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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
36/37

㉜僥倖転じて奇禍となす

(1)


 九月中頃の朝。

 暑くもなく、寒くもない、気持ちの良い晴天の中。

 一人の女が、朝っぱらから、なぜかフラフラと八丁堀を歩いている。

 一軒の屋敷の前に辿り着くと、力尽きた様に、玄関先の扉にドンと寄りかかった。

 朝食中の居間では、おきみがその音にビクッとしながら気が付いた。

 浩太郎の前で、食事を見ているおさよはさすがに落ち着いた様子で、おきみに、

「何かしらね~」

 と、言うと、

「私見てきます」

 と、次の間で食事を取っていた佐助の横にいた、おきみは立ち上がった。

 そして玄関先に行って、座ろうとした時、戸が開き、女が雪崩れ込むように、おきみの横に寝転がった。

「お、お華姉さん……」

 この言葉を居間で聞いて、おさよも立ち上がる。

 しかし、浩太郎は佐助と向き合い、二人共、忍び笑いしている。。


「どうしたのお華ちゃん!」

 今にも気を失いそうな、お華は、

「お・き・みちゃん……み、水を……」

 などと言って、最後の力を振り絞り……と言う様子で言うから、

 おさよが、

「こら! また行き倒れにでもなるつもり!」

 と怒り、強制的にお華を起こして引き摺る様に、居間に座らせた。

 そこにおきみが水を運んでくる。

 それを一気に飲んだお華は、

「う~、す、少し生き返った~」

 と、ふざけたこと言っているので、浩太郎が、

「馬鹿者。朝っぱらから、何してるんだ。今日は来る様に言ってないだろ。そもそも、昨日、宝探しの後、大奥行ったら、さっさと帰って寝るとか言ってたじゃないか?」

 茶を飲みながら、静かに叱りつける。

 するとお華は、

「兄上……。私もそのつもりで、屋敷に帰って、おみよちゃんとちょっと飲んで寝ようと思っていたのよ」

 おさよは冷たい顔で、

「それで、なんでこうなるの!」

 ピシッと、こちらは厳しく叱りつける。

 次の間の佐助とおきみは、なんだなんだと、興味津々に見詰めている。

 お華は、あまり力がこもっていない声で、

「だけどさ、ああなったら、どうしても報告しなきゃって、殆ど寝ずに来たのよ~」

 と、最後は涙声になる。

 浩太郎は呆れて、

「で、何を報告しに来たんだ」

 するとお華は、

「出たのよ」

「出た? 何が」

 お華は真剣な顔つきになって、

「出たのよ~ろくろっ首が~」

 それには、さすがに皆驚いた。

 浩太郎は、むすっとした顔で、

「何、ふざけた事言ってんだ!」

 と、少々大きい声で叱る。

 元気の無いお華は、

「本当よ。あたしとおみよちゃんと、お月様見ながら飲んでたら、天井から、ヒョイッと首が……」

 おきみは、思わず、佐助の袖を掴む。

 浩太郎は、いい加減笑い出す。

 おさよは、冷たく、

「んで? 何が出たって?」

「だから首が~」

「これ!」

 と叱りつけると、お華は、

「でもね、本当よ。二人で飲んでたら、急に天井から気配を感じたの。すると、天井の板を外して、女の人が首を出して、様子を見てんのよ」

「なんだと!」

 と、浩太郎は、そっちの方が、さすがに驚いた様子だ。

 そして、

「ちょっと待て、そりゃ、忍びって事か?」

 お華は、ようやく笑い出し、おきみちゃん怖かった? などと言いながら、浩太郎に、

「その通りよ。しかも伊賀さんじゃないのよ。なんと甲賀のお頭だったの」

それには、浩太郎と、おさよも別な意味で、最大の恐怖だった。

 「え~」

 浩太郎は、食事もそこそこに、身を乗り出し、

「こ、甲賀がなんで、お前の所に忍び込んでるんだ?」

 それには、お華は笑いながら手を振って、

「それは、わたしが知りたい所よ。でね、こっちに来なさい! って下に降ろしてさ、夜中じゅう話をしてたから、こんな事になっちゃったの」

 おさよが、目をしばたきながら、

「甲賀って、女がお頭なの?」

 と、こちらも興味が湧いたのか、真剣に聞いてきた。

「そうなのよ。ねえ、兄上。甲賀は百人組が有名でしょ」

 浩太郎は大きく頷き、

「そうだ。あそこは、鉄砲隊だからな。そいつらなのか?」

 お華は首を振り、

「あのね。古いって書いて、古甲賀って言って、全く別なんだって。古くから忍びをしていた連中らしいよ。私は、この前。伊賀のおじいちゃんから、甲賀の女頭が、見に来るかもしんないぞとか言われてたから、それほど驚かなかったけどね」

