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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
35/37

㉛お華査察官?

(1)


「帰ったぞ」

 天保十五年(弘化元年)9月5日。

 秋の夕刻、浩太郎は、佐助と一緒に八丁堀の屋敷に戻ってきた。

 しかし、出迎えがないので、

「おや? 出掛けたかな?」

 浩太郎は家に上がり、佐助に、

「しばらく休んでろ」

 葉を掛け、そのまま居間に入ろうとした時だった。

 浩太郎は、中を見て、後ろに仰け反り気味になり、目は大きく開けて、立ち止まった。

 なんと、そこに見知らぬ、子供と覚しき娘が、ちょこんと座っていたからだ。

 その子も驚いた顔をしているが、目がまん丸で、可愛い顔つきをしている。

 田舎……とは言っても向島だが、そんな子にしては器量が良い。


 その子はすぐ状況を理解したのだろう。

 すぐに姿勢を正し、落ち着いた口調で、

「こ、これは、旦那様。お帰りなさいませ」

 頭を深く下げる。

 浩太郎は、ようやく気が付いた。

 そして、

「お前さん……おきみかい?」

 すると、その子は大きく頷き、

「はい。おきみでございます。よろしくお願い申します」

 と、些か辿々しいが、きちんと挨拶した。

 浩太郎は、笑い出し、

「おい! 佐助!」

 と、佐助を大声で呼び出した。

 佐助が慌てて部屋を出て、廊下に立っている浩太郎に向かって、

「どうなさいました?」

 居間にやって来て、横を見る。

 これには、兄である佐助も大いに驚いた。

「お、おきみじゃないか、なんでここに?」

 などと言っていると、ちょうどおさよが、家に戻ってきて、玄関を開けて、

「あら、二人ともお帰りでしたの?」

 和やかな顔で、

「お帰りなさいまし」

 と、軽く頭を下げる。

 浩太郎は笑いながら、着替えもせず、刀を自分で、刀掛けに置き、そのまま、居間のいつもの位置に座った。 

「おさよ。おきみはまだ先の事じゃなかったのか?」

 すると、おさよも少し笑いながら、浩太郎の横に座って、

「お母様と一緒に来たのよ」

「ほう」

「何でも、おばあちゃんが、話が決まったのなら一日でも早く、伺って慣れなきゃ行けないって……」

おきみも、その言葉に大きく頷く。

 浩太郎は大笑いで、

「んな、慌てることはないのに。ばあさんらしいな」

すると、おきみの隣に座った佐助が、

「旦那様、奥様。誠に申し訳ございません。ばあちゃんの我が儘でご迷惑を……」

 と、深々と頭を下げるのだが、手を振る浩太郎は、

「別に迷惑でも何でも無いよ。気にするな。あのばあさんに、文句を言える奴はここには居ないよ」

 再び、大笑いだ。

 そして、浩太郎はおさよに、

「隣のおかあさんには、合わせたのか?」

 おさよは、頷き、

「ええ。まだ小さいから、それは優しく優しく。私とはえらい違いよ」

「そりゃ、そうだろうな」

 浩太郎は苦笑いだ。

 おきみは十一歳。

 だが、この頃なので、ちょうど十歳だ。小学校4、5年生というところ。

 まだまだ立派な子供だが、江戸時代だと、下女など勤めに出るのには普通の年。

 決して珍しい事では無い。


 浩太郎は、おきみに、

「ばあさんに色々教わっていると思うが、ここは、武家屋敷じゃ。今までの家とはちと違う。だが、慌てずゆっくり、おさよの言う事をよく聞いて、暮らしていきなさい」

 優しい声で、おきみに語る浩太郎だが、続けて、

「しかしな~普通の武家なら、それで済むんだが、ここだからな。なあ佐助」

 と言われた佐助は、苦笑いである。

 おさよも、口を押さえて笑っている。

 すると、玄関先から、

「こんばんは~」

 とお華の声が居間に届いた。

 おさよは立ち上がる。

 浩太郎は、

「きたきた、特別な原因が……」

 おきみは不思議な顔をしているが、佐助は大笑いしている。


 お華が居間に入ってくると、

「あら、おきみちゃんじゃない。もう来たの?」

 おさよに、

「おばあちゃんに言われてね。お母さんと一緒に来たのよ」

 おきみは昨日会っているから、笑顔で頭を下げ、

「お華姉さん、昨日はありがとうございます」

 と、挨拶をする。

「ここの人達は、少し変わってるから、負けずにがんばるのよ」

 なんて言われると、浩太郎が、

「お前に言われたくないよ」

 と言い返す。

 途端に、皆、大笑いになる。


すると、おさよは用意していたお茶を皆に出す。

 それを見ながら、浩太郎はお華達に向かって、

「まず、今日は、大事な知らせがある」

「大事?」

というお華に頷き。

「本日、南町奉行所のお奉行、鳥居様が御役御免となった」

 さすがに、お華、おさよは勿論、佐助も、

「おお~」

 と声を上げた。

 ただ、おきみはよく分かっていないので、キョロキョロしながら見ている。

「兄上、これでようやく?」

「そうだ。もう本当に何も心配が無い」

 おさよも嬉しそうな顔で、

「やっぱり、あの南の一件で?」

 浩太郎はそれに大きく頷き、

「そうだ。さすがにな。あの徳之介の報告書を佐久間様が、姉小路様は勿論、老中の阿部様にもお届けしたそうだ」

 お華は少し驚いて、

「え? とくぼんの?」

 おさよも嬉しそうに、

「へえ、とくぼんの報告書ね~。剣は弱いけど、仕事はちゃんとしてるのね」

 お華とおさよは一緒に笑う。

「そうだよ。お前達が、お城で暴れるより、彼奴の報告書一本で片づいちまった。悪い事じゃないけど、何だか、ちょっと空しいよ」

 と浩太郎も苦笑いだ。

 するとお華が、

「兄上。お呼びにより参りましたけど、するとそれに関わる御用なの?」

 と、呼ばれた理由を浩太郎に聞いた。

「おい、屋敷は先生がいらっしゃるんだろうな」

「ええ。おみよちゃんと、診療所の準備とかしてるわよ」

「そうか。それなら大丈夫だな」

 お華は、頷いて、

「本当に助かるわよ」

 すると、浩太郎は、おさよが出した茶を飲みながら、

