第15話「鬼」
お月見の後、緋月は私の前に現れなくなった。
私はすっかり落ち込んでしまい、気を紛らわそうと組紐制作に励んだ。
弱い自分を嫌悪して手ばかり動かしていると、組紐の材料が切れていることに気づく。
途端に虚しくなって手が止まってしまった。
(別に、平気だもん)
緋月がいなくても。
浅葱が友だちとして隣にいてくれなくても。
元々ここには私と芹だけだった。
時々、母との思い出を懐かしむやさしい鳥かごだ。
(どんな時も姫君は強く、尊く前を向く者。……緋月がいなくたっていいんだから!)
やけっぱちになって小袖を着て外に出る。
壁穴もだいぶ小さくなったので、新しい抜け道を探すか穴を大きくしてみるかと無理に思考を働かせた。
小袖一枚では肌寒く、腕を擦りながら組紐の道具を売る店に向かう。
いくら時間が経過しようと米の収穫量は増えず、人々は代わりとなる作物を育てながら冬を乗りきろうと模索していた。
「あ! 時羽ねーちゃん!」
組紐の材料を買った後、京すぐそばの河川敷へ向かうと、そこに集まる町の子どもたちが大きく手を振ってくる。
そこで子どもたちの話を聞くのが好きだった。
どんな遊びが流行っているのか。
民が持つ生きる知恵を学ばせてもらうことが多かった。
「今日は町に人が少なかったわね。何かあったの?」
膝に貧民のナナをのせて櫛で髪を梳く。
土埃で汚れた髪も、櫛を通せばずいぶんと艶が出るようになった。
十歳にも満たないであろうナナは、指をもじもじさせながら私を上目に見つめてくる。
「あのねー、最近鬼が出たんだよ~」
「鬼?」
一瞬、緋月の顔が脳裏に過ぎった。
また考えてしまいそうになり、首をかぶりふって思考から外す。
弱い自分は押し殺してしまえと、虚勢を張ってナナの頭を撫でた。
「京の外でも鬼が出たっておっ母が言ってたんだ~」
「だけどこの前、町にも鬼が出たって騒ぎになったんだ!」
ナナの言葉に元気いっぱいの男の子・イチタが続く。
「御所に向かってたエラい人がおそわれたんだって。こわいよ~」
「そう……。みんなは大丈夫だった?」
イチタとナナ、他の子どもたちがにっこり笑って頷く。
「京っていっても門のあたりでのことだし! さすがにここまでこねーよ!」
「でもぉ……。おうちは門の近くだよぉ」
「こわくねーよ! 鬼なんか来てもオイラが倒してやる!」
イチタは木の枝を拾ってぶんぶんと振りまわす。
京と一言でいっても、敷地は広く貧富の差は大きかった。
御所から離れれば離れるほど、貧しい者が増え、流民も集まって衛生面で被害が出ている。
子どもたちは皆貧しく、京と外を区切る門のそばにある長屋に住んでいた。
この子たちに比べれば私はよっぽど恵まれている。
芹がご飯を届けてくれ、着るものも母のお下がりでやりくりできた。
何の役にも立たない姫が、子どもたちより裕福な暮らしをする。
出来ることがもっとあればいいのに、と歯がゆさを感じずにはいられない。
姫なのに、国のためにお役に立つことも叶わない情けなさは、知らず知らずのうちに私の心を蝕んでいた。
(お父様に気づいてもらえれば何か――……)
変わるだろうか、と期待するだけ損だ。
帝のいる本殿に飛び込んで注目を集めようとしても、声が届くことはなかった。
結局、自分に出来るのは子どもたちに文字を教えることくらいだと、泣きたい気持ちに蓋をして自己満足に繋げていた。
「イチタくんはお侍さんになりたいのよね?」
私の問いかけに、イチタは無邪気に笑って振り返る。
