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地獄に堕ち修羅道より回帰した最強少女は運命に抗い覆す  作者: 華洛
第二章:新しい従者

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25話 VS.彼岸樒


 先ほど私が蟄居を命じられた地下より、さらに下。

 そこには、別邸ひとつ丸ごと収まりそうなほど広い地下闘技場が広がっていた。


 石造りの床。

 高い天井。

 壁面には霊術による補強が施され、淡い光の筋が幾何学模様のように走っている。

 多少の戦闘では壊れないように作られているのだろう。


 中央に立つのは、私と樒。

 壁際には、蒼天さま、風臥兄さん、閂、輝夜が並んでいた。


 樒は相変わらず、ふわふわした笑みを浮かべている。

 これから手合わせをする相手とは思えないほど気楽そうだ。


「改めて自己紹介するッス。私の名前は彼岸樒。好きなものはうどん。嫌いなものは過重労働。あ、私に家事全般は期待しないで欲しいッス。そういうのは閂パイセンにお願いするッス。あ、もしも躰が火照るなら、夜の相手は可能ッス」


「あのさ、私は女なんだけど?」


「私は男も女も両方大丈夫ッス」


 なんだか、本当に掴みどころがない。

 掴もうとしても、するりと指の間を抜けていく。

 まるで雲みたいな女だ。


「私を満足させるなら、夜の相手じゃなくて、今この場で闘ってよ」


「好戦的ッスね。――嫌いじゃないッス」


 その瞬間だった。


《神奈さま! スキルです!》


 太公望の声が響くより早く、視界がぶれた。


 何かに掴まれた。

 そう理解した時には、もう遅い。


 身体が強引に後方へ引きずられ、そのまま勢いよく宙を飛ぶ。

 次の瞬間、背中から壁へ叩きつけられた。


 轟音。

 肺の中の空気が一気に押し出される。

 石壁にひびが走り、砕けた破片がぱらぱらと降った。


 痛い。

 でも、致命傷じゃない。


 私は即座に【在りしへ還る】を発動し、受けた損傷を巻き戻す。

 潰れかけた呼吸が戻り、軋んだ骨と筋肉が元の位置へ収まった。


《このスキルは神奈さまも持っていたスキルです。スキル名は【空は既に手の内】です》


 ……ああ。

 あの便利なスキルね。


 【空は既に手の内】。

 一定範囲内の物質座標を把握・掌握し、自在に位置制御を行う空間支配型スキル。

 周囲の空間そのものが、巨大な見えざる手へ変わるようなものだ。


《次に使用してきたら、【奇跡は二度と許されず】でスキルを破壊します》


(そこまでしなくていいよ。一応、私の従者予定の子だしね。……それに【奇跡は二度と許されず】は、あまり人に見せたくない)