「あのな。明日の朝。御用は御用なんだが、ちょっと様子が違うんだ。実は俺にもよくわからんのだ」

 お華も茶を飲みながら、

「様子?」

「そうだ。今回は勘定奉行所の手伝いをやれってな」

 それには、お華も驚いた。

「勘定奉行さま? 私が行って何するの?」

 それには、浩太郎も若干笑い気味で、

「それは、もっとわかんないんだよ。姉小路様のご命令らしいと、お奉行様が仰ってた」

 その言葉に、おさよは大きく頷いて、

「わかりました。それは恐らく、御老中様が目的じゃないでしょうか?」

 浩太郎は驚き、

「老中様?」

 と言って、ハッと気が付いた。

「水野様か?」

 おさよは頷いた。

 これで浩太郎もようやく全てが分かったようだ。

 しかし、お華は全く分からないので、

「何よ、姉上。水野様がどうだって言うの?」

 おさよは微妙な微笑みで、

「鳥居様が片づいたら、今度はまた水野様よ」

「え? またあの方を追い詰めるの?」

「そう。姉小路様は恐ろしいお方よ」

 お華は、目をパチパチしながら、

「姉様ね~。さすがに売られた喧嘩は徹底的だね」

 浩太郎は、いきなり老中だとか、姉小路だとか、偉い人の名前が次々飛び出し、何について話しているのか全く付いて来られず、まごつくおきみを見て笑い出した。

「おいおい、おきみにゃ全く分からないんだから、その位ににしとけ」

 と言うと、皆、また大笑いだ。



(2)


(五月雨の日もたけ橋の 反故しらべ 今日もふるちょう 明日もふるちょう)

 太田南畝の代表的な川柳である。

 天明期を代表する狂歌師で、別名、四方赤良または蜀山人ともいう。

一方で、幕府の御家人でもあり、勘定奉行所、支配勘定を勤めていた。

 その勘定奉行所。

 幕府の運営においては中心的な役所である。

 財務・農政・通産・国土交通・法務などまで取り扱う、大きな部署で、

 その権威と役目は、全国広範囲に影響を及ぼす国家機関である。


さて、翌日、浩太郎とお華は、二人で日本橋本石町方面に向かって歩いていた。

八丁堀からすぐの所だ。

 今日は、佐助は一緒では無い。

 おきみが、早く来てしまい、その上、今日は些か違った用事でもあるので、休みにして、おきみの世話を頼んだからだ。

 お華は、

「あの、親分達が調べた報告書っての見たけど、とんでも無いところだね~」

 と、渋い顔で、浩太郎に言う。

 浩太郎は、笑って、

「まったく、世間で言ってた噂が、正に本当だったとはな。下男、下女が七十人、お妾が六人だぞ。商人というより、まるで大身旗本並みだよ」

 するとお華は、

「それそれ、そんなに雇ってるんだったら、私の屋敷に二、三人でいいからお願いしたわよ」

 それには、浩太郎も大笑いで頷いた。


 さて、二人は、一石橋近辺に到着した。

 町人には似合わぬ、広大な屋敷の前に、侍の団体が集まっていた。

 ちなみに、一石橋という名前の由来だが、

 この橋は、金座御用の後藤家。そして、御用呉服商の後藤家が作った、民間橋である。

 だから「五斗と五斗で、一石」といつの間にか名付けられた。

 洒落の効いた名前ではあるのだが、今日はそうは行かない。

 後藤家の一つ、金座御改役を仰せつかっている後藤三右衛門宅に強制調査が入るからだ。

 但し、当主、後藤三右衛門は既に、「政事誹謗」の罪で既に捕まっており、刑も決まり、執行直前である。


 浩太郎達は、勘定奉行所連中に近づき、この場を取り仕切る、支配勘定の前に行った。

 姉小路の手配を、この田中と言う支配勘定もよく承知しているようで、意外な歓迎振りだ。

 近づいた、浩太郎とお華に深々と頭を下げた。

「お聞きしております。本日は、我々にお力をお貸し下さるとの事。誠に持ってかたじけない事にございます」

 浩太郎も、さすがに恐縮した体で、

「いえいえ、私共の様な、よそ者を受け入れて下さり、誠に申し訳ございません」

 と、こちらも深々と頭を下げる。当然、お華も一緒に。

 すると、この田中。お華に目を向けると、

「これは、お華様でございますか。姉小路様の御家来と聞いておりますぞ。火事の折、上様からご褒美の御殿を頂戴したとか。一緒に仕事をさせていただけるなぞ、こちらも誉れにございます」

 と、なんとお華に頭を下げる。

 集まっている、部下連中も、お華の事は承知しているらしく、

「あれが芸者の……」

 などと、声が飛ぶ。

 お華も、さすがにどういう顔をしていいか分からず。ひたすら、お華太夫の笑顔で、

「いえいえ、こちらこそ。本日は何とぞご指導の程、お願い申し上げ奉ります」

 などと、珍しく丁寧に言っている。

 浩太郎は、(こんどはお華様か……そうか、勘定は、城内の役所だ。そりゃ有名だわな)

 と、直ぐ理解したものの少々呆れ、笑みを零す。

 こうして、集まった所で、田中は、

「皆、本日は、姉小路様のお目もある。しっかりと勤めるように! では打ち合わせの通り、着手じゃ!」

 と、一同に号令を掛けた。

 すると、浩太郎は田中に、

「北のお奉行から、隠し金の捜索と、書類の吟味と伺っておりますが、それに相違なく?」

 と、探索内容について質問すると、田中は、

「如何にも左様にございます。北町の調べとここの者達の調べによって、隠し金が相当の額あると判断致しました。書類は既に廃棄されてる恐れがありますが、少なくとも隠し金は発見せよと」

 浩太郎は、大きく頷き、

「なるほど。承知致しました。それから……」

「何でござる?」

「ええ。誠にもってお手数ではございますが、本日、ここで探索を行っている方のお役職とご芳名を、後で、何か紙にお書き戴いて、お渡し下さいますか?」

 田中は不思議な顔をして、

「名前ですか? それは如何なる……」

 浩太郎は笑顔で頷き、

「はい。これはお華が仕える上籠御年寄、姉小路様が乗り出した一件にございます。もし上手く、結果が出た場合には、ご褒美をお考えと存じます。また、恐れながら上様もご芳名帳をご覧になるかも知れません。これは田中様初め、皆さんにも悪い事ではないと思われまする。その為、どうかご芳名を」

