蒼い眼と接吻を
逢うのも気まずい昼下がり。どうせ笑みの一つも浮かべない情け無用のアレキシシミア。泣きもしなければ感情一つ顔に出さないつまらない狼だ。
重い足取りでも引きずって、巴椰はその部屋の戸のノブに手をかけた。
軋む音。暗い部屋に、廊下の陽が目一杯差し込んでいく。
「ノックくらいできないのか」すぐさま自分を刺したのは、その文句だった。
室内に入ってから当てつけのように内側からノックしてやり、巴椰は土産として持ってきた二杯のアイスココアをサイドテーブルの上に並べた。
ベッドで自分と同じように読書を楽しんでいたらしい彼は、ふっと顔を上げてその蒼い眼にヒトを映した。
白に戻った黒い彼をまじまじと見つめ、先に口を開いたのは巴椰だった。
「シェリーさん、回復してるってさ。見舞いくらい行けよ」
「別れて殺されかけた女の元へか。自己防衛本能の欠如だな、ありえん」
「それが腕吹っ飛ばした奴の言う台詞かよ、馬鹿狼」
どうしたって喧嘩腰になってしまうのは何故だ。この性格が悪いのか、綺麗な顔が悪いのか。判断が付かないが全てという可能性も否定しきれない。
遠慮なくその縁に腰掛け、巴椰は話したかった事柄をまず口に出した。どう話していいか困ってたどたどしく、つっかえながら。
「シェリーさん、に、聞いたんだけどさ。その、ブレットの昔話」
「やはりそうか。構わないよ、それの予想は付いていた」
だったら話が早い、というものでもないのだが。長々と感情混じりに語られたハナシの数々は、想像を絶して自分の頭の中に刻まれてしまった。
騒がしいのは来てほしいときには来ず、巴椰はうつむき加減に続けた。
「すごく、愛されてたんだって?シェリーさん、そればっかり言っててさ。そりゃその見てくれがあったらどんなヒトでもなびくだろうけど」
「そんなこともあったな。で、あの女は他には何をお前に吹き込んだんだ」
「、大したことじゃないんだけど、諸々」
あのヒトの主観的な話だっただけに、口で言えることと言えないことがごちゃ混ぜ状態なのだ。特に好きな女のタイプだとか何をされたときが嬉しかったのだとか、その類は自分に話されても至極困った。曖昧な反応や否定をすると迷わず睨まれ、肩をつかんで揺さぶられた。
「諸々とは?」逃がしてはくれず、追及の言が追い立てた。
「……情事だの、あんたが他人にどれだけ冷徹に接してきたかだの。どうしろっての」
「あァ、それならあいつはいつも通り平常運転だった訳だな。それで、どう思った?」
「いや、別に。愛されてんなぁ何でフったんだろうなぁとかそんなことだけ。あのヒト迂闊なこというと殺気漲らせて睨んでくるし……」
「……それだけか、お前」
何かご不満らしく、その眼は不可解さとほんの少しの苛立ちを含んでこちらを見ていた。一体何が言いたいのかはっきりとせず、読み取れずにいるのも現状だった。
うん?と聞き返すも、彼は呆れたかのように頭を掻いて舌打った。
「お前はとことん嘘か何なのか解らないな。馬鹿にしているにしては芝居が巧すぎるよ」
「してないしてない。そうじゃなくて、何が言いたいのかはっきりしろ」
「もういい。敢えて身体が拒否反応を起こしているものと仮定した。言葉で伝えるのはあまり趣味ではないんだがな」
のらりくらりとかわしていると言いたいらしい。やはりここでも食い違っている。自覚がないという自覚すらないのだがどうしたものだろう。
おもむろに半身を起こし、ブレットは巴椰の腰に腕を回して抱き寄せた。その耳元に口を近付けて。
