第16話「鬼狩りの緋月」
国を荒らしている“鬼”、実際にこの目で見るのははじめてだ。
身体は空中に囚われており、逃げようと足を動かしても意味を成さなかった。
視界に入るのは暗闇にぼんやりと灯りをともす御所だけ。
蝋の灯りは消えてしまった。
鬼が出たというわりに静かなため、単体で現れたのだろう。
助けを呼ぼうとすると、鬼は時羽の首を掴んで呼吸を遮った。
「うっ! ぁぐっ……!」
足をばたつかせるも、大した抵抗にもならず鬼の興に添えるだけ。
『お前、ツクヨミか?』
鬼は私に顔面を近づけて舌なめずりをする。
唐突な質問の意味がわからず、私は血の気が引ける思いに怯えて背中をのけ反らせた。
(ツクヨミって、何? そんなの知らない……)
『厄介な姫だ。ここで殺してしまおうか』
あまりの空恐ろしい状況に、いつもならベラベラと喋る口が開かない。
複雑に入り混じった感情を整理できずに涙が零れ落ち、酸素を求めて身体が痙攣しだす。
それを面白がって鬼はしたり顔をすると私の頬をベロリと舐めた。
「ひっ!?」
私の反応を楽しんでいる。
怯えて視界を滲ませる姿を愉悦に目を細めていた。
窮地に陥ったと理解するとともに、意識が霞みだした。
(嫌だ。こんな形で……)
涙とともに、思いの丈が溢れだす。
赤い月は竦むほどに恐ろしいが、決して赤が嫌いなわけではない。
焦がれるのは“緋色”。
口に出せぬ恋情で緋月を縛りつけた。
このまま気まずいままで別れるのは嫌だ。
勝手に盗み聞きしたことをちゃんと謝りたい。
緋月が誰であろうと、私にとっては“緋月”だと伝えたい。
首を絞める鬼の手を掴み、引き剥がそうと歯を食いしばって身体を捩った。
「くっ……うぅ! うぐぅ!!」
『ほう。意外と粘るな。だが折るのは惜しい』
「ひ……づき……!」
力を振り絞り、捨て身で鬼の足を蹴り飛ばす。
反動で首を絞める手が離れ、私の身体は宙に投げ出された。
土まみれになって、後悔に爪を立てる。
(緋月……。会いたいよ……)
何度、死が過ぎったか。
意外とあっけないものだと、どこか諦めに似た気持ちを抱く。
心は緋月を渇望しているのに足が動いてくれなかった。
「時羽っ!!」
緋色が揺れる。
弱っていく私を引き止め、光になってくれるのは決まって緋月だった。
月影になって私の身体を抱きしめると、そよ風を吹かせて着地した。
まともに顔が見えないのに、声や輪郭で緋月だとわかってしまう。
それくらいに焦がれているんだ。
「緋月……」
震える声で名を呼ぶ。
「すみません。遅くなりました。……俺は本当に何を」
「ありがと……。ありがとう、緋月!」
手を伸ばし、緋月の後頭部を引き寄せて抱きついた。
身体が震えてしまい、緋月の支えがなければ立つことも叶わない。
緋月が抱きしめ返してくれると不安が嘘のように消えていった。
緋月は私の肩を押すと、穏やかに微笑んで立ち上がる。
そして私を庇うように前に立つと、空に浮く鬼を睨んで声を荒げた。
「姫を狙うとは……! キサマはここで狩る!!」
腰に下げる刀を抜いて、地面を蹴り飛ばすと高く飛びあがる。
緋月の攻撃に、鬼は血が騒ぐと笑いながら鋭い爪で空を裂いた。
鮮血の弾丸が襲いかかるが、緋月は器用に身を翻して刃を鬼に振るう。
『お前、鬼狩りか! それにしては妙な気配だ!』
長い爪と刃がぶつかり、緋月はすぐに体勢を切り替えて着地した。
あきらかに戦闘能力が高い姿に、段々と鬼は目を輝かせ、犬歯が見えるほどに大口に笑った。
『そうか、お前か! お前が“緋色”なんだな!?』
鬼の言葉に緋月は舌打ちをし、頬を手の甲で拭う。
非現実的な力のぶつかり合いに、私は出る幕もなく、物陰に隠れて見守ることしか出来なかった。
「時羽ちゃん、こっち」
肩を叩かれて振り向くと、声をひそめてしゃがむ浅葱がいた。
いつもの軽装とは変わり、全身黒ずくめとなっている。
腰には二対の剣。
戦うための姿に、ようやく緋月と浅葱の繋がりを察した。
今は泣いていられない。
口端を固く結んで浅葱に続いた。
家屋に入ると浅葱が私の肩に着物をかけ、はにかんで頭を撫でてくる。
「ちょっと待っててな。あとでちゃんとアイツから説明させるから」
うなずくと、浅葱は安堵に微笑むと緋月の助太刀に向かった。
金属音に荒れた風の音。
薄暗い視界で音だけはハッキリと聞こえてくる。
どれくらいの時間をそこで待っていたかわからない。
気づけば音は止んでいて、木枯らしが砂利と擦れる小さな音だけが残った。
「時羽姫」
目の前に行燈のあかりが現れ、弱り果てた緋月の顔が浮かんだ。
赤紫の瞳に炎を映し、緋色に揺れている。
頬から血が流れているが、緋月の血だけではないようだ。
触れようとすれば、緋月は身を引いて苦悶に満ちた表情で首を横に振った。
「すみません。今はだいぶ汚れていますので」
触れないで、と言いたいのだろう。
その拒絶で私が言うことを聞くはずもない。
「どうして?」
「血がついているんです。姫まで汚れてしまいますから。どうか……」
「それなら別にいい」




