちと比べられ、女だからと切り捨てられ、武を志すことすら値踏みされたことを。

 忘れたつもりはない。

 でも、こうして改めて真正面から叩きつけられると、やっぱり腹の底が煮える。


「価値はっ、私の価値は! 自分で定めます!」


 叫ぶように言い返す。

 源嵐お父様は、ほんの少しだけ眉を動かした。

 驚いたわけじゃない。

 面倒なものを見た時みたいな、そんな反応だった。


「……ふん。これが反抗期というものか」


 吐き捨てるように言ってから、どうでもよさそうに続ける。


「まあ、いい。なら反抗できなくなるぐらいに打ち倒すだけだ」


 一歩、踏み出す。

 その瞬間、空気が変わった。


「素戔嗚流、雷燿絶華・無間」


 姿が消えた。

 いや、消えたようにしか見えなかった。

 次の瞬間には、私の両腕が斬り飛ばされていた。

 さっきと違い、防御もなにもできなかった。

 痛みより先に、視界の端で自分の腕が宙を舞うのが見えた。

 遅れて、焼けるような激痛が肩口から噴き上がる。


《これは霊力を雷光に変換することで、極限までスピードアップ。擬似的な時間停止をして、攻撃する業のようです》


(……知っているよ。源嵐お父様の十八番の業だもん)


 そして私は、源嵐お父様が使うこの業に脳を焼かれて、武の道に進む決意をしたぐらいだ。

 速い、なんて言葉じゃ足りない。

 見えない。

 認識した時には、もう斬られている。

 前世でも、あの業をまともに捌ける人間なんてほとんどいなかった。


《現時点で神奈さまが対抗する手段はありません。魂魄体なら対処もできますが、今の肉体では時間を停止するほどのスピードで動く相手に対応は不可能です》


(なら、躰を慣れさせていくまで!)


 私は即座にスキル【傷、未だあらず】を発動した。

 肩口から先が、巻き戻る。

 斬られていなかった状態へ、因果ごと戻す。

 血が消え、肉が繋がり、骨が元へ戻る。

 数瞬前の損傷が、最初からなかったことになる。

 源嵐お父様は、その様子を見ても表情を変えなかった。

 ただ、冷静に観察していた。


「霊術ではないな。スキルか」


 その声に、ぞくりとした。


「ふん。ちょっとした玩具を手にした上での反抗期か。発生していない状態へ戻す因果系のスキルと見た。ならば」


 源嵐お父様は、両手で印を結ぶ。

 すると、黒い球体が出現した。

 ただ黒いだけじゃない。

 光も、時空間も、周囲の気配すら吸い込みそうな、底の見えない漆黒だった。

 見ているだけで、輪郭の感覚が狂う。

 あれは終極・万象滅却。


 万象を尽く終わらせ、滅却する業。


 あれに当てられたら、たぶん【在りしへ還る】も【傷、未だあらず】も、そのダメージ分は元には戻せない。

 因果すら滅却される。

 当てられた攻撃は、初めからその状態であるということにされてしまう。

 源嵐お父様は、愛染明王と不動明王の霊力の刃へ終極・万象滅却を融合させる。


 蒼い霊刃が、漆黒を呑み込んだ。

 いや、逆だ。

 漆黒が蒼を侵食し、斑模様に染め上げていく。

 青と黒がまだらに混じり合った刃は、ただ鋭いだけじゃない。

 触れたものの在り方そのものを壊しそうな気配を放っていた。


 喉がひりつく。


 逃げなきゃいけない。

 そう頭では分かる。

 でも、目の前にいるのが源嵐お父様の姿をしているせいで、身体のどこかがまだ硬直していた。

 反抗しろ。

 逃げろ。

 斬れ。

 そういう命令と、父に逆らうなという古い条件反射が、身体の中でぶつかり合っている。


 しかも最悪なことに、目の前の存在は父に似ているんじゃない。

 私の認識の中では、もう父そのものとして立っている。

 偽物だと理解する思考の方が、現実味を失っていく。

 源嵐お父様は、そんな私を見下ろして言った。


「さて、俺へ反抗した以上……四肢を切断される程度は覚悟しているだろうな、神奈」




読んでいただきありがとうございました。

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