第6話「木彫りの兎」
☽☽☽ 繰り返す時の中 幸福の章 【二】 ☽☽☽
緋月と出逢って四年が経過した。
私は十四歳、緋月は十八歳となった。
少しは緋月に近くなったと思ったが身長差は変わらず。
私は背の高い緋月にちょっとでも目線を合わせたくて、かかとを浮かせて背伸びをすることが多かった。
「緋月! 来てくれたのね!」
日が沈む少し前のこと。
大慌てで家に駆けこみ、何食わぬ顔をして縁側から緋月に声をかける。
私の声に振り返った緋月はわかりやすくため息を吐き、肩を竦めた。
「姫。また抜け出して外へ出ましたね?」
「えっ!? な……」
「顔、土汚れがあります。着物も、後ろが黒くなっています」
とっさに頬を手の甲で拭く。
裾や袖は土を払ったが、背中はどうしても手が届かない。
御所から抜け出して京から戻ったばかりだった。
何を言っているんだ、と誤魔化そうとしたが、緋月には完全に見透かされている。
責める目つきで見られると、「うっ」とたじろいでがっくりと肩を落としてしまった。
私の姫らしくない奔放さに、緋月は深く息を吐いて歩を進めると、従者の目をして語りかけてきた。
「最近治安が悪くなっています。せめて俺がいる時に出てください」
「どうしてそんなことになったの? 流民が増えたと言っていたわ」
「米の実りが悪いんです。それだけでなく商人が襲われて流通に支障をきたしています」
雨が降ったかと思えば、土砂降りで川が濁ってしまう。
水に溢れて村が浸水し、都に人が流れた。
強い雨に米がやられたが、その後はまったく雨が降らなくなり干ばつ状態に。
飢えた民が米を独占しようとする商人を襲い、争いが広がっていった。
(何も出来ない。私、この国の姫なのに……)
姫という立場があれば何か出来る。
それなのに聞くしか出来ない。
なんて歯がゆいのだろう。
姫ならば民のために何か出来ることがある。
必ず姫だから役立てることがあるはずだ。
しかし思いに反し、まったく役に立てていない悔しさに何度も涙を拭っていた。
「姫が思い悩むことではないですよ」
「でもっ!」
「役割というものがあるんです。姫には姫の役割が」
その役割こそ、民のためにあるはずなのに。
父に存在を忘れられ、姫として身分を活用も出来ていないどころか、他の女房たちの機嫌を損ねてしまう。
なるべく彼女らに目をつけられないよう息を潜めているが、たまに痛い思いをするので悩ましいものだった。
「姫のやさしさに救われる人もいます。子どもたちも、姫と遊ぶのを楽しんでいますよ」
無力感に苛まれる日々に、救われる瞬間がある。
御所を抜け出し、京の子どもと交流することが私にとって癒しとなっていた。
「そうだよね。私は私に出来ることをすればいいんだよね!」
こんなことでめげている場合ではないと、グッと口角を上げる。
まだまだ知らないことはたくさんあり、好奇心は止められない。
知らないことを知っていくのが私の趣味であり、生きがいだ。
こうして好奇心を満たして見分を広げれば、いつかは帝と話すことが出来るかもしれない――。
(それに緋月が色々教えてくれるもの。……とても楽しい時間なの)
もっとも幸せな時間。
緋月と過ごす時間が何よりも愛おしい。
今、私が生きる上で心を満たしてくれるのはまぎれもなく緋月だった。
――だから余計に穴が目立ってしまうのかもしれない。
「緋月のお仕事は民に必要とされるもの? 帝と直接対面することはどれくらい……」
出逢って四年も経過しているのに、緋月のことをほとんど知らない。
御所勤めとは聞いているが、どうも貴族ではなさそうだ。
兵士とはまた違う雰囲気があり、謎なことが多い。
いまだに緋月が私の元へ訪れるのも、芹以外には見つかっていないので、とんでもない抜け道を知る手練れとは推測できた。
「俺は時羽姫に必要としてもらうのが嬉しいです」
(んなっ!? なななななっ!!)
甘ったるい声と言葉に顔が真っ赤に爆発した気がする。
質問しても答えてくれないくせに、私の気持ちを振りまわすのは得意なようだ。
絆されて私が言葉を飲み込むのもわかって口にするのだから、計算高さにムッとしてしまう。
ズルい人だ、と唇を尖らせた。
「今日は姫に渡すものがあるんです」
「渡すものって?」
不貞腐れつつ、緋月の横顔に魅入ってしまう自分は重症だ。
男性なのに、月明かりの下では女神のように中性的で麗しい。
太陽の下でも嫉妬してしまうほどに肌がきめ細かく輝いている。
この四年で緋月は美しく成長しすぎだ。
とことん私の思考は緋月にあっちこっちと振り回され、忙しなかった。
「これを……」
月が袖から出したのは小さな木箱。
なんだろうと首を傾げ、木箱を受け取ってフタを開けてみると、中から木彫りの兎が顔を出した。
「わっ、かわいい」
手のひらにのせればちょこんとして愛らしい。
「はじめて彫刻をしたので不格好ですが……」
「えっ! 緋月が作ったの!?」
私の歓声に緋月は頬を赤らめて頷く。
それを見て私の心は急速にワクワクしだして、頬が勝手に緩んでいった。
「すごいわ! 手先が器用なのね! 何の木で出来ているのかしら? 赤いお目目も緋月が描いたの?」
興奮が止まらずに早口になる。
それに緋月はくすりと笑い、木彫りの兎を指で突いた。
「八重桜の木です。姫の目に似せたつもりですがどうでしょう?」
「私の目!? そんな……」
くりくりとした兎の目と目があって、体内すべての熱が顔に集まったかと思うくらい火照りだす。
じわじわと込み上げる感動に、私は不器用であろう笑みを緋月に返した。
「緋月には私がこんな風に見えているんだね。ちょっと、恥ずかしいかも」
正直なところ、兎がかわいすぎる。
水に映った自分の姿は見慣れてしまい、新鮮味がない。
木彫りの兎はまん丸とした目をしており、まるで月に住む兎がやってきたみたいだ。
「ありがとう、緋月。大事にする」
木彫り兎を胸に抱きしめて、目頭の熱さを感じながら喜びを噛みしめた。
緋月のやさしさは欠けた私の心に淡く光をくれる月明かりのよう――。
「姫、空を」




