第17話「この抱擁は私たちだけのもの」
それよりも緋月に触れる方が大事だ。
寄る辺ない表情をされるくらいなら、私が緋月の笑顔をつくる。
いまだに震える両手を伸ばし、緋月の頬を包み込んだ。
緋月がひゅっと息をのむのを聞き取り、耳が歓喜に震えた。
「この前はごめんなさい。ちゃんと声をかけるつもりだったの。だけど私……知りたくなっちゃった」
指先で緋月の傷を拭う。
頼りがいのある緋月が今日はもの寂しそうに見えた。
「私の知らない緋月がたくさんいる。……浅葱さんしか知らない顔だってあるわ」
「浅葱は……」
その先を語るのは緋月にとって勇気のいること。
今まで私を気づかって口にしなかったのだから、思い迷ってしまうのも無理はない。
だから私は緋月が言ってくれるのを待つ。
とはいえあまり長くは待てないので、緋月の手を離すことだけはしないと意志を込めた。
「俺と浅葱は鬼狩りの一族なんです。公にはされていませんが、鬼専門の武力集団です」
覚悟を決めた緋月が重々しく口を開く。
先ほどの鬼が緋月を見て“鬼狩り”と呼んだ。
対立相手と見なしているということだ。
「俺たちは名前で呼ぶことがありません。色の名前で呼びます」
だから浅葱は“緋月”とは本当の名前なのか、と訊ねた。
浅葱も“色の名”だ。
そうなると緋月は“緋色”になるはずだと、行燈に照らされた髪飾りに目を向けた。
(そっか。だから緋色の組紐が気になったんだ)
事情はわかったが、浅葱はなかなかに私をおちょくっている。
町に出た際、私が何色にしようかと悩んでいるのを見ていたのだから。
緋色を選んだと、あえて緋月に言ったのだとしたらずいぶんと意地が悪い。
「わかったよ。別に名前が重要ではないもの。少し悲しかっただけ……」
「違いますっ!!」
緋月が声を荒げて私の言葉をかき消す。
肩をぐっと掴まれて顔を上げると、緋月が切なそうに眉を寄せて私を見つめていた。
「違うんです……。俺にとっては大事なことなんです」
手が震えている。
今、緋月は精一杯の勇気を振り絞ろうとしている。
その姿を見ている内に胸が苦しくなって、緋月の輪郭を包みなおす。
それくらいしか緋月への寄り添い方が思いつかなかった。
「俺にとって大事なのは、時羽姫に“緋月”と呼ばれることなんです」
「本当の名前なの?」
「姫に呼ばれる名が俺の真実です」
なんて曖昧な言い方だろう。
何がどうであろうと、緋月は核心部分には触れさせてくれない。
「緋月」
それでもいいと思った。
そんな“あなた”に振り回されたいと想いを抱いた。
緋月の頬から胸に下降させて、鼓動に耳を傾ける。
「これからも緋月と呼ぶわ。だから緋月も私を呼んでね」
緋月の目が見開かれ、すぐにやわらかく表情を綻ばせた。
「はい。時羽姫」
いつもより甘い声に、ときめくも気を取り直して咳ばらいをし、ジロリと緋月の顔を覗き見る。
「ねぇ、姫って必要?」
こればかりはずっと不満だと、唇を尖らせる。
それに緋月は息を漏らし、口元に手をあてて笑った。
「それは、ダメです。呼び捨ては絶対に出来ません」
「はじめて会ったときは呼んでくれたのに」
「姫が姫と知らなかったからです。ご容赦ください」
「喋り方は? もっとくだけていいのよ?」
「それも。……俺が心地いいように喋らせてください」
緋月はとことん頑固だった。
私もなかなかに頑ななところがあるが、緋月はそれ以上だ。
今はこちらが折れるしかない。
代わりに私から素直になってみようと、緋月の胸から手を離すと、膝を立てて思いきり抱きついた。
「助けてくれてありがとう、緋月」
「はい。守れてよかったです」
この抱擁は私たちだけのもの。
知っているのは半分に欠けた赤い月だけ――。




