㉘権現様も苦笑い
(1)
置屋の二階、押し入れ。
いわゆる二段ベットの上に寝ていたお華は、突然。
上からドンと乗っかられ、無理矢理起こされる。
今で言う、Flying body attack というところか?
「お姉ちゃん! もう起きなさい!」
ただし、幼児の攻撃。
可愛い声で、おゆきに叱られるお華だが、
「な、なあに、おゆき! ビックリするでしょう!」
と、起き抜けに、お華は言うのだが、おゆきはニコニコ笑っている。
「姉さんも、おゆきには敵わないのね」
おみよも、下で笑っている。
「う~ん。あ、そうか、八丁堀に行かなきゃなんないんだったね」
お華は、まだ、乗っかって甘えている、おゆきの頭を撫でながら、言った。
「そうですよ、佐助さんも待ってるし、何より奥様もお待ちだと思いますよ~」
「そうね……。おゆきも一緒に行く?」
お華が笑いながら言うと、おゆきも嬉しそうに何回も頷く。
仕度をして朝を皆で取った後、お華はおゆきの手を引き、おみよと一緒に八丁堀の屋敷に向かうべく、永代橋を渡る。
屋敷に着き、玄関先で、
「おはようございます。姉上!お華です」
一緒に、「おゆきです」と可愛い声を上げる。
直ぐに、おさよがやって来て、おゆきを見つけ、笑顔になる。
「おばさま。おはようございます」
おゆきの挨拶に、こちらも頭を撫で、
「あら、良いご挨拶ね。おはよう。でもね。まだ私はお姉ちゃんだからね」
などと、明るく言い、お華に、
「おゆきちゃん連れて来てもね~。大変よ~。まあ、上がって見てよ」
お華達が、屋敷に上がり、居間に入った途端、部屋中の着物の山に、お華とおみよは驚愕した。
「何! こ、こんなにあるの~」
と、二人その場に座り込んでしまった。
そこに佐助も、部屋からやって来て、
「お嬢さま、皆様おはようございます。しかし、これ。ちょっと手じゃ、持っていけませんよ~多すぎて」
些か笑いながら言う。
おゆきは、早速、「きゃ~」と言いながら、着物の山にぶつかって遊んでいる。
おみよはそれを見て、笑いながら、
「どうします? これじゃ、長屋に入らないかも知れませんよ~」
お華も渋い顔で、
「ちょっと、貰い過ぎたわね~ねえ、姉上……」
「旦那様が、何時から我が家は呉服屋になったんだ! って怒ってたわよ」
お華も苦笑して頷き、
「あ~居ない時に来て良かった」
と大笑いだ。
お華は立ち上がり、
「これ、おゆき。遊んでないの」
と言いながら、早速、着物の山を大まかに調べた。
その間、お茶を持ってきたおさよが、
「どうする気?」
と、温いお茶を、おゆきに渡しながら、お華に問う。
「うん。姉上。やたら反物が多いから、それ、近所の北町の皆様にお配りしてくれないかしら。お裾分けって事で……」
おさよは呆れた様に笑い、
「着物のお裾分けなんて聞いた事無いわよ。まあ、でも奥様や娘さんなんかいらっしゃる所は、喜ばれるかもね」
おみよも頷く。
お華は、お茶を飲みながら、
「そうでしょ。反物はまだ、手がかかるし、私たちじゃ、そんなことやってられないからさ。お金かかるし」
と笑う。そして、
「私も一緒に、手伝うからさ」
「良いわよ。でもそれ聞いたら、あの人なんて言うだろうね」
と、おさよは庭を見ながら、口にする。
「じゃ、おみよちゃん。二人で分けよう。佐助さん悪いけど、どっかであれ、借りてきてくんない?」
「大八ですか?」
「そうそう、それ。それで、おみよと深川の長屋に運び入れてくれる?」
佐助は、笑って頷き、
「分かりました。じゃ、借りに行ってきます」
と、佐助が出掛けて行くと、お華とおみよは、早速、着物を選別し始めた。
