三話 屋上への侵入者
配達員としての無賃労働を終えた翌朝のことである。
「ねね、どうだった?」
まだ人の集まりきらない時間に突如話しかけてきたのは戸上だった。その大きな瞳には期待ばかりが詰め込まれており、俺が口を開くのを今か今かと待ち構えている。
あいにく何について問われているか分からないほど察しは悪くない。
「何のことだ?」
とあの事ではないという一縷の望みを込めて、一時的でも話を逸らしたくもなる。
「それはないでしょ!昨日のこと、もう忘れたの?それともまだ渡してないとか?」
やはり三木宛のアレについてか。
「ああ、あのラブレ……っぷ」
観念して重い口を開こうとした途端、戸上は遠慮もなしに俺の口を手で塞いできた。しゃべらせたいのか黙らせたいのかハッキリしてくれ。
「ちょっと!周りに人がいるんだからもう少し気を遣いなさいよ」
やや理不尽さを感じるものの、戸上の言っていることは正しい。
学生にとって色恋の話題は家庭の事情の次に丁重に扱わねばならない。こと告白の話、それも失敗談ともなると話の広がり方は滝を登る鯉よりも勢いづいて速く、人の間を通り抜ける際に尾鰭も髭も牙も張り付けられ、いずれ龍となって当人の尊厳に襲いかかってくるのだ。中学時代の同窓の敵共を俺は許していない。
未だ俺の口に蓋をしている手に軽く触れると、戸上はため息混じりに腕を下ろした。
「で、どうだったの」
先程よりもワントーン下げた声で聞いてくる戸上。次はないぞという意味が込められているのかもしれない。
しかし、どう話したものか。蒼真の反応は芳しくなかったと無加工の情報を渡される渡辺を思うと気の毒でならない。
かと言って嘘をついても余計に彼女を傷つけることになってしまう。
であるならこの場の最適解は情報を抽象化し解釈の余地を与えることだ。
「甲から乙へのαは乙にとって……」
どんな眠気をも吹き飛ばす威力のデコピンが俺を襲った。さすが体育会系、容赦ない。
「公正証書か」
戸上は鈍痛に悶える俺に冷ややかな目を浴びせた。患部は冷やすに限る。
仕方ない。マスメディアみたく情報を切り取って聞こえのいい事だけを伝えよう。
「……普通に受け取ってたぞ。大事そうにポケットにしまって空なんか見上げてた」
「それは……好感触ってこと……なのかな」
「さあ、本人に聞いてみたらいいんじゃないか?」
「はぁ……まったく。乙女心ってのを分かってないんだから。聞けたら苦労しないっての」
何度目かの呆れ顔を拝見していた時、雲間から差し込む光のような明るい挨拶が飛んできた。
「おっはよーナナナ!」
声の方に振り返ると手を振りながらこちらに近づいてきている白石の姿を見つけた。白石は大型犬のような愛想を振り撒き戸上に抱きついていた。
ナナナって誰だよ。またアンタどっからか「ナ」を拾ってきたの。ウチじゃ飼えないって昨日言ったばかりでしょ。心の中で。
ところで白石が俺を下の名で呼ぶとどうなるのだろう。傾向的には『ミミコト』とか『ミコトト』あたりか。大穴で『ミココト』もあるか。
「ミコミコもおはよー」
分裂したよ俺。というか昨日は『和堂君』と呼んでいただろ。陽ギャ的には一度話したら身内判定なの?白石、恐ろしい子。
「朝から暑苦しい!離れろ愛莉」
躾のなっていない犬をガッと引き剥がす戸上だったが、その表情は柔和だ。
これが彼女らなりのコミュニケーションなのだろう。なんだか微笑ましく羨ましい。あ、いや決して女の子に抱きつかれるのが羨ましいとか、断じて思っていない。疑う奴全員告訴して敗訴されてやる。
白石も昨日の件が気になっていたようで、戸上に伝えた事と同じ内容をもう一度話す羽目になった。
「こう?おつ?」
と疑問符を浮かべる場面もあったがまぁヨシ。額をさすりながら白石の方を見ると、納得したようでしていない表情を浮かべていた。
「つまりOKってこと?」
「コイントスして平等院鳳凰堂が表になる確率と同じだな」
