第十一話 Sī vīs pācem, parā bellum. 其の五『男の償いとは』
佐渡の男。
いったい何者なのか。
これから何を為すのか。
ご期待下さい。
◆佐渡・坑道奥
男は、顔を上げる。
来た。
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あの少年。
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だが――
もう、少年ではない。
背は伸び。
纏う気配は、何故か武士のようだ。
男
「……来たか」
自然に、そう口にしていた。
紅蓮
「久しいな」
軽く、周囲を見渡す。
坑道。 運搬。 積み上がる成果。
紅蓮
「ほう……」
小さく、息を吐く。
「よく回っている」
その一言。
男は、何も言わない。
ただ、胸の奥で。 僅かに何かが緩む。
紅蓮
「金も銀も――」
指で、壁面をなぞる。
「ほぼ尽きたな」
断定。
「ここは、次に進む」
⸻
男は、眉を動かす。
“次”。
だが、問わない。
紅蓮
「良く働いてくれた」
静かに。だが、はっきりと。
男は、一瞬だけ目を伏せる。
その言葉は。
久しく、向けられていなかったものだ。
紅蓮
「君には――」
少しだけ、間を置く。
「学んでもらう」
そして。
「育ててもらう」
⸻
男の思考が、止まる。
男
「……は?」
理解が、追いつかない。
学ぶ。 育てる。
自分が?
⸻
紅蓮
「まあ、そうだろうな」
口元が、僅かに歪む。
「いずれ分かる」
断言。
説明は、無い。
⸻
男は、考える。
だが――
追いつかない。
紅蓮
「さて」
思考を、断ち切るように。
「ここの者を、何人か連れて行く」
視線が、男へ向く。
「希望はあるか」
男は、わずかに息を吐く。
「……言えた義理ではない」
それが、本音だった。
選ぶ立場ではない。
ここにいる理由を、知っている。
紅蓮
「そうか」
あっさりと。
「ならば、私の方で決めておく」
それで終わり。
⸻
次の瞬間。
男の視界が、揺れる。意識が、沈む。
男
(……?)
抗えない。 闇。
⸻
紅蓮
(信康ともあろうものが、気が付かんのか。
菊も苦労することになるか)
⸻
◆CEI
「知らない天井」
(…またか)
体を起こそうとする。
鈍い。だが、動く。
菊
「気がつきましたか」
⸻
横から。 女の声。
振り向く。
そこにいたのは――
世話係。
⸻
だが。出会った頃とは、もう違う。
成長した女性。今、何故か気づいた。
女
「無理はなさらず」
穏やかな口調。だが、芯がある。
⸻
男は、黙って見つめる。
(……同じ、か。ずっと、このひとが)
⸻
面影は、ある。
確かに――あの時の。
少女。
だが。
時間が、経っている。
その間、ずっと居てくれた女。
この女が、また居てくれる。そのことに、
安堵する自分。
⸻
だが、それ以上を思考で認めるには、
状況が異常過ぎた。
この男を朴念仁とは、言わないでおこう。
⸻
男の思考。
周囲も。全てが、少しずつ。
変化している。
(……どういうことだ)
疑問が、積み上がる。
だが。
口に出たのは――
男
「……何をすればいい」
それだけだった。
女は、わずかに微笑む。
「はい」
頷く。
「その前に、少しだけ」
言葉を選ぶように。
「状況を、ご説明します」
⸻
静かに。
新しい段階が、始まる。
◆中央教育機関 CEI
白い天井。 整い過ぎた空間。
男は、ゆっくりと身を起こす。
見たことのない造り。
だが、不思議と落ち着く。
菊
「ここは――」
少し間を置き。
「中央教育機関、CEIです」
静かな声。
⸻
男は、辺りを見渡す。
(……寺でも、屋敷でもない)
理解できる範疇を、外れている。