 と笑い、そして、

「三人で飲んでたら、優斎先生が食事の食器を返しにやって来たんだけど、なんと、先生。そのお頭をご存じだったのよ」

 浩太郎もそれには驚き、

「先生が?」

 お華は頷き、

「そのお頭、なんと薬屋をやっててね。先生も全く知らなかったみたいだけど、前からお知り合いだったらしいわよ」

 そして、お華はおさよに、

「先生のところに毎月、その薬屋の番頭さん。勿論忍びなんだけど、毎回」

 と、下を指差し、

「ここの前を通ってたんだって」

 それには、おさよも仰天した。

「そ、そうか、すぐそこだったものね~」

 お華は笑って、

「まあ、その頃は全く双方知らないから、忍び込むってのはなかったみたいだけど、結構怖い話よね」

 おさよは、大きく頷く。


 浩太郎は、苦笑いで、

「しかし、最近、伊賀と知り合いになったばかりなのに、今度は甲賀かよ。なんとも言い様がないな」

 そこでお華は、再びおきみに、水を貰って、飲むと、

「でね。問題はその報告じゃないのよ。その、お香っていうお頭に頼み事されちゃってさ」

 それには、浩太郎は呆れ、

「なんだ~。もう頼まれ事かぁ?」

 お華は頷き、少々微笑む。

「あのね。信濃のお頭は奉行所にお勤めなんでしょ? だって」

お華は大笑いして、

「ねえ、姉上! 兄上は信濃のお頭にされてるよ」

 それには、浩太郎以外、大笑いになった。

 浩太郎は、慌てた様子で、

「ばかやろ。俺は、ただの町同心だろ」

 と言うが、お華は、

「私達にはそれで通るけどさ、他の伊賀や甲賀の人達には、そうも行かないでしょ?」

 おさよも笑いながら、

「そうよね。確かに。まあ、三人しかいないけどね」

 すると、お華は、

「優斎先生は、客分でお願いしますってさ。佐助さんは、若頭ってとこかな」

 それには、また、皆大笑いとなる。

 頭を掻きながら、浩太郎は、

「ったく、何言ってやがんだ。で? 一体なんだって言うんだ」

 それには、お華も途端に真剣な顔つきに変わった。

「実はさ、この前斬り込んできた同心はともかく、そいつに付いていた男。憶えている? 私が永代から突き落とした奴」

 浩太郎は、少し上向いて考え、

「ああ、あの男。あいつは南町奉行所の人間じゃなくて、妖怪の家臣って聞いてるけどな。でも、あの男。確か、もう捕まったぞ」

 お華も頷き、

「そうらしいね。ところが聞いてビックリよ。あの男。実は甲賀の忍びだったらしいよ」

 それには、浩太郎も目が厳しくなった。

「な、何だって? ちょっと待て。忍びって本当か?」

 するとお華は、首を振りながら、

「いえね。正確に言うと、抜け忍なんだって。元々、新宿のお頭の下に居たそうなんだけど、盗賊の真似事や、飲む、打つ、買うが酷くて、甲賀から追放したんだって」

「なんと。しかし、彼奴は鳥居家の中間だったってのは嘘か?」

 すると、お華は困った顔で、

「そこが良くわかんないんだけど。元々忍びだったのは間違いないらしいよ」

 ふ~ん。と浩太郎は天井を見ながら、

「ふ~ん。でも捕まっているから、もうそろそろお沙汰が出る筈だろ。気にする必要ないんじゃないか?」

 それには、お華が少々身を乗り出して、

「ところがさ、捕まって聞いた後、或る日、突然、新宿の薬屋に現れて、匿ってくれなんて言って来たらしいよ」

「なに? なんで外に……あ、まさか」

 お華は頷き、

「そう、火事でお解き放ちになった事があるらしいのよ。お頭は当然、断固拒否したらしいんだけど、あれって、素直に帰ったら罪が軽くなるんじゃなかったっけ?」


 小伝馬町に有る大牢は、火事が迫ると、囚人を解放し、戻って来た者は罪を一段軽くする。逆に逃亡した者は、重罪に変わってしまう。

 甲賀のお頭が気にしているのはそこだ。

「遠島になるのだったら、それほど気にならないのだけど、万が一、お解き放ちにでもなったらって心配してるのよ」

 それにはおさよが、

「でも、その男はもう、甲賀から抜けているんでしょ。別にどうなっても関係無いんじゃないの?」

 お華も、それには頷き、

「わたしもね、そう言ったのよ。ただ、あれだけ悪事を働いて、それが甲賀に関わりが有るって事で、妙な連座を恐れているらしいの。一応、普通の商人として、忍び衆を養っているから、それで何らかの罰則を喰らったら、一家は崩壊してしまうってさ」

 それには、浩太郎も腕を組み、厳しい顔で、

「確かにな、事が事だからな~」

 と言い、大きく頷いた。

「分かった。調べるのは大した事はない。帳面めくるだけの事だからな。しかし……」

お華は、眉を寄せて、

「しかしって何?」

 浩太郎は、少々重苦しげに、

「甲賀は、出てくるとなったら、どうするんだ? 恐らく命を狙うんだろう。問題はそこだ」

「ああ、そこまでは聞かなかった」

「まあ、甲賀の内輪の事に口を出したくないが、お華。この事をまず確認しろ」

「その前に確かめろって事?」

 浩太郎は頷き、

「それ自体も仕方ない事かも知れないが、やるなら、(おお)(もん)出て、周りに人が居ないところでなければ困る。俺もお前も、奉行所の人間だからな。江戸の中でそんな事やったら、内情知ってる俺達は、お頭を捕まえに行けねばならん。せめて、江戸の外なら代官の持ち分だから、俺も黙っていられるからな」

 お華は大きく頷いた。

「そうよね。下手すると、甲賀と信濃の戦いになっちゃうか」

 浩太郎は笑って、

「まあ、そこまでいくかどうか分からんが、それはそれで向こうにも面倒な事になる。だから、そこを充分確認しておけ」

「わかった」

 と言ったお華は、後ろを向いて、

「おきみちゃ~ん。あたし眠いから、おきみちゃんの布団で寝ていい?」

 などと笑って聞く、

 当然、おきみも嫌という訳もなく、

「はいはい。いま敷いてきますよ」

 と、お華と一緒に自分の部屋に向かって行った。

 浩太郎は、それを見て笑いながら、

「全く、彼奴は。しかし、甲賀のお頭が、よくそんな事、お華に頼んだな? よく考えたら、結構危ないことだぞ。なあ、おさよ」

 横のおさよに聞く。おさよは笑って、

「まあ、お華ちゃんがよっぽど信用されたんでしょ。多分、似てると思ったのよ」 お華は不思議そうに、

「似てる?」

 おさよは頷き、

「お頭も、お一人で、取り仕切ってらっしゃるんでしょ。見る目は有るだろうし、忍びとしての実力が分かったからでしょ」

 浩太郎は、首を捻り、

「見る目ねぇ~。二人とも変わった奴って事かい?」

 おさよも頷き、

「まあ、そういうことよ」

 二人と佐助は、腹を押さえて笑っている。


(2)

