23話 説教
閂に連れられて風臥兄さんの元へ向かう途中、私はずっと悶々としていた。
原因は、さっき朔影から聞かされた話だ。
まさか、輝夜に見られていたとは思わなかった。
している最中も気配には気を配っていたはずなのに、私に気づかせないなんて、輝夜の隠形術は私の感知能力を上回っている。
≪神奈さま。単純に蒼天とのセックスに夢中で、感知が疎かになっていただけでは?≫
(そんなことは、ないよ。……たぶん)
自分で言っていて、少し自信がなかった。
私だって人間だ。
食欲、睡眠欲、性欲くらい当然ある。
でも、だからといって性欲に呑まれるほどではない。
……ない、はずだ。
≪神奈さまが使用する霊剣・愛染明王の元々は、煩悩――愛欲や欲望を否定するのではなく、そのエネルギーを仏の道を求める力へと昇華させると言われています。ですから、恥ずかしがることはありません≫
(普通に恥ずかしいからね!)
心の中で叫んでも、羞恥が消えるわけではない。
むしろ太公望に理屈で肯定されるせいで、余計に逃げ場がなくなる。
愛欲を昇華とか、そういう問題じゃない。
見られていた、という事実がひたすら恥ずかしいのだ。
しかも相手が輝夜なのが、なお悪い。
私にとって輝夜は、ただの知人ではない。
妹分みたいな子だった。
放っておけなくて、少し危なっかしくて、それでも真っ直ぐで。
年下だからというだけではない。
どこか手をかけたくなるような、そういう距離感の相手だった。
そんな子に、見られていた。
よりにもよって、蒼天さまとしているところを。
思い出した瞬間、顔から火が出そうになった。
いや、たぶんもう出ている。
自分でも分かるくらい、頬が熱い。
知らない誰かに見られるのも嫌だ。
でも、それとは種類が違う。
妹みたいに思っていた子に見られるのは、もっと駄目だった。
何がどう駄目なのか上手く言えないけれど、とにかく羞恥心が変な方向に抉られる。
しかも、その事実を今このタイミングで知らされたのもひどい。
心の準備も何もないまま、いきなり過去の羞恥を掘り返されたようなものだ。
私は小さく息を吐いた。
考えれば考えるほど、いたたまれなくなる。
そのうえ、胸の奥では、さっき朔影から渡された月夜見の神気が静かに揺れていた。
冷たい夜気みたいな感触。
まだ完全には馴染みきっていないのか、意識を向けるとそこにあると分かる。
天照の神気とは違う。
あちらがどこか温かく、光を孕んだ感覚だとすれば、こちらは静かで、深くて、夜の底みたいだった。
同じ神気でも、こんなに質が違うのかと思う。
それだけに、さっきの口づけまで思い出してしまって、私はまた顔が熱くなった。
朔影は、悔しいけれど可愛い。
同性から見ても、整っているとか綺麗だとか、そういう言葉だけでは足りないくらい、素直に可愛いと思ってしまう顔立ちをしている。
しかも、あの距離で、あんなふうに不意打ちで来られたのだ。
動揺しない方が無理だった。
(……最悪)
≪神奈さま≫
(なに)
≪今、朔影のことを思い出しましたね≫
(思い出してない)
≪嘘です≫
(うるさい!)
心の中で太公望に八つ当たりしながら、私は前を歩く閂の背中を見た。
閂はいつも通り、背筋を伸ばして静かに歩いている。
足取りに迷いはない。
けれど、その横顔は少しだけ硬かった。
たぶん、これからの話が軽いものではないと分かっているのだろう。
私だって分かっている。
風臥兄さんがわざわざ呼ぶ以上、ただの説教だけで終わるはずがない。
京都の隕石の件。
酒呑童子の件。
陰陽寮や京華族の動き。
あるいは、私の今後のこと。
考えたくないことばかり、いくらでも浮かぶ。
そのうえ蒼天さままでいる。
羞恥でいっぱいだった頭に、今度は別の緊張が混ざり始めた。
蒼天さまは、婚約者候補の一人だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
――少なくとも、今はそう整理するしかない。
前世の記憶があるせいで、どうしても意識してしまう相手ではある。
けれど、向こうが私に特別な感情を向けているわけではない。
ただ、御三家の一人として、そして婚約者候補として、私を見ているだけだ。
分かっている。
分かっているけれど、だからこそ余計に落ち着かない。
どんな顔をして会えばいいのか。
普通にすればいい。
たぶん、それが一番正しい。
でも、その普通が難しい。
≪神奈さま。心拍数が上がっています≫
(うるさい)
≪羞恥と緊張が半々、といったところでしょうか≫
(分析しなくていいから)
太公望は本当に容赦がない。
こういう時くらい、黙っていてくれてもいいのに。
やがて、閂がある部屋の前で足を止めた。
屋敷の奥まった場所にある一室。
襖の向こうからは、二人分の気配が感じられた。