男
「……何をする場所だ」
菊
「学び、育てる場所です」
⸻
簡潔。
⸻
男は、眉を寄せる。
「儂が、か」
菊
「はい」
迷いなく、頷く。
「あなたは、ここで学び」
一歩、近づく。
「そして、教えます」
視線が、まっすぐに向けられる。
男
「……何を」
菊
「新しき世を」
その言葉は、重く。突き刺さる。
「そして――
その世界を担う人々を」
⸻
男は、沈黙する。理解は、出来ない。
だが――拒否も、しない。
それが、“償い”だからだ。
⸻
菊
「ここでは、同時に進みます」
「学びながら、教える」
「教えながら、学ぶ」
⸻
矛盾。
⸻
だが、この場所では。それが前提。
男の肩に、見えぬ重みが乗る。
静かに。 確実に。 逃げ場は、無い。
だが――理由は、知らされない。
次に備えるため。
その事実だけが、外側にある。
⸻
菊
「まずは――」
軽く一礼する。
「私の名を、菊と申します」
穏やかに。
数年間、支えてくれた女からの声。
⸻
男は、わずかに頷く。
「……儂は」
言いかける。
⸻
止められる。
⸻
菊
「その名は、ここでは使いません」
やわらかく。
だが、はっきりと。
「あなたは――死にました」
一拍。
菊
「これからは“源次”と名乗ってください」
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新しい名。
⸻
男――源次は、目を細める。
(……源次)
⸻
何故か縁を覚える。
もう、元の名は必要ない。
源次
「……分かった」
短く。
菊
「ありがとうございます」
静かに、微笑む。
「では、始めましょう」
⸻
新しい役目。
⸻
学び。 教え。 人を、育てる。
それが、償い。それが、役割。
源次は、ゆっくりと立ち上がる。
まだ――知らない。
自分が“生きている”ということを。
◆中央教育機関 CEI
鐘が鳴る。まだ、暗い。
源次は、目を開ける。眠った記憶はある。
だが――休んだ実感がない。
体が、重い。 だが、起きる。
次の鐘が鳴る前に。
遅れれば、置いていかれる。
部屋を出る。同じように、出てくる者たち。
言葉は、揃っていない。顔立ちも、違う。
だが――皆、急いでいる。
席に着く。すぐに始まる。
授業。
知らぬ単語。だが、意味は掴める。
⸻
算。 書。 産。
⸻
聞いたことのない話が続く。
水を運ぶ仕組み。 地を掘る技。
火を扱う工夫。 多すぎる。
しかし、 覚える。
追いつく。間に合わない。
鐘が鳴り。 次の授業。 別の部屋。
今度は、教える側に立たされる。
源次
「……これは――」
言葉を選ぶ。
相手は、理解していない。
当然だ。
自分も、今しがた知ったばかりだ。
だが――教えなければならない。
説明する。通じない。
顔をしかめる者。 苛立つ者。
男
「違う!」
怒鳴られる。
源次の眉が動く。
(違わぬ)
正しい。
だが――通じない。
それは、意味がない。
ならば、言い換える。
時に、手振りを使う。
汗が、滲む。ようやく。ひとりが、頷く。
連鎖する。 理解。 その瞬間。
胸の奥で、何かが弾ける。
だが――すぐに終わる。
⸻
評価。
⸻
声
「遅い」
短い一言。
突き刺さる。
声
「説明が冗長」
次。
声
「伝達不十分」
切り捨てられる。
息を吐く暇もない。
また、鐘。
次へ。
その繰り返し。
学び。教え。評価される。逃げ場はない。
夜。
ようやく、座る。 手が、震えている。
(……何だ、これは)
理解が、追いつかない。
だが――次の日も、同じだ。
そして、その次も。
時間の感覚が、曖昧になる。
⸻
何日、経った。
⸻
分からない。
ただ――削られていく。
無駄が。 言葉が。 思考が。
残るのは。