 私が知る限り、現世にスキルを破壊するスキルは存在しない。

 もしあれば、とっくに広まっている。

 この場の面々が口外するとは思わない。

 でも、世の中には口から聞き出す必要すらなく、思考や記憶から情報を抜く手合いもいる。

 だから、対スキルにおいて絶大な効力を持つ【奇跡は二度と許されず】は、できる限り伏せておきたかった。


「神奈さま。もしかしてギブアップッスか?」


 壁から身を起こした私に、樒がニコニコと声をかけてくる。


「まさか。スキルを使ってくるとは思わなくて、ちょっと驚いただけ」


「そうッスよね。神奈さまが、この程度で退くわけないッスよね」


 樒が、ふっと目を細めた。


「――なら、こんなのはどうッス」


 直後、床と天井に亀裂が走った。

 ばき、ばき、と嫌な音を立てて石が割れ、拳大から人頭大の岩塊がいくつも浮かび上がる。

 それらが一瞬だけ空中で静止し――次の瞬間、弾丸みたいな速度で私へ殺到した。


 速い。


 私は腰の愛染明王を抜き放つ。

 青い霊力が刃となって迸り、薄青い軌跡を引いた。


 一閃。

 正面から飛来した岩塊を両断する。


 続けざまに二つ、三つ。

 斬る。

 砕く。

 弾く。


 砕けた石片が頬を掠め、耳元を唸りながら飛び過ぎる。

 足を止めれば押し潰される。

 だから前へ出る。


 私は岩礫の雨を斬り裂きながら、一気に樒との距離を詰めた。

 近づけば、この手の空間支配はやりにくくなる。

 少なくとも、そう思った。


 ――でも。


 踏み込んだ足が、止まった。


 いや、違う。

 止められた。


 膝から下が、見えない何かに噛みつかれたみたいに動かない。

 足首。膝。腰。肩。

 全身の要所を、空間そのものに固定された感覚。


 息が詰まる。


 ああ――【空は既に手の内】による固定現象。


 この規模の岩礫を同時に操りながら、さらに私の動きまで封じるなんて。

 樒は、このスキルを完全に使いこなしている。


 次の岩塊が、真正面から迫ってきた。


 私は咄嗟に上体だけを捻り、愛染明王を振るう。

 斬撃で一つを割る。

 だが、二つ目、三つ目が間髪入れずに飛び込んでくる。


 避けきれない。


 なら――斬り抜ける。


 霊力を一気に刃へ流し込み、青い光を爆ぜさせる。

 横薙ぎ。

 迫る岩塊をまとめて叩き斬り、砕け散った破片の中を強引に踏み抜こうとする。


 それでも、重い。

 身体が空間ごと押さえつけられているみたいだった。


 樒は笑っていた。

 柔らかく、楽しそうに。

 まるでこちらの足掻きすら見越しているみたいに。


 ――面白い。


 胸の奥で、ぞくりと熱が走る。


 強い。

 しかも、ただ強いだけじゃない。

 真正面から殴り合うタイプじゃなく、相手の動きと間合いを奪って、じわじわ追い詰める類の強さだ。


 面倒だ。

 厄介だ。

 でも、だからこそ燃える。


《神奈さま。固定の強度に偏りがあります。下半身の拘束が強く、上半身は制御が薄いです》


(見えてる)


 私は愛染明王を逆手に持ち替え、あえて大きく振りかぶった。


 樒の目が、ほんのわずかに細くなる。

 その瞬間、分かった。


 この女、私の動きを見て固定の配分を変えている。


 なら、読む。


 私は振り下ろすと見せかけて、刃を止めた。

 次の瞬間、手首だけで鋭く返し、足元ではなく自分の斜め後方の床を斬り裂く。

 青い斬撃が石床を抉り、砕けた石片が一気に跳ね上がった。


「おっ」


 樒が小さく声を漏らす。

 浮いた石片が、【空は既に手の内】の支配に入るより早く、私は上半身だけの力で身体を捻り、その破片へ蹴りを叩き込んだ。

 散弾みたいに飛んだ石片が、樒の視界を埋める。


 その一瞬。

 固定の意識が、わずかに散った。

 私はその隙を逃さず、無理やり一歩を踏み抜く。


 重い。

 それでも、動く。


 床が砕ける。

 足首が悲鳴を上げる。

 でも構わない。

 【在りしへ還る】がある以上、この程度は後で戻せる。


「へえ……!」


 樒の笑みが、少しだけ深くなった。


 私はさらに踏み込む。

 岩礫が左右から迫る。

 斬る。

 砕く。

 そのまま前へ。


 樒との距離が、ようやく十歩を切った。

 だが次の瞬間、今度は真横から見えない力が叩きつけてきた。


 空気が爆ぜる。

 私は咄嗟に剣を差し込み、衝撃を受け流す。

 それでも身体が横へ流され、床を滑った。


 止まるな。


 滑る勢いのまま低く沈み、次の岩塊の下を潜る。

 そのまま床すれすれから斬り上げるように愛染明王を振るう。


 青い刃が、樒の足元へ走った。

 だが、届く寸前で軌道が逸れる。

 空間ごと押し曲げられたみたいに、斬撃が横へ流された。


「斬撃まで曲げるんだ」


「便利なスキルッスからね」


 軽い口調。

 でも、やっていることは全然軽くない。

 壁際で見ていた蒼天さまが、低く呟いた。


「空間制御の精度が高い。単純な出力だけではないな」


「ええ。固定、射出、偏向を同時に回している。しかも切り替えが速い」


 風臥兄さんの声も冷静だった。

 でも、その目は少しだけ鋭い。


「神奈が近づけているだけでも大したものだ」


 輝夜が小さく息を呑む気配がした。

 閂は何も言わない。

 ただ、いつでも割って入れるように気配を張っている。


 私は一度、大きく息を吐いた。

 見えてきた。


 樒の【空は既に手の内】は万能じゃない。

 強い。

 厄介。

 でも、無制限じゃない。


 固定を強めれば、射出がわずかに鈍る。

 射出を増やせば、偏向が薄くなる。

 全部を完璧には回せない。


 そして何より――樒は、私を殺すつもりでやっていない。


 だからこそ、制御が綺麗だ。

 無駄がない代わりに、読み筋がある。


(なら、崩せる)


