五話 三鷹山の探偵気取り
時に好奇心は厄介だ。一度それが芽生えてしまうと、活力の源に根を張り粘着質に絡みついてくる。こうなると喉の少し下あたりから渇きに似た焦燥が湧き上がって、それを満たせと訴えてくる。
枯れるまで待つのも一つの手だが、いつになるか見当もつかないし、大抵の場合、行動した方が早くかたがつく。
追っている最中は光って見えるのだが、手にした途端黒々とくすみ、背後から疲労感が肩を叩いてくる。
どうせ今回もそうなるだろうと予感しながらも己の欲求を満たすために、帰宅部の俺が部活動を放棄したのだった。
「該当する結果はありません、か」
放課後、斜陽は何もかも赤と黒で二分し繋ぎ止めていた。教室には俺を含め、顔に覚えのある素性の分からない生徒が何人か残っている。
窓際に立つ俺の手に収まったスマホの画面には、検索エンジンからの無機質な拒絶だけが映っていた。
検索ウィンドウに入力したのは『手相 織姫の相』。昼休みに渡辺が口にしていたあの珍妙な手相の名称だ。あの時に聞いておくべきだったと少し後悔していた。
しばらくネットの海を漂っていたが、それらしい情報は得られなかった。いつもなら海水や真水、汚水で満たされているのに、今日に限って干上がっている。
「しょうがない……」
この渇きを潤さずに帰路へ着くのは気が進まない。この言葉の製造元を訪ねてみるのもいいだろう。
***
「どこだよ占い同好会……」
『織姫の相』という言葉の原産地だと思われる占い同好会の場所を探すべく、校舎の見取り図の前まで来たものの得られたのは、こと放課後において見取り図は役に立たないという事実だけだ。
「あの中から手がかりを探すしかないか。面倒だなぁ」
幸い心当たりはある。ここの近くにある校内掲示板だ。そこには行事の知らせや学内新聞のほか、部活動勧誘のビラも貼られていた。活動拠点も記載されているはずだ。
ここ三鷹山高校の部活動は他校と比べて非常に盛んである。それは大きな実績があるとか伝統や歴史を持つ部活があるというわけではなく、単に部活動数が多いという意味である。同好会まで含めると、その数は全校生徒数を上回るとまことしやかに囁かれている。
それを戯言だと言い切れないのは、掲示板に所狭しと貼り付けられた勧誘のビラのせいだろう。
サッカー、バレー、ラクロス、アーチェリーと多種多様なスポーツ名が不揃いに連なっている。勿論、文化系のものもあった。
一見無秩序に貼られているが、体育会系と文化系で緩やかに二分されている。その溝を埋めるように生徒会の人員募集の張り紙があった。
そこまで時間はかからないと楽観的に考えていたが、平面に思われた掲示物は何層にも堆積して立体を成している事を発見し、探す前から倦怠感がまとわりついてきた。
「囲碁部、将棋部、囲碁将棋同好会。分ける必要ないだろ」
ぼやきながら山積物をペラペラとめくっていく。しかし、いくら探しても目的の物は出てきてくれない。
いっそのこと校内を歩き回ったほうが早いのではと思い始めた時、紙束の中の薄い繋がりに気がついた。
「あれ、これにこれも……ここもだ」
文化系の、それも同好会に限って、その活動場所の多くが三、四階に集中している。追いやられているようにも感じたが、それを可哀想だと思うのは野暮だろう。
占い同好会のビラそのものは見つからなかったが探すべき範囲は一気に狭まった。
「行ってみる価値はあるか」
無造作にめくっていたビラを元に戻し、次なる目的地へ向かった。
***
三階の廊下は窓から入る夕陽で、日中にはなかった境界がそこかしこに浮かび上がっていた。
小分けにされた騒がしさが箱から漏れて等間隔に鳴っている。その音を避けるように廊下の隅を歩いた。音も俺を避けていたのかもしれない。
長い廊下の中腹まで来たが、占い同好会は見つからなかった。それどころか人とすれ違うこともない。適当な教室に入って場所を聞こうかとも思ったが、ここまで来て誰かに頼るのを小さな自尊心が許さなかった。
教室の方ばかりに気を取られていた、そんな時だった。
「うわっ」
「うぎゃっ」
足元に何かが当たった。
瞬間、視界が揺らぐ。
身体が前へ投げ出された。
「「――っ!」」
食いしばられた歯の隙間を空気が通り抜けた時に鳴る痛々しい響きがこだました。
「……いったぁ」
鋭い痛みが蜘蛛の巣のように全身へ広がった。
痺れる両腕に力を込めて上体を起こす。痛みが引いていくと、その場所に苛立ちが込み上げてきた。こんな目に合わせた原因を見ずにはいられない。俺は眉をひそめ振り返った。
