第七話 私の名前で話す
第一問は、評論文だった。
才能と努力をめぐる文章。筆者は才能を、「結果が出るまでの時間に耐えられること」と言い換えている。
「問一 傍線部『努力は、結果が出る前の時間にしか存在しない』とはどういうことか、本文に即して説明せよ」
残り時間から逆算して、第一問に使えるのは28分。
傍線の前後を読む。筆者が並べて比べているのは、結果が出た人と、まだ出ていない人。
本文の文字が、途中から滲んで読めなくなる。
袖で目元を押さえて、同じ段落の頭から読み直した。
「試験開始から、1時間が経過しました」
問われているのは、筆者の主張の説明だ。私の話を書く欄は、どこにもない。
解答欄の1行目に、「結果が出たあとから見れば」と書く。2行目の途中で、また文字が滲む。
鉛筆を止めずに、袖で拭う。
問二、問三と進んで、問四の記述は字数の上限の3字手前で止めた。
「残り5分です」
監督の声で顔を上げると、解答用紙の端に、小さな水のしみが一つ残っている。
*
1日目の最後の科目が終わったのは、夕方の5時過ぎ。
門の外で、有馬先生の車が待っていた。後部座席の窓から、有馬くんが手を振っている。
車が走りだしてしばらくして、先生がバックミラー越しに言った。
「柚葉。うちの娘になれ」
「……え」
「部屋の用意なら、私と恒でできる。数学のできる娘なら、爺さんは踊って喜ぶ」
「父さん、それ、爺さんって自分のこと?」
「ほかに誰がいる」
「日野さん、父さん本気だよ。2階の奥の部屋、ずっと物置だったけど、片づければ使える」
私は膝の上で、鞄の持ち手を握った。
「先生。私、お返しできるものが、何も」
「返さなくていい。明日も試験があるだろう、今夜はうちで寝なさい」
先生の家の食卓には、鶏の照り焼きと、ほうれん草のおひたしと、豆腐の味噌汁が並んでいた。
「柚、醤油を取ってくれ」
箸を持ったまま、先生が言った。
有馬くんの手が、味噌汁のお椀の上で止まる。
「……父さん、いま柚って」
「呼びやすいだろう」
先生はもう、照り焼きのほうに箸を伸ばしている。
有馬くんが、私のほうを向いた。
「あのさ。俺も、柚って呼んでいい?」
「いいよ。じゃあ私も、恒って呼ぶ」
「……うん」
恒はそれきり下を向いて、ご飯を三口続けて食べた。
*
26日の英語の長文には、1月に単語帳で覚えた単語が3段落目に続けて出てきた。最後の科目まで解き終えて、鉛筆を置く。
3月の初めに、実家から本と服を運び出す。立ち会ったのは有馬先生と恒で、父と母は奥の部屋から出てこなかった。
市役所で分籍届を出したとき、窓口の人が一言だけ付け加えた。
「分籍しても、ご両親との親子関係がなくなるわけではありませんので」
「はい。知っています」
大学の学費は、返還不要の奨学金で賄える。本人負担の欄には、0円と印字されていた。
*
卒業式の日、体育館の壇上で、久我校長がマイクの前に立った。
「卒業生代表、日野柚葉」
私の名前が、最初に呼ばれた。
答辞を読み終えて席に戻る途中、後ろの席の二人が、通路の端で私を待っていた。
「日野さん。あのときは、悪かった」
「俺も。悪かった」
二人とも、それだけ言って頭を下げた。
「うん。……二人とも、大学でも途中式は書いてね」
「書く書く。日野さんに見せられるくらいには」
二人は顔を見合わせて、少し笑った。
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3月の半ば、有馬家に国際郵便が届く。
差出人は『形式論理学年報』の編集長。査読を経て、論文が採録されたという知らせだった。
「長年この問題に挑み、果たせなかった者の一人として、あなたの証明を読めたことを嬉しく思います」
手紙の最後には、もう一枚、別の紙が重ねてある。
北米のエルノート市で開かれる、国際数理論理学研究集会への招待状。招待講演者は12名で、アジアから招かれたのは私一人だった。
「エルノートか、私も若いころに一度行った。冬は寒いぞ」
「夏です、先生」
同じ週、東央大学の合格発表の画面に、私の受験番号が並んだ。
その晩のニュースの終わりに、短い映像が流れた。
「高校3年生の論文、国際誌に採録 30年来の未解決問題」
「柚、これ。アジアから一人って、ニュースでも言ってる」
恒がリモコンで音量を上げた。
台所で電気ケトルに水を入れる。内側の目盛りの、1.0の線まで。
「先生。私、湊南大学に行こうかと思ってて」
お湯が沸くのを待ちながら言うと、先生は新聞をたたんだ。
「どうして」
「先生のところで、研究を続けたいし。いろいろ、お返しも」
「柚」
先生は、私の目をまっすぐに見た。
「私に恩を返すために、進学先を変えるな。君が行きたい大学を選びなさい」
ケトルのスイッチが、かちりと上がる。
*
18歳の夏、私はエルノート市にいた。
旅程表と航空券は、大学の事務の人がまとめてくれた茶封筒に入っている。封筒の角は、機内で何度も出し入れしたせいで丸くなっていた。
会場の廊下の壁に、額縁を外したあとの四角い跡が一つ残っていた。周りより、少しだけ壁紙の色が濃い。
控室でプログラムを開く。
「Yuzuha Hino」
自分の名前が、12人の招待講演者の中に印刷されている。
持ち時間は40分。最後のスライドには、謝辞を一枚。
有馬徹三教授。その下に、有馬恒。
「約束通り、入れたからね」
会場に向かう前、日本にいる恒にそれだけ送る。返信は、時差を無視してすぐに来た。
「拡大して、父さんに見せる」
演台に立つと、客席のいちばん後ろまで、紙の束を膝に載せた人たちが座っていた。最初のスライドを出して5分で、声の震えは止まる。
客席の後ろには、どこかの放送局のカメラが2台並んでいる。
質疑応答で、前列の年配の研究者が手を挙げた。
「第3節の補題は、この弱い体系の中だけで閉じていますか」
会場のざわめきが引いていく。
私はホワイトボードの前に戻り、トレイからマーカーを一本取って、キャップを外した。




