21話 解錠
スキル【我、未だ完成に至らず】は、連続使用すると器の伸びしろが鈍る。
ある程度の間を置いてから行う必要があった。
今の私なら、【在りしへ還る】と【傷、未だあらず】を休みなく使い、一日に一回が目安。
そうでなければ、一週間に一回くらいだろう。
今日はもう、躰に霊力の耐性を持たせる修行を始めようとしたところで、扉がノックされた。
返事を待たずに扉が開き、閂が入ってくる。
「……神奈さま」
「はい!」
ベッドで横になっていた私は、閂の不機嫌そうな様子を見て慌てて起き上がり、姿勢を正して床へ正座した。
「どうして地下に閉じ込められているか、理解されていますか?」
「無茶をしたからです」
「その通りです。試験前に無茶はしないよう約束されたのに……」
閂の声音は静かだった。
静かだからこそ、かえって怖い。
怒鳴られる方がまだましだ。
露骨に呆れられる方が、まだ逃げ道がある。
けれど閂はそういうふうには怒らない。
淡々としていて、理屈立っていて、だからこそ誤魔化しが利かない。
私は正座したまま背筋を伸ばしていた。
けれど内心では、かなり縮こまっていた。
閂は、私が産まれた時からずっと世話係のようなことをしてくれていた。
食事を持ってきて、薬を管理して、体調を見て、必要なら風臥兄さんや周囲へ報告する。
私が何か隠そうとしても、たいてい見抜かれる。
ほんの少し歩き方が違うとか、呼吸が浅いとか、顔色が悪いとか、そういう僅かな変化にすぐ気づく。
だからたぶん、この一週間も何も知らないはずがなかった。
プレハブ小屋に閉じ込められている間、私が大人しく反省だけしていたとは最初から思っていなかったのだろう。
何かしら無茶をしている。
そう察しはついていたはずだ。
実際、その通りだった。
酒呑童子との戦いで、私はかなり無茶をした。
禁術・牛頭天王を使って瘴気を肉体へ取り込み、半ば妖魔化までした。
それだけでも十分危険なのに、さらに肉体から魂を抜いて戦った。
あと少し何かがずれていたら、私は本当に賽の河原へ行っていたと思う。
あの時のことを思い出すと、今でも背筋が冷える。
冷えるけれど、後悔はしていない。
していないから、余計にたちが悪いと自分でも思う。
目が覚めた後、私は怒られるものだと思っていた。
風臥兄さんにも、閂にも、当然のように叱られるのだと。
閂には、もしかしたら頬の一つや二つ叩かれるかもしれないとも思っていた。
それくらいは仕方ないと、覚悟もしていた。
けれど、実際は違った。
閂は怒らなかった。
怒鳴りもしなかった。
叩きもしなかった。
ただ、目を覚ました私の胸元に顔を埋めて、ずっと泣いていた。
声を殺して、でも全然殺しきれないまま、肩を震わせて泣き続けていた。
あれは、怒られるよりずっと堪えた。
叱責なら受け止められる。
自分が悪いのだと分かっているから、頭を下げて耐えればいい。
でも、ああやって泣かれるとどうしていいか分からない。
自分がどれだけ相手を怖がらせ、傷つけたのかを、言葉より先に突きつけられる。
しかも太公望まで、あっさりと私を見放した。
《神奈さまはすぐに無茶をするので、素直に受け入れてください》
あの時の太公望の声を思い出して、私は心の中で少しだけむっとする。
いや、言っていることは正しい。
正しいのだけれど、もう少しこう、庇うとか、そういうのはなかったのだろうか。
結局、どうすることもできなかった。
だから私は考えた。
無茶をしない、はたぶん無理だ。
本気の酒呑童子みたいな相手に、無茶をせず勝てるとは思えない。
だったらせめて、無茶をしても死なないようにするしかない。
無茶をした結果、ちゃんと戻ってこられるようにするしかない。
そういう結論に至って、私は太公望にバックアップしているスキルの中から、攻撃系ではなく肉体修復系を優先して戻してもらったのだ。
その時も、太公望には呆れられた。
《無茶をしないの方向性が間違っています》
まったくその通りだと思う。
思うけれど、仕方がない。
無茶をしないで済むなら、それが一番いい。
でも、たぶん私はそういう場面で止まれない。
だったら、せめて無事でいる方を優先したかった。
心配をかけないように。
――いや、もうその時点で十分に心配はかけているのだけれど。
私が黙り込んでいると、閂は小さく息を吐いた。
深い、深いため息だった。
ああ、これはたぶん全部ばれている。
そう思って、私はさらに背筋を伸ばした。
「……蟄居は、本日付で解除となります」
「え」
思わず間の抜けた声が出た。
怒られる流れだと思っていたのに、予想外の言葉が飛んできて、頭が一瞬ついていかなかった。
閂はそんな私を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「上で風臥さまがお待ちです」
びくっ、と躰が震えた。
風臥兄さん。
辿生してから、兄さんに会うのは初めてだった。
