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二話 不定期郵便

 中心に立つ人間は自分がそこにいる事を知らない。知っているのは外からそれを眺める者だけだ。つまりは俺のことである。

 このクラスの中心の一角である女子グループは渡辺真由、白石愛莉、戸上奈々の3人で構成されている。

 渡辺はおっとりとした雰囲気を纏う森の妖精のような少女で、たまに出る世間知らずな天然発言は男子の庇護欲を刺激する。断じて俺だけの話ではない。

 白石はいわゆるギャルでありぱっと見は派手でガサツなように見えるが、その実気配り上手で分け隔てなく誰とでも接する様は真に陽の気を持つもののそれである。決して俺にのみ優しいなどと勘違いしてはならない。

 戸上は健康的な小麦肌の体育会系少女で、一年生ながら陸上部のエースに抜擢されるほどの実力を持っており、また、そのボーイッシュで端正な風貌に男女問わずファンが少なからずいる。誓って俺は惹かれてなどいない。

 三者三様の愛嬌を持つ彼女達はこのクラスの自転軸であり、また、清涼剤の役割を果たしていた。近くにいると良い匂いがするから清涼剤という言葉を使ったわけじゃない。

 人間関係フラットアースな俺は彼女達との交流が深いわけではない。前から来たプリントを渡すという刹那的なコミュニケーションはあれど、それをふれあいの内に入れてしまうほど彼女らとの関係は希薄である。というかそれは渡辺とのものであり、他2人に関してはインド人がゼロを発見できるレベルで何もない。

 しかし、それも昨日までの話だ。

 


***


 

 それはホームルーム前の手持ち無沙汰な時間であった。

 暇しているのは俺含め数名の同志達で、大半の者は仲良しグループで集まっておしゃべりに興じている。

 毎日よく飽きもせずに話していられるな、と中学の頃なら毒づいていただろうが今は違う。みんな自分の縄張りを主張するために鳴き声をあげているに過ぎない、と捻くれた持論を展開するのが今の俺だ。

「和堂君、ちょっといい?」

 多種多様な鳴き声が室内に響き渡っている中、その声はやけにはっきりと聞こえた。

 陽キャのギャル、略して陽ギャの白石が和堂という人物に話しかけているようだ。

 和堂という苗字はこのクラスに2人といない。つまりは俺のことを呼んでいる。

 急に話しかけないでくれ。小心者の俺がびっくりして死んじゃうかもしれんだろ。話しかけるなら3日前に予告してくれると助かる。ちなみに、いきなり予告されてもびっくりデッドするから、予告の予告を3日前にしてくれると助かる。ちなみに、……。

 はぁ、と肯定とも否定とも取れないような吐息だけの返事をしてしまったが白石は肯定と受け取ったようだ。別に否定の意味はない。

 白石は2人だけの内緒話でもするように顔を俺の耳元へ近づけてきた。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「まゆゆが君に用があるみたいなんだけど昼休み暇?」

 耳も心もくすぐったい。

 よくないよ、そういうの。

 俺の動揺などつゆ知らず、白石は期待の眼差しをこちらに向けていた。

 まゆゆ、とは渡辺真由のことであろう。その「ゆ」はどこから持ってきたんだ。ウチでは飼えないから「ゆ」は元いた場所に返してきなさい。

 断る道理もないのでこれまた気の抜けたような返事をすると、やはり白石は気にすることもなく満足げな笑みを浮かべていた。

「よかった!それじゃあ体育館裏で待ってるからよろしくね」

 白石は俺に小さく手を振ってから渡辺や戸上のところへ駆けていく。その背中を未練がましく目で追うのもはた迷惑だろうと考え、白石が個から集へと溶け込むのをしっかりと見届けた。残念ながら理性は体に追いつけなかった。

 嵐が過ぎ去ったかの如く俺の周りは静かになった。決して寂しくなんかない。いつもに戻っただけだ。

 