 

 さて翌日。

 浩太郎は、おきみを連れて、お華の屋敷に向かった。

 当然ながら、その前で、おきみは仰天した。

「だ、旦那様。こ、これがお華姉さんのお屋敷なんですか?」

 おきみにしてみれば、お屋敷というより、お城。

 浩太郎は、フフっと笑いながら、

「そうだ。お前も憶えておかなければならん。いつ、ここに連絡に来なきゃならん時がくるかも知れんしな」

 と、優しい言葉で教えながら、大門横の通用門を二人で潜っていく。

 おきみは、おっかなびっくりといった様子だ。

 中に入って、少し奥に行くと、おみよが、おゆきを遊ばせていた。

 おみよは、浩太郎に気付き、走ってきて、

「これは、旦那様。おはようございます」

 と挨拶して横に立っているおきみを見て、

「こちらは?」

「うん。新しい下女じゃ。お前さんの後輩だよ」

「あら~じゃ、佐助さんの妹さん。初めましておみよです」

 と、二人は笑顔で挨拶を交わす。

 そしておみよは、姉さんを呼んできます。

 と、おゆきをおいて呼びに行った。

 おゆきは、不思議そうに二人を見上げている。

 するとお華がやって来た。

「ああ、兄上。おはようございます。あ、おきみちゃんも」

 そして笑顔で、

「じゃ、おきみちゃん、この子と遊んでてくれる? 私は兄上と話があるから」


 浩太郎とお華は玄関先の階段に並んで座った。

 すると、浩太郎は早速、開口一番、

「ありゃ、一応、中追放になったんだがな……」

 と、幾分、何か腹に一物あるような言い方だったのを感じたお華は、

「やっぱり、お解き放ちになるんだ。でも、何か他にありそうね」

 それには、浩太郎も大笑いになって、

「お華に見抜かれたか。俺もまだまだだな~」

 と言いながら、詳細を話始めた。

 浩太郎は、晴れたには庭で遊んでいる、おゆきとおきみを微笑みながら眺め、

「あれは、最近の事だから、書庫に入ったら割と早く見つかってな。お裁きが中追放だから、お前に前に行った事、注意せねばならん、などと思っていると、ちょうどそこに、吟味与力の佐久間様から小部屋に呼ばれてな」

「佐久間様?」

「ああ。すると、佐久間様の若様。見習い与力の若様も居てな」

「若様って、あの真之介様? 確か、正月に一度お会いしたわよ」

浩太郎は頷き、

「何かと思ったら、佐久間様が、なんとその男。本庄茂平次の話をし始めたんだよ。俺もあれには驚いた」

「佐久間様が? なんで?」

 それには浩太郎は笑って、

「いやな、あのお裁きは、佐久間様が言い渡したものだったんだよ。俺も、そこまで読んでいなかったら、さすがに慌てたさ」

「へ~それで?」

「どうもお解き放ちの時、俺に付き添って欲しいって言われたんだ。実は、他の与力連中は、一緒に行く事嫌がってな。そうなると、佐久間様なんだが、佐久間様は最近足を痛めておられて、そうなると若様しかいない」

 お華は、少々首を捻って、

「でも、あれって、与力様お一人で、縄解いて、言い渡して終わりじゃないの?