 その言葉には、田中は正に驚喜の表情である。

「ま、誠にござるか?」

「はい。まあ、これだけ多いと、それ程、大した事は出来ないが気持ちはお送りしたいと伺っております……」

 田中は、満面笑みで首を振り、

「いえいえ、そのような事。お上に成果をご承知戴けるだけでも、誠にありがたい事にございます」

 と、振り向いて、

「おい! 皆聞いたか? これは絶対、遂げねばならんぞ。その方らの為でもある。命をかけて探せ!」

 と怒鳴る。

 浩太郎の話を聞いていた者達も、思ってもいない笑顔である。

「では、後ほど」

 と、浩太郎とお華は、その場を離れ、屋敷の方に入って行った。

 しかしお華は、疑問の様子ありありで、

「兄上~。そんなこと、本当に姉様が仰ったの?」

 聞いていないお華にとっては、当然の疑問だ。

 すると浩太郎は、

「後で、お前が姉小路様のところに行ってお願いしてこい。多分、姉小路様もお分かり頂けるよ」

 などと、大笑いしている。

「え~やっぱり。私が行くの?」

 と、お華は、困った顔で文句を言うが、浩太郎は、

「これは、姉小路様の喧嘩じゃ。勝たねばならぬ。お前も早く見つけてこい」

 お華はまだ、渋い顔で、

「全く、信じられないよ~」

 と、ブツブツ言いながら、屋敷の中に入っていく。


 中は、なるほど武家屋敷の様に整然としており、掃除が行き届き、綺麗な部屋が続く。

 壺など置物の古道具が、数々並び、どれも如何にも高そうな物ばかり。

「凄いね、こりゃ。本当に武家屋敷だ。しかも見た目もかなり贅沢」

 本当の武家屋敷に住んでいるお華には、その様子がよく分かる。

 浩太郎は渋い顔で、

「全く、これだけでも所払いの処分じゃ」

 お華は、浩太郎の顔を見詰め、

「あたしは大丈夫なの?」

 それには、浩太郎はフフっと笑い、

「お前の所は、上様に頂戴したものだ。先日の南の件でも分かっただろ。しかし、お前が武家の身分っていうのが、ちょっとばかり、ずるいけどな」

 と言って、大笑いだ。

 お華もそれには頷き、

「確かにね~」

 と、微笑む。


 各部屋で、勘定奉行の係の者達は、色々言いながら探している。

「さすがに必死だな」

 と、浩太郎はその様子を見ながら、

「まあ~、あれだけ下男下女使ってりゃな。そう簡単に分かる所には隠していまい」 

 腕を組んで、呟く。

「そうね~。黙って持っていかれても、お上に訴える訳にもいかないからね。全くご苦労な事よ」

 お華も、部屋を見回しながら、彼女は彼女で、色々な可能性を考えている様だ。

 大きい屋敷には、金座の作業場も続く。

「ここにゃ、無いだろうな~」

 の浩太郎の言葉を聞きながら、初めて見る金座の中は、お華にとって、興味深い場所なのだが、稼働していないので薄暗く、少し気味が悪い雰囲気だ。

 すると、浩太郎は、

「やはり、住まいの方かな。ここでは一ヵ所に人が集まりすぎる。隠すとなると、少しでも自分に近いところに置きたいだろうからな」

 勘定方の他の者達も、広範囲で懸命に探している様だ。

 さすがにこういう事には慣れているらしく、次々、進んでいくが、それらしき声は、一向に上がらない。


 二人は、大きい台所に回った。

「ひや~。私の所より大きいんじゃない?」

 と、お華は呆れた声で言う。

「確かに大きいな。毎度、宴会やっていたってのがよく分かるよ」

 すると、お華は台所の隅に山積みされている物を見て、頭を傾げる。

「ねえ、これ。よく言う、俵物ってもんじゃないよね」

 浩太郎がそれに近づき、触って見ながら、

「お前、俵物なんて良く知ってるじゃねえか」

「いや。たまに料理屋で見かけるからさ。でも、米でも無さそうだし」

 すると、浩太郎は小柄を抜いて、ほんの少々、開いてみた。

 中の物に小指を突っ込んで、舌に載せてみる。すると、目が大きく開いた。

「こりゃ、石灰だ!」

「石灰?」

 お華は意外な物に驚く。

「おお」

 と、浩太郎は頷く。

 お華は、不思議そうに、

「石灰なんて、台所に置く物?」

 と、浩太郎に聞くが、浩太郎も笑い。

「さすがに使わんだろ。しかし何で?……」

 浩太郎にも不思議だった。

 ただ、こんな所に隠したら、回りは真っ白になってしまうと言い。二人は移動する。

 そして、一端外に出て、となりの物置の前を通ると、お華が立ち止まった。

 中では、勘定方の若そうな連中が、置かれている大樽に手を入れ、

「こりゃ漬物の樽じゃ」

 と笑っていたが、お華がその小屋に入っていった。

 浩太郎は少々驚き、中の連中も、突然のお華に目が広がる。

 お華は、その連中に、

「ねえ、ねえ。それ、ちゃんと底まで確かめたの?」

 と聞く、樽に手を入れた男が、突然のお華の問いかけに、

「え? ええ、まあ」

 と、些か緊張気味の顔で答える。

 すると、お華の顔色が少々変わった。

「兄上! そこら辺に(むしろ)かなんかない?」

 浩太郎は、このお華の変化に少し興味を持った様で、少し笑い。

「ちょっと待ってろ」

 と回りを探し、干してあった筵を引っ張って持ってきた。

「これくらいでいいな」

 お華は、頷き、そこに居る連中に、

「これにひっくり返して、中の物全部出して!」

 と、申し付ける。

 申し付けられてしまった若者達は、少々困った顔になったが、彼らぐらいでは、お華に文句を言える度胸は無い。

 結局、言われた通り、その大樽を筵の上にひっくり返した。

 当然、大量の漬物がバサっと落ちた。

 しかし同時に板の様な物が、カランと音を立てて落ちてきた。

 そして間髪入れず、ボタっと袋らしき物もボサっとその上に落ちてきた。

 お華が笑顔で頷く。

 それには、回りの者達が歓声を上げる。

「お~何かあったぞ!」

 と、二人ぐらいで、慌てて袋を引き出し、小柄で切り裂き中を見てみると、やはり小判だった。

