<23・Newspaper>
アンディが忙しくて、簡単に仕事から戻ってこられないタイミング。その時に記事が出るようにしたのは意図的なことだった。真正面から問い詰められたら、正直どこまで誤魔化しきれるかローラとしても自信がなかったからである。
だが、顔を合わさずに電話だけなら――ある程度、どうにかなる。
とにかく今は、適当に誤魔化すしかない。たとえ、アンディにとってはどれほど死活問題であるとしても。
『ローラ、新聞を見ました。あれはどういうことなんです?』
西方の陸軍基地から電話を入れてきたアンディは、厳しい声でローラに問うた。
『わたくしはとても怒りを感じています。天下の国営メディアが、あのような記事を載せるなんてあまりにも腹立たしい。わたくしは、ローラが実際どのような人間かわかっているつもりです。あんなの出鱈目に決まっている、そうでしょう?』
「アンディ……」
アンディは、どこまでも自分のことを信じてくれている。正直、それは本当に嬉しかった。自分が積み上げてきた八年は、やはり意味のあるものだったのだ。本当ならば、幼少期からもっと悪役令嬢ムーブをぶちかまして、彼の好感度を下げておく必要があったのかもしれない。でも、それはそれとして、彼が自分を信頼してくれるということの重さを理解もしているのである。
喜ばしいなんて思ってはいけないけれど、思ってしまう。
そして同じだけ罪悪感が募る。自分はこの人を、全力で騙そうとしているのだから。
「そうだよ、私はなーんも悪いことなんかやってない」
ローラはいけしゃあしゃあとのたまう。
「最近、ちょっと使用人がドジ踏むことが多かったからさー。少しきつめに注意したってだけなんだよ。そしたら、それをパパラッチに見られちゃって、あんな記事書かれちゃった。本当に誤解なんだよ、誤解。失敗を叱るのも雇い主の務めだし、お金貰ってる分ちゃんと仕事してくれーって言っただけなのにね?」
『……ローラ?』
「アンディが私のこと信じてくれて、すっごく嬉しいよ。うん、あんな記事、出鱈目、出鱈目。全然信じなくていいの」
もし目の前に彼がいたら、きっと真正面からその目を見ることなんかできなかっただろう。
電話なら、なんとかできる。なんとかしなければいけない。
決めたはずだ、自分は彼らに全力で恩を返すと。それがたとえ、独りよがりなものだったとしても。
「……愛してるよ、アンディ。今までも、これからもずっと」
だから、これは紛れもなく本音だ。
「あなたが幸せになるためなら私は、どんなことだってする。邪魔なものは全部捨て去る。そう決めただけ」
『ま、待ってください、ローラ。どういう意味ですか!?』
「どういう意味だっていいじゃない。……じゃあね、アンディ。仕事中にもう、電話かけてきちゃダメだよ。私も課題で忙しいから、このへんにしておいてよね。じゃ」
強引に、受話器を置いた。想像以上に大きな音がしてしまったので、たまたま通りがかった執事の一人が驚いたような顔でこちらを見る。
これでいい。
これ以上話を続けたら、また余計なことを言ってしまいそうだったから。
――泣くな、私。
滲みかける視界。自分の頬を叩いて、叱咤する。
――もっともっと、噂を流さないと。私を、スピネル家が追い出したくなるくらいまで。
***
ローラの様子が、明らかにおかしい。
否、彼女だけではない。自分達の周りを取り囲む、全ての様子がおかしい。
というのも陸軍基地にて、アンディは部下の一人からこのようなことを言われたからだ。
『ベリル少佐、ちょっとよろしいですか?その、お耳に入れておきたいことが……』
その部下、タスカーは伯爵家の長男だった。それゆえ、貴族の社交界での噂なんかもよく耳に入ってくる立場だったのだろう。
『あの、聖女と呼ばれてるマリーさん、いますよね。マリーさんの結婚相手を陛下が探しているっていうのはご存知ですか?』
『ええ、知っています。騎士団の誰かを、という話になっているんですよね』
『はい。その、そのお相手が……ベリル少佐になるんじゃ、って話があって。それ本当です?』
『……は?』
一体何を言っているのだ、こいつは。思わず素っ頓狂な声を出してしまったアンディに、明らかに困惑した顔で『ですよね』と彼は続ける。
『いえ、僕もおかしいなとは思ったんですよ?ベリル少佐にはちゃんと婚約者がいるのに、って。もちろん、ベリル少佐はとても優秀な人ですし、少佐ほどの人が聖女様のお相手になってくれたら国の未来も安泰だ、と思う人がいるところまではわかりますけど。でも、ベリル少佐が婚約破棄してまでマリーさんと一緒になるはずだ、なんていうのは行き過ぎてますよね……』
『……それ、誰が言ってたんですか』
自分でもぞっとするほど低い声が出た、と思う。タスカーを脅したいわけではなかったが、ちょっと殺気が漏れてしまったのは否めない。明らかにタスカーは怯えた顔をしてみせたのだから。
『えっと、その……トルコ公爵の、ご子息が、そのようにおっしゃっていた……と』