少しすると、佐助も戻って来た。
お華達も大方、選別が出来たので、早速、佐助とおみよは、着物を大八車に載せ、出発した。
そしてお華は、別にしてある反物を指差して、
「姉上、これは遠山様、奥様へ。兄上に申し付けて下さいな」
おさよは笑いながら眉を寄せ、
「申し付けてって……。まあ、そうなるか。分かったわ」
お華は、多数の反物を風呂敷に包んで、おさよとおゆきと一緒にこれも出掛けて行った。
「まずは、佐久間様のお宅ね。あそこは娘様もいらっしゃるから、喜ばれるわよ~」
と言いながら、風呂敷を背中に背負ってついて行くお華。
「しかし、こんなことになるなんて思わなかったわよ~。正月の挨拶じゃないんだから……」
既に、弱音を吐いているお華に、
「頑張ってねぇ~」
と、声を掛けるおゆき。
「はいはい……」
それには、おさよとおゆきが笑っている。
(2)
「あたしは、着物の行商じゃないんだって~」
ヘトヘトになったお華とおみよ、そして、おゆきは、何とか全て終わらせて、深川に向かっていた。
お華のぼやきに、おみよは、
「佐助さんと何とか運び込みましたけど、やっぱりギリギリでしたよ。あれじゃ、どう見ても呉服屋の蔵だって、佐助さんが笑ってました」
お華も笑って、
「困ったわね。それじゃ、また、おゆきの遊び場になっちゃうじゃない」
と、呆れた様に言うが、おゆきは嬉しそうだ。
さて、置屋に帰った三人。
すると、お華とおみよに、女将のお吉が、
「帰ってきてそうそう悪いんだけど、急に柳橋で仕事が入ったのよ。悪いんだけど、夕方、二人で行ってくれない?」
「あら、もう?」
お華が驚く。
「そうなの。ただ、二人は別々で、おみよちゃんは三味で、別の座敷。お華ちゃんは指名があって、何でもお年寄りの旦那様って話だけど」
そこでお華は、あることに気づく、
「お年寄りって、まさか、あの本郷の?」
おみよも、さすがに気付き、口に手を当て笑う。
「本郷って……。ああ、あの方とは別よ」
お華は胸を押さえ、
「あ~良かった。また、あのご隠居かと思った」
お吉は不思議そうな顔で、
「なんでそうなるの?」
「いやね。あの本郷のご隠居様。実は、江戸城、留守居役のお殿様だったのよ~」
おみよも一緒に、
「私も驚きましたよ。まさか、あの方とお城でお会いするなんて」
お吉も、さすがにそれには驚き、
「本当なの? 千代田の留守居様だったんだ。それは驚くわね」
「本当ですよ。お姉さんは、からかって遊んでたけど」
お華も大笑いだ。そして、
「当たり前よ。あっちが嘘ついてたんだから。まあ、違うなら良いけどね。何か文句言われるのかと思ったわよ」
そして、早速二人は、芸者の仕度を始める。
夕刻近く、
「おかあさんと待っててね」
と、おゆきに笑顔で言って、二人は左褄で出て行った。
すると、おみよが、
「あれ? 柳橋も左褄でしたっけ?」
お華も、ん? と上を向き、
「どうだったっけね。いやね~長い事やってないから忘れちゃった。向こうに言ったら聞いとかなきゃね」
「はい」
二人は笑いながら、隅田川沿いを進んでいく。
そして、二人は言われた通り、指定の柳橋の料亭に向かった。
柳橋は、現在の台東区柳橋一丁目あたり。
両国橋南側の袂にある。
ちなみに、江戸の頃、繁華だったのはこちら側。
今のように、回向院・元禄の頃の吉良の屋敷、そして今ある両国国技館の方は、それ程、栄えてはいなかった様だ。
柳橋に、芸妓(芸者)が現れたのは、文化年間あたりと言われ、当初は、十四名程度だったという。
ところが、例の改革のおかげで、深川から、多くの芸者が逃れて来た。