 浩太郎は、心配そうに見ていたが、大笑いした。

「やったじゃないかお華!」

 と、珍しく褒めた。

 中の連中は、急いで大まかに数え、

「お華さん。五百両ぐらいはあるかと……」

 と和やかに報告する。

 お華も微笑み、

「みなさんも、これで一応成果は出せたわね」

 若者達も笑顔で、一斉に、

「はい」

 と、喜んでいる。

 すると、浩太郎が、

「みんな。まだいくつかある。確かめた方がいいぞ」

 と言い残し、お華と二人外に出た。


 歩きながら、浩太郎はお華に、

「おい、よく分かったな」

 お華は笑って、

「あれは、前に長屋のおばちゃんに聞いた事があるのよ。漬物の下に中蓋被せといてへそくり隠すってさ。男の人じゃ、分かり難いかもね」

「なるほどな」

 と、浩太郎は苦笑いで、

「まあ、これで。俺たちも一応仕事が出来た。助かった」

 彼も少々気持ちが軽くなった様だ。

 しばらく屋敷沿いに外を歩いていると、お華が止まって指を指す。

 浩太郎も、それにつられ立ち止まる。

 お華は浩太郎に、

「あれも、同じ事なんじゃない?」

 その指の先は、外に置かれている小さな社だった。

 小さな稲荷神社の様だ。

 江戸によくある小さな社の下に賽銭箱もついているものである。

 そこでも勘定方、二人ぐらいが、その賽銭箱を引き出して、中を捜索している。

 浩太郎も、お華の指摘に気付いた様だ。

 早速、その二人に、浩太郎は寄っていって、

「賽銭はどうでした?」

 と、和やかに聞く。

 すると、その者達も笑って、

「さすがに、これみよがしですからな~。十文くらいでした」

 と、お互いに笑う。

 すると、浩太郎は、

「その賽銭箱、中までご覧になったのでしょう?」

「勿論じゃ。仕掛けかなにかあるかと思ったが、駄目じゃった」

 と首を振る。

 浩太郎も頷き、そして、

「この賽銭箱。簡単に引き出せましたか?」

 すると、ここでの長と思われる者が

「そう。それは楽に引き出せた」

 それを聞いた浩太郎は、お華に振り返り、お華も頷いて笑う。

 そして浩太郎は、

「では皆様。この賽銭箱が置いてあった下を掘り返してみましょう!」

 と、多少、大きく声を上げた。

 その者達は驚いたが、その意味を即座に理解した様で、

 今で言うスコップ、(すき)をもった者達を呼び、掘り返して貰った。

 暫く、言われた所を前後二人がかりで掘っている。

 その最中、正面に居た、支配勘定など達も寄ってきていた。

 暫くして、掘っていた一人に、土とは違う、何か異物の感覚が、身体に伝わり、

 思わず、

「何か有る!」

 と、大声で回りに叫んだ。

 それには周りの連中も、目を輝かせて近づいて来る。

 その男は、一時、鋤で堀るのを中断し、手で土を避けると、大きめな袋を引っ張り上げた。

 その途端、また大歓声だ。

「どうだどうだ」と支配勘定と上の連中も寄り集まってくる。

 中を見た男が、

「やった! これは小判です!」

 と興奮気味に、大声を上げると、周りの連中も手を叩いて喜ぶ。

「桜田殿、お手柄にございます」

 と、見に来ていた田中も、嬉しそうに浩太郎を褒める。

 浩太郎は「いやいや」と笑いながら手を振る。

 成果が出始め、彼にとっても安堵したのだろう。

 周りの者達も、やって来た町同心とお華に、なんと拍手で祝う。

 これには、さすがの二人も、同時に盆の窪に手を当て、恥ずかしそうに頭を下げて、それに答える。

 嬉しそうな田中は、大きな声で、

「おい皆! 奉行所の方々がもう成果を上げてらっしゃるぞ! 我らも頑張らねばならん」

 勘定所の若い者達に、叱咤激励の声を飛ばす。


 そこから離れた浩太郎は、お華に、

「いや~助かった」

 小声で言う。

「何が?」

 答えるお華に、浩太郎は、

「これで、お奉行様や姉小路様にも、これぐらいはやりましたとご報告できるってもんだ。お前だって、姉小路様に安心してご報告出来る」

 お華は、笑いながら、

「そうねえ、お喜び頂けるでしょうけど、あたしはまだ、何でここに居るんだか理解出来ないんだけどね~」

 とぼやく。

 それにはさすがに浩太郎も大笑いになる。そして、

「まあ、これで落ち着いて出来るってもんだ。もう一つでも見つけて、サッサと帰ろう」

 お華もそれには大きく頷き、

「そうしましょ。そうしましょ」

 と、二人はまた屋敷の中に入っていく。


 また、まるで大名屋敷の様な書院造りの立派な居間に行くと、若い者達が、置かれた箪笥や、引き出し。積まれている書類といった物を一つ一つ、必死に探している。

 これは、何か賄賂の証拠と言った物を目指しているのだろう。

 浩太郎とお華は、廊下で、二人とも腕を組みながら、その様子を見詰めている。

 勘定所の者たちも、こういう事は慣れもあって、一つ一つの確認が素早い。

 しかし、一向に歓声は上がらない。

 するとお華は、

「わたしにゃサッパリ分からないけど、重要な書類なんて、あんな簡単な所に置いたりしないわよね?」

 首を傾げながら浩太郎に聞く。

 浩太郎も頷きながら、

「まあ、それはそうなんだが。木を隠すなら森の中って言うだろ。まずはそれを潰しているんだよ」

 お華は何度も頷き、

「なるほどね~さすがお勘定ってところね」

 と、言って、一歩中に入り、回りを眺め、

「兄上だったら何処に隠す?」

 さすがに浩太郎は、

「俺には賄賂貰ってどうのこうのなんて覚えが無いからな」

などと大笑いする。

 そして、

「まあ、紙なんざ、地下じゃ腐っちまう恐れがあるし、天井じゃ虫に食われるかも知れない。とても選びにくいと思うよ。それに第一、火事だなんて事になった時、そんな所に置いていたら持ち出すのに時が掛かる。小判ならせいぜい溶けるぐらいだが、それなら隣は金座だから、作り直せばいいけど、書類じゃな」