「びょー……いん?かくりつ……アタシよく分かんない」
「また変な事言ってる。つまり良し悪し半々ってことでしょ」
ちなみに、俺は一言も10円玉でコイントスをするとは言っていないので確率は二分の一より遥か下である。と屁理屈を並べると天誅が飛んでくるので口にはしない。
「おーさすがナナナ、かしこい」
「愛莉も少しは勉強しなさい」
「なんかママみたい。ナナナがママ……ナナナママ、いやマママ?」
「私の原型ないじゃん……」
戸上は呆れたようにため息をついているが、その目は俺に向けるものとは違い慈愛に満ちていた。
バカな子ほど可愛い、ってとこか。戸上が俺に冷たいのは、逆説的に俺が利口ということになる。見る目あるな戸上。
「皆さんごきげんよう。和堂さんもごきげんよう」
上品な挨拶と共に登場したのは渡辺であった。昨日の緊張した面持ちはどこへやら、普段通りの彼女である。と言いたいところだが……
「おはよーまゆゆ。ってあれ」
「真由、あんたメット被ったままよ」
「え……は!」
すぐさまヘルメットを脱ぐ渡辺。みるみるうちに顔が朱に染まっていく。
「これは、その、今朝から考え事をしておりまして……」
慌ただしく言葉を紡いでいるが、声は徐々に小さくなっていく。遂にはヘルメットを抱えたまま固まってしまった。
「よーく分かるよ真由。昨日の今日だもんね」
「昨日は昨日だよ?」
「あんたは黙ってて」
「だってさミコミコ」
「俺じゃねえよ」
さて、三度目の説明である。渡辺はヘルメットを抱えたまま真剣な面持ちで聞いていた。そのアンバランスさがまた、男共の心をくすぐるのだった。絶対に俺だけの話ではない。
そうこうしているうちにホームルームの開始を告げるチャイムは鳴った。
***
梅雨もまだだというのに肌を刺す日差しに嫌気がさす昼下がり。そろそろ集まる場所を変えようかな。
「昨日のアレ、しっかり読んだんだろうな」
フェンスに背を預け紙パックのいちごミルクをアゲハチョウみたいに飲んでいた蒼真は、俺の野暮な質問に嫌な顔一つ見せなかった。かといって大きなリアクションを取るわけでもない。
ズズズっと完飲の合図が聞こえるまでの間、蒼真は昨日と同じように上を向いていた。
「ちゃんと読んだよ」
「感想は?」
「現代文の問題を見てる感じ」
時折、蒼真はよく分からないことをいう。だが俺のように荒唐無稽ではなく、それこそ現代文の問題で傍線の引かれた一文並みに意味がこもっている。
真意を探るのも面倒なので、毎回風情もなく直接聞いている。
「とどのつまり?」
「僕に向けて書かれてる気がしないってこと」
「気のせいだろ」
「かもね。でも、ああいうのを読んでるといつも考えちゃうんだ。彼女達の目に映る僕は本当の僕なのかなって」
一世一代の大勝負を『ああいうの』で括られる渡辺が不憫でたまらない。
「ピンぼけしてるようだったら矯正してやれ。もしくは、そっと眼鏡をはずしてあげな」
「簡単に言ってくれるね。でも、たとえできたとしても──」
蒼真が言葉を途切れさせたのは、突然気を失ったからでも遠くからサイレンの音が聞こえたからでもなかった。
校舎と屋上を隔てる鉄扉が金切り声を上げ何者かの侵入を知らせたからだ。
「し、失礼いたします」
おっかなびっくりといった様子でこの場に現れたのは渡辺だった。頬は赤みがかっていて、なんだか動きがぎこちない。俺達を、いや、蒼真を見つけたからか渡辺は季節外れの紅葉シーズンを迎えていた。
「お邪魔しまーす。お、いたいた」
「はろはろーお二人さん。ミコミコ、他に誰かいる?」
渡辺の背後から勢いよく姿を現したのは戸上と白石だった。
「いや俺達だけだが……」
急な来訪者に呆気にとられ二人して顔を見合わせる。
「ミコが呼んだのか?」
「まさか。そいつは業務の範疇を超えてる」
隠れているつもりはなかったが、しかし、どうやって俺達を見つけたのだろうか。
尾行でもしたのか?いや、渡辺達が来たのは俺達が屋上に着いてしばらくしてからだ。後ろをつけたんだったら、俺達のすぐ後にここに来れたはずだ。