 なんで嫌がるの? おまけになんで兄上が行くことになるの?」 

 浩太郎は、そこでまた大笑いした。

 そして、小声でお華にその訳を話した。

 それには、お華も目を大きく開けて仰天し、

「あ、兄上! それ本当の話なの?」

 半分、叫ぶ様に言う。

「驚いたろう」

「そりゃもう……」

「俺にしても初めて聞いたよ。すると、どうしても甲賀の話をしなけりゃならん」お華は驚いて、

「え~佐久間様に言っちゃったの?」

 それには、浩太郎も、また大笑いになって、

「佐久間様は、またお華か! ってあちらも大笑いだったよ」

 浩太郎は、身体をお華に向け、

「そういうことなら、お華にも付き添って貰わねばならんな。だってよ」

 それにはお華は、正に驚愕。

「え~、私も行くの~?」

「お華も居れば、安心だろうと仰ってな」

「まあ、お子様だがら、親心も分かるけど。私が行ったって、簪打つ訳にもいかないし、役に立たないと思うんだけどな……」

 浩太郎は大きく笑い、

「若様もさ、お華さんが来てくれるなら安心だ。とか言ってたぞ」

 お華は眉を寄せ、

「さて、それは……」

 浩太郎は、

「まあ、若様は俺が間に入るから、最悪の場合。お前は、甲賀の連中を説得してくれ」

お華は、首をガックリ落とし、

「説得ね……」


するとその時、門の方から、早坂徳之介(とくぼん)と佐助が、

「桜田様~」

 と呼ぶ声がした。

 浩太郎は、立ち上がり、

「二日後の夕刻じゃ。用意しとけよ。それと、おきみ今晩泊めてやってくれ」

 と言い残し、門へと歩いて行った。

 それを見送ったお華も立ち上がり、おゆきが遊んでいる方に向かって行った。

 しかし、その顔は難しい顔をしている。

「どうしました?」

 と、おみよが寄ってくると、表情を変え、

「あのね。おきみちゃん。今日、こっちに泊まるって。お世話してやってくれる?」 

 おみよは笑顔で、

「はい。わかりました。旦那様はとてもお優しいですね~」

 などと言うものだから、

「まあ、子供にはね~」

 と、言いながら、子供達の遊びの中に入っていく。


 しばらくすると、離れの今は診療所の方から、

「お華さ~ん」

 と、優斎が呼んでいる声がした。

 あとを、おみよとおきみに任せ、打って変わって、いそいそと、

「は~い」

 などと、妙に明るい声で、小走りで向かって行く。


 離れに着くと、優斎が、

「お華さん、ご紹介したい人がいるんですよ」

 と、言いながら、中に入って行った。

 すると、座敷人に、見覚えのある、初老の男が、お華を見ると、笑顔で頭を下げている。

 お華も頭を下げながら、

「あなたは……」

 と言うと、優斎が笑って、

「いつも、新宿から薬を届けてくれる番頭さん、弥七さんですよ」

 お華は、笑みに変わり、

「ああ! 甲賀さんの」

 二人は、並んで、弥七の前に座る。

「いや、先生にお話を伺いまして、これは是非ともお詫びせねばと……」

 それには、お華は笑いながら手を振って、

「何も、弥七さんが謝ることは無いですよ。でもね、さすがに天井に忍び込んでくるとは思わなかったけどね」

 弥七は、申し訳無さそうに、

「いや、お華様のお話を聞いて、一度顔を見なければ。とは言ってたんですけど、まさか忍び込むとは……」

 お華は笑顔で、

「いや、伊賀さんの忍び込みも見たけど、さすが、お頭。最初は全然気が付かなかったもの。でもね」

 と、お華は大きく笑い、

「たぶん飽きたんだろうけど、いきなり天井の板外して、首だけニョロっと、あたしはろくろっ首かと思ったわよ。あれって甲賀の忍び方なの?」

 それには、弥七も慌てて大きく手を振り、

「いやいや、そんな事は。しかし、何だか別人の様です」

「だってさ、降りてきたら降りてきたで、お店は繁盛してるけど、中々若い人が言うこと聞いてくれないとか、取締が厳しくて大変だとか、一晩中愚痴よ」

 もう弥七は、申し訳無い顔一杯で、

「いや、普段そういった事は一切言わない人なんですけどね~。側に居る私の方が驚いてしまいます」

 すると、優斎も笑いながら、

「やはり、女でお頭じゃ、帰って言いたいこと言えなくて我慢していたんでしょ。そこにお華さんだ。良い話し相手が見つかったて言うところじゃないですか?」

 更に、大笑いだ。

 お華は、少々不満そうに、

「話し相手って言っても~。私に、不満ぶちまけてもね~」

 弥七は、もう申し訳なさ、一杯で、

「誠に申し訳ありません。私がもう少し気を配れば良かったんです」

 しかしお華は、

「気にしなくていいですよ。でも、若い人の不満って相当なものなの?」

 それには弥七は、

「いや、若い時は、忍びでも大抵そんなものです」

「そう。たださ、伊賀さんもその連中が、南の妖怪の言葉に乗っかって、お城襲撃なんてしてるから、その辺は、お頭より、弥七さんが、気に掛けていた方がいいかもよ」

 それには、弥七も驚いて、

「え! 城を?」

 お華は頷き、

「火事があったでしょう? その時に。ちょうど私と姉がいたから、全部倒しちゃったけどね」

 弥七は驚愕した。

「ぜ、全部倒したって……」

 彼は言葉を失った。

 すると、優斎が、

「十人ぐらいで、大奥の姉小路様を襲ったんですよ。だけど、この人とこの人の姉御二人で、全部叩きのめして。それをご覧になった上様がいたく感心され、それで、この屋敷をご褒美で頂いたって訳です」

