四話 一杯のコーヒーを君に
「俺達を見つけたのは……渡辺だな」
水が滴るように紡いだ言葉は質問というより最終確認だった。
まるで自信があるみたいに聞こえるかもしれないが、この筋しか考えつかなかっただけだ。ハズせば経済的困窮に陥ること間違いなし。高々ジュース数本の奢りで財政難になるのならばもとより貧困ではないかという指摘は私的に敵視せざるを得ない。
「それが最後の質問?後から変更は出来ないよ」
「ああ、構わない。なんせそれ以外に聞きたいことはないからな」
「ふーん、そ」
できる限りの強がりと共に戸上と相対する。彼女の値踏みするような目線が俺の身体中を這い回り、かと思うと、何か思案するように目を瞑り不敵な笑みを浮かべた。その真意は定かではない。
「さっきの質問だけど、答えは……はい」
静かに、はっきりと戸上は言った。
「その質問がでてきたってことはもう全部分かったんでしょ?」
やれやれと溜息を吐きながら回答を促してくる。戸上はもう負けだとでもいうような態度だが、実のところ俺は心中穏やかではなかった。
「確証はないし今から話すことが全くの見当違いだったら3日は学校に行きたくなくなるぐらい恥ずかしいからあまり期待しないでくれ」
蛇口を全開した時のように保身の言葉がとめどなく流れ出てくる。
理論を弁論で固め、持論の殻に閉じこもり、正論には耳を貸さず、正論には極論だと反論する俺を小さい男だと結論づける世論に異論はない。
しかし、そんな男が勇気を持ってこの議論に終止符を打とうというのだ。
「昨日も占い同好会にお邪魔させていただきましたの」
「相変わらず占い好きだね、まゆゆは」
「へぇ、どんな事するの?」
「いつもはタロットをしていただくのですが、昨日は手相を見ていただきました」
「結果はどうだった~?」
「織姫の相があるそうです。ここ、見てください」
「何これスゴ!星、星っぽくなってる!」
「本当綺麗な星型だ。ミコも見てみろよ」
「綺麗だなんて……そんな」
蒼真に渡辺、そして白石。三人で仲良く話していないで、もう少し俺達の方に興味を持ったらどうだ。
てか織姫の相って何?ちょっとそっちに興味出てきたんだけど。
「ナナナとミコミコは何してんの?」
お前は勝負の当事者だろ。
いいの?俺当てちゃうよ?奢ってもらうからね?
「アンタ、5分前のことも忘れたの。ホントにもぅ。愛莉にジュース代出してもらおうかな」
「ジュース代……あ!ミコミコ当てちゃったの?」
「今から話すんだよ。当たってるかは分からんがな」
自分の立場を理解しているのかいないのか、白石は目を輝かせている。
蒼真も渡辺もこちらへ向き直り、ようやく聞く気になってくれたようだ。
よくよく考えると、ハズしたときのダメージが増えるだけだから注目されないほうが良かったのではないか。
探偵のように胸を張って推理を披露するべきなのだろうが、気分は取り調べで耐えきれずに自供する犯人である。
「この謎を解くには、いつ、どこで、誰が、誰を見つけたのか、が鍵になってくる。戸上への質問で分かったのは、いつ、と、誰が、の情報だ」
「この場所のことを知ったのは昼休み、見つけたのは真由よ。改めて言う必要も本当はないんだけどね」
補足するように戸上は言った。
「次に、渡辺は誰を目撃したのか。俺達二人のどちらかを尾行したのでなければ、見つかったのは蒼真だ。屋上のフェンスに寄りかかっていた姿を見られたんだと思う」
「ミコが見つかった、っていう可能性は?」
「それも無いとは言い切れないが、渡辺がお前を見つけてここに来たって方が納得できる」
「いや、それはその……はい……」
渡辺は控えめに首肯した。
「そして最後にどこでお前を見つけたかだが、それはフェンスの向こうを見ればすぐ分かる」
その場所の近くにいた蒼真や白石は、自然とフェンスの隙間から下を覗き込む。
「駐輪場があるだけだよ。なんで渡辺さんが昼休みにあそこにいたのさ?」
蒼真は怪訝そうに眉をひそめ、眼下へと視線を送っていた。
「戸上が俺に言った言葉を覚えてるか?」
「さぁ、何だったかな」
「『三木君ならともかくアンタなら分かるかもよ』」
できる限り戸上の真似をして蒼真の記憶を想起させる。
「おー結構似てるかも。ミコミコ、モノマネできるんだ」
「それ私のつもり?怒るよ?」
もう怒ってるじゃん。
弁明して戸上の機嫌を取れる自信もないので仕方なく無視させてもらう。
「……それこそが渡辺と駐輪場を結びつけるヒントだ。蒼真は知らず、俺が知っている事。それは渡辺のヘルメットだ」
「ヘルメット?」
蒼真は不思議そうに首を傾げた。
「そりゃ知らんだろうな。今朝のことだ、渡辺がヘルメットを被ったまま教室に来たのは」
「和堂さん!」
顔を朱色に染め慌ただしく抗議する渡辺。かと思うと、彼女は釈明するような目線を誰かさんに送っていた。
プライバシーや乙女心への配慮は一旦隅に置いておいて話を進める。気づいた頃には埃をかぶっているかもしれないが致し方なし。