「そうよね。やっぱり森の中か……」

話していると、探している若い連中の一人が、

「やはりここには無いようじゃ。他を探さねばならん」

 と悲しげに声を上げたので、笑顔のお華が少々大声で。

「ねえ、皆さん」

 突然のお華の声に、一様驚いた。

 そして何だ何だ? とお華だからか、途端にニコニコし始める。

 周りを見回し、お華は、

「ねえ、みなさん。木は森に隠すってんだったら、ほら、回りの襖。これ調べてみれば? 捨て紙に混じって、隠しているかもよ」

 というと、皆から一斉に声が上がった。

「そ、そうかその手があったな」

 早速みんな、回りの襖に手を掛ける。

 するとお華の、

「慎重に調べないと、書類と一緒に破いちゃうわよ。丁寧にやった方がいいよ」

 注意の言葉に、皆は頷き、慎重に襖を解体し始める。

 広い部屋なので、一度に何枚と出来てしまう。

 浩太郎は笑って、

「なるほどな。確かに森に隠せだ。これなら隠した所さえ憶えておけば、火事でもそこだけ破りゃ良いからな」

 お華も満面笑顔で、頷く。


 しばらく経つと、お華の思っていた通り、大声が上がった。

「あ、あったぞ!」

 皆が、作業を一時中止して、集まる。

 それを開いて見詰める者達の後ろから、お華と浩太郎も身を乗り出して覗く。

「どうなのじゃ!」

 と、中の一人が問うと、その男は、満面笑顔で、

「こ、これは、証文じゃ。宛名は、水野様。金額は……え~と、十六万両じゃ!」

 それには、お華も混じって、一斉に声を上げた。

 すると、別の方からも声が上がった。

「こっちもだ!」

 続けて、

「こちらは鳥居様じゃ! これは鳥居様のお子様に数々の玩具やら、勿論、賄賂もじゃ! 大した金額ではないがな」

 浩太郎も、拳を握り締め、

「やった。完璧じゃ! お華」

 お華も、何度も頷く。


 それらは、早速、支配勘定の田中に報告と、もちろん実際の物が渡される。

 これには、諦めかけていた田中も、本当に嬉しそうに、

「ようやった!」

 と、労う。

「よく見つけたの~」

 と言うと、若い男は、

「お華さんに教えられて……」

 それには、田中もガックリと肩を落とした。

「また、そっちか。参ったの~」


 さて、浩太郎達は、もう最大の目的である、賄賂の証拠を手に入れたので、

「お華。これで我々の仕事は充分じゃ。もう帰ろうか」

 お華も笑って同意して、廊下を歩き、屋敷正面付近で二人とも立ち止まった。

 目の前で、一人の若い男が、廊下の角に立って、上を見ながら、何か考えている様だった。

 浩太郎が、首を傾げながら、

「どうなされた?」

 と聞くと、その男は上を指差し、

「何と申しますか、ここの部屋の作りがおかしいように思えまして……」

 首を傾げながら言う。

 浩太郎も、その男に近づき、同じ様に上から下まで眺め、

 そして、視線をずらし、奥の方まで見渡す。

 すると、

「これは、もしやすると、隠し部屋では?」

 と声を上げた。

 端は柱が立ち、一見何でも無いのだが、正面に立つと、壁で末広がりに有るように見えた。

 浩太郎は、若い男に、

「これは、お手柄じゃ!」

 と笑顔で、その男の肩を軽く叩く。

「か、隠し部屋? ですか」

 若い男は驚く。

 浩太郎は、頷き、壁側の両方を調べる。

 すると、外側に向かっている壁に、格子が白い壁に貼って有る部分の、不自然な様子に気が付いた。

「これは……おい」

 と、お華を呼ぶ。

 白壁は壁全面に塗られていた。

 考えてみれば、少々異様な作りだ。

 確かに小部屋が存在するように、浩太郎は確信した。

 しかし、浩太郎は幾分不安を感じた。

 分かったからと言って、迂闊に壊して叩き割って大丈夫なのか。と言うことだ。

 とは言え、浩太郎は若い男に、

「大鎚は用意しているのかな?」

 と聞くと、その男は、

「はい。確か持って来ていると存じます」

 浩太郎は笑顔で頷いて、

「そうか。それでは、それを扱う者。呼んできてくれぬか?」

「承知致しました」

 男は丁寧に答え、庭に草履を落とし、それを履いて正面の方に、足早に立ち去った。

「これ、本当に隠し部屋なの? だって、玄関脇の正面にあるのよ?」

 あまりに目立ちすぎる場所なため、お華は疑問を言った。

 浩太郎は、少し笑って、

「ほら、大抵そう思うだろ? だからこそ、隠し部屋には一番良いかも知れない」

 お華は、首を捻りながらも、

「木は森にと同じかね?」

 浩太郎は正面の白壁を調べながら、

「まあ、そういうことだ」

 と、軽い調子で言う。

 そして、

「おい、お華。今日は簪、何本持ってきた」

 と、突然、簪の話を始めた。

「ああ、まあ必要無いかなとは思ったけど、一応十本、持ってきたよ」

 浩太郎は頷き、

「庭に出よう」

 と二人は、庭に降りた。

 そして、壁正面に立ち、お華に指差し、

「あの位置に、こう……」

 と、浩太郎は壁に近寄って、指で直線を、二本空に描く。

「この場所の格子と格子の間に一本ずつ打てるか? しかし、あまり近づいてはならん」

 少々笑いながら聞く。

 さすがに、お華は嫌な顔で、

「なに、馬鹿にしてんですか?」

 と怒る。

 しかし、浩太郎は笑って、

「普通ならそんな事聞かねえよ。但しこれは、ちょっと力一杯打って欲しいんだ。つまりは白壁を壊す。お前が打ったら、俺が少し上に打つよ」

 それには、お華も納得した。

「ああ、なるほど。確かにそれは不安ね。でも、人相手じゃじゃないから気楽だけどね」

 などと、言っていると、周りに人が集まってきた。

 先程の男が、大鎚とそれを使う男を連れてきて、同時に「隠し部屋があった」と騒いだお陰だ。

 お華は、周りを見て、少々苦笑いで、

「なんか、見物人が増えてきちゃったよ。兄上」

 浩太郎も笑い出し、

「さすが両国近くに住む、お華さんが何かやろうってんだから、そりゃ見物人も多くなるさ」

 お華は、肩を落とし、

「何だか、違う意味で緊張してきちゃったよ~」

 再び苦笑いだ。

 すると、支配勘定の田中が、浩太郎の所に寄ってきて、

「隠し部屋って言うのは本当でござるか?」

 浩太郎は、丁寧にお辞儀をし、

「恐らく、間違いなく。勘定の方のお手柄です。但し、何があるかはまだ分かりませんよ」

 と笑いながら報告し、

「恐らく何か仕掛けがあるはず。恐らく、盗賊避けでは無いかと思いますが、そうであれば、北町奉行所の領域と言ったようなもの。皆様方にも今後、お役に立つかも知れません」

 と笑って、お華に声を掛けた。

「いいぞ。お華!」

 その言葉にお華は、正面に立って、目を閉じ、簪を三本ずつ六本を懐から抜いた。

 回りの男達は、何が始まるのか興味深く見ている。


 そんな視線の中、お華はいつもの様に華麗に身体を回して、まず右を三本。続いて左を三本。彼女にしてみれば、かなり力の入った簪となった。

 ド・ド・ドと格子に綺麗に一本ずつ、真っ直ぐ突き刺さった。

 お華の顔に笑みが浮かぶ。

 周りの連中は、

「凄い、正確に真っ直ぐ、格子の間に六本だ!」

 と、歓声が上がる。

 そして、続いて四本を、下側に、同じ様に打ち込んだ。

 刺さったところからヒビが蜘蛛の巣の様に広がっている。

 それを見て、浩太郎も小柄を二本。

 お華の刺さった簪の上に、力強く打ち放った。

 すると、その衝撃で、格子の間からボロボロと白壁と刺さった簪が落下していく。

 再び、唸り声が響く。

「よし!」

 と叫んだ浩太郎は、お華に、

「おい簪、回収しとけ」

 言われたお華は「はいはい」と崩れた白壁群の中に埋もれている簪を一本一本回収する。

 そして浩太郎は支配勘定の田中に、

「あの、勘定様の中で力持ちを、お二人お貸し願いたい」

 田中は頷き、すぐに二人を指名して呼んだが、浩太郎に、

「どういう事にござる?」

 と聞くと、浩太郎は、

「ここからが重要にございます。盗賊避けに仕掛けた物に、勘定方の皆さんが怪我をしたとあっては、大きな恥となってしまいます。絶対にそれだけは避けねばなりません」

 そして、浩太郎は呼ばれた二人。これも若い男達であった。それらに向かい、

「よろしいか。お二人は左右の端に立って頂いて、あの格子を引っ張って外して頂きます。但し、ここが重要です。のんびり引っ張っては居られません。何故か言うと、引っ張ったその衝撃で、上から何か落ちてくるかも知れません。私も警戒しておりますが、あなた方もそれを頭に入れて置いて下さい」

