第19話「芹と時羽」
男はいなくなった芹を見つめ、風の音にまぎれていくように御所の中心部へ去っていった。
(どういうこと? 芹、求婚されていたの?)
心臓がざわざわする。
空はまだ赤く燃えているのに、冷えた風が時羽の横を通過した。
日が沈み、情熱的な光景は影が増えてコントラストを強めていく。
「姫、戻れますか?」
緋月の声にハッとして、慌てて振り返る。
「緋月、知っていたの!?」
薄暗い中、緋月が困ったように頷いた。
私は声を詰まらせて、頭の締めつけを誤魔化すため両腕を擦りだす。
(なんで……。そんなこと、芹は一言も……)
いや、気づこうとしなかっただけだ。
芹の年齢を考えれば遅いくらいなのはわかりきったこと。
私の存在が芹の枷になっている。
束縛したくないと願いながらも、ずっと芹がいなくなることを恐れていた。
戻ったところで芹にどんな顔を向ければいいのかわからない。
明らかな動揺はすぐに気づかれてしまう。
どうしよう、どうしようと考えている内に身が縮こまるも、緋月がかがんで目線を合わせてきた。
「俺が姫と出会ってもう五年です。ずいぶんと姫は変わられた」
それほど時が経ったのか、と季節の流れるさまが頭の中で駆け巡る。
緋月と出会うより前に、芹が私の前に現れた。
芹に会う前はまだ母上が生きていて、ささやかにも幸せな日々を送っていた。
悲しみに暮れていた私に、手を差し伸べてくれたのは芹だ。
母に世話になったからと、たったそれだけの理由でずっと一緒にいてくれた。
まわりからどう思われるかも犠牲にして、ずっとずっと傍に……。
私の幸せは芹の自己犠牲で成り立っていたかと思うと、不甲斐なさに視界が滲んだ。
「姫のさみしさを、そのままお伝えしてもいいと思いますよ」
「そんなこと言ったら芹は残るわ。芹だって幸せになってもいいのに……」
「芹さんはそんなに弱くないですよ」
赤紫の瞳をやわらかく細め、緋月は私の額にコツンと額を合わせてくる。
そんな色だったろうか、とぼんやり思うも今の私には芹のことでいっぱいいっぱいだ。
「芹さんの幸せは姫が決めることではありません。それだけは忘れないでください」
緋月の言葉にじわじわと熱さと苦しさがこみ上げてくる。
涙は流すまいと唇を結び、小さくうなずいた。
緋月は私の藍色の髪を撫で、そっと背中を押す。
「気になることは聞く。それが姫の良さですよ」
「うん。……うん!」
いつだって緋月は欲しい言葉をくれる。
やさしさに応えられているかな?
芹は私に困っていない?
芹にとっての幸せって何?
知りたい。
大切な人のことは余すところなく知りたかった。
「ありがとう、緋月。私、行ってくる」
緋月に背を向け走りだす。
春一番が夜になって吹いた。
家屋に入れば芹が行燈に火を灯し、火の揺れを眺めていた。
「芹!」
「あっ……と、時羽様!」
芹は顔を上げると、血相を変えて私の前に慌ただしく駆けてくる。
「また遅くに戻ってきて! もう夕日が沈んでいますよ!」
「ご、ごめんなさい……」
しおらしく謝れば芹は目を丸くし、すぐに背を向けて他の行燈にも火をつけていく。
「緋月さんが一緒だったはず。もう少ししっかり見ていただかなくては困りますね」
「私、もう十分大人よ?」
「何をおっしゃいます!? 時羽様はまだまだ幼くて……」
振り返った芹は言葉を詰まらせ、苦しそうに眉根を寄せて前に立つ。
私はあまり背が高くないので芹を見上げているが、それでも昔よりは差が縮まっていた。
行燈の灯りは芹の戸惑いに影をさす。
「時羽様は、今おいくつでしたか?」
「十五歳よ」
「そう……ですか。もうそんなに……」
芹と出会ったのは七歳の時。
母が亡くなってすぐに芹はやってきた。
その時の芹の年齢は十八歳。
今の私とさほど差はない。
真っ直ぐに見つめると、芹は震える手を伸ばしてくる。
手のひらが私の輪郭を包んできたので、温かさに目を閉じて頬ずりをした。
「宵花様に似てきましたね」
宵花とは、母の名だ。
「芹はお母様が下女だった頃、仲が良かったのよね?」
「はい。ですが友というわけではありません。……宵花様は私の母みたいな方でした」
芹は私の手を引いて、縁側に腰かける。
月明かりと行燈だけのやさしい夜に、私たちの会話は溶け込んでいった。
「私がまだ十一歳だった時、男に襲われているところを助けてくれたのが宵花様でした」
(襲われた!?)
衝撃的告白に芹の腕に掴みかかり、血の気が引ける思いで揺さぶっていく。
「だだだ、大丈夫だったの!? なんてこと……そんなの絶対に許せないわ!」
「大丈夫でしたよ。宵花様が不思議な力を使って……。いえ、なんでもございません」
芹は母のことを何か口にしようとしたが、すぐに言葉を飲みこんでしまう。
世の中には頭のおかしい輩がいるんだと目尻を尖らせ、だから一人で出歩いてほしくないのだと、懇願した。
怒ってばかりの芹だが、その背景を知り時羽は申し訳なさでいっぱいになる。
それに芹も肩を落とし、私の手を包んで膝に置いた。
「それからすぐに宵花様は側室になられました。時羽様が生まれてからも、宵花様のお話を聞いていたので時羽様のことは知っていました。……幸せそうでしたよ」
その母も亡くなった。
側室の一人が母を池に突き飛ばし、そのまま母は病に伏せって命を落としたらしい。
身体が弱かったにしても、あまりにおかしな亡くなり方だった。
帝の寵愛を求めて苛烈な争いがあり、時に命を落とすものと知る。
母は短い間だが帝に見初められた。
下女から異例の側室へ。
良く思わない者は多くいた。
背景を知ってしまうと、芹が傍にいてくれなければとっくに私は死んでいた。
それこそ誰にも気づかれず、孤独に蝕まれて静かに、静かに……。
「芹、思っていたより若かったかも……」
「まぁ! 時羽様、それは失礼ですよ! 今でもだいぶ若いです!」
落ち込みそうになる心を誤魔化すには、少しばかりの嫌味を言わずにはいられなかった。
「そうね。……若いとは知っていたけど、私にとって芹はずっと大人だった」
第二の母と思うくらいに、芹に親愛を抱いていた。
大好きな芹。
上手く伝わらないだけで、私と芹の気持ちは同じはずだ。
「さっきね、見たの。あの殿方は芹のどういう人?」