そこにはスカートを皺くちゃにして、プレス機で潰されたイカみたいになっている少女がいた。その先には鹿撃ち帽が落ちている。
「ぅぐぐ……」
低く唸りながら、しばらくうつ伏せになっていた。その不格好さに毒気を抜かれ、挙句笑いそうになっていた。
「大丈夫ですか?」
努めて平常を装って言った。
「……なにが可笑しい?」
極めて迅速にバレたようだ。
少女はのそりと起き上がり、落ちていた鹿撃ち帽を拾い上げ勢いよく被った。
小さな背中を影に溶けそうな黒い長髪が覆っている。少女が肩から払い落とした埃は夕陽に照らされてスパンコールのようにきらめいていた。
少女はくるりと振り返り俺と対峙した。
「貴様、どこを見て歩いている!捜査妨害だ!」
まるで容疑者を追及する探偵みたく俺を指差してそう言った。大きな瞳に敵意を滲ませているが、野良猫に威嚇されているようにしか感じなかった。
「すいません、よそ見をしていました」
「まったく。気をつけたまえ」
勢いに乗せられて素直に謝罪してしまったが、よくよく考えると違和感があった。
彼女の発した『捜査妨害』という言葉についてではない。それについては後で絶対に聞く事にする。気になったことをその場で聞かなかったためにこんな目に遭ったのだから。
俺はできるだけ下から穏やかな口調で尋ねた。
「あなたは俺に気がつかなかったんですか?」
どちらかが相手の存在を認知していれば起こらなかった事故だ。
まぁ、お互い不注意だったら話は別だが。
「全然」
少女は悪びれもなく言った。
俺に過失があった事は認めよう。だが、過失があったのはコイツも同じだ。
「つまり、あんたも不注意だったって事だな。俺だけ一方的に責められるのは納得できない」
俺は遠慮も敬語も捨てて抗議した。言われた分だけ言い返さないと気が済まない。そうしろとハンムラビ法典も背中を押してくれている。
少女は一瞬口をつぐんだ。
「それは確かに……私にも非があった。すまない」
もっとごねられるかと身構えていたが、思いの外あっさりと謝ってきた。許さない道理もない。
「ま、お互い様という事で」
と言いつつ、俺は勝った気でいた。こういうのは最後にこうべを垂れた方が負けなんだ。
「でも人が倒れているところを見て笑うなんて君も嫌な奴だよ」
「まだ笑ってないだろ」
「嫌な奴!」
まだ釈然としない事があった。それは転んだ後の状況だ。俺達は交差するように倒れていた。人と人が真正面からぶつかったってそうはならない。
「捜査妨害って言ってたけど、さっきは何してたんだ?」
「捜査に決まっているだろ」
話にならない。もう少し話のできる人を連れてきてくれ。
「具体的に何をしてたかってことだよ」
「そうならそうと言ってくれたまえ」
まだ会って間もないが相当に厄介な人間なのは間違いない。
「探し物をしていたのさ。それこそ地を這うようにして。比喩じゃないぞ、本当に地べたに膝をついて探していたんだ」
俺は探し物をする為に膝をついていた彼女に躓いてしまったのか。それならば交差するように倒れていたのも合点がいく。
それにしたって探し物を捜査と誇張するのはどうなのか。
まぁいい。聞きたいことも聞けたし先に進もう。
「丁度いい。君も手伝ってくれたまえ」
「占い同好会に用があるから無理だ。俺にメリットもないし」
「損得勘定だけで動いていても新たな発見はないぞ。それにメリットならある」
少女は顎に手をやり、不敵な笑みを浮かべた。
「場所が分からないんだろ、君。捜査に協力してくれるなら教えてやってもいい」
「……何を根拠にそんなことを」
「実に初歩的なことだよ」
少女は得意げに言った。
「占い屋は一つ上の階の、君が進んできた方向とは逆にあるのだよ。場所を知っていればこんな所を通る訳がない」
昼休みの時の俺と違って、俺の置かれている状況をピタリと言い当ててみせた。理路整然と紡がれる言葉に反論のしようがない。
「まいったな、全くもってその通りだ」
「ふふん、当然の帰着だよ。私を誰だと思っているんだい?」
「いや、知らないけど……」
「む、そういえばまだ名乗っていなかったな」
少女は鹿撃ち帽を深く被り、そのツバからギラリと光る片目だけを覗かせた。夕刻が彼女を演出し、その存在を際立たせていた。
「私の名は家入柚。人呼んで──」
「三鷹山のホームズさ」
なるほど。薄々そうではないかと思っていたが、今確信に変わった。
古い物語から出てきたような尊大な口ぶりに、探偵御用達の帽子。かの有名な推理小説の主人公を語るその精神。
厨二病の重篤患者だ。