 それには、若い侍達も途端に緊張の面持ちとなった。


 用意が調った二人は、

「せえの!」

 とかけ声が上がり二人は力一杯引っ張った。さすがに力持ち。格子も抜け掛けたが、瞬間、「がたっ!」と妙な音が響いた。

 浩太郎は、間髪入れず、「逃げろ!」と叫ぶ、男達は、格子をそのままに、直ぐさま庭に降り、掛けてその場を避けた。

 すると同時に、その後ろに地響きするような音が響き渡ったのだ。

 大きな、そして壁に行き渡る、相当な太さの丸太が落ちてきたのだ。

 どし~ん。といった音を聞いて転がってくる丸太に皆後ずさりしながら、驚愕の顔を浮かべる。

 お華は笑いながら、ぴょんと跳んでそれを避ける。

 格子もその衝撃で、粉砕されてしまった。

 そして、壁には、本当の扉の枠が姿をあらわした。

 ここで浩太郎は、例の大鎚の男を呼び、尚も警戒しながら、何度か叩かせた。

 これは、簡単に木の壁を打ち抜く。

 残った木枠などを取り除いた浩太郎は、次に、明かりを持っている男を呼んだ。

 二人で、奥を照らしながら中の様子を見た。

 明かりを持つ男は、大声で叫んだ。

「なにか、千両箱の様な物が一杯あります!」

 その言葉には、総勢、万歳のように両手を挙げて、

「やった~」

 と、声が揃った。

 しかし、浩太郎は慎重な顔になり、大声で、

「まだまだ、油断は成りません。皆さん。ここから一列にお並びいただけますか!」

 と叫んだ。

 そして、

「一遍に大勢が中に入ると、床が崩れ落ちるものと思われます。さすがにそうなっては皆様の命も保証出来ませぬ」

 そして先頭の者に、

「よろしいですか。慎重に、一箱ずつ運ぶのじゃ。決して慌ててはならん。下が板張りなので、いつ崩れ落ちるか分からんからな」

 ここからは、いわゆるバケツリレーの方式で、千両箱を運び始めた。

 どんどん、庭に大きく積み上がる千両箱の山。

 一応、全てを運び出したそれを見て、浩太郎は、田中と見詰めながら、

「いかほど有ると思われますか?」

 田中は、

「千両箱そのままだとしたら、七、八万両はあるだろうか。これまでのと併せて十万両は超えておる」

 と、如何にも嬉しそうだ。

 すると、浩太郎は、

「なるほど。それでしたら、まだまだ有る筈にございます。あの隠し部屋の下。恐らく板を外せば、同じ程度はありましょう。いや~やはり噂通り、相当の金を隠していた様にございますな」

 しかし田中は、些か驚き、

「え! まだ有ると!」

「はい。ただ、今は慌てぬ方が良いと存じます。まだ、仕掛けがあるかも知れませんから、もう少し人数を増やし、心きいたる大工なども呼んで、調べた方がよろしゅうございます」

 浩太郎は深く頭を下げる。

 田中は、本当に嬉しい顔で、

「いや~此度は本当に世話になった。助かったよ~」

 と、二人で大笑いした。


 そうして浩太郎とお華は、これにて、その場を立ち去る事にした。

 浩太郎は、お華に、

 勘定から渡して貰った芳名帳を渡し、

「姉小路様にご報告を頼む。おれは、お奉行に報告せねばならんからな」

「分かった」

 などと話しながら、二人は、江戸城の方向に進んでいく。



(3)

 

 当主、後藤三右衛門は、天保改革当事者の中では、後に唯一の死罪となった。

 ただ、彼を死に追いやったのは、この一斉捜索の結果だけではない。

 本来なら、遠島で済んだのかも知れないが、一通の書状で事情が変わった。

 賄賂の領収書ではなく、逮捕前に、老中、堀大和守に提出した上申書である。

まず、

「水野の後は、堀大和守様しか、この難局には適任の方は居ない」

 などと、持ち上げ、

「勘定所の小役人どもは、元々生まれが賤しく、極貧の中で育っているので、習い性になり、ときに小才或る者も、とかく金銭をむさぼり、保身の念が強い。遂には忠節の心を忘れ、悪事を企て、幕府の政治を汚すことになる。奸曲でなければ魯鈍、あるいは凡庸の徒である。こういう者達では、役には立たない」

 そして、

「今の勘定書の人物で、金銀吹き直し(貨幣改鋳)が出来る人間は一人も居ない!」

 などと、勘定書の役人を口汚く罵り、元祖、後藤庄三郎からの由緒と、自分自身の三十年来の勤功を考慮し、

「勘定組頭に取り立てて欲しい」

 と自らの出世を陳情している。

 しかし、さすがに堀は、後難を恐れ、これを公表してしまう。

 当然ながら、これを見た勘定方は、怒髪、天を衝くといった様子で、怒りの頂点に達してしまう。

 金座を任されていると言っても、三右衛門は町人。

 幕府の役人の武士にここまで言ってしまえば、ただではすまない。


 さて、お華は三の丸の姉小路を訪ねた。

 部屋に入るなり、姉小路様は少々意地悪そうな笑いで、

「おお、お華御殿の住み心地はどうじゃ?」

 と、平伏するお華に、意味有り気に言うと、お華は顔を上げ、

「え~え~。毎日、台所・厠・玄関と懸命に走っております。これは大変有り難い事と、上様と姉小路様には、たいへん。ええ、そりゃ大変で、感謝しております」

 少々、口を尖らせて頭を下げる。

 横の綾瀬は、口を押さえ大笑いしている。

 姉小路も我慢しているのだが、

「走っておるか。それも良かろう……」

 耐えきれず、とうとう笑ってしまっている。

 そして、

「今日は例の調べの報告か?」

「え~え~、いい加減走るのも飽きた所でございましたので、やっとまともな事が出来て大変嬉しゅうございます」

 もう、綾瀬は、吹き出してしまっている。

 姉小路は満面笑みで、

「わかったわかった。で、どうじゃったのじゃ」

 お華もそれには、普通に笑みを浮かべ、

「姉様もあそこの報告書はご覧頂けたでしょうけど、そりゃもう、凄い屋敷で、我が屋敷などと違って、調度品も高そうなものばかり。下男下女が七十人、お妾が六人だそうで、私の屋敷に二、三人寄越せってなものですよ。そりゃもう、驚きました」

