<17・Power>
アンディのお見舞いに行った、その夜のこと。ローラが学校の課題をしていると、部屋を訪れた者がいたのだった。
マリーは言った。
「お忙しいところすみません。あたしとデートしませんか?」
「で、でえと?」
「夜のお散歩です!」
彼女はにっこりと笑って、ローラの手を引いたのだった。
「あたしが使用人さんたちとトラブルになった時、ローラさんがお散歩に連れ出してくれたでしょ?あれで、だいぶ気分が楽になったんですよね。お散歩は気分転換に丁度いいですし、夜のお庭もオツなもんです。どうでしょ」
「……そうだね。お言葉に甘えさせてもらおうかな。デートしよ、デート」
「はい!」
ローラが落ち込んでいることに気づいたのだろう。いつの間にか、完全に立場が逆になっているな――なんてことを思いながら、ローラはマリーと一緒に庭へ出たのだった。
スピネル家の庭には噴水広場がある。お茶会の時は、この広場の周辺にテーブルを並べて、ご婦人たちとお喋りをすることもあるのだった。真ん中にある天使の像は、有名な彫刻家に頼んで作ってもらったのだと父が言っていた気がする。この国で最も信仰されている宗教では、神様に仕える十人の天使もまた有名なのだった。キリスト教でいうところの、七大天使みたいなものだろうか。
大きな白い翼を広げ、長い髪をなびかせて右手を高々と掲げる天使。その右手には、星のような飾りがついた杖があり、其の杖の先端から水が出て来る仕組みになっている。性別は、男とも女ともとれるような見た目をしていた。そういえば、この国でいうところの天使というのは基本的に無性別の存在なんだという話を、宗教学の授業で聴いたような気がする。
天使像を形作る大白石という石は、日中太陽光を集める性質があり、暗いところだとほんのり光って見える。夜でもうっすらと明るい、というのは防犯上の意味でも効果があるのかもしれなかった。その噴水広場の前に来た時、ぴたりとマリーが足を止める。
「ローラさん。あの、聞いたんですけど」
「なあに?」
「……ブロークンベアが暴走した原因。怪我したご夫婦のせいだったそうですね」
ああ、とローラは苦笑いするしかない。
なんでブロークンベアが柵を越えて広場まで来てしまったのか疑問だったのだが、やはり追われていたカップルに原因があったらしい。
警察によるとあの二人、お酒を飲んで酔っ払った状態でうっかり柵を壊して中に入ってしまったというのだ。元々柵が経年劣化でボロボロになっていて、一部壊れかかっていたというのも問題だったようだが。
で、ブロークンベアの子熊を見つけて、思わず近寄っていったところ母熊に遭遇。怒りを買って追い回された、ということのようだった。ある意味、自業自得だったということらしい。とんだ大迷惑である。
「ブロークンベアって特別指定保護種になっているので、本来傷つけてはいけない存在なんだと聞きました。ただ、今回のように人間に危害を加えた場合は特例として駆除が許されるのだ、ということも。あたし、一歩間違えれば大変なことしちゃってたんですね」
「や、でもマリーが助けてくれなかったら私もアンディも死んでたんだから仕方ないよ。本当に、ありがとうね、マリー」
「いえいえ。あたしこそ、トイレ遅くなっちゃってすみませんでした」
なおマリーの補足によると。
まだ授乳期だった子熊はそのまま保護団体に保護された、ということらしい。このまま放置したら確実に死んでしまうからだろう。
どうやらマリーは、それも気に病んでいるようだった。確かに命の危機はあったが、親を殺された子熊の心痛を思うとあまりにもやりきれない、と。
「……人間って、勝手ですよね。人を殺してはいけないと法律で定めているくせに、いざとなったら自分達の都合で容易く誰かの命を奪う。食べて、食料にするわけでもない理由で」
マリーはそっと、噴水の淵に腰掛けた。
「本当は、食べるため以外で殺さずに生きられるならそれが一番のはずなのに。力を持てば、そういう選択肢が生まれてしまう。殺して、邪魔なものを排除すればいいとか……時には自分の楽しみのために人を殺したり、傷つけることもあるわけです。それって、ある意味とても不幸なことかもしれないって思います」
「……そうかもしれない。でも、力がなければ、誰かを守ることもできないんだよ」
「そうですね。……ローラさんはそれで、悩んでいたんじゃないですか?」
やっぱり、バレていたらしい。
だからこそ彼女はローラをお散歩に連れ出してくれたのだろう。
「うん。……私、自分に失望したんだ。あのね、クマが襲ってきた時、すぐに逃げてマリーのところに行けって言われてたんだよ?危険を知らせるようにって。でも、私びびっちゃってさ。結局全然、動けなかったんだ。そのくせ、やっと逃げられると思ったタイミングでコケて大きな音出して、クマを引き付けちゃうんだからもう最悪」
あの時のことを思いだすと、また体が震えそうになる。
アンディが飛び出してきた瞬間。真っ赤な血飛沫の色。倒れていくその背中と、血塗れの彼の笑顔。
「あと少しで」
ローラはどさっとマリーの隣に座り、俯いた。
