30話 対峙
SIDE:天ノ宮蒼天
高知城は、古い城でありながら、古いままではなかった。
大和に残る城郭の多くは、もはや単なる史跡ではない。
妖魔との戦いが日常の延長にあるこの国では、城は今なお拠点として生きている。
外観こそ往時の姿を残していても、その内側では現代に合わせた改修と更新が絶えず行われていた。
結界の補強、霊力導線の再設計、対妖魔兵装の格納、避難経路の最適化。
城とは、過去を保存するためのものではなく、今を守るためのものでもある。
その高知城の傍らにある城西公園で、私はひとりベンチに腰掛けていた。
春はまだ浅い。
けれど桜はもう咲き始めていて、枝先には淡い色がちらほらと混じっている。
満開には遠い。
それでも、冬が終わったことだけは確かに分かる景色だった。
風は穏やかで、空は高い。
公園には朝の静けさが残っていて、人影もまだまばらだ。
私は背もたれに身を預け、視線を桜へ向けたまま、昨夜のことを思い返していた。
輝夜が、あそこまでしっかり意思を発揮するとはなぁ。
嬉しくもあり、寂しくもある。
輝夜――月光輝夜。
月夜見家分家、月光家の娘。
私は天照家分家、天ノ宮家の人間だ。
御三家の分家同士、幼い頃から顔を合わせる機会は多かった。
家同士の付き合いもあれば、行事で同席することもある。
そうして何度も顔を合わせるうちに、私は自然と、あの子を妹のように思うようになっていた。
よくできた子だった。
大人しくて、気が利いて、術にも長けている。
誰かの補佐に回れば、必要なことを先回りして整えてくれる。
表に立つより、半歩後ろから支える方を好む子だった。
けれど同時に、自分の意思を前へ出すことには慣れていなかった。
あの子はずっと、影に寄り添うように生きてきたのだと思う。
だからこそ、昨夜の言葉は意外だった。
『蒼天さま。申し訳有りません。私は……京都に帰りません。神奈さまの元に残ります。やらないと、いけないことが出来ました』
月を眺めていた私のもとへ、輝夜はひとりでやって来た。
そして、目を逸らさず、逃げもせず、そう告げた。
あれほどはっきりと、自分の意思を言葉にした輝夜を、私は今まで見たことがなかった。
あの子は変わった。
いや、変えられたというべきかもしれない。
原因を作ったのは、間違いなく神奈だ。
神奈の傍にいることで、輝夜は自分で考え、自分で選び、自分で残ると言った。
それは喜ばしいことだ。
あの子が誰かの影ではなく、自分の足で立とうとしているのだから。
けれど同時に、少しだけ寂しくもある。
私の知らないところで、私の知らない形で、あの子は変わっていった。
その変化をもたらしたのが私ではなく神奈だったことに、感謝と、ほんの少しの嫉妬を覚えてしまうのは、たぶん大人げないのだろう。
私は小さく息を吐いた。
私も――神奈のために、しておくことはある。
「蒼天さま、私に何か用があるッスか? わざわざ内緒で呼び出すなんて」
気配もなく落ちてきた声に、私は視線だけをそちらへ向けた。
彼岸樒が、そこにいた。
相変わらず、掴みどころのない女だ。
立ち姿は軽く、笑みは柔らかい。
けれど、その奥に何を隠しているのか分からない。
「ハッ。まさか私の躰が目当てッスか。だ、ダメッス。貴方さまと関係を持つと神奈さまに合わせる顔がなくなるッス!」
あからさまに頬を赤らめ、演技じみた仕草で身体をくねらせる。
私は思わず、少しだけ笑ってしまった。
「安心しろ。私はそこまで節操なしじゃない」
「えっ、否定が早い。ちょっと傷つくッス」
「傷つくようなことを言った自覚はあるんだな」
軽口を返しながらも、私は相手から目を離さない。
この女は、こういう軽薄さを鎧にしている。
冗談めかした言葉で場を崩し、相手の警戒を鈍らせる。
だが、こちらも最初から雑談のために呼び出したわけではない。
右手を軽く開く。
そこに黒い杖矛が現れた。
神具――天逆矛。
空気がわずかに張り詰める。
樒の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「封印術――霊樹開花封」
術式を起動した瞬間、地面から樹木が噴き上がった。