 弥七は、眼を大きく開き、

「な、なるほど……」

 驚きの顔で、頷いている。

 お華は笑って、

「まあ、そんなことはどうでも良いんですけど、あなたがいらっしゃってくれて助かったわ」

 それには、弥七も、首を傾げ、

「何でございます?」

 と、若干前に寄る。

「あなた、前は八丁堀の屋敷の方にも来ていたのでしょ?」

「ええ。左様にございます」

「うちの姉が驚いていたわよ。甲賀の忍びが、始終来てたの? って」

 大笑いする。

 さすがに弥七も、困った顔で、

「いやいや、あの時は特にどうと言うこともなく」

「そうよね。あの頃は別に何もなかったし」

「はい」

 と、弥七は頭に手をやる。

「それでね。それなら当然、私の兄が奉行所に勤めているのはご存じよね」

「はい。それはもう」

「そちらのお頭が、その兄に、いや、信濃のお頭にお願いしたい事があるとか言ってたんだけど、弥七さん聞いてる?」

 それには、弥七も驚いて首を振り、

「い、いえ。それは初耳です」

「そう。じゃ、そちらで破門になった元忍びの事は?」

 それには弥七も、

「あ!」

 と叫び、途端に不安そうな顔で、続けて、

「ど、どういうことでしょう」

と、若干慌てたように聞く。

 さすがに、忍びの話をされては、立場上、しっかり聞かねばならない。

 お華は微笑み、

「やはり、ご存じなのね。実はね、そちらのお頭が、その男の事について、刑はどうなっているのか調べて欲しいって言って来たのよ」

 弥七は仰天し、

「そんな事、お願いしたんですか?」

 半ば呆れた顔をしている。

「でもね。その事自体は良いのよ。別に大した事ではないし、帳簿めくれば分かる事だからね。ただね~」

 お華の言葉に、弥七は若干不安になった様で、

「何か、問題が?」

 お華は頷き、浩太郎がしてくれた話をし始めた。


「実はね、その本庄茂平次っていう奴。妖怪の手先っていうだけじゃなく、仇討ちの願いが出ている奴なのよ」

 これには、弥七だけでなく、優斎でさえも目を大きく開けて驚いた。

 優斎は、

「仇討ちって、その茂平次って男にですか?」

 お華は頷き、

「何でもね、本所の(じき)(しん)(かげ)(りゆう)の道場主を殺したらしいよ」

 それには、優斎も更に驚愕だ。

 お華は、

「ねえ、先生、直新陰流って弱いの?」

 この直線的な質問には、優斎も少々呆れた顔で、

「有名な流派ですよ。それに一刀流の私が、他の流派を強いの、弱いのなんて言えませんよ」

 と、笑って答える。

 するとお華は、弥七に向かって、

「あ、この先生ね、一刀流の免許皆伝なんだよ」

 とお華は、弥七に教えてあげたが、

「ええ~」っと、弥七は違った意味で驚愕する。

 お華は、優斎に、

「でもね。何でも、ほら、桶なんかに嵌めてある輪っか?」

「ああ、(たが)ですか?」

「そうそう、たが。それをね、上から嵌められて刺されたらしいよ。先生でも、それを嵌められたら、やられちゃうかね?」

 優斎は苦笑して、

「あんなもの、身体に嵌められたら、刀、抜けなくなってしまいますよ。そりゃ、私だって、そこから戦えって言われても無理ですよ」

「やっぱり、油断かな」

「まあ、そうでしょうね、でも、そんなやり方は、弥七さんに聞いた方が知っているのでは?」

 と、二人に視線を向けられた弥七は、慌てて、

「いやいや、そんなこと。それこそ戦国の昔ならともかく。最近じゃ聞いた事ありませんよ」

 頭を掻いて答える。

 そして、お華は、

「それでね、そいつ、その師匠の息子兄弟の兄も、後ろから刺して殺しちゃったらしいの」

 優斎は、頷き、

「それじゃ、仇討ちも当然だね」

「奉行所も話し合いになったらしいけど、刑と敵討ちは別物だって、決着が付いたらしいのよ」

優斎は、

「ほ~」と唸り、

「なるほど、それは私でもわかります」

 すると、弥七は大きく頷き、

「妙な話になりましたが、私共にとっては助かりました」

 と言ったのだが、お華は、首を振る。

「まだよ弥七さん。だって、仇討ちだもん。必ず、アレが討たれるとは決まってないもの」

 優斎も頷く。

「そう言われれば、そうですね。茂平次も伊賀の忍びだった男ですからね」

 お華は頷き、

「そうでしょう? ねえ先生」

「そうですな。討つも討たれるのも武士の本懐ってのが、敵討ちですからな」

 お華も、

「私は、ちょっと心配なのよ。討つ方は二人だけど、一人は若いし。彼奴も命が掛かれば、必死になるだろうし……」

 弥七も、大きく頷く。

 そしてお華は、弥七の目を見て、

「あのね、弥七さん。そこで、こちらからお願いがあるのよ」

 弥七は、落ち着いた様子で、和やかに、

「はい。なんでしょう」

 と笑いかける。

「あのね。これがもし上手く行かなかった場合の事なのよ。うちの兄は、甲賀さんの内輪の事をとやかく言うつもりは無い。でもね。もし討つつもりなら、江戸の外でやって欲しいというのよ」

「江戸の外ですか?」

「そう。そうでないと、知っている兄、そしてあたしも駆り出されるでしょう。お宅のお頭を捕まえに行かなければならなくなる。もう吟味奉行には、詳しい事話しちゃっているからね。それだけは避けたいのよ」

 すると、優斎が、

「そうか、外なら、奉行所のお手配にはならないからだ」

 お華は大きく頷き、

「四谷の大門外なら、代官管轄だから、そっちだったら私たちは知らぬ存ぜぬで通せるからね」

 弥七も、大きく頷き、

「いや、誠に、ご親切な仰り様、深く感謝致します。早速、お頭にお話し、そちら様には決してご迷惑はおかけいたしません」

 と、深く、頭を下げる。

 お華は、和やかに、

「分かって頂けるとありがたいわ。まあ、サッサと決着つけてくれれば良いんだけどね。だから、私もついて行くことになっちゃったわよ。だからさ、誰か確認出来る人を、そちらもお願いします。別にお頭じゃなくても良いからね。面倒臭いからさ」

 これには、三人とも大笑いして、

「はい。承知しました」

 弥七は、平伏した。



(3)

 

 さて、その当日の夕刻近く。

 お華は、浩太郎と伝馬町の牢屋敷の前に立っていた。

「ちゃんと、伝えたんだろうな」

「うん。弥七さんという人に伝えたよ。多分誰か、確認で来ると思う」

「そうか……」

 すると、お華が、

「今日はとくぼん連れてないの?」

 と、些か笑い気味に聞く。

 浩太郎は、手を振り、

「こんなの連れてけないよ。別に危なくはないけど、あいつじゃな~」

 と、言っている時、向こうの方から、その、とくぼんが走ってやって来た。

「桜田様、置いてきぼりは無いですよ~」

 などとハアハア言ってやって来た。

 浩太郎は笑って、

「あらら、来ちまった……」

 しかし、とくぼんはお華を見て、後ずさりした。

「お、お華さん……」

 それには、お華が少し怒った様子で、

「なによ~とくぼん!」

 と、頭から言われ、

「ひえ~。今日はこういう事でしたか……来るんじゃなかった……」

 しょんぼりした顔で、浩太郎の影に隠れる。

 お華は笑い気味で、

「あんた。今日は忙しいよ~。ちゃんと、与力様をお守りしなきゃ駄目よ。分かった!」

 浩太郎は大笑いである。

 とくぼんは、浩太郎に、

「今日は一体?」

 と聞くのだが、浩太郎は笑いながら、

「お華の言葉聞いたろ。今夜のお前の仕事はそれだけ。だが、凄いのが一杯出てくるから油断の無いようにな」

 と言われ、とくぼん・早坂徳之介は頭を抱える。

 それは放っておいて、お華は、

「さて、若様ちゃんとやってるかな」

 その言葉に、浩太郎は木壁の向こう側に、顔を向ける。

「あれって大変なの?」

 それには、浩太郎も笑って、

「死罪だって言うなら、多少有るだろうけど、今のところは江戸追放だけだから、ただ読み上げるだけさ」

 お華も「ふ~ん」

 と言いながら、空を見上げる。

 そのような話をしていると、大牢の大門が開いた。

 駕籠に乗せられた、本庄茂平次と、見習い与力の佐久間の息子。そしてその従者らが徒歩でやって来た。

 浩太郎達は後ろに回り、その行方を確認しながら、与力の佐久間健二郎に、

「若様。大丈夫ですか」

 彼は、緊張気味ではあるものの、しっかり頷き、

「大丈夫じゃ。行こうか」

 と、単なるお解き放ちに、結構な人数引き連れて歩き始めた。

お裁きの中追放は、財産取り上げの上、犯罪地・住居地および武蔵・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曽路筋・下野・甲斐・駿河での居住を禁止した刑で、本来は通行も禁止である。

