六話 自称ホームズと他称ワトソン
「さて、次は君の番だよ」
ホームズを自称する少女、家入柚は俺に自己紹介を促した。
「谷崎士郎。武士の士に太郎の郎と書いて士郎だ」
俺は流れるように嘘をついた。怪しい人について行ったり個人情報を教えてはいけないと幼い頃から言い聞かされてきたのだ。学校教育の賜物である。
「士郎か、良い名だ」
「そりゃどうも」
何をもって良いと言っているのか定かではないが、名付け親として褒められて悪い気はしない。
家入はうんうんと頷いていたが、その動きをぴたりと止めた。
そして、不審物でも見つけたような目つきで俺の足下を凝視しだした。
嫌な予感がした。
「一つ聞きたいことがある」
家入は怪訝な表情のまま言った。
「その上靴に書かれている名前は誰のものだい?」
「ん……?アッ!」
彼女の視線の先を見ると、爪先のwadoという横文字が目に飛び込んできた。カッコつけて筆記体で書かれており、wの書き出しが丸まっているところなど特に腹が立つ。
文字通り足元を見やがって、と心の中で悪態をついた。
「いや、その、コレは借り物でして……」
嘘に嘘を重ね、どうにか切り抜けられないかと足掻いてみるが、自称探偵の目からは逃れられなかった。
「怪しい。学生証を見せたまえ」
嫌だと言える雰囲気でもない。これ以上嘘を吐いても余計追及が厳しくなるだけだと思い、俺は渋々学生証を差し出した。
「なんだ一年生だったのか」
「ああ、それがどうかしたか」
「私は二年なのだよ。つまりは君の先輩だ、敬いたまえ」
家入は勝ち誇ったように言った。
年上だった事に少し驚いた。
「とはいえ敬語なんて使わなくて良い。敬いは態度で示したまえ」
困った事に、いや困ってはいないが、家入に年上特有の威厳を全く感じない。敬えと言われても、その気にさせない当人に問題がある。結論、敬おうなどとは微塵も思わない。
「和堂……下の名は何と読むのだ?」
「尊敬の尊と書いてみことだ」
「ふーん、良い名じゃないか。和堂尊か」
家入はしばらくの間、口の中で飴玉を転がすように俺の名前を吟味していた。
「和堂に尊敬の尊……和堂に尊敬、和堂にそん……!」
突然家入はその大きな瞳を爛々と輝かせ、目線は学生証と俺の顔を行ったり来たりしだした。頭を上下させる様は赤べこに見えなくもない。
「き、君は──」
震える人差し指をゆっくりとこちらに向けてきた。指先の爪が夕陽に照らされてキラリと光った。
「ワトソン君!ワトソン君じゃないか!」
「へ?」
ワトソンとは、ホームズの助手であるあの人物のことを言っているのだろうか。もしそうだとして、俺はワトソンではない。道行く人に「俺はワトソンですか?」と訊ねれば十人中八人は素通りし、残りの二人は「誰だお前?」と言うだろう。
「ホームズとワトソンが揃えばどんな迷宮も一本道になり、複雑怪奇な難事件も瞬く間に紐解かれよう。早速私と調査に行こうじゃないか!」
「一人で盛り上がっているところ悪いが俺は用事がある」
「占い屋のことか。しかし場所が分からないのだろ。悪いことは言わない。先に私の調査に付き合ってくれれば、それも教えてやろうではないか」
「その必要はない」
「なぜだ?」
「おおよその場所なら見当がついている」
「強がってもいいことはないぞ。等身大で生きてこそ人間だ」
どの口が言っているのやら。厨二病患者にとっては思い込みも等身大のうちなのか。
「家入、あんたは……」
「ホームズと呼びたまえ」
「柚……」
「ホームズだ」
「ゆずゆず……」
「ほ・ぉ・む・ず!」
「……ホームズ。お前は一つ重大なミスをした」
「ミスだと?この私が?」
「実に初歩的な事だよ」
自称ホームズのコイツに釣られて、つい芝居がかった口調になってしまう。親戚の子供のおままごとに付き合っているうちに熱が入ってしまったみたいで少し恥ずかしい。
「あ、それ私の決め台詞!ぐぬぬ……助手のくせに……」
助手になった覚えはないが、いちいち指摘していては話が進まない。早いとこ、この無駄な議論に終止符を打つとしよう。
俺は出来る限りの決め顔で言った。
「占い同好会のおおよその場所を語ったのは、ホームズ、あんたじゃないか」
「ん?……ア〝ッ!」
『占い屋は一つ上の階の、君が進んできた方向とは逆にあるのだよ』
自分の言葉を思い出したのか、彼女の表情が固まった。
ホームズの犯したミスとは、交渉材料としていた占い同好会の情報をベラベラと話してしまった事だ。
「これであんたの手伝いをするメリットは無くなった。それじゃあな、三鷹山のホームズ」
「そ、そんなぁ……」
家入はがっくりと肩を落とした。うつむいた顔は長い黒髪と帽子に隠れて見えない。
残念ながら俺は誰かれ構わず助けるようなお人よしではない。
「落とし物、早く見つかるといいな」
せめてもの励ましの言葉を残し、彼女の横を通り抜けようとした。その時だった。
家入は俺の片袖を控えめに摘んでいた。
「あの……行きたいんだけど」
腕を揺らしてみるが彼女の手が離れる気配はない。かと言って無理矢理手を振り払うような事をするのは紳士協定に反する。紳士を自称するなら探し物の手伝いをしてやれと言われそうだが、それについては言われてから考えれば良い。
「……とに……の」
弱々しい声が聞こえた。その言葉は意味を成す前に空気中に溶けてしまった。
「何か言ったか?」
そう聞くと家入はゆっくり顔を上げ、今度はハッキリと言った。
「ほんとに行っちゃうの?」
尊大な態度は影を潜め、年相応の、いや、それよりもいくらか幼い雰囲気を纏っていた。
潤んだ瞳がじっと俺を見つめている。
そんな目をされたところで、
「探し物手伝ってくれない?」
そんな風にお願いされたところで、
「やっぱり……ダメ?」
自分の思い通りにならない事だってあるんだ。コイツには世の中の厳しさを教えてやらねばならない。徹底的な拒絶を突きつけてやる。
「仕方ない、少しぐらい手伝ってやるよ」
その言葉は俺の意思に反するものであった。
「ほんとかい!」
家入はパッと花が咲いたように表情を明るくさせた。俺の袖を掴んだままぴょんぴょんと跳ねているところを見ると、よほど嬉しかったようだ。もうちょっと年上らしく振る舞えないものかと呆れてしまう。
「それで、何を探せばいいんだ?」
「言わずとも分かるだろう。なんせ私達はホームズとワトソン、名探偵と助手、すなわち以心伝心というわけだ」
「分かるわけないだろ!あと俺はワトソンでも助手でもない」
「君もまだまだだな」
腕を組んでやれやれと首を振ってやがる。塩でもかければ先程のようにしおらしくなるだろうか。
「私が探しているのは他でもない」
窓ガラスを通った夕陽は集約されることなく漫然と廊下を照らしている。断ち切られた影は平行線。窓枠に反射した二本の光の筋が目の前で交差した。
「探偵の必需品、ルーペだ」