《神奈さま。次の三手で懐に入れます》


(言われなくても、行く)


 私は愛染明王を正眼に構えた。

 霊力を刃へ流し込み、青い光をさらに濃くする。


「今度は、こっちから行くよ」


「どうぞッス」


 樒が笑う。


 私は踏み込んだ。

 真正面から。


 当然、岩礫が飛ぶ。

 一つ目を斬る。

 二つ目を半身でかわす。

 三つ目は、あえて肩で受けた。


 鈍い痛み。

 でも、止まらない。


 次に来る固定を読んで、私は踏み込みの軸を足から腰へ切り替える。

 足が止められるより先に、上半身だけで剣を振るう。


 斬撃。

 樒は偏向する。


 その瞬間を待っていた。


 偏向に意識が割かれた一瞬、固定が薄くなる。

 私は愛染明王を手放した。

 青い刃を纏ったままの霊剣が、回転しながら樒へ飛ぶ。


「おっと」


 樒がそれを横へ弾く。

 だが、その動きで今度は射出の制御が遅れた。


 私は空いた一瞬に、床を蹴る。

 いや、蹴れない。

 なら、拳で床を殴った。

 砕けた床の反動を無理やり使って、身体を前へ滑り込ませる。


 近い。


 樒の目が、初めてはっきりと見開かれた。

 私は空いた手で愛染明王を呼び戻す。

 霊剣が弧を描いて手元へ戻る。

 そのまま、返す刀で斬り込む。


 樒は紙一重で身を捻る。

 刃先が頬を掠め、黒髪が数本、宙に舞った。


「うわ、危な」


「避けるんだ」


「そりゃ避けるッスよ」


 軽口を叩きながらも、樒の気配が変わった。

 さっきまでの余裕一辺倒じゃない。

 ちゃんと、私を相手として見始めている。


 嬉しい。


 私は笑っていた。

 たぶん、かなり楽しそうな顔をしている。

 樒もまた、口元を吊り上げた。


「いいッスね。神奈さま、やっぱり嫌いじゃないッス」


「奇遇だね。私も、かなり好きになってきた」


 次の瞬間、私たちは同時に動いた。


 樒の周囲で石片が渦を巻く。

 私はその中心へ踏み込む。


 固定。

 射出。

 偏向。

 次々に切り替わる空間制御を、私は剣筋と体捌きで捌いていく。


 斬る。

 かわす。

 受ける。

 踏み込む。


 樒は距離を取ろうとする。

 取らせない。


 右からの衝撃を剣で流し、左からの岩礫を肘で弾き、正面の固定を力任せではなく呼吸の切り替えで外す。

 完全に解けなくてもいい。

 一瞬、薄くなれば十分だ。


 距離は、もう三歩。


 樒が初めて後ろへ跳んだ。

 私は追う。


 空中で岩塊が三つ、一直線に並ぶ。

 私は一息でそれを斬り抜け、そのまま最後の一歩を踏み込んだ。


 間合いに、入った。


 愛染明王を振り下ろす。

 樒は両手を交差し、見えない空間壁を重ねるように防ぐ。


 青い刃が、空間を軋ませた。

 ばきん、と何かが割れるような音が響く。

 そのまま押し切る。


 樒の足元が沈む。

 床が砕ける。

 彼女の身体が、わずかに後ろへ傾いた。


 ――取った。


 そう思った瞬間、樒の唇が笑った。


「でも、まだッス」


 足元の床が、消えた。


 いや、消えたように見えた。

 実際には、私の立っていた座標だけがずらされたのだ。


 踏み込みの感覚が空振りし、身体が一瞬だけ泳ぐ。


 しまっ――


 その隙に、樒の指先が私の喉元へ伸びる。

 見えない衝撃が、至近距離から炸裂した。

 私は咄嗟に首を逸らし、直撃だけは避ける。

 それでも肩口を打ち抜かれ、身体が大きく弾かれた。


 だが、今度は飛ばされながらも終わらない。


 私は空中で無理やり体勢を立て直し、着地と同時に床を滑る。

 そのまま低く潜り込み、樒の懐へ逆袈裟に斬り上げた。

 樒が目を見開く。

