02話 修羅道無限回廊
懐かしい出来事を……夢として見ていた。
炎だった。
全身を包む白い炎の中で、私は静かに燃えていた。
走馬灯というのは、もっと色鮮やかなものだと思っていた。幼い頃の記憶や、好きだった景色や、大切な人の笑顔が、映像として次々と流れていくものだと。
でも実際には違った。
最後に浮かんだのは、たった二つの顔だけだった。
一つは、蒼天さまの顔。
黒い杖矛を握りしめ、こちらへ手を伸ばしながら叫ぶ、あの表情。憎しみではなく、困惑でもなく――止めようとしていた。私を、止めようとしていた。
それを理解できたのが、燃え尽きる寸前だったことが、ひどく悔しかった。
もう一つは、月光輝夜の顔。
満足げに微笑む、あの表情。
私は彼女のことを何も思い出せないのに、あの笑みだけは焼き付いて離れない。まるで最初から、そこだけを覚えておけと刻まれたかのように。
その二つが重なって、白い炎の中に溶けて、消えた。
――朦朧とした意識を覚醒させて、瞼を開けると、星空が広がっている。
躰を起こそうとするものの、うまくバランスを取ることができない。腕に力が入らない。指先の感覚が遠い。どうやら私は、ひどくやられているらしかった。
《宿主さま。……申し訳ございません。スキルは全て停止または破壊され、バックアップを引き出すにも、時間が、足りません》
「――そう」
太公望の声が脳内に響く。
その声音はいつもより細く、どこか痛みをこらえているように聞こえた。長い時間を共に潜ってきたせいか、声の機微だけで状態が分かるようになっていた。太公望もまた、限界に近いのだろう。
太公望は、ここ――修羅道無限回廊で手に入れたサポートスキル。
そこで私は思い出した。
そうだ。
私は負けて、死にかけているんだった。
前回、【火之迦具土】で死ぬ際は、走馬灯なんて見ることがなかった。あの時は燃えながら意識を手放して、気づいたら賽の河原に立っていた。今回は違う。負け戦の果てに、じわじわと意識が擦り切れていくような、この感覚。
なるほど、あれが走馬灯というやつか、と、妙に冷静に納得していた。
「あと……もう一階降りることが出来たら……無量大数だったのに……心残りだなぁ」
声に出したら思ったより元気そうな台詞になった。
でも本当にそう思っていた。悔しいとか怖いとか、そういう感情より先に、あと一階という惜しさが来るのだから、我ながら大概だと思う。
ここは修羅道。
【火之迦具土】で自焼した後、たどり着いたのは賽の河原だった。石を積んでは鬼に崩され、また積んで、また崩される。子どもたちに混じって同じことをやらされるのかと思ったら、閻魔王の審判が先に来た。修羅道へ堕ちる、という判決だった。
続けて泰山王に呼ばれ、無限回廊へ潜るよう命じられた。有無を言わさぬ命令だったが、内容を聞いた瞬間、正直なところ少しだけ嬉しかった。ダンジョンを潜るのは、嫌いじゃない。
修羅道無限回廊――。
無限に続くダンジョンをひたすら潜り続けさせられる場所だ。
自動生成されるダンジョンは、潜れば潜るだけ出現する魔物も比例して強くなっていく。当然、死ぬリスクも高まる。ただ、潜るのは亡者、つまり死人だ。死んでも消えるわけではなく、一階に戻される。それまで手に入れた武器・アイテム・スキルは全て無くなり、ゼロの状態から再スタートとなる。
何度も死に、何度も戻り、また潜る。その繰り返しの中で悟りを開き、魂が浄化されることで、平等王、都市王、五道転輪王の再審を受け、人道または天道へ転生する仕組みとなっている。
私は数えられないほど繰り返し潜っていて、いまだ悟りを開けていないためか、再審は受けられていない。
まあ、今が一番楽しいから全然いいのだけど。
悟りを開いたら潜れなくなるということだろうし、それはそれで少し惜しい気がしていた。
今回、初めて不可思議の最終深階層までたどり着いたのだけど、そこはイレギュラールームだった。
そこに出現するのは、今の私の百倍強い私のシャドウが、無数に現れては襲ってくるというものだ。
百倍――実力でいうと無量大数階層にいるレベルの私、ということ。
時間、空間、因果、概念。
停止した時間の隙間へ滑り込み、斬られるより先に過去の自分へ傷を押し戻す。
折り畳んだ空間の裏側から刃が飛び出し、回避したはずの一撃が背中を裂く。
必殺へ至る因果を繋ぎ替え、致命傷だったはずの攻撃を「かすり傷だった結果」へ捻じ曲げる。
さらには再生という概念そのものを断ち切られ、砕けた肉体が修復すら許されず崩れ落ちる。
ありとあらゆるスキルを互いに駆使し、破壊され、再生し、消滅し、復元する。
私が私を壊し、私が私に壊される。無数の私と戦い続けた果てに……私は負けて、死にかけている。
今までならゼロから、一階からやり直すことへの抵抗は感じなかった。
むしろリセットされるたびに、また一から積み上げる過程が好きだった。
でも、今回は違う。
スキルがリセットされるということは、太公望ともお別れということだ。
無限回廊を幾度となく潜っているけれど、太公望と出会えたのは今回が初めて。きっと希少スキルなんだろう。次に潜ったとして、太公望に出会える可能性はかなり低い。
仮に運良く太公望と出会えたとしても、その太公望は不可思議の最終深階まで一緒に潜った太公望じゃない。
同じ名前で、同じ声で、でも何も覚えていない。
それはもう、太公望じゃない。
まるで半身が消滅してしまうような、そんな消失感が胸の中にじわりと広がっていた。