おかげ、江戸の奥座敷として、急激に発展し、この後、安政年間には、百四、五十の芸者を抱える、一大、花街となる。
そして、お華とおみよは、今日。その中の二人となる。
途中、お華は、
「おみよちゃん。久々だから箱も重いでしょ」
おみよも頷き、
「本当ですよ。今まで気付きませんでした」
「道も遠いしね」
おみよは大きく頷く。
ようやく、目的の料理屋に着くと、女将に挨拶しようと顔を見た途端、お華は、
「あら、女将。深川の」
そう、以前は深川で、女将をしていた女だった。
「あら、お華さん。待ってたわよ。お久しぶり。あなたが芸者稼業に戻って来たってんで、柳橋の芸者は、恐れ戦いているわよ」
お華は少々、不満な顔で、
「私が戻ったって、なんでそんなことになるのよ。私はここじゃ新顔だからね」
そのやり取りに、おみよと女将は大笑いである。
そして女将は、
「じゃ、お華太夫は、お二階よ。みよ吉さんは……」
と言った時、おみよは女将に、
「女将さん、私、柳橋ではおみよでお願いします。私も新顔ですので……」
笑って、頭を下げる。
「なるほど、みよ吉じゃ、そのまま深川だからね。でも、お華ちゃんはそのままなのね?」
「私はそのままですよ!」
お華は、些か偉そうに宣う。
「皆を脅かしてやらなきゃね!」
そのお華の顔に、おみよが笑顔で、
「相変わらず、戦うのが好きですねぇ~」
などと言われてしまう。
女将も微笑みながら、
「じゃ、おみよちゃんは、あちらの左の部屋で少し待ってて。呼びに行くから」
「はい。承知しました」
まず、おみよだが、言われた通り、控え室だと思った部屋の前で、
「失礼しますよ」
と、何の気も無く、襖を開けた途端、目を丸くして驚いた。
思わず三味線箱を落としそうになったが、
「先生! なんで先生が?」
そう、優斎が、一人、盃で酒を呑んでいたのだ。
「おう。おみよさん。驚かして悪いね。しかし、久々のその芸者姿は中々だね」
と、笑って盃を空ける。
おみよは、箱を傍らに置き、慌てて、優斎のお酌に行く。
「先生。これは一体?」
優斎は笑って、上を指で指す。
「呼ばれたのさ。ほら、そこに箱もあるだろ」
確かに、医療箱が端に置いてある。
「呼ばれたって……あ、これはまた、旦那様の悪戯ですか?」
おみよは、気づいたらしい。
「そんな所だよ。まあ、おみよさんも関わりのある事だから、仕方無いさ。呼ばれるまで、お待ちしてましょ」
優斎も大笑いだ。
さて、二階へ向かって行った、お華だが……。
その部屋、正面片側は、外。反対側は次の部屋に通じる障子がある。
特に、変わった作りでは無い。
場所は変われど、芸者の時はいつも一緒。
お華は、閉められている障子の前に両膝を付き、
「失礼致します」
と一言。
すぅーっと障子を開き、頭を下げながら部屋に入り、正面に座った。
(あ、なるほど)
お年寄りだ、と一瞬で確認し、恭しく挨拶をする。
「本日は、お呼び頂き、誠にありがとうございます。お華太夫にございます」
と、平伏し、そしてゆっくり身体を上げた、その時だった。
お華の身体に、それは強烈な、殺気が刺さった。
防御本能と言うのだろうか、瞬間、お華は正座のまま、横に一回転し、同時に、頭の簪を抜いていた。
そして、
「あらあら、お客様。か弱い芸者を脅かしてはいけませんよ……」
と、些か、空笑いで言う。
何かを放たれた! と、お華には思えたのだが、その老人は、懐に手を入れたままだ。
正直お華は、かなり驚いていた。
(かなり使える……)
今まで、あのような殺気と、幻影は、そうそう受ける事など無かったからだ。
すると、その老人は、高らかに、
「なるほどの~」