伝えるための形だけ。
⸻
ある日。
⸻
また、失敗する。 沈黙。
誰も、頷かない。伝わっていない。
自身では分かる。
だが――言葉が出ない。
源次
「……」
詰まる。
視線が、刺さる。
その時。
声
「……こう、です」
横から。
すっと、言葉が入る。
簡潔に、だが伝わる。
皆が、頷く。源次は、横を見る。
⸻
菊。
⸻
何事もなかったように、立っている。
菊
「少しだけ、言葉を削りましょう」
それだけ。
去る。
残るのは。悔しさ。
強く、拳を握る。
(……負けた)
誰に、ではない。
だが、確かに。 負けた。
次こそ
同じことは、繰り返さない。
削る。選ぶ。
伝える。
少しずつ。だが確実に。
通じるようになる。
⸻
怒鳴っていた者が、黙る。
そして。 頷く。
⸻
その瞬間。
胸の奥が、熱くなる。
だが――次が来る。
休む暇は、ない。
ただ。 続く。
続ける。
それだけが、残る。
(……まだだ) 止まらない。
止まれない。
夜。
静かだ。 誰もいない。
源次は、ひとり座っている。
息を吐く。 長い。
肺が、痛い。 肩が、重い。
指先に、感覚が残っている。
書き。 示し。 掴ませた感触。
(……終わったか)
いや。終わっていない。
明日も、ある。
その次も。同じように。
続く。
目を閉じる。 浮かぶのは。
今日の顔。伝わらなかった顔。怒った顔。
そして。
頷いた顔。 笑った顔。
わずかに。 胸が、動く。
⸻
足音。
⸻
近づく。
菊
「まだ、起きていましたか」
変わらぬ声。
源次は、目を開ける。
「……ああ」
短く。
菊は、隣に立つ。
何も言わない。
同じ方向を見る。
沈黙。
だが――重くない。
菊
「今日は、少しだけ」
間。
菊
「良かったですね」
それだけ。
源次は、返さない。
だが、 否定もしない。
胸の奥に、残る。 言葉が。
菊は、去る。
また、ひとり。
⸻
静寂。
⸻
源次は、手を見る。震えている。
だが――止まっていない。
息を吸う。 苦しい。 吐く。 熱い。
胸が、上下する。
(……何だ)
分からない。
だが。確かに、ある。
この感覚。
⸻
翌日。
⸻
また、同じだ。
だが――少し違う。
言葉が、早く出る。無駄が、減る。
通じる。
相手が、動く。
男
「……そういうことか」
初めての言葉。 理解。
源次の胸が、強く打つ。
そのまま。
次へ。
繰り返す。
何度も。
失敗。 成功。 怒り。 苛立ち。
だが――逃げない。
逃げられないのではない。
“逃げない”と、決めている。
ある日。
限界が来る。
言葉が、出ない。視界が、揺れる。
膝が、折れる。
源次
「……っ」
床に、手をつく。
呼吸が、乱れる。 止まらない。
その時。
誰かの手が、肩に触れる。
強くない。
だが、確か。顔を上げる。
教え子。
あの、怒鳴っていた男。
男
「……まだだ」
短く。
差し出される手。
源次は、それを見る。
掴む。 立つ。 息を吸う。 苦しい。
だが――止まらない。
再び、前を見る。 言葉を出す。
今度は――通じる。
頷き。 連鎖する。 理解。
その瞬間。
胸が、大きく鳴る。強く。はっきりと。
⸻
夜。
また、ひとり。
座る。
静かだ。
だが――空ではない。
残っている。
今日の全てが。息をする。
苦しい。
だが。止まらない。胸が、動く。
確かに。
(……生きている)
言葉には、しない。
ただ。そう、分かる。
その時。 足音。
静かに。
だが、確実に。 近づいてくる。
この場に。
“外”の存在が、入ってくる。
源次は、顔を上げる。
来る。
あの男が。
紅蓮が。
つづく
鉱山の仕事を終えて、新しい償いへ。
CEIは、こんなに過酷な所なの?
いえいえ、そんなことはないデスょ。




