朱田波美編・第7話:マハラジャ回
あのハロウィンの一件から、私と朱田さんは、なんやかんやでメールのやり取りだけで繋がっている状態が続いていた。
そんなある日、しばらくぶりに朱田さんからデートの誘いが来た。行くしかないよね、とは思ったものの、待ち合わせ場所を聞いて正直な気持ちは「行きたくない」だった。六本木、というのだ。
当日、電車で六本木まで向かった。待ち合わせ場所で合流し、挨拶を交わしてからお店へ向かう。案内された先は、なんとマハラジャ六本木だった。
気後れする私。それはまるで、散歩の帰り道に「お家に帰りたくない」と駄々をこねる秋田犬(白デブ)のような気分だった。
「ねぇ、大丈夫ですよ、はやくー」
朱田さんのその一言が、まるで首に繋がれた見えないリードのように、私をぐいぐいと引っ張っていくのだった。
店内に入る。重い防音扉を開けると、そこは別世界だった。
いきなり、黒を基調とした青や紫色の光の世界。レーザー光が飛び交い、ダンスミュージックと共に重低音が腹に響く。雑魚モンスターがひしめき合う空間、といった感じだった。
「な!いきなりフロアボス攻略タイムかよ!」
もう今すぐログアウトしたい。焦る私。
私は、しぶしぶ。朱田さんは、ノリノリ。そんな二人で、立ち飲み席に着いた。
お酒を注文する。よく分からなかったので、「ソルティードッグ」を頼んでみた。ほんと、「しょっぱい犬」だな、と自虐気味に思う。
お酒が届き、乾杯する。店内の音楽が響きすぎて、会話らしい会話もできない。朱田さんは、ダンスフロアの方で身体をくねらせ始めた。
スゲー絵面である。
私は踊る気などさらさら無く、一人でやることも無かったので、脳内でまた、「パラレル思考(きわめて高度なごっこ遊び)」の演算が、静かに始まった。
パラレル思考の中では、軍服を着た軍人を選び、脳内FPSを始めていた。
ポンプアクション式のショットガンを構え、目立っているモンスターからクリアしていく。リロードして、また、クリア。
なかなか面白くなってきた。もう楽しくて、ニヤニヤが止まらない。目の前で踊り狂う「ウェイ」や「ピエン」たちを、片っ端からクリアしていく。
最高に楽しい。
まぁ、ごっこ遊びなんだけどね。
そんな感じで時間は過ぎていき、帰宅しなければならない時間になったので、マハラジャを出た。
急に大粒の雨が降ってきたので、駅に滑り込み、山手線で朱田さんのアパート方面へ二人で移動した。
朱田さんの最寄り駅に着いたところで、「アパートまで送りましょうか」と告げると、ゴキブリを見るような目つきでこちらを睨まれた。
「駅から徒歩5分もかからない場所なので、いっちさんはそのままお帰りください」
「そうですか、それではお気をつけて」
それだけ挨拶を済ませ、私はそのまま電車に乗り続けた。
3駅ぐらい過ぎた頃、「本日はありがとう、楽しかったですね!」とメールを送った。
いつもなら、挨拶程度でもすぐに返信が来るのに、今回は返事が無かった。
俯瞰する心は、勝手にこう結論づけていた。
——あの眼力は、切羽詰まっていたんだな。多分、踊り狂って腸が刺激されて、ウンコがしたくなっていたんだろう。彼女は本当に切羽詰まっていたんだよ。ウンコだけに、詰まってた(笑)
私はマンションに戻り、舞と一緒に眠った。
お昼ちょっと前、朱田さんから電話の着信があった。
消え入りそうな声で、「たすけてください」と、、、。
突然のことだったが、とりあえず今どこにいるのかを確認した。「アパートにいるなら、そこで待ってて。すぐに電車で向かうから」と告げ、舞を社長に預けて、電車に飛び乗った。
朱田さんのアパートに到着した。会話もほとんど無かったが、その表情はとても暗く、昨晩身体をくねらせて踊っていた人とは、まるで別人だった。
「私のマンションに来て、ゆっくりする?」と聞くと、泣きながら「うん」と返事が返ってきた。下着などの着替えをカバンに入れてもらい、事務的に連れ出した。
