第20話「芹の幸せを願って」
まさか見られていたとは思っていなかったようで、芹は面を食らって焦りだす。
「違いますよ! あの方は! ……あの方は」
「ちゃんと教えて。芹のこと、ちゃんと知りたいの」
私の真っ直ぐな姿勢を受け、しばらく芹は沈黙してしまう。
それから息を長く吐くと、思い詰めた顔をして口を開いた。
「よく、わからないのです」
「わからない?」
芹は頷くと、眉をひそめて早口に喋りだす。
「突然現れて、いきなり求婚されたんです。どこから現れたのやら……。意味が分からなくて断ったら今度は毎日来るようになったのです」
「ま、毎日……?」
それは大丈夫なのかとさすがに心配になってしまう。
いつからそうなのだろうと首を傾げれば、芹はここ最近のことだと渋い顔をした。
「変わった方ですよね。こんな下女を好きだと言う方なんて……」
(あ……)
ずっと芹を見てきたからわかってしまう。
小言のように聞こえるのは、芹が気になっているから。
本当に嫌だと思っていたら芹は全力で無視する人だ。
(私は……芹のために何が出来る?)
芹にとっての幸せと、私の芹への思いはきっと繋がっている。
それを口にしたら芹は答えてくれる?
いつも愛をくれるその口から聞きたいの。
「芹はいま、幸せ?」
気になるのは“芹にとって何が幸せか”だ。
私が芹といて幸せなのは間違いない。
だけど同じことを望む人がいる。
誰といて幸せかは芹が決めることだ。
私は芹の意思に寄り添えればそれでよかった。
「幸せですよ。とても。……とても」
感慨深いと芹は言葉を噛みしめる。
その愛情の深さに時羽は巣立ちの日を痛感した。
時羽が背中を押さないと、芹はずっとそばにいてくれようとする。
頑なに無償の愛を贈ってくれる慈しみ深い人だから。
「私は知らないことを知るのが好き」
これが芹への手向けになるかも曖昧だ。
「芹もいろんな選択をもっていいの。私はいっぱい芹に可能性をもらった。だから芹の幸せを私に断定しなくていいんだよ」
母もきっと芹に感謝している。
二人がいて、私が生きているから。
私が巣立つタイミングこそ、新たな道を切り開く時だ。
幸せを願うあたたかい気持ちも、近くにいなくなるさみしさも、いつまで経っても消えるものではない。
それでも未来のために、誰かの選択肢を狭めたくなかった。
「芹がどうしたいか、選んでいいよ。その人が気になるんだったら少し一緒にいてみてもいい。嫌なら戻ってこればいいんだもの」
「時羽様は私がいなくても平気ですか?」
芹の問いに私は物思いに沈んだ微笑みを浮かべ、首を横に振った。
「平気じゃない。だけど強がることは出来る」
強がりに関しては人一倍自信がある。
ヘラリと笑うと、芹は身を震わせて頬に涙を伝わせた。
私の輪郭をなぞり、強く抱きしめる。
「私にとって時羽様と過ごした日々が一番の幸せでございます」
「うん」
「ですが、いつまでも私がいれば時羽様を縛りつけてしまいますね」
「そんなことない。芹がいたから私は安心して生きてこられた」
生きる選択肢をくれた大切な人の幸せを願う。
芹は母であり、姉であり、大事な友だ。
「私は知っていますよ。時羽様が誰を想っているか」
芹は鼻をすすりながら私の髪を何度も指で梳く。
核心部分をつく言葉に頬が火照りだしたと慌てふためき、芹の背中をポカポカと叩いた。
それに芹はくすぐったそうにはにかんだ。
「幸せになってください。私の願いはそれだけですよ」
しゃんと背筋を伸ばして、芹は涙に濡れた顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「どうか時羽様が正しいと思う道を」
(正しい道……)
やけにその言葉が引っかかったが、芹の言葉からは愛情しか感じない。
引っかかりに目を瞑り、芹を抱きしめられながら亡き母を思い出す。
「誰を選ばれても忘れないでください。あなたはまぎれもなく宵花様の娘で、姫君なのですから」
「うん。わかっているよ。芹の気持ちは私が誰よりわかっている」
引っかかってしまうのは私の心に迷いがあるだけのこと。
明確な答えが出ていれば、芹の言葉は私の後押しになる。
今はそうならないだけで、私が芹のためにしたいことは揺らがない。
「ありがとう。大好き、芹」
――春の風が吹いたと思えば、翌日はまた冬に戻ったかのように冷え込んだ。
身の震える寒さのなか、芹は告白してきた殿方を連れて紹介してくれた。
結婚したいという意思を示され、私は笑顔で二人を祝福する。
それからどんどん距離を詰めていく二人を眺め、数か月後に芹は嫁入りした。
芹は「御所の近くに住むからこまめに顔を出す」と宣言し、正々堂々と門をくぐった。
私には越えられない門の向こう側へ、二人が見えなくなるまで大きく振り続けた。
八重桜が咲いて散るまでの季節。
やさしい陽射しの下で、どこまでも、どこまでも芹の幸せを願った。
強くなった証明を示したい。
私は立派に大人になったのだと胸を張り、側室たちの庭を歩いていく。
いつもコソコソ身を潜めていたので、突然我が物顔で出てきた姿にと側室たちがひそひそ話をはじめた。
小さな違和感は瞬く間に広がって、ついには母・宵花と因縁のある側室の耳にまで届いてしまう――。
「おとなしくしていた方が身のためというものを」
芹がいなくなった日を境に私の生活は一変する。
人目につかぬ小さなことではあったが、嫌がらせが増えていった。
臆さない。
臆したりするものか。
芹の言ったとおり、私は姫であり何の後ろめたさもないのだから。
堂々と生きていこう。
そう誓った日の夜、空には満月が大きく輝いていた。