《宿主さま。此から提案があります》
「提案?」
《【八門遁甲】による輪廻逆行辿生を行うのです。無限回廊のシステムより早く、この術を使用して発動すれば、宿主さまが得たものを失わずに済むかと思われます》
「……でも、スキルとかほとんど使用不可能なのに、可能なの?」
《これはスキルではなく霊力を使った術ですので可能です。それに運が良いことに、宿主さまと同じに近いのが必要数以上います》
太公望がこういうからには成功確率が高いんだろう。
それに私としても太公望とは別れたくない。一緒にいられる可能性があるなら、それに賭けたい。
もともと、賭けは嫌いじゃなかった。
「分かった。いいよ。その輪廻逆行辿生を行おう」
《承諾。この術は精密操作を行うため、申し訳ありませんが、一旦、宿主さまの肉体を操作する権限をいただきます》
「うん。すきにやっちゃって」
五感が消え、私と太公望が入れ替わった。
躰の主権が、太公望へと移る。
気づけば私は自分の内側から外を眺めている。不思議な感覚だった。自分の手が動いているのに、動かしているのは自分ではない。自分の喉が息を吸っているのに、それを感じているのは別の場所にいる自分だ。
このまま太公望が私の肉体を奪って好き勝手するのは可能だ。
でも、そうはならないと分かっていた。
太公望の王佐のスキルを使うには、私では値しないと思われたとしても、それならそれで仕方ないとは思う。でも太公望はそういう存在じゃない。数えきれないほどの深階層を共に潜り、何度も死に、何度も戦ってきた。その全てが、信頼の積み重ねだ。
「宿主さまを乗っ取るなどありえません」
太公望の声が、今度は口から出た。私の声で。
内側から聞くと、少し違って聞こえる。
《例えばだよ。乗っ取られても諦めが付くぐらいには信頼しているってこと、相棒》
内側から私が答えると、太公望は少しの間、沈黙した。
「……此も、です」
《ありがとう。そうだ。これが成功したら、私のことは「宿主さま」じゃなくて。名前で呼んでよ》
その言葉に、太公望は少し驚いたようだ。
「! 此は、スキル、ですよ」
《スキルだとしても、生死を乗り越えて一緒に居られるのなら、もう私の半身っていっても過言じゃないでしょ。なら、「宿主さま」じゃなくて名前で呼んで欲しい》
「――わかり、ました。必ず、成功させてみせます」
まず太公望が発動させたのは、霊糸という術だ。
青白い霊力でできた糸を相手の神経に侵食させて操ることができる。繊細で、精密で、よほど霊力の制御が上手くなければ扱えない術だ。今の満身創痍の状態でこれを使えるのかと思ったが、太公望は迷いなく発動させた。
私から無数の霊糸が放出され、瀕死の状態で辛うじて生きている私のシャドウに侵食した。
青白い糸がシャドウたちの輪郭を這い、神経の奥へ奥へと食い込んでいく。侵食されたシャドウは合計で八体。操られるままに私の元へやってくると、取り囲むように配置され、術を発動させた。
「八門遁甲――死門――解放――終止」
「死門は終焉の門。前生の殻を焼き、余剰の因果を灰へ還す」
「八門遁甲――傷門――解放――刻印」
「傷門は代償の門。払うべき価を魂へ刻み、力の痕として残す」
「八門遁甲――驚門――解放――撹乱」
「驚門は分岐の門。宿命の軌道を乱し、新たな枝を生む」
「八門遁甲――景門――解放――顕現」
「景門は顕現の門。秘めた資質を映し、魂に刻まれた才を顕す」
「八門遁甲――杜門――解放――遮断」
「杜門は遮断の門。呪と悪縁を閉ざし、外より伸びる糸を断つ」
「八門遁甲――休門――解放――緩衝」
「休門は静止の門。記憶を凍てつかせ、来たる時まで眠らせる」
「八門遁甲――生門――解放――循環」
「生門は循環の門。魂と器を巡らせ、新たな肉体へ調和させる」
「八門遁甲――開門――解放――始動」
「開門は始動の門。選び定めた時と場へ、輪廻を再び開く」
八人の私が八門遁甲を発動させると、八色の鳥居が出現した。
朱、青、白、黒、金、紫、緑、灰。八色がそれぞれに異なる輝きを放ち、円を描くように並んでいる。その中心に私がいて、霊力が螺旋のように渦巻いていくのが分かる。髪が風もないのに舞い上がり、着物の裾が激しくはためく。
「【輪廻逆行辿生】……輪廻を逆行して今まで生きた道を辿り転生する禁術です。本来なら開門から入り死門に至り死ぬ術ですが、アレンジを加え逆にしました。死門から入り開門に至ることで転生ができるように。この術は、転生させる本人と同等以上の霊力を持つ者が八体必要でしたが、ちょうどよくいてくれました」
まるで嵐の中心部にいるようだった。
八門遁甲を発動させた術者の私のシャドウは、霊力の放出が激しいためか、少しずつやつれていっている。輪郭が薄れ、形が崩れ始めている。自分の残像が消えていくのを見るのは、妙な気分だった。
「では、宿主さま。行きます」
《うん》
内側から、私は答えた。
短い言葉だったけど、それ以上は要らなかった。
「禁術:八門遁甲・輪廻逆行辿生!」
死門の鳥居に身投げするように太公望は飛び込んだ。
八色の光が一点に収束し、螺旋が爆発するように広がる。
轟音も、衝撃も、なかった。
ただ、静かに、すべてが白くなり――。
そこで私の意識は完全になくなった。
読んでいただきありがとうございました。
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