太い幹と無数の枝が生き物のようにうねり、樒の四肢へ絡みつく。
逃れる隙を与えず、その身体を地面へ縫い止めるように拘束した。
枝先には淡い光が宿り、封じた相手の霊力を吸い上げながら、花弁のようなものがゆっくりと開いていく。
樒は拘束されたまま、目を細めた。
驚きはあっても、取り乱しはしない。
その落ち着きが、かえって不気味だった。
「うわぁ。いきなりッスか。蒼天さまって、見た目より強引なタイプだったんスね」
「お前相手に、のんびり話していいとは思っていないからな」
私は立ち上がり、天逆矛を手にしたまま彼女を見下ろした。
風臥たちの様子は、明らかな違和感があった。
彼岸家は素戔嗚家の周りには存在していない。
なのに、風臥はどこからか樒を連れてきて、神奈の周囲に入り込むよう都合が良すぎる流れになった。
そして何より、この女の神気には、どこか不自然な揺らぎがある。
確証が十分かと問われれば、まだ足りないのかもしれない。
だが、足りないからといって見過ごしていい相手ではない。
仮にも相手は神奈と互角の闘いを繰り広げる強者。
万一にも逃走や反撃を許せば、周囲への被害も考えなければならない。
封印術で拘束でもしておかなければ、まともに話し合いも出来ないだろう。
「正直に答えてくれ、彼岸樒」
声は静かだった。
怒鳴る必要はない。
こういう相手には、その方がよく響く。
「神術を利用して風臥たちに干渉し、神奈に近づいているな?」
樒は黙っている。
「何を企んでいる」
問いかけると、樒は拘束されたまま、ふっと笑った。
その笑みは先ほどまでの軽薄なものとは違っていた。
どこか、底の見えない色を帯びている。
やはり、この女はただの道化ではない。
SIDE:彼岸樒
霊樹開花封、ッスか。
見た目だけなら、なかなか綺麗な術だったッス。
地面から噴き上がった樹木が私の四肢へ絡みつき、逃げ場を奪うように締め上げている。
枝先には淡い光が宿っていて、花弁みたいなものがある。
封じた相手の霊力を吸い上げ、それを糧に花を咲かせる術。
趣味がいいのか悪いのか、ちょっと判断に困るッスね。
もっとも、私にとって厄介なのは、樹木で物理的に締められていることくらいだったッス。
この躰を維持しているのは神力だ。
霊力を吸収して衰弱させていくこの術は、普通の術者相手ならよく効くだろう。
でも、私には本質的な意味での致命打にはなりにくいッス。
解く方法だって、ないわけじゃない。
神術でも、スキルでも、やりようはいくらでもあるッス。
《天ノ宮蒼天に対する神術・スキルでの攻撃は許可できません》
頭の奥に響いた声に、私は内心で小さくため息を吐いたッス。
張良。
太公望が、精神を割って私に取り憑かせた存在だ。
名は、漢を建国した劉邦に仕え、多くの策を立てて覇業を支えた軍師から取られている。
いかにも太公望が好みそうな名付けッスね。
百パーセント信用できないから、お目付け役として寄越した。
会ったばかりなので、信用されてないのは知ってるッス。
でも――姉としては悲しいッスね。
「一つ聞くッスけど、どうしたッス」
私は拘束されたまま、蒼天さまを見上げた。
「神奈さまに危害を加える目的なら、神術を使って正気でいられる蒼天さまを、邪魔者扱いで排除するかもしれないッスよ」
脅しというより、確認だったッス。
蒼天さまに私の神術が効かなかった理由は、だいたい想像がついているッス。
あの人が持つ神具――天逆矛。
神匠・天目一箇が、私の親である造化三神具を参考にして作った模造神具だ。
完全に同じものじゃないにせよ、系譜としては近い。
だからこそ、私の神術に対しても耐性がある。
効きが薄いのは当然だったッス。
蒼天さまは、私の問いにすぐには答えなかった。
ただ、静かな目でこちらを見ている。
その目には敵意だけじゃなく、もっと別のものが混じっていたッス。
警戒。
責任感。
それから、少しばかりの焦り。
「……神奈は、一度は救えなかった」
ぽつりと落ちたその言葉に、私は一瞬だけ思考を止めたッス。
「だから、私は」
その先を聞くより早く、私は蒼天さまの魂魄を見た。
死神である私には、魂魄の質が見える。
輪廻を重ねた魂か。
異物を抱えた魂か。