 空間制御の立て直しが、ほんの一瞬遅れた。


 刃が、彼女の首筋で止まる。

 同時に。


 私の眉間の前で、拳大の石片がぴたりと静止していた。

 あと一寸でも前に出ていれば、私の頭蓋を撃ち抜いていた距離だ。


 静寂が落ちる。

 互いに、動かない。

 先に笑ったのは樒だった。


「……相打ちッスね」


「うん。たぶん、今のは相打ち」


 私は愛染明王を引き、樒も石片を落とした。

 ぱらり、と石が床へ転がる。

 次の瞬間、壁際から風臥兄さんの声が飛んだ。


「そこまでだ」


 張り詰めていた空気が、ようやく緩む。


 私は大きく息を吐いた。

 肩が痛い。

 足も痛い。

 たぶん細かい損傷だらけだ。

 でも、それ以上に気分が良かった。


 樒は首筋に手を当てて、にへらと笑う。


「いやー、びっくりしたッス。もっと押し込めると思ってたッスけど、普通に懐まで来るんスもん」


「そっちこそ。あんな面倒なスキル、普通はもっと嫌われるよ」


「褒め言葉として受け取っておくッス」


 私は愛染明王を鞘へ収めた。

 蒼天さまが静かに口を開く。


「神奈。よく対応したな。空間支配型を相手に、あそこまで短時間で癖を読むのは容易ではない」


「ありがとうございます」


 素直にそう返すと、少しだけくすぐったい。

 風臥兄さんは額に手を当て、深いため息を吐いた。


「……従者同士の顔合わせで、どうしてここまで本気になるんだ、お前たちは」


「だって強かったし」


「神奈さまが好戦的すぎるんスよ」


「樒も十分乗り気だっただろ」


「否定はしないッス」


 閂は無言のまま私のそばへ来ると、肩口の様子を確認した。

 輝夜は少し呆れたような、でもどこか感心したような顔をしている。


「神奈さま。お怪我は」


「大丈夫。戻せる範囲」


「そういう問題ではありません」


 ぴしゃりと言われた。

 うん、知ってた。

 そのやり取りを見ていた樒が、楽しそうに笑う。


「なるほど。確かに閂パイセンがいないと、神奈さまは危なっかしいッスね」


「お前が言うな」


「でも、安心したッス」


 樒はそう言って、今度は少しだけ真面目な目で私を見た。


「神奈さまが、ただ守られるだけの人じゃないって分かったッス。これなら従者としても、やりがいがあるッス」


 その言葉に、私は少しだけ目を瞬かせた。


 軽い女だと思っていた。

 いや、実際軽いのかもしれない。

 でも、それだけじゃない。

 ちゃんと見て、ちゃんと測って、それで自分の立ち位置を決める女だ。


「そっちもね」


 私は笑う。


「掴みどころがないし、面倒だし、かなり厄介。でも、頼りにはなりそう」


「褒められたッス!」


「半分くらいは褒めてる」


「半分なんスか」


 樒がわざとらしく肩を落とす。

 でも、その顔はどこか嬉しそうだった。

 風臥兄さんが咳払いをひとつする。


「話はまとまったようだな。なら改めて言う。彼岸樒は、今日からお前の従者だ。閂と共に、お前の護衛と監督を務める」


「監督が余計なんだけど」


「余計ではない」


 即答だった。

 私は小さく肩を竦める。

 でも、嫌ではなかった。


 強い相手がそばにいる。

 しかも、ただ強いだけじゃなく、かなり厄介で、かなり面白い。


 東京へ行く前に、少しだけ楽しみが増えた気がした。

 樒がにこっと笑って、改めて頭を下げる。


「これからよろしくお願いするッス、神奈さま」


「うん。よろしく、樒」


 そう返した瞬間、胸の奥に残っていた戦いの熱が、ようやく少しだけ静まった。


 ――東京行きも、悪くないかもしれない。




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