 しかし、ただの通行なら許されるらしい。要するに旅装さえしていれば、大目に見てくれるというもの。

 確かに、厳しい刑だが、考え様によっては、無罪放免と変わらない。


 南町に勤めていた本庄は、それを知っているだけに、唐丸籠の中でも余裕の表情である。

 それどころか、はしゃいで大騒ぎしながら、駕籠の中で大笑いだ。

 その様子を見て、浩太郎は、佐久間の息子に、

「ずっと、アレですか?」

 佐久間は、渋面で、

「ずっとアレじゃ」

 と答える。そして、

「分かっておるのかの? 彼奴は」

 それには、浩太郎が、

「分かっていたら、ああは、はしゃげますまい」

 すると、お華が後ろから、

「ちょっと、黙らせましょうか?」

 佐久間は、「え?」

 と、少し驚く。

 浩太郎が、苦い顔で、

「何する気だ」

 お華は、佐久間健二郎に、

「健ちゃんは、このまま連れて行ってじゃ、卑怯だとか思って無い?」

「健ちゃん……」

 佐久間は、苦笑いだ。

 浩太郎が、「馬鹿者」と怒るが、

 健二郎は、とくぼんと同じ、子供の頃からの仲。

 むしろ、父親の佐久間が、構わぬ構わぬと言っているのだから、始末に負えない。

「全く。お華ちゃんに、そう言われると懐かしいよ。でもさ、お華ちゃん、私はそんな感じがして仕方が無いんだ」

 お華は笑って、

「闇討ちって訳じゃないんだから、何にも問題ないわよ。大体、自分が招いた事だからね」

 すると、お華は、するすると、駕籠に近づいていく。

 ちょうど、内堀周辺に差し掛かった時だった。

「あら、随分とごきげんねぇ~」

 と、お華は明るい声で、本庄に話しかける。

 すると本庄は、女の声を聞いたからか、

「お! こりゃ、女もお見送りかい。そりゃ嬉しいね~。今晩一緒に飲まねえか?」

 などと、お気楽な調子で答える。

 すると、お華は、

「あら、永代橋で突き落とした女の顔、憶えてないのかい?」

 と、刃物を突き通す勢いで、冷たく言い放つ。

 とっさに、お華の顔を見て、さすがに目を剥いた。

 しかし、本庄も強がって、

「お、お前か~。俺はお解き放ちだ。別におまえなんぞにビクついてられるかい」

 などと、顔を背ける。

 すると、お華は笑って、

「あんた。お解き放ちを随分喜んでいるけど、あんたに殺されたご家族も随分喜んでいるだろうねぇ~」

 それには、頭を駕籠の後ろにぶつけ驚いた。

「て、てめえ、そんなことまで……」

 お華は勝ち誇った様に、

「今頃、後ろから後を付けているかもよ」

 それには、もう動揺の色は隠せない。

「だ、欺しやがったな!」

と叫ぶが、お華はフンと鼻を鳴らし、

「あんたがやった事さ、あんたがカタつけな」

「くそ!」

 と、もう、先ほどまでの明るさはどこかに消えた。

 そして、お華は、更に。

「わたしにゃ、あんたの背中に、六道銭が浮かんで見えるよ~」

「な、何だと」

 六道銭は、三途の川の渡し賃。

 信濃のお華らしい、からかいだ。

「あんた、女浄瑠璃や岡場所、そして町場の女に随分と酷い事してきたねぇ~」

 本庄茂平次は、向こうを向きながら、

「ありゃ、鳥居様のお指図だ。俺のせいじゃねえ!」

 と叫ぶ、しかしお華は、冷たい声で、

「新宿のお頭がえらく、お怒りでね。火事の時、()れなかったのを後悔してなさって、あたしが、あんたの女に対するとんでもない所業をお話ししたら、大変、激怒なさっていてね。例え、敵討ちを上手く躱しても、あんたにゃもう逃げ道無いよ」

と笑って、トドメだ。

「ねえ、甲賀の抜け忍さん……」

 これには、さすがに本庄は、ガタガタと歯を鳴らし、怯え始めた。

「ち、ちょっと待ってくれ」

 と、叫んだが、お華はそこを離れ、浩太郎の場所に戻ってきた。

 浩太郎は、呆れた声で、

「お華~。お前全部言っちゃったのか」

 お華は、微笑して、佐久間に、

「健ちゃん。もう卑怯とか考えなくてもいいよ。さすがに覚悟したでしょ」

 とケラケラ笑った。

 佐久間が、浩太郎に、

「甲賀って何かやる気なのかい?」

 一応、甲賀が関係している事は知っているから、聞くのだが、

 浩太郎は、

「その件は後でゆっくりお話致します。まあ、お華の言う通り、事前に言う事は言っちまったみたいですから、何もお気になさらなくても良いですよ」

 と、困った顔で笑う。

 とくぼんが、

「お華さんは、相変わらず怖いですね~」

 などと言うと、お華が聞きつけ、

「お、とくぼん。私と勝負する気かい?」

 などと言われ、顔を青くして掌を光速で振り、

「とんでもない」

 と、これも光速で後ろに下がる。

 