 約束の刻限まで心中穏やかでなかったことは言うまでもない。

 女の子が男を、それも人目につかない体育館裏に呼び出すなど、その先の展開は数えるほどしかない。

 まず最初に思いつくのはカツアゲだ。

 森の妖精である渡辺がそんなことをするのは想像できないが、森のお友達の中に熊がいたっておかしくない。つまりは渡辺と通じている素行の悪い先輩辺りが登場して、本を中古でしか買えないような資本の持ち主である俺から果汁100%のジュースを作った後の果物のようになるまで持ちうる全てを搾り取られるかもしれない。

 次に考えられるのは宗教勧誘である。確か渡辺は占い同好会だか呪術研究会だかに足繁く通っていたはずだ。朝の星座占い一位の日に告白し呆気なく振られて以来占いに中指を立てている俺にとって日常的にスピリチュアルに触れている人間など信用できない。全てのオカルトは宗教に通じている、とどこかの誰かが言っていた気がする。純情な俺を騙して世界観だけは良くできた新興宗教に入会させるに違いない。

 最後に思いついたのは告白であるがこれは有効桁数に入らないような唾棄すべき可能性なので、そっと胸の内にしまっておくことにした。期待は……していない。

 


 昼休みを告げる鐘の音とともに帰路のメロスのように体育館裏へと疾走した。

 目的地に到着するとそこには誰もいなかった。それもそのはず、渡辺が席を立つよりも早く俺は教室を出たのだから。

 ただぼーっと待っているのは紳士の矜持が許さない。そこらに転がっているやけに目立つ砂利石などを足先で隅の方へ追いやることにした。

 徐々に熱が入り壁に向かって小石を全力でフリーキックする怪しげな男が誕生してしまったが、幸い誰にも見つかることはなかった。

 さて、渡辺達御一行が珍獣でも見たような目つきになっている事に触れないのも紳士の務め。土管があったらワープしたい。

「それで俺に何の用だ」

 羞恥を悟られぬよう極めて冷静に会話の主導権を握る。

「いやいや、さすがに気になるでしょ。今のアレ」

 あっさりと戸上に主導権を奪い取られてしまった。

「ちょーナイスシュートだったじゃん」

 と白石は口元を押さえて肩を揺らして笑っており、肝心の渡辺は鳩が豆鉄砲を食ったように静止していた。

「その……あれだ。夏も近づいてきたし」

「大会?あんたサッカー部だっけ」

 と戸上は間髪容れずに聞いてきた。これ以上愚行を重ねるわけにもいかないので正直に答える。

「いや帰宅部だ」

「夏関係ないじゃん!」

 戸上はバカでも見るような目をしている。バカって言った方がバカだ。戸上はバカとは言ってないな。喜べ、この場にバカはいないぞ戸上。

 白石は腹を抱えて先程よりも大きく笑っていた。

「あ、あの……奈々さんに和堂さん……」

 渡辺は遠慮がちに俺たちを見上げていた。その生粋の乙女仕草に目を引かれぬ異性はいないだろう。

 鶴の一声により無罪放免執行猶予付き仮釈放となった俺は安堵した。

「おっとごめんごめん。これに用があるのは真由だったね」

「これ呼ばわりとは失礼な」

「ほら、さっさと言っちゃいな」

 戸上へのクレームは路傍の石のように無視されてしまった。

 促された渡辺は意を決した様子で一歩踏み出した。

「和堂さん!」

「は、はい」

 数秒前の渡辺からは想像できないほど大きな声で名前を呼ばれ動揺してしまう。彼女の瞳は潤み、吐く息は熱っぽい。小柄な彼女と目を合わせようとすると見下ろすような形になるのと合わさって妙な罪悪感を覚えてしまう。

 戸上は我が子を見守るように、白石は背中を押すように彼女を見つめている。

 湿った風が肩を抜け、むせかえるような甘ったるい匂いがまとわりついてきた。

 その時、俺は気が付いた。

「あのっ」

 渡辺はキュッと唇を噛み締めると、制服のポケットから大事そうに『それ』を取り出す。

「これを……」

 彼女の頬が赤らんでいくにつれて、俺の体からどろどろと熱が逃げだしていった。幾度となく経験してきたことだがどうしても慣れない。

 彼女はその震える両手で桃色の封筒を差し出してきた。

 せき止められていた好意が傍若無人にこの場を駆け巡る。

「三木さんにお渡ししてくださいませんか?」

 その好意が俺へのものではないことは周知の事実であった。

 