 これには二人が大笑いした。

「わらわも読んだが、やはりそうであったか」

 お華は頷いて、

「そして隠し金の件ですが、私たちが探して、今のところ約十万両が見つかっております」

 それには姉小路でさえ驚いて、

「じ、十万? そ、そんなにか?」

「はい。明日再び捜索に入るとの事でしたが、まだ、隠し部屋の地下にもあるようで、おそらく総額、二十万両に近いのではないかと……」

姉小路と綾瀬は少々怒りの表情に変わる。

実際、小判・述金・灰吹き銀・古金銀など、総額十八万両の金額が見つかっている。

 いくら金座の責任者とは言え、さすがに多すぎる。

 そして姉小路は、

「あとはどうじゃ?」

 と聞かれたお華は、些か胸を張るように、

「ご安心下さいませ。ご老中様と南のお奉行、その不正の証拠を、わたくしが!」 

二人を順に見て、

「わたくしが、しっかり、見つけました!」

 それには姉小路も目を大きく開け、

「やったか?」

「ええ。ご老中様なんぞ、十六万両の賄賂の証文にございます。本日、阿部様の手に渡るものと存じます」

 姉小路は、完全に怒りの表情で、

「何と! 十六万両じゃと? 散々、大奥が金を使い過ぎだ! などと申しておいて、自分はそれか……」

「さすがにこれは、我が兄も、勘定方も、これは逃げ切れまいと言っておりました」

 姉小路も、まだ怒りの表情で、

「当然じゃ!」

 と頷く。

 そして、お華は、浩太郎が支配勘定から受け取った芳名帳を姉小路に差し出し、

「それから、わが兄からのお願い。お聞き願えますでしょうか?」

 それには、姉小路も少々首を捻り、

「何じゃ? 言うてみよ」

 お華は、平伏して、

「はい。兄は、今回の勘定方の方々へ、何らかの褒美をお願い出来ないかと申しております」

 姉小路は、少々驚いた顔で、

「何じゃと、褒美?」

 お華は顔を上げ、偉そうな笑みを浮かべ、

「まあ、殆ど私が見つけたような物ですが、あの方々も姉様の指示通り、私たちを快く迎えてくれたからこそ、例の書類も簡単に見つかりました。どうか、この名簿を上様にご一読頂き、少なくて全く構いませんので、多少のご褒美を頂ければ。と申しております」

 全てを理解した姉小路は、頷きながら、

「なるほどな。そなたの兄はそなたと違って、頭が切れるの……」

 と笑う。

 お華は、

「そうですか?」

 少し不服そうだ。

 姉小路は、微笑み、

「承知した。明日朝、上様にこれと一緒にご報告しておこう。これだけ回収したのなら問題はあるまい」

 結局、浩太郎の配慮は、宮廷政治のようなもの。

 あまり姉小路を目立たないようにし、上様の為と強調したかったのだが、お華には理解出来なかった様だ。

 平たく言えば、「やれ!」と言うだけでは、反感を買うかも知れないからだ。


 それはともかく。

 お華は再び、平伏して、

「ありがとうございます。これで兄も安心します…………が」

 と、ヒョコッと首だけ上げ、

「そっちの方はともかく、私にもご褒美ございませんか?」

 と、満面の笑みで、言い出した。

 それには、姉小路と綾瀬はまた大笑いとなった。

 笑いながら姉小路は、

「なんじゃ、そなたも欲しいのか」

 するとお華は、優斎が引っ越してきた事で金が掛かることを訴え、

「どうか、お助けを!」

 などと言っている。

 姉小路は、呆れた顔で、

「わかったわかった」

 と、手を振って笑う。



(4)

 

 さて、大奥の報告も終わり、お華は屋敷に戻り、少し早く、少し欠けてはいるものの、綺麗に輝く月に誘われ、座敷に座って、おみよと猪口を傾けていた。

 お華も全てが終了し、早く寝ようと思っていたのだが、おみよと二人。欠けた月を眺めている。

 おみよと話をしている最中、ふと、お華の眉が上がり、おみよを止めた。

 そして、素早く頭上の簪を抜くと、斜め後方の天井を凝視する。

 おみよも長年、お華に付き合っているだけに、その異変に気づいたようだ。

 ところが……。

 お華が見ている先で、天井の板がゆっくり開けられ、女がヒョコッと、頭を出したのだ。

 驚きはしたものの、お華は呆れ顔で、簪を髪に戻し、

「ちょっと、そこのお姉さん。いい加減降りて来なさい」

 些か叱りつける様に、女に言葉を投げかける。

 すると、大きな溜め息の音と共に、お華より幾つか上の、そう、おさよと同じくらいに見える女が、音も立てず、スラッと下に飛び降りてきた。

 落ち着いた感じで、美形の女だったが、屋根裏に潜んでいたから、幾分疲れた表情だ。

 お華は、下を向き大笑いしているが、おみよは、かなり驚いた表情で、近づいてくる女を見詰めた。

 お華は、笑いのまま、

「お頭様、どうぞそちらにお座り下さい」

 と言うと、その女も諦めきった表情で、言われた通り座る。

 お華は、おみよに、

「おみよちゃん。お客様に、お酒と、つまみを何かお願い」

 と頼む。

 おみよは、まだ驚いた表情だったが、

「あ、はい。ただいま」

 立ち上がって、台所に向かう。

 女を向かい入れたお華は、早速、

「甲賀のお頭でございますね。初めまして、お華にございます」

 笑顔で、軽く頭を下げる。

 その女は、眉を上げ、

「な、何故その事を……」

 些か驚いた表情で答える。 

 お華は笑顔で、

「いやね。伊賀のお頭が言ってたんですよ」

 と言うと、女は途端に警戒心が浮かんだのか、

「伊賀のお頭ですって?」

 懐に手を入れる。

 お華は、ますます笑って、警戒を掌で止め、

「この前。その内、信濃のくノ一が出たって、甲賀のお頭が見に来るんじゃないかって言ってたのよ」

「なんですって?」

 その女は下顎を突き出すように、首を傾げる。

 その時、おみよが台所から戻って来た。

 するとお華は、

「でも、間違ってないでしょ。さすが、お頭だけあって、しばらくは、全く気配を感じなかったけど、途中で飽きちゃったんでしょ。私もやっと分かったわよ。顔まで出すし……」