 さて、駕籠は、神田、鎌倉河岸に差し掛かった。

 この頃になると、本庄茂平次も静かに駕籠に揺られている。

 お華に脅され、さすがの茂平次も、自分の行く末が見えて来たようで、真っ直ぐ前を見据えている。

 鎌倉河岸を過ぎると、大きな空き地が広がる、護持院が原だ。

 享保二年(1717)に火災により、護持院が焼失し、広場だけが残った。

 この頃は、火除け地、または町人の遊観所としても解放されていた。


 時刻は夕刻。

 もう誰一人……いや、若干を残して、夕日を浴び、雑草が伸びきった城下には珍しい場所である。

 現在は、神田錦町。神田橋のすぐ近くである。


 さて、一行は、堀沿いをそのまま進み、二番空き地といわれる場所に入って行った。

 少し進むと、浩太郎は、

「駕籠を止めい!」

 と声を上げた。

 お華も立ち止まって、腕を組み、様子を見ている。

 駕籠を外された、茂平次は、この様な所で止められて、戸惑った顔をしていたが、察したのだろう。

 おとなしく立ち上がった。

「若!」

 と浩太郎に、背中を押された、与力見習いの佐久間健二郎は、気が付いたように、

「こ、この場で、お解き放ちと致す。ご法を守り、許された場所で暮らすように!」

 とくぼんが、本人の所持金が入った巾着と、預かっていた長刀を、茂平次に渡した。

 健二郎が、仕込まれた言葉を言い放つのを確認し、浩太郎は健二郎を後ろから引っ張り、数間、その場から離れた。

 するとやにわに、雑草の向こう側で、二人の侍が立ち上がった。

 一人の若い男が、

「本庄茂平次! 父と兄の敵。尋常に勝負せよ!」

 お華は詳しい事は聞いていなかったが、末の弟と言うから、随分と若いのだろう。

 その姿をみたお華は、少し首を捻った。

 さて、既に覚悟を決めていた茂平次は、慌てず、無言で、すらりと刀を抜く。

 甲賀の忍びとしての、誇りを思い出したのかも知れない。

どうやら、これで通常の敵討ちになりそうだ。


 奥の左側、叢に紛れて、二人の男女が隠れて、その様子を覗いていた。

「お頭、始まりましたね。やはり、お華様の言う通りでしたよ」

 そう、弥七と、甲賀のお頭、お香だった。

 お香は、

「そうだね。ありがたい事さ。あとは、あれが上手く行ってくれると良いんだけどね~」

 と、こちらも少々不安そうだ。


 助太刀の男は、無くなった師匠の弟子だそうだ。

 お華が見たところ、こちらは多少使える様だが、助太刀の立場上、若者の隙を補うという行動に徹しており、立派な助太刀だとは思うのだが、問題は若者の腕だ。

 早速、二、三、刀を合わせる音がした。

 お華には、やはり殺しを経験している茂平次には、多少の余裕が感じられる。

 浩太郎も、お華に、

「これは、拙いかもしれんぞ」

 と、小声で囁く。

 お華も頷かざるを得ない。


 若者は、懸命に打ち込んでいく。

 しかし、相手の剣がどの程度か分かった茂平次は、既に助太刀の男をどうするかに意識が移っていた。

 この場合、当然と言えば当然だ。

 甲賀の忍び達は、どうせ、門外でないと動けまいと、これでも南町にいた男だから、そういう計算が成り立っていた。


 しかし、既に、甲賀のお頭はすぐそこにいる。

 これは、想像もしていなかっただろう。

 何度も倒され、それを助太刀が庇って、

「何をしておられる!」

 などと言われ、また立ち上がる。

 それを何回か続けている内に、お華は思わず懐の簪を一本抜いていた。

 が、しかし、それを浩太郎が気づき、その手を、我が手で素早く押さえる。

 お華にしても、ここで手を出すのは、お門違い。筋が違う事は承知していた。

 しかし、このままでは、あの若者は、やがて隙を突かれやられてしまう。

 お華は、勝負に出た。

 浩太郎を含め、戦いを見ている者達に、小声で、

「みんな、左側にずっと寄って!」

 と、佐助にも聞こえるような声で小さく叫び、両手で左へと導く。


 その様子を見ていた、向こうのお香は、苦笑いをした。

「あの子。私にやれって言ってるよ」

 弥七も、片頬を上げ、

「どうします?」

「仕方無いでしょ」

 と笑いながら、周りを見て、手頃な石を手にした。

 弥七は横に飛ぶ。

 石を持ったお香は、スッと静かに立ち上がり、そして身体を捻りながら沈んだ。

 それから、大きく振りかぶり、そして下から右腕を振り上げ、夕日を突き刺すように振り上げた。


 お香の石は、それはお華と違う力強さで、夕日を一瞬浴びて飛んでいく。

 さすがに、これには正面の佐平次も反応出来なかった。

 しかし、お華と浩太郎はすぐ気付き、二人とも若干前に出た。

 その石は、轟音立てて、佐平次は避ける間もなく、左頬に突き刺さるように当たった。

 今で言うと、左フックと言うところか。

 佐平次は、思わぬ攻撃に、神経が麻痺したようだ。

 目を大きく開けて、動きが一瞬止まってしまった。

 そこで、待っていた様に、お華の大声が飛んだ。

「今よ! そのまま突っ込め!」

 若者は突き動かされるように、青眼のまま、佐平次に飛び込むように突き進んだ。

 さすがに気を失いかけた佐平次では、逃げられる筈も無かった。

 深く腹を突き刺したまま、若者はそのまま前へ。

 佐平次は、身体の衝撃を耐え、右手の刀で若者を斬ろうとしたが、それは助太刀が、素早く飛び込み、刀を打ち払った。

 佐平次は、身体の力を喪い、倒れ込んでしまった。

 助太刀の男は、若者に大声で、

「トドメを!」

 と叫ぶ。

 すると若者も、素早く頷き、抜いた刀を今度は、心の臓目がけて貫いた。

 佐平治は、声を上げ、若干の震えの後、息絶えた。


「お見事!」

 と、浩太郎は声を上げ、佐久間を前に押し出し、

「若、最後の言葉を……」

 と耳打ちする。

