第十二話 共生と支配と 其のニ『母系社会』
クラ達は、溶け込んでいます。
源次達は、どうするのか?
森を抜ける。
湿った土の匂い。
踏みしめるたび、足裏に重さが返る。
源次たちは、クラの背を追っていた。
クラ
「騒ぎなや」
振り返りもせず、短く言う。
その声は低い。抑えられている。
前方に、人影が見えた。
数人。
地に伏せる者、膝をつく者、立ち尽くす者。
いずれも、弓を構えている。
その中に、一人。
異質な構え。
肩に当てる鉄の筒。
火縄。
引き金に指をかけ――
止めた。
撃たない。
獲物はいる。
群れの中央。最も太い個体。
だが、撃たない。
ヒョードル
「なぜ撃たない」
小声だが、苛立ちが混じる。
ナギ
「撃つ必要がないからだ」
いつの間にか、横に立っていた。
ヒョードル
「……仕留められるだろう」
ナギ
「仕留めることと、獲ることは違う」
短い言葉。
だが、否定ではない。
前方。
弓が放たれる。
一射。
的確に、喉元へ。
倒れる。
それで終わりだ。
誰も、続けて撃たない。
逃げる群れを、追わない。
ヒョードル
「……少ない」
ナギ
「足りる」
視線を外さない。
「余らせない」
「飢えさせない」
「それだけだ」
狩人たちが近づく。
倒れた獲物の前で、誰かが膝をつく。
手を当てる。
何かを呟く。
言葉は分からない。
だが――意味は、分かる。
祈りだ。
源次
(……祈るのか)
殺して、祈る。
矛盾しているはずの行為。
だが、その場に違和はない。
ヒョードル
「無駄だ」
クラ
「せやな」
初めて、クラが振り返る。
「せやから、全部撃ったらええ」
「腐らせるんか」
「持てるんか」
ヒョードルは、言葉を詰まらせた。
クラ
「ちゃうねん」
「分かっとるんや」
「どこまで要るか、や」
再び歩き出す。
狩人たちは、獲物を担ぐ。
手際がいい。無駄がない。
血は流れる。
だが、騒がない。
静かだ。
源次
(統制されている……?)
違う。
命令は無い。
号令もない。
それでも、乱れない。
ナギ
「見て分かるだろ」
源次の視線の先を追うように言う。
「道具が増えただけだ」
「やり方は変えていない」
火縄銃。
確かにある。
だが、それは主ではない。
源次
(技術が従っている……)
人に。
いや――“在り方”に。
狩りは、終わっていた。
必要な分だけ。
それ以上は、何も起きない。
源次
(……成立している)
小さく、息を吐く。
理解ではない。
だが、否定はできなかった。
森の奥へ、再び歩き出す。
匂いが変わる。
土と血に混じり、苦い香りが鼻を刺した。
乾いた葉を焚いたような、薬の匂い。
開けた場所。
簡素な天幕。
その下に、一人の男が横たわっていた。
肩口が裂けている。
狩りの最中か、獣にやられたのだろう。
その傍らに、少女がいる。
つき。
膝をつき、静かに傷口を見ている。
表情は変わらない。
ヒョードル
「医者か」
誰にともなく呟く。
クラ
「ちゃう」
即答。
「“やるやつ”や」
つきの手が動く。
迷いがない。
水で血を流す。
布で押さえる。
裂けた肉を、指で確かめる。
道具は多くない。
だが、足りている。
源次
(……躊躇がない)
普通なら、誰かが指示を出す。
誰かが判断する。
だが――
周囲の者が、自然に動く。
水を運ぶ者。
火を起こす者。
薬草を刻む者。
声は、ほとんど無い。それでも、遅れない。
ヒョードル
「命令は?」
ナギ
「要らない」
短い。
「見て、分かるからだ」
つきが、顔を上げる。
一瞬だけ、周囲を見る。
それだけで――
必要なものが揃う。
布。 薬。 針。
誰も、問わない。
源次
(……共有されている)
知識が。 状況が。
そして――役割が。
つきは言葉を発さない。
だが、手は止まらない。
縫う。 結ぶ。 押さえる。
呼吸が、整っていく。
ヒョードル
「助かるのか」
月叟
「助ける」
背後から声。
「助かるかは、別だ」
静かな声。 断定ではない。
だが、曖昧でもない。
ヒョードル
「……中途半端だな」
月叟
「そうだな」
否定しない。
「だから、やる」
それだけだった。
つきが、最後の処置を終える。
手を離す。
誰かが、そっと毛布をかける。
それで終わりだ。
歓声もない。 安堵も表に出ない。
ただ、次へ移る。
源次
(……終わった、のか)
だが、確かに。場は崩れていない。
命が一つ、繋がれた。
それだけ。
ナギ
「特別なことはしていない」
源次の横で言う。
「知っていることを、使っただけだ」
源次は、つきを見る。
少女は既に、次の作業に移っている。
振り返らない。
源次
(誰のものでもない)
知識は。 技も。
誰かが握っているわけではない。