「あと少しで、私は……アンディを殺すところだった。そうなっていたかもしれないんだ……」
「ローラさん」
ローラの言葉を遮るようにマリーが告げる。
「そんな言い方しちゃだめです。ローラさんが殺そうとしたわけじゃない。ただ、アンディさんはローラさんを守ろうとしただけ。でもって結局、ローラさんもアンディさんも死なずに済んだんですから、それで良かったじゃないですか」
「わかってる。でも、私が足手まといにならなかったら、アンディはあんな痛い思いしないで済んだんだよ」
「突然モンスターが襲ってきて足がすくむのは、一般人なら仕方ないことです。騎士団に入っていて訓練しているアンディさんや、魔法っていう対抗手段があるあたしとは違う。お願いですから過剰に自分を責めるのはやめてください。なんであたしがあんなにブチギレたと思ってるんですか!」
珍しく、マリーが怒っている。もちろんあのクマに向かって怒ったのとは違うけれど、それも紛れもなく怒りだろう。しかも、ローラのための。
「二人が大事だから、あたしはあのクマを殺したんです。しかもわざと苦しい死に方をさせました。……二人が大事な大事な家族で、友達で、恩人だから。……そんなローラさんを、ローラさん自身であっても貶めてほしくないです」
本当に、優しい子だなと思う。
でもきっとマリーは知らないだろう。彼女にそう言う風に優しさを向けられれば向けられるほど、ローラがいたたまれない気持ちになるということも。
「わかってる。でも、私に……私にマリーみたいな魔法の力があれば、私がアンディを守れたんだ……私が、弱いから。逃げる勇気も、立ち向かう勇気もなかったから……」
力があることで、人は殺すという選択肢を持ってしまう。それは残酷なことだとマリーは言う。
でも人が時に、守るために敵を倒し、殺すこともあるのだ。そうしなければ愛する者を守れないのなら誰だってそうするだろう。それがどれほど罪だと言われても、自分が戦わなかったことで愛する人を失ったかもしれないなら――きっと誰も、後悔なんてしないはずだ。
だが力のない者は、殺して守るという選択権さえないのである。その方がずっと不幸なことではないのだろうか。
「力が欲しい。でなきゃ、私は……アンディの傍にいる資格がない。アンディを、守れないよ……」
口にして、自分自身の言葉に絶望する。
ああ、最初から――そんな資格なんてないとわかりきっていたはずだというのに。
「……それは、違います」
そんなローラに、マリーが静かな声で言う。
「この世の中には、力がない者だって必要だとあたしは思います」
「なんで?」
「決まっています。弱い人に本当に寄り添えるのは、自分の弱さを認められる強さを持った人だけだから。……あたし、まだお二人と出会って日が浅いけど、それでも知ってるんです。アンディさんは、ああ見えて繊細で、脆いところもたくさんある人。その弱さに寄り添って支えるってことも、守るってことなんじゃないですか」
ローラさんならできます、と。彼女は蒲公英のような温かい笑顔を向けてくれた。
「剣と盾で敵に立ち向かうことだけが、守るってことじゃない。でもってそういう守り方、あたしにはできません」
まるで遠い遠い何かを思い出すように、マリーは天を仰ぐ。
「だってあたし、人殺しですから。……綺麗な手じゃないんです、最初から」
「え」
そんな設定、あっただろうか。
ゲームの資料集のデータを思い返そうと固まったローラに、マリーは乾いた声で笑い声をあげる。
「魔法の研究していたって言ったでしょ?……魔法は、その気になればできないことなんか何もないんです。でもって……あたしがいたところのラボも、国を守るための魔法を一番に研究してました。それはつまり、いざという時敵を滅ぼすことで守る魔法だった、ってことです。人を、傷つけるための魔法です」
「でも、それは……」
「わかってます、必要だったって。でも、あたし達が作った魔法で、どれだけの人の命を奪ったかって思うと……それはもう、立派な人殺しだって、そうは思いませんか?その威力がどれほどのものであるのかは、クマを倒す時のあたしの魔法で分かって貰えたかと思います。あんなのね、序の口なんですよ」
少女はそっと、自分の手を見つめる。彼女には見えているのだろうか――その手を汚す、真っ赤な色が。
「あたしは、魔法でいくらでも人を殺せてしまう。そういう力を持ってます。そういう人間には、本当に弱くて、苦しんでいる人間を助けてあげることなんかできないって、そう思うんです。だから思います」
彼女はまっすぐローラを見つめて言うのだ。
「アンディさんに最も相応しいのは、ローラさん以外にいません。どうか、それを誇ってください」
不思議だった。その言葉を聞いて、ローラは微かに残っていた迷いが消えていくのを感じたのである。
この子は、本物の優しさをもっている。ゲームだけではわからなかった、この子の本当の魅力と愛が、今まさに手に取るようにわかるのだ。
――私は、間違ってなかった。
ごめんね、と。そう告げたのは、誰に対してだろう。
――マリー。……貴女こそ、アンディの伴侶に相応しい。