柔らかな髪が頬を撫で、甘い吐息混じりに言葉がほつほつと流れ出した。
「……傍に、居てくれないか。お前の傍に、俺も居たいんだ」
「今現在居るじゃないか。髪の毛くすぐったいからあんまりくっつくな」
「やはり解ってないな。好きだと言っているのに」
「俺も嫌いじゃないよ。友達なら嫌ってやる理由ない。シェリーさんに会わせた理由は解らないけど」
「あぁどうしてそんなに鈍いんだ阿呆。こんなに言葉が難しく煩わしいものと思ったことは初めてだ」
近くくすぐる言葉に呆れの息が混じっていた。伝わらないということを嘆き、何度も何度もあぁと濁った声を漏らして。
阿呆とは何だと首を捻って彼を睨み、巴椰は彼の頬に爪を立てた。
「あのなぁ、近いって言ってんだろ。大体阿呆だの何だのお前に言われる筋合い無い」
「いや、充分に阿呆だよ。格好つけて話した覚えもないのに伝わらないなんて」
「はぁ?」未だ理解せず、巴椰はその深い蒼の瞳を間近にじっと見つめた。その意味を汲み取ろうと、彼なりに努力して。
たゆたみ揺れる、遠雷響く海の色。攻め倦ねる色と不可思議そうな色、それに様々な感情が押しつぶされて摺り混ざった紺青の蒼。それがじっと、彼の目の奥を見据えていた。
唐突ともとれる風に巴椰の背へとその腕を回し、ブレットは真意を図れない微かな笑みを浮かべたまま--桜桃の唇に、無言のまま重ねた。
呆然とホワイトアウトしていく頭の中。雑然と転がる思考に、バーキングよろしく鳴り響く警告の赤い音。目の前にいる危険なそれに、警告はやまなかった。
背を押さえられて離れられずもどうにか顔を背け、巴椰は言葉も浮かばず、彼の額に一撃頭突きをかましていた。
ゴィンと鳴って鈍く浸透するそれに、やっと喉を言葉が通った。
「あっ、あの、あのなァ!お前ら夫婦は何でそうキスばっかしてくんだよ、苦しいだろ!?」
「それはすまなかったな。言葉で通じないからこそ、消毒の意味も兼ねて口付けたんだ。悪く思うな」
これを悪く思わずに何を悪く思えと言うのであろうか。パニックに陥れてもこの悠然な顔、不公平極まりない。
耳を撫で、頬を撫で。満足げに、痛みも知らずに彼の手はそろそろと巴椰の身体を這った。
「今のはそれなりに痛かったがお前--この顔は、もう解った顔だ」
「ッ、解ったって何が、だよ」
「こんなに顔を赤らめて未だ逃れようとするのなら、それは襲えという合図と受け取らせてもらう。あんな女に先を越されたことが、無念でならないよ」
勝手な持論を述べるだけ述べて、シェリーへの文句をタラタラと吐きながら、彼はまた一度口付けた。味わうかのように深く噛みつき、情を自身の身の奥に封じ込めたままに。
何度もそれを避けるも繰り返し至近距離で尖った牙が触れ、巴椰は考えるまでもなく彼を睨んでいた。
「あんたのお遊びでからかわれてやる理由なんて無いだろ。こういうのは恋人としなきゃいけないのに」
「友人とはできて俺とできないということは、そう言う対象として見てくれているんだな」ふふっとさもおかしそうに笑み、可愛い子と彼は言う。「ゲナはキス魔だが、どうだった?今のように抵抗してくれたか?」
「あれは友達としてので邪な気持ちがなかったから--」
「なら、俺の邪な気持ちは察してくれたということか。宜しい、望み通りにしてやるよ」
嗜虐的な色がその眼に宿り、悪戯に笑っているその様は揚げ足取りの中でも質の悪いそれそのものだった。そしてそれに武器や爪、牙といった鋭利な道具までが付属しているという絶体絶命だった。
蒼い瞳が、また苦しげに俯いては彼を睨む巴椰を映した。