***


 屋上への扉を開けると腹が立つほど清々しい青空が広がっていた。

「やあミコ。遅かったね」

 俺を呼ぶ声は空よりも一層清々しかった。

 声の主はフェンスに背を預け、文庫本を片手に微笑んでいる。奴は我が旧友にして仇敵、三木蒼真。褒める意味を持った四字熟語なら大抵似合う色男だ。

 入学当初昼休みはどちらかのクラスで飯を食べていたが、何分蒼真は周りの目を引く伊達男である。奴に向けられた熱視線のおこぼれに耐えられなくなった俺は場所替えを所望し、この場所に落ち着いたという運びである。

「諸事情でな。お前さんにも関係がある」

 少し厭味ったらしい言い方になってしまったことを後悔した。

「えらく不機嫌じゃないか」

 誰が悪いというわけではない。強いて文句を言うなら、いらぬ期待を持った自身にだ。

 購買で買ったパンの包みにすべての不満をぶつけこれで良しとした。

「気にするな。たった今解消された」

「そんなに僕に会いたかったのかい。照れるな」

 俺はこの馬鹿の脛を除夜の鐘を鳴らすように蹴った。人気のない屋上にその声はよく響いた。



「この学校での初配達だ。ありがたく受け取れ」

「ああ」

 またか、とでも言いたげな表情で蒼真はそれを手に取った。俺は何度も恋文の配達をしてきたが、一度たりとて嬉しそうに受け取ったことはなかった。

「少しは喜べよ。でないと俺の運び損だ」

「いつもすまないね」

 その言葉は聞き馴染みのあるものになっていた。

「すまないと思ってるんだったら、その子と3年間付き合ってあげてくれ。そうしてくれればこの家業も辞められる」

 こいつは未だに恋人がいたことがない。そこだけを切り取れば俺も同じだが、あまりにも状況が違いすぎる。打席に立ちながらもすべての球を見送る蒼真と、ベンチと同化している俺。野次の一つでも飛ばしたくなってくる。

「うーん」

 蒼真はラブレターに目もくれず天を見上げていた。その物憂げな表情にミスマッチなほど空は青々としている。

「なあミコ」

「なんだ」

「うらやましい?」

「はったおすぞ」

 「冗談だよ」と蒼真は苦笑しながら、桃色の封筒をポケットへと丁寧に仕舞い込んでいる。配達員としてのささやかな情から、渡辺の恋の成就を心底うんざりと祈ることにした。

 それからしばらくの間、二人して校舎の喧騒に耳を傾けていた。沈黙の気まずさは、はるか昔に揮発している。

 金網の隙間から駐輪場の方を目的もなく見ていると、遠くからサイレンの音が風に乗って届いてきた。

「救急か?」

「いや消防だね。警鐘が混ざってる」

 野次馬をするにはちょうどいい場所にいる。俺も蒼真も火の出所を探した。

「あ、東町の住宅街の方」

 先に見つけたのは蒼真だった。

「大丈夫かな……」

 不安げにじっと煙を見つめている。そんな彼の様子がすこし不思議に映った。

 蒼真の家には幾度となく足を運んでいるので、その住所が東町ではないことを知っている。

「あそこに知り合いでも住んでるのか?」

 知り合いでなくとも火事にあった方を思う心を持つ者はいる。だが、俺も蒼真もそういった人間ではない。ただ無関心なだけだ。

「いや、あのあたりにいる猫が心配なんだ」

「猫?」

「たまに触りに行ってるんだ。うちはペット飼えないからね」

「そうか」

 疑問は速やかにほどかれた。だが蒼真の懸念は消えてはいない。

 結局、授業の開始を告げる鐘を聞くまで二人で佇んでいた。

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