トルコ公爵。よりにもよって、そんな大物の名前が出て来るなんて思いもよらなかった。トルコ公爵は、強烈な〝右寄り〟の政治家であることで知られている。公爵からすれば、国を守ってくれる聖女はとても大事にしたい存在であるし、結婚を推し進めたいと思うところまではわからなくはない。そのご子息に、そういった話をするのも理解はできる。
だがどうして、アンディがローラを婚約破棄するなんてことになるのか。
『わけがわかりません。わたくし、トルコ公爵とも、そのご子息とも特に親しくはないですよ?』
嫌われてはいないとは、思う。というか、あまりにも大物すぎてろくに話す機会もないのだ。社交界で挨拶をかわしたことくらいはあるが、本当にその程度の関係である。人徳があって選ばれたとか、そういうことはありえない。
『ぼくだって混乱してますよ。あ、あの、これ僕が直接聞いた話じゃなくて、本当にトルコ公爵のご子息がそう言っていたというのを人伝に聴いただけの話ですからね?』
なんでも、とタスカーは困った顔で続けた。
『聖女マリー様は、今ベリル大佐の婚約者さん……ローラ・スピネルさんの家でお世話になってるんですよね。そのご令嬢のローラさんが、マリーさんや使用人さんを滅茶苦茶に虐めている、って噂になってるんです。そんな人間、優秀なベリル大佐の婚約者として相応しくないし、聖女様を守らなければいけないみたいな話がエライ方々の間で広まっているらしくって……』
『ありえません。ローラはそんなことするはずがないです』
『そう、なんですけど、でも新聞にも……』
ここで、アンディは新聞記事を知ることとなったのである。
一体、何がどうなっているのかさっぱりわからない。何故、ローラがマリーや使用人たちを虐待している、なんて話になっているのだろう?
これが本当ならば、マリーを神聖視する者達がローラを非難するのは当然であるし、アンディの婚約者として相応しくないと考える者がいるのもわからないことではない。そういえば、最近両親からもまるで探るような微妙な電話があったのを覚えている。あれは、この記事と、噂の内容を知っていたからだったのだろうか。
だが、それはあくまで噂が本当なら、の話だ。
アンディは己の愛する婚約者が、実際どういう人であるかをよく知っている。彼女が罪もない人間を虐げ、見下すような人間でないことは明らかだ。あんなにアンディやマリーのために心を砕いてくれた人が、そのような愚かな真似をするはずがない。
もっと言えば、自分はスピネル家のことだってよく知っている。ローラと使用人たちの関係は比較的良好で、中には親友と呼んで差し支えない使用人も数名いたと知っている。そんな彼らを、ローラが奴隷のように扱うはずがないではないか。
――気になるのは、ベストアングルで撮られた写真まで掲載されている、ということ。
新聞記事には、ローラが執事見習いの少年を突き飛ばしたっぽい写真がばっちりと残っていた。この距離ならば、会話もしっかり聞こえたはず。この記事に書かれているものが、嘘八百とは到底思えない。
誰かにハメられて、このような写真を撮られてしまったということだろうか。
だとしたら、一体誰がこのようなことを?ローラの家は大きいし、ローラの父の商売敵がそのようなことをする可能性もゼロではないが。
『……この件については、無闇に他の方に話さないでくださいね、タスカー。わたくしが、自分で真実を確かめますから』
とりあえず、タスカーにはそう言って話を切り上げた。ただ彼が知っているということは、他の貴族の者達も既にこの噂を耳にしている可能性が高い。そもそも新聞記事として出てしまった以上、身分を問わず多くの者達にローラの悪評が広まってしまった可能性が高いだろう。
こんな酷いこと、断じて許せるはずがない。
だからローラに本当のことを問いただすつもりで電話をかけた。彼女がこのようなことをやったとは思えないが、ハメられる心当たりがあるのならば知りたいと思ったからである。
ところが。
『アンディが私のこと信じてくれて、すっごく嬉しいよ。うん、あんな記事、出鱈目、出鱈目。全然信じなくていいの』
電話先で、ローラは明らかに笑っていた。まるで何かを嘲るように。
『……愛してるよ、アンディ。今までも、これからもずっと』
そう、笑っている声なのに。
どこか泣きそうに聞こえたのは、どうしてだろう。
『あなたが幸せになるためなら私は、どんなことだってする。邪魔なものは全部捨て去る。そう決めただけ』
「ま、待ってください、ローラ。どういう意味ですか!?」
『どういう意味だっていいじゃない。……じゃあね、アンディ。仕事中にもう、電話かけてきちゃダメだよ。私も課題で忙しいから、このへんにしておいてよね。じゃ』
電話は、そこで強制的に切られた。
その日から一週間後、どうにか王都に戻ってくることができたアンディはローラにきちんと会うために面会を希望したのだが、妙なことにその日以降ローラはアンディの前に姿を現してくれなくなったのである。完全に避けられているとしか思えなかった。もちろん、他に心当たりなんかない。
アンディは確信したのである。
――ローラは、絶対に何かを隠している。
こうなればもう、頼れる相手は一人しかいない。




