第十五話 追い剥ぎ
翌日。
不穏な気配を感じたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
風が止んでいた。鳥の声もしない。静かすぎる。英也は歩きながら眉をひそめた。旅を続ける中で身についた感覚だった。理由は説明できない。だが危険が近い時、人は本能的にそれを察する。
英也は足を止めた。
「美咲」
「ん?」
「ちょっとこっち来い」
美咲は首を傾げながら近寄る。英也は周囲を見渡した。岩場が続いている。少し先に崩れた岩陰が見えた。
「しばらくそこに隠れてろ」
「え?どうしたの?」
「いいから」
英也の声は低かった。美咲は何かを察したらしい。素直に頷いた。
「……分かった」
英也は岩陰まで連れて行く。
「何があっても出てくるな」
「パパは?」
「すぐ戻る」
そう言って頭を軽く撫でた。美咲は唇を噛みながら頷く。英也は背を向けた。
数歩進んだところで声がした。
「よう」
岩陰から男が現れる。続いてもう一人。さらに二人。合計四人。どいつも痩せている。服は汚れ、目だけがぎらついていた。
追い剥ぎだ。すぐに分かった。この世界では珍しくもない。飢えた人間は他人から奪う。それだけの話だった。
「荷物置いてけ。大人しくしてりゃ殺さねぇ」
英也は答えない。ただ距離を測る。四人。全員素人だ。軍人ではない。だが油断はできない。今の自分は全盛期ではない。左足も悪い。それに、美咲がいる。絶対にそこへ近付けるわけにはいかなかった。
「聞こえなかったか?」
男が近付いてくる。英也は静かに息を吐いた。そして一歩踏み込む。男の腕を掴み、引く。崩れる。その勢いのまま地面へ叩きつけた。
「ぐあっ!」
悲鳴が上がる。残りの三人が動揺した。英也はその隙に距離を取る。まだいける。そう思った。
だが。
「この野郎!」
二人目が横から飛びかかってきた。反応が一瞬遅れる。左足が動かなかった。肩を掴まれ、体勢が崩れる。さらに背中を押された。英也は地面へ倒れ込んだ。砂埃が舞う。
まずい、と思った時には遅かった。三人が一斉に覆いかぶさる。拳。蹴り。容赦なく降ってくる。腹に衝撃。脇腹。背中。顔。鈍い痛みが全身を走る。鞄が引き剥がされる。食料。水。全部。積み重ねてきたものが奪われていく。
英也は歯を食いしばった。
拳銃。腰にある。右手がゆっくり動く。触れればいい。抜けばいい。たったそれだけで終わる。四人程度なら撃てる。守れる。美咲を。自分を。旅を。
右手が拳銃へ伸びる。あと少し。あと少しで。
その時だった。
「パパ!!」
声が響いた。遠くから。岩陰から。泣きそうな声。美咲だった。
英也の動きが止まる。世界が静止したような感覚だった。
拳銃に触れた指先。脳裏によみがえる戦場。銃声。悲鳴。倒れる兵士。血。炎。自分が撃った人間。撃たれた仲間。そして帰れなかった家族。守れなかった娘。守れなかった日常。すべてが一瞬で押し寄せる。
拳銃を抜けば、また誰かが死ぬ。また血が流れる。美咲に見せることになる。自分が何者だったのかを。
英也は目を閉じた。
そして拳銃から手を離した。
男たちの拳が再び降り注ぐ。頬が裂ける。肋骨が軋む。呼吸が苦しい。それでも英也は抵抗しなかった。ただ耐えた。美咲を守るために。美咲へ暴力を見せないために。自分の過去を終わらせるために。
やがて男たちは殴るのをやめた。
「行くぞ」
「持てるもんは全部持ったな」
「クソ、たいして入ってねぇ」
不満そうな声と共に足音が遠ざかる。そして。
「……なあ、今なんか聞こえなかったか?」
「何がだよ」
「いや……」
男は岩場の方を見た。だが何も見えない。美咲は必死に身を潜めていた。
「気のせいだろ」
「……そうか」
男は首を傾げたが、深く考えなかった。今は奪った荷物の方が大事だった。やがて足音は完全に遠ざかる。
静寂が戻った。
荒野に残されたのは、地面に倒れ伏す英也だけだった。