だが――
源次
(機能している)
組織でもない。 軍でもない。
それでも。
確かに、回っている。
源次は、ゆっくりと息を吐いた。
(……統べていないのに、崩れない)
理解には届かない。
だが――
否定は、もうできなかった。
火の匂いが、やわらぐ。
代わりに、温かい気配が広がっていた。
開けた場。
中央に火。周囲に人。
だが、先ほどまでとは違う。
武も、治もない。
ただ――生活がある。
女たちが座している。
子を抱く者。
食を整える者。
手を動かし、言葉を交わす。
その中心に、自然と人が集まる。
ヒョードル
「……ここは、女が仕切っているのか」
クラ
「ちゃう」
間髪入れずに返す。
「任せとるだけや」
女たちは、命じない。だが、流れがある。
肉が捌かれる。分けられる。
火にかけられる。
量も、配分も、誰も口にしない。
それでも、偏りがない。
源次
(……決めている者がいない)
だが、決まっている。
老人に、先に渡る。
子に、柔らかい部位が回る。
働いた者も、
働けぬ者も――同じ場にいる。
ヒョードル
「非効率だな」
忠太
「そう見えるか」
いつの間にか、後ろに立っていた。
「余るほど獲れば、そうなる」
「足りる分を分けるなら、これでいい」
ヒョードル
「競わせた方が強くなる」
忠太
「何がだ」
静かに問う。
ヒョードルは答えない。
忠太
「飢えさせて、強くなるものは少ない」
それだけ言って、火の方へ歩く。
男たちもいる。
だが、前には出ない。
水を運ぶ。
薪を割る。
子をあやす。
自然に、手が足りぬところへ入る。
源次
(命じられていない……)
それでも、遅れない。
女が中心にいる。だが、支配ではない。
つぐ
「そこ、もう少し寄せてくれ」
声がかかる。
男が無言で動く。それで足りる。
やり取りは、短い。
だが、途切れない。
源次(上下ではない)
役割。
ただ、それだけで回っている。
子供が走る。
女が笑う。
男が応じる。
どこにも、緊張はない。
ヒョードル
「……ぬるい」
吐き捨てるように言う。
荻
「そうかい」
淡々と返す。
「だが、崩れていない」
ヒョードルは黙る。
崩れていない。
確かに。
誰も奪わない。
誰も余らせない。
火を囲む輪は、静かに保たれている。
源次
(これは……)
国ではない。 軍でもない。
だが――
源次
(成立している)
人が、生活している。
ただ、それだけのことが。
ここでは、崩れない。
源次は、視線を落とす。
(……違う)
これまで見てきたものとは。
根から。
だが――
否定は、できなかった。
夜が落ちる。
空気が静まり、音が沈む。
火だけが残る。
円を描くように、人が座している。
昼の喧騒はない。
動きも、言葉も、ほとんど消えている。
ただ、火が揺れる。
誰が中心でもない。だが、崩れない輪。
源次
(……統べていない)
それでも、散らない。
老人が口を開く。
低く、ゆっくりとした言葉。
意味は分からない。だが、誰も遮らない。
聞いている。
子も。 女も。 男も。
同じ距離で。
ヒョードル
「……何をしている」
声を落とす。
クラ
「聞いとるんや」
ヒョードル
「何を」
クラ
「生きとる話や」
それだけ。
火が、はぜる。
語りが続く。
やがて、別の者が口を開く。
誰も、指名しない。
誰も、許可を求めない。
だが、順がある。
源次
(……場が決めている)
人ではない。
この空気が。この場そのものが。
つきが、少し離れた位置にいる。
変わらず、無言。だが、同じ輪の中にいる。
月叟は目を閉じている。
眠っているのか、
聞いているのか――判別はつかない。
ナギも、何も言わない。
ただ、そこにいる。
源次
(……誰も支配していない)
だが――乱れない。
火を囲むこの場は、
命令も、規律も、罰もない。
それでも。
源次
(……成立している)
言葉が回る。 想いが回る。
強制ではない。 だが、途切れない。
ヒョードル
「……弱い」
小さく呟く。
誰も反応しない。
源次
(違う)
弱くはない。
力が見えないだけだ。
奪わない力。
押し付けない力。
それでも――崩れない。
火が、静かに揺れる。
誰かが、火に枝をくべる。
自然な動き。
それで、十分だった。
源次
(……これは、国ではない)
法もない。 命令もない。
だが――
源次
(……崩れない)
息を吐く。
認めたわけではない。
理解したわけでもない。
だが。
否定は、もうできなかった。
火の光が、揺れる。
その中で――誰もが、そこにいた。
つづく
武士として生きてきた源次には
信じられないような社会。
“ここ”は、それでやってきている。