ひとつは風臥兄さん。
もうひとつは、蒼天さま。
分かっていたのに、実際に気配を感じると、胸の奥がどくりと鳴った。
閂が静かに振り返る。
「神奈さま。こちらです」
「……うん」
返事をした声が、少しだけ硬かった。
自分でも分かる。
閂はそれ以上何も言わず、襖の前に立った。
私はその一歩後ろで、無意識に背筋を伸ばす。
手のひらが少し汗ばんでいた。
怒られるかもしれない。
叱られるのは、たぶん当然だ。
でも、それだけじゃない気がする。
この襖の向こうには、私の知らない話が待っている。
逃げたい、とは思わなかった。
思わなかったけれど、気は重い。
閂が一度だけ私を見た。
その目は、確認するようでもあり、覚悟を促すようでもあった。
私は小さく息を吸って頷く。
すると閂は静かに襖へ手をかけた。
////////
閂が襖を開ける。
室内には、二人の少年がいた。
上座に座っていたのは風臥兄さん。
その隣には、蒼天さま。
視界に入った瞬間、胸の奥がどくりと鳴った。
分かっていた。
ここにいると聞いていたし、気配だって感じていた。
それでも、実際に顔を合わせるのはまるで別だった。
蒼天さまは、私の知る姿のままだった。
前世の記憶にある面影と重なる部分は確かにある。
けれど同時に、今ここにいるのは前世の誰かではなく、今を生きている蒼天さまだと分かる。
それでも、心臓は勝手に早くなる。
私は今、十二歳だ。
見た目も中身も、完全に前世のままというわけじゃない。
それなのに、前世の関係を知っているせいで、どうしても意識してしまう。
自分でも面倒なくらい、鼓動が落ち着かなかった。
≪神奈さま。心拍数が上昇しています≫
(言わなくていい)
私はなるべく平静を装って、二人の前へ進んだ。
「失礼します」
そう言って座ると、風臥兄さんがじっとこちらを見る。
怒っているというより、まず状態を見極めようとしている目だった。
「座れ」
「はい」
正座した私を見て、最初に口を開いたのは蒼天さまだった。
「神奈」
名前を呼ばれただけで、胸の奥がまた少しだけ跳ねる。
困る。
本当に困る。
「酒呑童子と戦った後だ。後遺症はないか」
声音は落ち着いていて、必要以上の感情は乗っていない。
ただ、確認すべきことを確認しているだけ。
それなのに、真正面から気遣われると妙に落ち着かない。
「……今のところは大丈夫です」
そう答えると、蒼天さまは私の顔色を確かめるように目を細めた。
「霊力の流れに乱れは」
「至って正常です」
≪酒呑童子との戦いよりも、蟄居していた時の方が酷かったですけどね。スキル【在りしへ還る】【傷、未だあらず】がなければ、霊力回路はボロボロになっていたでしょうし、霊力もどうなっていたか≫
(今は正常だから問題ないの)
「頭痛、吐き気、手足の痺れは」
「ありません」
問診みたいだな、と思った。
でも、こうして一つずつ確認されると、自分でも見落としていた不調がないか意識が向く。
蒼天さまはそういうところが昔から変わらない。
……いや、昔から、なんて言い方は変か。
少なくとも、私の記憶の中では。
蒼天さまはひとまず納得したように、小さく息を吐いた。
「そうか」
短い一言だったけれど、少しだけ張っていた空気が緩んだ気がした。
続いて、風臥兄さんが口を開く。
「俺からも聞く。身体は本当に問題ないんだな?」
「健康そのものです。疑うようなら、稽古を一緒にしますか?」
口で聞かれて答えるよりも、稽古をすれば相手の状態なんて自然と分かる。
それが分からないようなら、三流と評されても仕方ない。
「……まったく、お前という子は」
私の答えに、なぜか風臥兄さんは頭を抱えて深いため息を吐いた。
「閂からも、食欲も霊力も問題ないと報告は受けている。ただ……前よりも霊力が増しているようだが?」
「風臥兄さん。三日会わざれば刮目して見よ、という言葉があります。まあ、私は女子ですが、女子というものは男の人が思っている以上に早熟なんです」
スキル【我、未だ完成に至らず】の影響だ。
器を更新しているので、使える霊力が少しずつ増えている。そのため感知されやすくなっている。
ちらりと蒼天さまを見ると、私の返答がそんなにおかしかったのか、口元に笑みを浮かべていた。
……なんだか無性に恥ずかしい。
「はあ……まあ、いい。本題だ」
来た。
私は内心で身構える。
「どうしてお前は、禁術・牛頭天王を使えた。あれは素戔嗚家の禁術だ。お前には教えていないし、術式の書物を見る機会もないはずだ」
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
当然の疑問だ。
素戔嗚家の禁術に関する書物は、本家の地下に厳重に封印されている。
私はお盆と正月くらいしか本家に行くことがないのだから、風臥兄さんが疑問に思うのも仕方ない。