「そうだよ! お侍さまになればもう少しマシな生活も出来んだろ!?」
「ナナはおっ母の手に塗るおくすりが欲しい。冬になるとねー、擦れて痛いんだって」
イチタに続いてナナが願いを語る。その純粋さが胸にチクチクと刺さった。
「ナナちゃんはたくさんの薬草を知っているものね。私が教えられるもの」
侍になりたいと希望を抱くイチタに対し、どうすれば侍になれるのか答えられない。
男性の領域に疑問を抱いても、忘れられた姫では知る機会が得られなかった。
時羽が出来ることはとても少ない。
支えてくれる人はたくさんいるのに、返せるものは何もないことが悔しくてたまらなかった。
河川敷を遠い目で眺めていると、太陽が傾いて空が橙色に染まっていると気づく。
雲の切れ間から光がこぼれだし、情熱的に川を緋色に輝かせていた。
その色に胸の高鳴りと痛みを感じ、子どもたちに誤魔化し笑いをした。
「もう暗くなるね。私も帰るからみんなも気をつけてね」
子どもたちに手を振って別れを告げる。
暗くならないうちに戻らないと芹に心配をかけてしまうので、そそくさと立ち去ろうとした。
するとナナが私の袖を掴んで、不安げに背伸びをして見つめてくる。
「ナナちゃん?」
夕日に染まったナナの表情は陰りが強い。
「時羽おねーちゃんも、気をつけてね」
「うん? ありがとね」
その場に膝をつき、ナナの額にコツンと額を重ねる。
くすぐったそうにナナは笑い、大きく手を振ってイチタを追いかけた。
子どもたちが見えなくなると、向かい風に進みだす。
風が乱暴に吹き荒れて、一つにくくった髪の結い目がほどけてしまい、空に藍色が馴染むようになびいた。
(穴がぁああ! 狭い!)
なんとか這いつくばって壁穴を抜けると、立派に育ってしまったお尻をバシバシと叩く。
胸に腹、お尻を摘まんでみれば脂肪が摘まめてしまい、愕然とうなだれた。
(こんなの緋月に嫌われちゃう……って)
また緋月のことを考えてしまい、皮肉に笑った。
いい加減、緋月を基準に考えるクセ直さなくてはならないのに。
結局、緋月の反応に一喜一憂しているだけなので、行動そのものが下心だ。
「芹、戻っているかな?」
今日は小言をちゃんと聞いてみようか。
背をシャキッと伸ばしたら芹は驚いてしまうかもしれない。
そうして気を逸らす方法を考えてはため息を吐いた。
陽が落ちて足元がハッキリと見えないので、手燭を灯して探り探りに歩く。
慣れた道とはいえ、障害がまったくないというわけではないので注意を払って進んだ。
(もう月が半分に欠けてしまったんだ。……私を見透かしているみたい)
中秋の名月は黄金に輝く麗しき月だったが、今晩は赤みがかった半月だ。
兎の影は見えない。
八重桜の色だと染めてくれた兎の目を思い浮かべると、胸が締めつけられるように苦しくなった。
「きゃっ!?」
そんな私をかき乱すように、強い風が巻き起こって空に枯れ葉を散らしていく。
乱れた髪をおさえ、速やかに中に入ろうと足を踏み出すと
(なに……浮いてる?)
足が地面から離れ、不安定に空中で浮いていた。
『あんたが緋色の女か?』
底冷えするような冷たい声。
薄気味悪い肌の冷え方に身震いし、恐る恐る振り返る。
その先には暗紅色のザンバラ頭に、鬼灯に似た血みどろの瞳をした男が私を舐めるような目つきで眺め、宙に立っていた。
「あなた、誰?」
肌は冬化粧をしたかのようで、唇は月明かりの下では血を塗った色に見える。
尖った耳、頭にはおどろおどろしい角が二本。
『鬼』
鋭い牙を見せて嗤う姿に背筋が凍りつく。