目が覚めてからも、ずっと会っていない。
忙しいのだろうとは思っていた。
ニュースで言っていた京都の隕石の件もあるし、昇進試験で酒呑童子が出現した件もある。
素戔嗚家当主代行として、今の兄さんが暇なはずがない。
それでも、いざ「待っている」と言われると、急に落ち着かなくなった。
前世の記憶にある風臥兄さんは、冷静沈着で、滅多なことでは感情を荒げない人だった。
優しいけれど甘くはなくて、必要な時にはきっちり叱る。
でも、感情で怒鳴るような人ではない。
だからこそ、余計に怖い。
「……行きます」
そう答えると、閂は静かに頷いた。
私は立ち上がり、軽く服の乱れを整えた。
この一週間、地下のプレハブで過ごしていたせいで、なんとなく自分が少し埃っぽい気がする。
実際には閂が最低限の身の回りは整えてくれていたから、そこまで酷くはないはずだけれど、気分の問題だ。
閂に促されて、私はプレハブ小屋の外へ出た。
外に出ると、地下空間のひんやりした空気が肌に触れた。
四方に張られた封印術の気配が、薄い膜みたいに空間を覆っている。
この一週間で感覚が少し鋭くなったせいか、前よりもその層がはっきり分かるようになっていた。
やっぱり、少しずつ変わっている。
そんなことを考えながら、私は閂の後について歩いた。
地下通路を進み、やがてエレベータの前に着く。
重い扉が開き、私たちは中へ入った。
扉が閉まる。
わずかな浮遊感とともに、箱が上昇を始めた。
その間、私は妙にそわそわしていた。
風臥兄さんに何を言われるのか。
酒呑童子の件か。
牛頭天王の件か。
それとも、別の何かか。
考えれば考えるほど落ち着かなくなって、私は無意識に指先を握ったり開いたりしていた。
やがて、エレベータが止まる。
扉が開いた瞬間、私は思わず目を細めた。
眩しい。
一週間ぶりの太陽だった。
地下の薄暗い照明に慣れていた目には、地上の光は少し強すぎた。
空気も違う。
風がある。
土と草と木の匂いが混じっていて、地下の閉じた空気とはまるで別物だった。
私は思わず、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そのまま数歩進んで、そして足を止める。
「え」
視界の先にあったものに、思わず声が漏れた。
屋敷の一角が、大破していた。
壁が吹き飛び、柱が折れ、屋根の一部まで崩れている。
ただ古びて傷んだとか、そういう壊れ方ではない。
明らかに、何か強い力で内側から叩き壊されたような破壊だった。
「アレ……どうしたの。襲撃でもあったの」
私が呆然と訊ねると、隣を歩いていた閂が淡々と答えた。
「……いえ。あの時の霊力の感じからして、風臥さまが霊力を解放されて破壊してしまったようです」
「風臥兄さんが?」
思わず聞き返す。
信じられなかった。
私の知る限り、風臥兄さんは滅多に怒らない。
少なくとも、屋敷を壊すほど感情を露わにする人ではなかったはずだ。
――私と違ってね。
でも、そんな風臥兄さんが感情を爆発させるなんて。
いったい何があったのだろう。
そう思って壊れた一角を見ていると、不意にその瓦礫が揺らいだ。
次の瞬間、崩れていた柱や壁材が、まるで動画の逆再生みたいに動き始める。
砕けた木片が宙を滑り、折れた柱が元の位置へ戻り、割れた壁が継ぎ目もなく繋がっていく。
散っていた破片が吸い寄せられるように集まり、壊れる前の形へと復元されていった。
私は目を見開いた。
この霊力の質には、見覚えがある。
静かで、澄んでいて、けれど芯のところでひどく強い。
時間や状態そのものへ干渉するような、あの独特の感触。
「あのさ」
私は少しだけ声を潜めた。
「もしかして……蒼天さまがいらっしゃったり、する?」
「はい。もう一週間近くご滞在です」
「そ、そうなんだ」
返事が少しだけ上ずった。
蒼天さま。
前世では、好きだった人。
好きで、男女の関係にもなって、婚約者として発表される直前までいった相手。
今の私は、前世の私ではない。
そう頭では分かっている。
分かっているけれど、記憶がある以上、まったくの他人みたいには思えない。
どんな顔をして会えばいいのだろう。
普通にすればいい。
たぶん、それが一番だ。
でも、その「普通」が分からない。
そもそも今の私は、まだ子どもだ。
前世の関係をそのまま持ち込む方がおかしい。
おかしいのだけれど、だからといって何も感じないほど割り切れてもいない。
胸の奥が、妙に落ち着かなかった。
閂はそんな私の様子に気づいているのかいないのか、何も言わずに先を歩く。
私はその背中を追いながら、内心で小さくため息をついた。
風臥兄さんに会うのも気が重い。
蒼天さまに会うのも、別の意味で気が重い。
一週間ぶりの地上は、思っていたよりずっと眩しくて、そして落ち着かない場所になっていた。
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