私が一瞬だけ言葉に詰まると、太公望から助言が来た。
≪神奈さま。事実をそのまま述べる必要はありません。適度にぼかしてください≫
(適度って難しいんだけど)
心の中で返しつつ、私はできるだけ自然に口を開いた。
「……前に、ネットで似たような記述を見かけたことがあって」
風臥兄さんの眉がぴくりと動く。
でも、止まれない。
「その時は半信半疑だったけど、非常時だったし、他に手がなかったから……試してみたら、たまたまできた」
言いながら、自分でも苦しい言い訳だと思った。
けれど、完全な嘘でもない。
今の時代、ネットの海には妙な情報が転がっていてもおかしくない。
……たぶん。
風臥兄さんは無言のまま、深くため息を吐いた。
あ、これは駄目なやつだ。
「神奈」
低い声だった。
怒鳴っているわけではないのに、かえって怖い。
「禁術・牛頭天王がどういう術か、どこまで理解して使った」
私は少しだけ視線を逸らした。
「……瘴気を利用して霊力を妖力へ変換し、己を妖魔へ近づけることで飛躍的に戦闘力を増す術、です」
「そこまで分かっていながら使用したのか」
「……うん」
私は頷いた。
「もしも、また同じ場面に遭うことがあれば、やっぱり私は躊躇わずに牛頭天王を使う。躊躇って、大事な人を失って後悔だけはしたくない」
風臥兄さんと蒼天さま、二人の目を見て、私はきっぱりと断言した。
蒼天さまが小さく笑う。
「良い目をしている。意思の強さは日緋色金のようだ。さすが素戔嗚の血筋だ」
「……蒼天さま。笑い事ではありません」
「笑っているわけではない。覚悟を評価しているだけだ」
蒼天さまは穏やかにそう言ってから、風臥兄さんへ視線を向けた。
「しかし風臥。お前も、もし神奈と同じ状況で、禁術しか手がない状態であれば、躊躇わずに使うだろう?」
「…………それは、そうですが」
風臥兄さんは苦い顔をした。
けれど、すぐに私へ向き直る。
「だが、それとこれとは別だ」
声音が、先ほどよりも少しだけ強くなる。
「覚悟の話をしているんじゃない。お前が妖魔化しかけた時、止める側がどれだけの代償を払うことになるかを言っている」
私は息を呑んだ。
「牛頭天王は、瘴気を躰に取り込み、自らを妖魔に近づける術だ。一歩間違えれば、そのまま妖魔化していた」
風臥兄さんの視線が真っ直ぐに刺さる。
「お前が戻ってこられたのは結果論だ。少しでも均衡を崩していれば、今ここにいるのは神奈ではなかったかもしれない」
その言葉は重かった。
分かっていたつもりだった。
危険な術だということも、まともな手段じゃないことも。
でも、改めて言葉にされると、その重みが違う。
「お前一人の問題じゃない。お前が妖魔化すれば、止める側にも被害が出る。最悪、討たなければならなくなる」
討つ。
その一言だけで、背筋が冷えた。
もし本当にそうなっていたら。
閂が。
風臥兄さんが。
あるいは蒼天さまが。
私を止めるために刃を向けることになっていたかもしれない。
想像したくもない。
私は膝の上で手を握りしめた。
「……ごめんなさい」
「謝って済む話ではない」
「うん……」
言い訳をする気にはなれなかった。
あの場では必要だったと思っている。
他に手がなかったのも本当だ。
でも、それで無茶をしていい理由にはならない。
風臥兄さんはしばらく黙っていたが、やがて何度目かのため息を吐いて言った。
「……今回の件で、お前に従者をつけることにした」
「閂がいます。――もしかして、閂を私から外す気ですか」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
風臥兄さんに向けるべきものじゃない。
それでも、咄嗟に抑えられなかった。
「違う。閂をお前から外す気はない」
風臥兄さんは即座に否定した。
「お前を窘められる数少ない存在を外して、暴走されては困るからな」
「……ありがとうございます?」
閂が私の側からいなくならないようで、ひとまず安心する。
「扉間家は守護を主とする陰陽師の家系だ。守りには優れるが、攻撃手段は乏しい。だから、お前には盾だけではなく矛も与える」
風臥兄さんが手を叩く。
すると、私が入ってきた側とは逆の襖が開き、一人の少女が入ってきた。
「歳は……十二だ。お前と同じ年齢で、同性の方が一緒に行動しやすいだろう」
少しだけ、年齢のところで間があった。
たぶん見た目通りの年齢ではないのだろう。
少女は人懐っこそうに笑って、ぺこりと頭を下げた。
「初めましてッス。私は彼岸樒。ただどこにでもいる美少女ッス。神奈さまッスね。これからよろしくお願いするッス」
読んでいただきありがとうございました。
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