 で、お華は大笑いする。

 女もお華の態度に、少々安心したのか、

「しばらく、こんな事やってなかったからね。申し遅れました、私、古甲賀のお香と申します」

 それには、おみよが、

「甲賀って、あの?」

 と驚く。彼女にしては、このところ伊賀や甲賀など信じられない言葉に出会うからだろう。

 するとお華が、

「あの、お上にお仕えしている、百人組とは違うの?」

 お香は頷き、

「あれとは違うの。甲賀と言っても、幾つか別れているからね」

「そうなんだ。でも、甲賀って、くノ一はいないって聞いたけど。女でお頭って凄いわね」

 お香は少し笑い、

「本当はね。ただ、あたしはお頭だった父親の後を継いだのよ」

「へ~そうなんだ。でさ、普段は何やってるの?」

 お香は、おみよに酒を注いで貰いながら、

「新宿で、料理屋とか旅籠とかね」

 お華は、些か驚いた表情で、

「古甲賀と言う割には、何だが新しい事で、皆暮らしているんだ~」

 すると、お香は、

「それより、あなた。教えなさい! あんた、信濃って本当の事なの?」

 些か、厳しい口調で問い詰める。

 しかし、お華は笑って、

「う~ん、あのね。死んだ父上は、甲州の流れだとは言ってたんだけど。最近、伊賀のおじいちゃんがね」

 お香はすこし眉を顰め、

「おじいちゃん?」

 お華は笑って、

「お頭よ」

「あっ……」とお香も笑いながら頷く。

 そしてお華は続けて、

「お城でね、伊賀の若い連中と、ひと悶着あってさ、その時の私の技を見て、おじいちゃんが、あれは、わしのおじいちゃんのおじいちゃんから伝わった信濃の技じゃ! とか言い出したのが始まりなのよ」

「ほう。なるほど。それは何時の事の話?」

 お華は頷いて、

「なんでも、大坂夏の陣とか言ってた」

 それには、お香も驚きが隠せなかった。

「そ、そんな昔の? 私たちが甲賀の中で別れたのがその時ぐらいの話と聞いてるけど」

 と、猪口を傾けるお香。

「今さら、そんなこと言われてもね~」

 と、お華が言った時、外から草履の音が聞こえてきた。

 お香が、素早く懐に手を売れたのだが、それより素早くお華がお香の懐に手を伸ばす。

 足音のの主は、優斎だった。

 おみよの顔を見つけた優斎は、

「おみよさん。食事ありがとうございました。食器持ってきました」

 と言った時、お華と知らない女がいるのに気づき、

「あ、これはお客さんでしたか、これは失礼しました」

 と頭を下げる。

 お華が笑顔で、

「こちらは離れで医者をやってらっしゃる優斎……」

 と話している途中で、優斎は、

「あれ? あなたは……」

 などと言うものだから、お華が驚いて、

「あれ、先生。この方ご存じなの?」

 そのやり取りで、お香も気付いたようだ。

 何とも言えない表情で、目を瞑って顔を降ろす。

 優斎が、笑って、

「新宿の薬屋の女将さんですよね?」

 などと言ったものだから、お華とおみよも驚いた。

 お華は、

「え! 薬種もやってるの? 凄いわね~」

 言われたお香は、仕方無く頭を下げる。

 お華は、優斎を上がらせて、

「先生。実はね。この人、甲賀のお頭なのよ」

 と、言われた優斎も、さすがに驚く。

「え! 甲賀?」

 お香は、もう何もかも諦めた様子で、

「これは先生、いつもご贔屓下さってありがとうございます」

 と、頭を下げる。

 お華は大笑いして、

「あ~あ、わざわざ、私なんか見に来るから全てバレちゃったね~」

 と言って、酒を流し込む。

 すると、優斎は、

「いつも、手代の太吉さんが、薬、届けてくれるんですけど、ここの薬は、穏やかな薬でね。子供にはちょうど良いんですよ」

 するとお華は、

「じゃ、甲賀の忍びが、いつも八丁堀の屋敷の前を通っていたって言う事? 姉上が聞いたら、さぞ驚くわよ」

 それには、お香以外、大笑いとなった。



 ~つづく~




 今回もお読み頂き、ありがとうございます。


 さて、今回は勘定奉行が関わるお話でしたので、もう少し、勘定奉行について説明しましょう。

 町奉行も勘定奉行も旗本にとっては、最高の出世コースで、遠山も鳥居も就任しています。

 ところが、これが最大の特色と言って良いと思いますが、奉行になるには、旗本でなければならないと言うわけではありません。

 浩太郎の町奉行であれば、御家人である同心・与力から出世し、奉行になった者は、江戸時代一人もおりません。

 ところが勘定奉行では、御家人から奉行になった者が、全体の一割程度いると言われます。

 更には、お庭番から出世したものや、驚く事に、町人出身であっても、奉行になった者がいます。

 勿論この場合は、親が御家人株を子供に買い与え、どこか御家人の養子になって。というコースですが、それでも、江戸幕府においては驚くべき事でしょう。


 ただ、この辺が、後藤三右衛門の勘違いを生んだのかも知れません。

 才能はあったのでしょうけれど、身分制度を軽く考えていました。

 やはり、手順は踏まねばなりません。


 才能と言えば、本文で述べた、大田南畝です。

 彼も、御家人から、支配勘定にまで出世しています。

 支配勘定は100俵高。

 町奉行与力が200俵高、同心が30俵ですから、ほぼ中間というところ。

 彼は、寛政四年の「学問吟味」の試験では、御家人中、主席で合格しました。

(ちなみに、旗本では遠山の金さんの父、遠山景晋が主席で合格)

 頭も良く、狂歌の超有名人だったのですが、結局はそのお陰で、出世をそこまでにしてしまった。

「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶというて夜も寝られず」

 本人は、自分の作ではないと否定するものの、当時の寛政の改革、政治批判と疑われたのは、大きかった。

 有名人に対する嫉みとも見られますが、この事が、最後まで足を引っ張ったのかも知れません。

 ただ、彼の場合は、名前と作品は今も残っている。

 出世は出来なくても、後の世に名を残すなど、幸せな男だと思っています。

 

さて、今年は世界に疫病がはやり、大変な年になってしまいましたが、それにもめげず(?)お読み頂きありがとうございます。

 お華の簪・天保篇はもう間もなく、ひと区切りになりますが、

 続けて書いていきますので、よろしければ、お付き合い下さい。

 では、ご意見・ご感想をお待ちしています。

 ありがとうございました。

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