紋章の刺繍
リーリエ視点です。
サージェス様はわたしのことを優しいというけれど本当に優しいのはサージェス様のほうだ。
きっとサージェス様が刺繍入りのハンカチをもらったのはグレイス様からだけではないだろう。
サージェス様に憧れているご令嬢方がきっと贈っているはずだ。
婚約者がいれば受け取らないだろうけれど、サージェス様にはいらっしゃらなかった。
優しいサージェス様は傷つけないようにと受け取っていたと思う。
「他のご令嬢方からいただいたのではありませんか?」
「贈られることがなかった、とは言いませんが、全てお断りしました。期待も誤解もさせるわけにはいきませんから」
「そうですか」
真面目で誠実な方だ。
だからこそ余計に想いを募らせた方もいるかもしれない。
これは本当に心していないとならないだろう。
決してトワイト家に迷惑はかけられない。
侮られずにうまくいなさないと。
心の内で密かに覚悟を決める。
それとサージェス様に知られないようにしないと。
心優しいサージェス様は心配してしまうだろうから。
場合によっては、相手の家との関係が悪くなってしまうかもしれない。
それは避けなければならない。
女性同士の応酬に男性が介入すると話が大きくなってしまう。
それは双方にとってあまりよくない。
女性同士の応酬にはそれ相応のやり方がある。
それはリーリエの領域だ。
サージェス様に介入させるわけにはいかない。
サージェス様がハンカチに視線を落とす。
「私はリーリエのこの温かみのある刺繍のほうが好きですね」
真っ直ぐな褒め言葉が心をくすぐる。
刺繍の腕前ならお世辞と取っただろう。
だけど、サージェス様が褒めてくれたのは刺繍の雰囲気だ。
だから素直に受け取れた。
「ありがとうございます」
サージェス様の視線がわたしに戻る。
「素直な気持ちです」
「だからこそ嬉しいです」
頷いてサージェス様が微笑む。
「大切にしますね。ありがとうございます」
「ありがとうございます。これからも作りますね」
「はい。楽しみにしていますね」
「が、頑張ります」
「あまり無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます」
こういうところがサージェス様の優しさだ。
ノークス様だったら頑張るよう、言うだけだ。
思考を振り切る。
「練習しますから侯爵家の紋章入りのも作ってもよろしいでしょうか?」
一応お伺いを立てておく。
フワル家では何度も侯爵夫人に見てもらってようやく紋章入りのハンカチを刺す許可を得た時には婚約してから半年経ってしまっていた。
それからは何枚かノークス様にフワル家の紋章入りのハンカチを贈った。
彼は律儀に持ち歩いて時には友人に自慢していた。
気に入ってくれたのだと思っていたが、今思えば社交の一種だろう。
もう全て処分されてしまったに違いない。
婚約者でもない女の刺繍したハンカチなど取っておく理由はない。
むしろ新しい婚約者や恋人のためにもさっさと処分しているはずだ。
何の感情もなく処分しただろう。
わたしにはまったく何の感情もなかったのだから。
ふわりとサージェス様が微笑う。
「是非お願いします。嬉しいです」
そんなに喜んでもらえるとは思わなかった。
「母に伝えておきますね。母から教わるほうがリーリエも安心でしょう?」
その申し出は有り難い。
夫人に教わるのが一番確実なのだ。
「お願いできますか?」
「はい。母も喜ぶことでしょう」
それには曖昧に微笑んでいた。
トワイト侯爵夫人とはほとんど話したことがないので実際どのような方かわからない。
二度のお見合いの席でもにこやかにしていらした。
だけど、高位貴族の夫人は表向きにこやかでも内心でどのように思っているかはわからない。
そこが不安だった。
これから夫人教育も本格的に始まることだろう。
まだ具体的な話は出てきていないけど、それは確かなことだ。
嫁ぎ先のことを学ぶのは当然だから。
紋章の刺繍はその一環になるはずだ。
「大丈夫ですよ。母はこの婚約を歓迎していますので」
不安をサージェス様に悟られてしまったようだ。
「本当ですか?」
思いきって訊いてみる。
フワル侯爵夫人はわたしのことは認めてくださったけど、それだけだった。
フワル侯爵夫人の中では及第点だっただけだったのだと思う。
別に歓迎はされていなかった。
だからこそあっさりと手放されたのだ。
たった一言で。
その最後の一言も慈悲くらいに思っていたのではないだろうか。
驚いた様子だったサージェス様が安心させるように微笑んだ。
「はい、本当です。私やグレイスから話を聞いてリーリエと話せるのを楽しみにしています」
その言葉を信じてみたい。
それには実際にお会いして時間を重ねるのが大切だ。
フワル侯爵夫人の二の舞になるかもしれないけれど。
それでもいいと不思議と思えた。
「わたしも、夫人と話せるのを楽しみにしています」
「紋章の刺繍はいいきっかけになりますね」
「そうだと嬉しいです」
「母にもそのように伝えておきますから大丈夫ですよ」
「はい」
トワイト侯爵夫人にはどう取られるだろうか?
少し、不安だ。
ううん、ここはサージェス様に任せよう。
きっと悪いようにはならない。
そう信じられる。
サージェス様がにこやかにハンカチを軽く掲げる。
「とりあえずこれは友人に自慢しておきます」
「え?」
思いがけないことを言われてわたしは思わず軽く目を見開いてしまった。
サージェス様は悪戯っぽく微笑う。
「実は友人に婚約者からの刺繍入りのハンカチを自慢されて悔しかったのです」
これは本当だろうか?
それとも婚約者としての気遣いだろうか?
わからない。
だけどサージェス様は楽しそうに見える。
「今度は私の番です」
「そうですか」
そんなに友人が羨ましかったのだろうか?
あまりその辺り気にしない人だと思っていたのだけれど。
意外だ。
それでも他の令嬢からハンカチを受け取って自慢しようとしなかったのはサージェス様らしいと思う。
「リーリエがくれるたびに自慢しておきますね」
余程何回も自慢されて悔しかったのだろう。
顔が引きつりかけたけど何とか堪える。
これは下手なものは渡せない。
もう少ししっかりと練習しよう。
わたしはしっかりと心に刻んだ。
読んでいただき、ありがとうございました。