この世界の理の内にあるものか。
そういう輪郭が、ぼんやりとだが分かるッス。
見えた結果は、はっきりしていた。
この人は、輪廻転生した存在じゃない。
前世を持ち越しているわけでもない。
紛れもなく、この世界で生まれた、この世界の魂だったッス。
なのに。
「不思議ッス」
私は目を細めた。
「確かにこことは異なる場所で、貴方さまは神奈さまを救えなかったッス。なんで、それを知ってるッス」
蒼天さまは少しだけ目を伏せ、それから静かに答えた。
「夢で知った」
風が、桜の枝を揺らした。
「――【万華鏡雅叙苑】での私の無念と後悔が、流れてきた。あれはただの夢じゃないことくらいは分かる」
夢、ッスか。
私はその言葉を頭の中で転がしながら、ひとつの場面を思い出していたッス。
神奈さまが、輝夜に口づけをされて神力を譲渡された時のことだ。
神奈さまの躰には、もともと素戔嗚の神力がある。
そこに前世で蒼天さまから与えられた天照の神力が残っていた。
さらに、輝夜から月夜見の神力が流れ込んだ。
素戔嗚。
天照。
月夜見。
御三家の根幹たる神力が、神奈さまの中で一時的に接続したのだッス。
なら、あり得る。
【万華鏡雅叙苑】での蒼天さまの感情が、神奈さまの中に残っていた天照の神力に焼きついていた。
そこへ月夜見の神力が流れ込み、接続が生まれたことで、本来なら届かないはずのものが蒼天さまへ伝わった。
神力とは、繋がる力だ。
人と神。
過去と今。
想いと想い。
本来なら交わらないものすら、時に無理やり結んでしまうッス。
だから、こんなことも起こる。
「……なるほどッスね」
私は小さく息を吐いた。
「貴方さまが知ってしまったのは、偶然でもあり、必然でもあるッス」
蒼天さまは黙っている。
全部を説明しなくても、この人は察しがいいッス。
そういうところは、風臥さまと気が合うのも分かるッスね。
「で、どうするッスか」
私は拘束されたまま、わざと軽い調子で言った。
「私をこのまま締め上げて、白状させるッスか? それとも、神奈さまのために危険そうな芽は先に摘んでおくッスか?」
「そのつもりなら、もっと別の術を使っている」
返ってきた声は静かだった。
「私は、お前を消したいわけじゃない」
「へえ」
「信用しているわけでもないがな」
それはそうだろう。
いきなり拘束してくる相手に信用されているとは、さすがに思ってないッス。
でも、その言い方には妙な誠実さがあったッス。
綺麗事で塗らない。
信用していないなら、していないとちゃんと言う。
そういうところは、嫌いじゃないッスね。
「私は東京へ行けない」
蒼天さまは、そこで話題を変えた。
「晴明の隕石の件で、陛下の副首都・東京への移座が取り沙汰されている。そんな時に私が東京へ向かえば、余計な憶測を呼ぶ」
私は黙って聞くッス。
天ノ宮蒼天。
次代を担う立場の人間だ。
本人がどう思おうと、その移動ひとつで意味を持ってしまう。
東京へ行く。
それだけで、政の匂いがつく。
誰かを守りたいから、では済まされないッス。
面倒な立場ッスね。
いや、最初から分かってたことではあるッスけど。
「本当なら、私が行きたい」
その言葉は、ひどくまっすぐだった。
「神奈の傍にいて、護りたい。今度こそ、手遅れになる前に」
私は少しだけ目を細めたッス。
この人の中にあるのは、恋だの執着だの、そういう単純なものだけじゃない。
もっと重くて、もっと静かな責任感だ。
救えなかったという記憶を、自分のものとして引き受けてしまった人間の顔だったッス。
「でも、私は行けない」
蒼天さまは一歩、こちらへ近づいた。
「だから、お前に頼む」
そう言って。
天ノ宮蒼天は、私に向かって頭を下げた。
私は一瞬、本気で言葉を失ったッス。
ああ、この人。
そういうことを、やるんスね。
立場のある人間ほど、頭を下げることの重さを知っている。
しかも相手は、信用しきっていない女だ。
疑って、拘束して、それでもなお頼む。
ずるいッスよ、そういうの。
「神奈を、必ず護ってくれ」
静かな声だった。
命令じゃない。
懇願に近い声音だったッス。
私はしばらく黙っていた。
面倒だ。
実に面倒だッス。
こういう真っ直ぐな頼み方をされると、茶化しにくいッス。
