表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/18

第十七話 海へ

 歩いていた。一人で。ただ前へ。森の中を。


 木々の隙間から差し込む光が揺れている。鳥の声が聞こえる。風が葉を鳴らしている。久しぶりだった。こんなにたくさんの緑を見るのは。


 けれど美咲は景色を見ていなかった。歩く。歩く。ただ歩く。頭の中では同じ言葉が何度も繰り返されていた。


 『行け』


 英也の声だった。


 『最後まで歩け』


 振り返りたくなる。今からでも戻りたくなる。でも戻ればきっと怒られる。あんな声で怒鳴られたのは初めてだった。だから美咲は歩いた。泣きながら。唇を噛みながら。歩き続けた。


 どれくらい経っただろう。やがて森の向こうが明るくなり始める。木々が途切れていく。風が変わった。少し湿った空気。初めて嗅ぐ匂い。どこかしょっぱい。


 胸が高鳴った。


 美咲は駆け出した。枝をかき分け、坂を登り、そして森を抜けた。


 目の前に広がった景色に、美咲は立ち尽くした。


 海だった。どこまでも続く青。陽光を反射して輝く水面。白い波。遠くの水平線。世界はまだ終わっていなかった。そんな気がした。


 美咲はゆっくり前へ進む。森の出口は小高い崖のようになっていた。その先に海岸が見える。そして、人がいた。たくさんの人だった。老人。子供。大人。荷物を抱えた人々。避難民だ。英也の言っていた場所だった。


 美咲は息を呑んだ。視線を走らせる。人影を一人ずつ追う。違う。違う。違う。胸が苦しくなる。もしかしたら、もう——そんな考えが頭をよぎった。


 その時だった。


 列の最後尾近くを歩く女性がいた。痩せていた。服も汚れている。髪も伸びていた。けれど、見間違えるはずがなかった。


 美咲の呼吸が止まる。


 女性がふと振り返った。目が合う。時間が止まった。女性の目が見開かれる。信じられないものを見るような顔。驚き。戸惑い。そして溢れ出す喜び。その全てが一瞬で表情に現れた。


 美咲の唇が震える。声にならない。それでも、ようやく言えた。


「……ママ」


 女性の目から涙が溢れた。


「美咲……?」


 掠れた声だった。次の瞬間、二人は同時に走り出していた。砂浜を、転びそうになりながら、必死に、ただ相手だけを見て。


 そして抱きしめ合う。強く。失わないように。離さないように。


「美咲!」


「ママ!」


 泣き声が重なる。母親は何度も美咲の頭を撫でた。頬を撫でた。肩を抱いた。まるで本当に生きているか確かめるように。


 美咲も泣いていた。もう我慢できなかった。旅の途中で流せなかった涙が溢れる。怖かった。寂しかった。会いたかった。たくさんの想いが涙になって零れ落ちる。


 母親は何も聞かなかった。今はまだ、言葉なんていらなかった。ただ抱きしめていた。奇跡のような再会を。失ったはずの家族を。もう二度と離さないように。


 海から吹く風が二人を包む。遠くで波の音が響いていた。それはまるで、長い旅の終わりを告げる音のようだった。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