「渡辺はそのヘルメットをホームルームが始まるまで抱えていた。だが、そんな邪魔くさいものをいつまでも持っているわけにはいかない。かと言って授業と授業の間にそれを置きに行くのは時間的に余裕がない。そうなると……」
「昼休みに置きに行く事になるのか。確かに筋が通ってるね」
蒼真は納得したように頷いていた。
「まとめると、昼休み駐輪場にヘルメットを置きに行った渡辺が、偶然屋上のフェンスにもたれかかっている蒼真を見つけた。こんなところだ」
ただ、どこまでいっても憶測に過ぎない。あくまで点と点を星座みたく無理矢理結んだだけだ。
「なるほど、ね」
戸上は噛み締めるように呟いたあと、しばらく何も言わず、俺の推理を頭の中でもう一度なぞっているようだ。
永遠にも思える沈黙は、しかし、有限だった。
「私の負けよ。おめでとう」
彼女は微塵も悔しさを見せずそう言った。あまりにあっさりと言うものだから、一瞬、ハズしてしまったのかと思ってしまった。
「え、当たってたの?」
心に留めておくべき言葉がつい漏れてしまった。これでは全くもって格好がつかない。
「何その反応、笑える。文句のつけようもないわ」
そう言って戸上は晴れやかに笑った。
一泡吹かせるつもりだったが、こんなに清々しい顔をされては溜飲も下がってしまう。
「やるじゃんミコミコ」
「あんまり褒めないでくれ。ただのまぐれだ」
「そんなこと言ってぇ、嬉しいくせに」
「まるで名探偵のようでびっくりしましたわ」
素直に賛辞を受け取って良いのかどうしても悩んでしまう。推理が当たっていたのは事実だが単なる偶然だ。そこに緻密さはない。
彼女達の評価は俺の実像に対するものではないように感じてしまう。水面から突き出たカワウソの足がネッシーに見えている、みたいなものだ。
今になって人に注目される恥ずかしさが込み上げてきた。他人の服を着させられているような違和感と合わさって、心底居心地が悪かった。
「さ、潔く飲み物を買いに行きましょうか。愛莉もアンタもついてきて」
「はーい」
「有り難く頂くとしようか」
都合のいい言葉がタイミングよく飛んできたので、調子を合わせてこの場から脱出する事にした。
「三木君は何がいい?」
「僕?僕はいいよ。勝負に参加してないから貰う資格がないよ」
「いいのいいの。アレのついでだから」
アンタだのアイツだのアレだの、せめてミコぴょんとか柔らかく呼んでくれ。いや、やっぱりいい。想像したらちょっとキツかった。そんな所でキャラ付けしなくていいぞ戸上。
「それならコーヒーでも頂こうかな」
「分かった。それじゃアンタ達行くよ」
「ありがとう」
高く昇った太陽は蒼真をいつも以上に照らしていた。隠れるようにして背後に伸びた影の事なんて誰も気に留めなかった。
***
戸上は思いのほか策士だったようだ。
「うまく話せているといいけど」
「何の話だ?」
「それぐらい察しなさいよ。何のためにこんな勝負したと思ってるの」
「その場のノリじゃないのか?」
「真由と三木君を二人きりにするために決まってるでしょ。普段は大人しい真由が、あれだけ積極的に行動してるんだからサポートしてあげるのは当然よ。さっきの鋭さはどこにいったんだか」
そう言ってスタスタと階段を下っていく戸上。昼休み半ばということもあって人通りは少ない。
それにしても解せない事がある。
「ラブレターを渡した次の日に当人に会いにいくのはどうなんだ?返事もまだもらってないだろ」
それを聞いた戸上は足を止め振り返った。
「分かってない、本当に分かってないんだから」
ものを知らない子供に言い聞かせるように続ける。
「いい、ラブレターは申請書じゃなくて果たし状なの。今からあなたを振り向かせてやるっていう所信表明なの」
「そういうものなのか……」
まだまだ知らない事ばかりだ。一つ知識を蓄えると、その周辺に分からない事が二つ現れる。どれ程の時間があれば、未知を既知で包み込めるようになるのか見当もつかない。
不意に、いつか嗅いだ甘い香りが頬を掠めた。
「ミコミコ、ちょっといい?」
こそばゆさからくる痺れが耳から顔へと伝播する。あまりそういう事をやるものじゃないぞ。
「なんだ?」
平静を装って小声で返す。少し声が震えていたかもしれない。
「まゆゆが、ていうかあたし達が三木君に会いにきたのは内緒にしといて」
「言われずとも話す相手なんか蒼真以外いない」
「それは……頑張れミコミコ」
「励まさないでくれよ、悲しくなるだろ。でも、どうしてそんな事頼むんだ?」
「三木君てすごく女の子に人気じゃん」
「まぁな」
「そういう人気ある人に近づいたりするのをよく思わない子もいるの」
「そういうものなのか」
今日は学びが多いな。
「バレたりしたらすごーく面倒くさいの」
「知ったような口だな」
「中学の頃にもそういう事があったからね。あたし経験ほーふだよ」
白石はきわめて明るく苦笑した。
「二人ともー、コソコソ話してないで早く行くよ。あ、ゆっくり行ったほうが良いのかな?」
戸上の一声で白石との会話は中断されてしまった。
秘密を共有した俺達は仄かな暗がりの中を下っていく。その先で立っている戸上だけが、廊下の窓から差し込む斜光に包まれていた。