しかも、頼まれなくたって、私は最初からそのつもりだった。
神奈さまの傍にいる。
護る。
利用できるものは利用し、排除すべきものは排除する。
そのためにここまで来たのだ。
なのに、わざわざ頭まで下げられると、こっちが悪者みたいじゃないッスか。
「……面倒な王子さまッスね」
私はわざとらしくため息を吐いた。
「そういうの、ずるいッス」
蒼天さまは頭を上げない。
律儀な人だッス。
「でも、ただで引き受けるのも癪ッスね」
私がそう言うと、蒼天さまがゆっくり顔を上げた。
「条件があるのか」
「あるッス」
私はにやりと笑った。
「午後から、神奈さまとデートしてくるッス」
蒼天さまが、珍しく呆気にとられた顔をした。
「……は?」
「だから、デートッス。二人で出かけて、ちゃんと話して、ちゃんと距離を詰めてくるッス」
「お前は……」
言葉を失っている。
いやー、珍しいものを見たッスね。
この人、だいたいのことでは顔色を変えないのに。
でも、冗談だけで言ってるわけじゃないッス。
蒼天さまは東京へ行けない。
神奈さまは東京へ行く。
なら、今のうちに話しておくべきことは山ほどあるッス。
言葉にしないまま抱え込むタイプ同士なんだから、こうでもしないと進まないッスよ。
蒼天さまはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「……神奈とも、話しておきたいとは思っていた」
「なら決まりッスね」
「お前の言い方が気に入らないだけだ」
「細かいことは気にしない方が長生きするッスよ」
蒼天さまは、なんとも言えない顔をした。
でも拒否はしなかったッス。
了承したも同然だ。
「よし。じゃあ、これは御守ッス」
私はポケットから小さな箱を取り出して、蒼天さまへ放った。
蒼天さまは反射的にそれを受け取る。
箱を見て、眉をひそめた。
「ッ。おい、これは」
「薄さ0.001ミリの避妊具ッス」
蒼天さまの動きが止まった。
「デート帰りに燃え上がるのは全然いいッスけど、神奈さまには子供は早いので、きちんと避妊はしてくださいッス」
数秒、沈黙が落ちた。
桜が揺れる。
風が吹く。
空は青い。
なのに空気だけが妙に死んでいたッス。
蒼天さまは箱を持ったまま、完全に絶句していた。
それから、ゆっくりとこめかみを押さえる。
「……お前は本当に、そういう女だな」
「褒め言葉として受け取っておくッス」
「褒めていない」
「でも、神奈さまを大事にしろって意味では、すごく真面目な話ッスよ?」
「言い方というものがあるだろう……」
疲れたように言う蒼天さまに、私はくすりと笑ったッス。
こういうところで真顔になれるから、この人は面白い。
真面目で、律儀で、少し不器用だ。
だからこそ、神奈さまみたいなのに引っかかるんだろうし、神奈さまもまた、この人を完全には無視できないんだろう。
「とにかく、条件はそれッス。神奈さまとちゃんと向き合うこと。逃げるのはなしッスよ」
「……分かった」
蒼天さまは、諦めたように息を吐いた。
「約束する」
その返答に、私は少しだけ肩の力を抜いたッス。
完全に信用されたわけじゃない。
でも、託された。
そして、こっちの条件も呑ませた。
それで十分だったッス。
「じゃあ、そろそろこれ解いてくれないッスか」
私は拘束された腕を軽く揺らした。
「さすがに締めつけられっぱなしは趣味じゃないッス」
蒼天さまは、そこでようやく少しだけ苦笑した。
「悪かった。お前相手だと、最初に縛っておいた方がいいと思ってな」
「判断は正しいッスけど、扱いが雑ッス」
「お前が言うのか」
次の瞬間、霊樹開花封がほどけていく。
枝が離れ、花が散り、地面へ還るように術が消えていった。
自由になった手首を軽く回しながら、私は空を見上げる。
桜はまだ咲き始めたばかりだ。
春も、東京も、これからッス。
面倒ごとは増えるだろう。
厄介ごとも、きっと山ほど待っているッス。
それでも――神奈さまの傍にいる以上、微力を尽くしてやっていくッス
読んでいただきありがとうございました。
少しでも「いいな」と思ったら、ブックマーク・評価・感想をいただけると嬉しいです。