「む、なぁにミコミコ。その人を疑うような目は」
無意識のうちにそのような眼差しを彼女達に向けてしまっていたようだ。
「どうしてここが、って顔してるねアンタ。どうせなら当ててみて。三木君ならともかくアンタなら分かるかもよ」
戸上は腰に手を当て、フッとドヤ顔を浮かべた。その仕草が妙に鼻についたので口車に乗せられてやることにした。売られた勝負はリボ払いでまとめ買いしてこそ男だ。
「せっかくだからその推理勝負、受けて立とうじゃないか」
自分でも不思議なぐらい高揚感が体の内側に充満する。
「どうせなら何か賭ける?」
「丁度飲み物がなくなったところだ。ジュースの奢りでどうだ?」
「いいじゃんそれ」
「なにそれおもしろそー!アタシも賭ける!」
「わ、わたくしは……」
「渡辺さん、無理に参加しなくてもいいんじゃないかな。僕は見学させてもらうよ」
「は、はい!やっぱり……優しいですね三木さん」
まるで高度経済成長期のように何もかも勢いのまま舞台が整えられていく。
「じゃあ決まりね。アンタが正解したら一本奢ってあげる。当てられなかったら私たち三人にジュース奢りね」
さらりと不平等条約を締結されそうになる。ここで声を上げなければ好き放題にされてしまう。プラカード持って断固抗議せねば。
「おいちょっと待て、賭け金が釣り合ってないぞ。なんで渡辺の分も奢ることになっているんだ」
「細かいことはいいじゃない。四捨五入すれば一緒でしょ」
あまりにもな暴論であっさりと切り捨てられてしまった。
「ししゃも……ぎゅうにゅう?給食のメニューみたい」
その後ろでは白石が珍妙な事を呟いている。
「よく高校入試突破できたな……」
「アタシ一夜漬け得意だから。あ、一夜漬けも給食に出そう!」
「アンタは少し黙ってて。話進まないから……ほら、真由達と一緒にお昼食べてきなさい」
「はーいマママ」
「まったくもう」
白石のせいで本当に戸上がお母さんに見えてくる。将来円満な家庭を築きそうだな。
「それじゃあ仕切り直して、始めましょうか」
残念ながら天秤は傾いたまま、勝負が開始する流れとなった。そうはさせんぞ戸上。せめてピサの斜塔ぐらい水平にしてやる。
「賭け金が釣り合ってない分、いくつか質問させてくれ」
「まぁそれぐらいならいいか。ただし質問は三つまで。嘘はつかないから安心してね」
「了解した。それじゃあまず最初に……」
俺は腕を組み戸上と対峙する。
「俺達の居場所を知ったのはいつだ?」
「それは昼休みになってからね。これで一つ目の質問終わり。次は?」
戸上は俺の問いにあっさりと答える。ドレッシングのかかっていないサラダみたいに味気ない返答に少し戸惑ってしまう。
「二つ目。俺達の居場所の情報はここに居ない誰かから聞いたものか?」
「いいえ。最後の質問は?」
先程以上に淡白な回答に頭を悩ませる。戸上はうんうんと唸る俺を意地の悪そうに眺めていた。
「この調子じゃ私達の勝ちみたいね」
くそ、今に見てろ。
蒼真ならともかく俺なら分かるかも、と戸上は言っていた。アイツより俺の方が賢く見えたのか?恐らくそれはない。
今までのやり取りで俺が知性的に見える振る舞いをした覚えは残念ながらない。
だとすると、蒼真は知り得ない俺だけが知っている情報があるはずだ。
思い出せ、どんな些細な事も見落とすな。
「ほらほら早く。あと一分ね。最後の質問もその時間内に」
「そう急かさないでくれ。んーと……」
シナプスと共に一見無関係な情報を繋げていけ。誰が、どこで、どうやって、俺達を見つけた?
「!」
一瞬のひらめきが背筋を駆ける。
この質問の答え次第では全ての回路が繋がるかもしれない。時間もない。一か八か決めてやる。
「最後の質問だ」
「ふふん。いいわ、なんだって答えてあげる」
戸上は余裕綽々といった様子だ。絶対に一泡吹かせてやる。
「俺達を見つけたのは……」