電車に乗る朱田さんの姿は、視線が定まっていない感じだった。何処か遠く、ここではない場所を見つめているようだった。
俯瞰する心が、静かに察知する。——あれだ、あれ。私が都落ちする時の新幹線が大宮を過ぎた時の、あれだ。
この流れは、ヤバい案件だな。
私のマンションに到着した。ゆっくりしてもらう目的も兼ねて、お風呂を沸かし、ミルク系の入浴剤と黄色いアヒルちゃんを投入した。朱田さんには、湯船にゆっくり浸かってもらうことにした。
お風呂に入っている朱田さんに、ドア越しに一言かける。
「コンビニで買い物してくるから、ゆっくりしてて」
はっきりとした声ではなかったが、返事が聞こえたので、脱衣所に開封前のルームウェアセットを置いて、お弁当と飲み物を買いに出かけた。
お弁当は、あっさり系のものと幕の内弁当、レトルトのお粥。お水に、お茶に、カルピスウォーターに、プリン。とにかく、気に入りそうなものを片っ端から買った。
しばらくすると、ドライヤーの音が聞こえてきて、少しホッとした。
いつもの小さな四角いテーブルに、飲み物を並べておいた。朱田さんは、なぜかアヒルちゃんを手に持っていた。
「お腹空いてない?」
「あまり食欲がないです、、、。」
「でも、ちょっとでいいから食べようね!?」
「うん、、、。」
口数は少なかったけれど、電車の中にいた時よりも、少し元気が戻ってきているようだった。
朱田さんは幕の内弁当とお水。私は残り物をいただく。ひたすら無言で食べ進めた。
朱田さんはお弁当をだいぶ残していたが、無理には食べさせなかった。弁当などを片付け、飲み物とアヒルちゃんだけが残るテーブルになる。
朱田さんは、少しずつ話し始めた。
「電車を降りて、小道に入ったところで、トラックがぶつかりそうになって、、、雨も降っていたから、、、」
そこまで言ったところで、泣き出してしまった。涙が止まるまで、私はただ待った。
そして、提案した。
「二人で、お布団を敷きましょう。そして、寝ろ!」
実は、こーちゃんが遊びに来てくれた時用にと新品を用意していた布団があったので、それを下ろした。テーブルを片付け、布団を敷くのを手伝ってもらい、朱田さんにはお休みいただいた。
私は一旦工房に戻り、仕事の雑務を処理しながら、時間を潰した。
4時間ほど経った後、様子を確認するためマンションへ向かった。(この時期、私のマンションは工房から徒歩3分のところにあった)
鍵を開ける音で、朱田さんは目を覚ましてしまったようだった。ずいぶんと顔色が良くなっている。少し安心した。
寝ぼけ眼の朱田さんに、舞ちゃんを連れてきていいか確認すると、「OK」とのことだった。舞を連れてきて、私はシャワーを浴び、ジャージ姿になって、雑談を始めた。
朱田さんには、バツイチであることは話したことがあったが、元嫁のことは一度も詳しく話したことが無かった。今日は、ざっくりとお話することにした。
馴れ初めから始まり、結婚生活のこと、一次性頭痛(オスミウム・クローの呪い)のこと、そして最後には——完全犯罪だったこと。
ちょっとだけ、盛り上げるように話をした。もちろん、虚偽の報告をしたわけではない。ただ、朱田さんに少しでも元気になってほしかっただけだ。
どんな時も、女性は恋バナが好きなものらしい。朱田さんは、ちょっとだけ笑ってくれた。
夜も更けていく。二人は舞を挟んで、別々の布団に横になったまま、話を続けていた。
朱田さんは、私の方ではなく反対を向いたまま、少しずつ昨晩のことを話してくれた。
「雨が降っててよく見えなかったんだけど、トラックにクレーンが付いていて、アメリカンバイクが積んであったの。ものすごい勢いで道から出てきたから、びっくりして」