 すると、佐久間は頷いた。

 そんな様子を横目に、安心した表情で、お華は、お香の所に軽い足取りで、歩み寄っていった。

「弥七さん。ご苦労様。あ~ら、お頭も。いらっしゃらなくてもよろしかったのに」

 などと、お気楽に言うものだから、お香は両手を腰に当て、

「何言ってるのよ。私にやらせておいて!」

 と、少々不機嫌そうにお華に文句を言う。

 お華は大笑いして、

「私もさ、一瞬、簪投げそうになったわよ。でもさ、私が手を出すのは、筋違いだと思ったからさ、弥七さんにでも任せようと思ったのよ。そしたら、お頭様直々に立ち上がるものだからさ、おかしくなっちゃって……」

 すると、お香は、

「何言ってんだか、わざわざ左に寄って、私に投げさせたんでしょ」

 お華は再び笑って、

「あはは、分かってくれたか。だって、さすがにあの子じゃ敵わないと思ったからさ。やられちゃうと、お頭も私らも大変だしね。さっさと決着付けて貰わなきゃねえ」

 と弥七に言うと、弥七も頭を下げ、

「本当に助かりましたよ。もう若い者、旅立たせる準備をしていた所だったから」

 お華もうんうんと頷いていると、後ろから浩太郎が、ゆっくりやって来た。

 浩太郎はお香に向かい、

「これは、甲賀のお頭様でございますね。北町の桜田でございます」

 と、軽く頭を下げる。

 すると、お華が、

「お、信濃のお頭!」

 などというから、「やかましい!」と一言叱り、

「最後の手助け、誠にありがとうございました」

 と、お香と弥七に、再び頭を下げる。

 それには、お香も驚き、

「何をおっしゃいます。こちらこそ、ぶしつけなお願いまでしまして、誠に申し訳ございませんでした」

 これには、丁寧に、お頭というより、女将と言った様子で頭を下げる。

「しかし、やはりさすがですな。私も感心致しました。お華なんかより一段上と感じましたよ」

 それには、お香も少々、恥ずかしがって、

「あら、これはまた、お恥ずかしいところを……」

 しかしお華は、口を尖らせて、

「ほう兄上。言ってくれるね~」

 浩太郎は、そんなお華の言葉は相手にせず、皆が引き上げている様子を振り返って確認し、

「お頭。本日の所は、私も奉行所で報告せねばならん。そなた達の事は一切出しません。お華、この件はこれで、お仕舞いじゃ。それでよろしいな?」

 お香は弥七と一緒に、また深く頭を下げ、

「これは、ありがたいご配慮、誠にありがとうございます」

 すると、浩太郎は、

「今後ともこいつの事をよろしく頼む。それじゃ、今日はこれで」

 と軽く頭を下げ、お華に、

「ほれ、お前も、佐久間様に叱って貰わなければならん。サッサと付いてこい」

 と言って立ち去った。

 お華は眉を潜め、

「なんで、私が怒られるのよ!」

 と怒りながら、お香達に、

「それではまた」

 と頭を下げ、そして顔を上げ笑いながら、

「お頭さま? 今度は正面からお願いしますよ。ろくろっ首はご勘弁を」

 と言って、浩太郎の後を小走りで走って行った。

 お香は和やかに、

「なかなか、出来た人だったね。信濃のお頭は」

「ええ。私共も本当に助かりました」

 お香は、歩き出しながら、

「私も久しぶりに、忍びの仕事をやったって気がするよ」

 と些か嬉しそうに笑う。

 弥七も、

「いや、あれは本当の忍びの仕事ですよ。皆のため、そして私達の為になりましたからね」

 お香は、夕日を眺め歩きながら、

「そうかい?」

 と、満足そうに歩きを早めた。


 ~つづく~


 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。


 世間では、疫病が大変な事になっていますが、どうなることやら。

 日本の歴史上、流行病というのは、頻繁に引き起こされてきました。

 当然ながら、今と違い、医療が発達していませんでしたから、ただただ、終息するのを願うだけでした。

 一番頼りにされていたのは、神の力。

 結局、今も昔も変わっていないのかもしれません。


 さて、今回の題名ですが、「護持院原の敵討Part2」にしようかと思っていました。

 実のところ、この護持院が原の敵討ちは、天保四年に一度、全く別の敵討ちが、行われているからです。

 そして、これについては、何と、あの森鴎外が小説にしています。

 私にとりましては、思いがけずPart2を書けるなど、大変光栄な事でございます(笑)

 そちらの方に興味のある方は、検索すればすぐ読めます。古いですからね。


本庄茂平次(辰輔とも)ですが……。

 お華にしたら「当然よ!」と言いそうですが、わざわざ、遠く長崎から江戸に逃げて来て、護持院が原で殺される。何とも空しい男です。

 まさに「長崎の敵を江戸で討つ」を演じている、珍しい小悪党です。

 確かに、江戸市中で、無実の罪人を量産し、岡場所の女などを大量に弾圧して、あげくには殺人もやらかしている以上、言う通り当然の報いとは言えますが、実際の所、これらは殆ど、鳥居の指図による物。

 浩太郎ならば、「奸物にゃ妖怪がよく似合うってか?」と笑い飛ばすかも知れませんが、何とも皮肉な組み合わせと言えます。


 さて、天保の改革に対する処罰も、大物二人だけを残す事になりました。

(実際は、順番がちょっと違うのですが……)

 と言う事で、お華の髪飾りも、一度終演になります。

 幕末編を考えておりますが、少しお時間を頂きたいと思っております。

 しかし、そのかわり、短編などをご用意しておりますので、また、お読み下されば誠にありがたい。

 では、今回もありがとうございました。

 ご意見、ご感想をお待ち申し上げております。

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