トラック自体には接触していなかったが、トラックから垂れていたロープが朱田さんのミニポシェットに引っかかり、そのまま転倒した。その拍子に意識を失い、目が覚めた時にはドロドロになっていたという。要約すると、そんな内容だった。
その後、交番に行ったが、「車と接触していないし、現状では何ともできないので、病院へ行って検査してください」と言われたとのことだった。
なるほど、理解した。だから、電車の中でメールを送った時、返信が無かったのか。原因がはっきりした。
事故に遭っていたんだ。
怒りが込み上げてきた。
朱田さんは、たどたどしく話を続けた。
病院で検査が終わり、待合室で結果を待っている間、4人に電話をしたのだという。
「今は忙しい」「今は無理」「今は駄目」「今は行けない」
皆、同じような返事だった。誰も、私のことを庇ってくれなかった、と。
怒りで爆発しそうだったところに、何か爆弾を投下されたような衝撃が走った。
しばし、無言で考える。
私の口から出てくる言葉は、「なるほど、なるほど、、、」それだけだった。
俯瞰する心は、もう冷静だった。——私は、親戚のお兄ちゃんルート確定、なるほど、、、。
このくらいのダメージなら、Aボタンジャンプで軽くクリアできる。
完全犯罪並みのクズっぷりだな(笑)。
特盛の怒りと自身への落胆が押し寄せた。
なんだか、面白くなってきた。
色々と脳内の演算が整い、私は朱田さんに語りかけることにした。
布団の上で正座をし、誠意をゆっくりと伝える。
「そんな出来事があったんだね。痛かったね、怖かったね、不安だったね。朱田さんは凄いよ。もう乗り越えたんだよ、だから凄いよ」
全肯定だった。朱田さんは、鼻をすすっている。
「神は乗り越えられる試練しか与えない、とか言うけど、あれ、希望が無いよね、、、」
「まぁ、だから、試練を乗り越えたらゲームのステータスが上がるとして——でも現実は厳しいから、目に見えては変わらないんだよ。無理やりだけど、隠れている属性。そう、隠れ属性が爆上がり!って考えれば、希望と根性と努力で乗り切れるかもしれないんだよね」
「今の状況は、人生のバイオリズムで言うところの、波が下の方に下がっていく時期なんだよ。無理してもあがいても、登れない時期なんだよ。今は無理をしないこと。ゆっくりすることが、一番大切な時期なんだよ」
「ん、そうだな、、、」
「深い水底に向かって沈んでいくときは、目を瞑っちゃダメなんだ。映画のサスペンスシーンでベッドの下に隠れる子供みたいに、目を開けて現実を見るんだ。寄り添う人と、あざ笑う者が、よく見えるから」
「そして底まで落ちたら、一度だけ全力で踏ん張ってジャンプするんだよ!猫の喧嘩の猫足キックみたいな感じでさ!」
そう伝えた。
すると朱田さんは、正座で語る白デブの方を見て、涙と鼻水を垂らしながら、不細工な顔でにっこりと笑った。
次の日、帰り際に、あの黄色いアヒルちゃんをお土産として朱田さんに渡した。朱田さんをスクーターに乗せて最寄り駅へ向かった。電話で連絡していたらしく、朱田さんのお母さんが迎えに来ていた。
私は少し離れたところにいたが、お辞儀をすると、朱田さんのお母さんも気づいたらしく、こちらにお辞儀を返してくれた。
その後、メールなどの連絡は途絶えた。
けれど4年ほど後、朱田さんからプロポーズの相談を受けることになる。
【ステータス更新】
本当に大変な時ほど、見当違いな心配をしてしまうのも、優しさの一つの形だよ。
隠れ属性「斜め上の気遣い」耐性、上昇。アンタのその神マインドまじ国宝だから、やさしさそのままで、進んじゃお!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
朱田波美編はここで一区切りです。
次回からは少し時間や視点を変えたお話になりますが、朱田さんとの物語は4年後、思わぬ形でまた戻ってきますので、よろしければそちらもお楽しみに。