と、機嫌良さそうに笑い始めた。
すると、障子が閉まっている隣から、
「これ、失礼があってはならんぞ!」
と、別の男の声が聞こえた。
しかしそれには、お華は眉を顰め、
「その、聞き慣れた、うっとうしい声は!」
そちらに向かって、言い放つ。
すると、そこも、すぅーっと開いた。
「誰がうっとうしい声じゃ!」
と、言いながら浩太郎が、いつもの硬い顔で表れた。
そして、隣には見知らぬ顔の男。三蔵である。
「あ、兄上! な、何で?」
浩太郎が、芸者の場に来る事など、未だ嘗て、一度も無い。
お華も、そりゃ驚く。
浩太郎と男は、部屋に入ってきて、座った。
そして浩太郎は、老人に一礼し、
「お華。こちらは、伊賀のお頭。当代、服部半蔵様じゃ。お頭が、お前と話がしたいと仰るんで、お連れしたのじゃ。お前も関わっているのだから、挨拶をしなさい」
と言われ、更に、お華は驚いた。
「は、服部半蔵様? 子供の頃に、黄表紙か読み本で拝見したような……あ、おみよちゃんが言ってた、伊賀の方って、こちらですか」
浩太郎は、頷き、
「そういう事じゃ」
老人は、微笑して、
「読み本は良かったな。そうじゃ、わしは伊賀の半蔵じゃ」
お華は、改めて座り直し、簪を直してから真面目な表情で、
「あの切は、何と申しますか、色々とご厄介をお掛けしまして、誠に申し訳ございませんでした。でも、服部様って方が、今でもいらっしゃるとは、こちらの方が驚いてしまいます」
微笑んで、一言。
半蔵と、隣の三蔵は顔を見合わせ、笑い、
「まあな、団十郎みたいなもんじゃよ。が、あれほど儲かりはしないがな……」
すると、お華は片頬を若干上げ、突然、上に向かって指を指す。
「じゃ、もうそちらの方々もよろしいですよね」
微笑んで、静かに言う。
浩太郎の時と同じ、護衛しながら様子を伺う男達が、屋根裏に潜んでいた。
「さすが、分かるの」
と言って、お頭は天井に向かい、
「おい、降りて来い」
隠れて居る者達に、穏やかに言う。
上の板を外して降りてきた四名の男達は、今回は、些か恥ずかしそうな顔で、降りて来る。
「さすがですね~でも分かっちゃいましたけど……」
しかし、お頭は些か残念そうに、
「まだまだ、修業が足りぬということじゃ」
などと言いながら、お華に軽く頭を下げる。
すると、浩太郎は立ち上がり、廊下に出て、
「おい、女将。下の者を呼んでくれんか!」
と、言うと、早速、おみよと優斎が、上がって来た。
お華は、途端に和やかに、
「あら! 先生! 先生もいらしたの?」
優斎は笑いながら座り、
「私も、お頭とはお話させて頂いたからね。私もご挨拶に参ったのさ」
すると、おみよが、
「私も驚きましたよ~。こんな事になってるなんて」
と、お華の横に座る。
お頭は、お華に、
「そうそう、良ければ、お前さんの手裏剣、見せてくれんか?」
お華は、特に警戒もせず、近づく。
そして、髪から抜いて、お頭に簪を手渡す。
受け取ったお頭は、それを見て、
「そうか! 羽根が曲がるから、曲げて飛ばせるのか」
お華は、直ぐ悟り、和やかに頷く。
「なるほど。しかし、これは良い出来の手裏剣じゃ」
となりの、三蔵も一緒に見て、大きく頷く。
「そうでございますか。これは、鍛冶屋をやっている、そこの、おみよのおじいちゃんに作って貰ったんですよ」
それには、おみよも嬉しそうに頭を下げる。
お頭は、簪の中央を指の上に載せ、
「いや。こりゃ単なる鍛冶屋の仕事じゃない。以前は、かなり修業していた筈じゃ」
お華は、おみよと笑い、そして、
「そう言って頂くと、有り難い限りです。ねえ、おみよちゃん」
おみよも笑顔で、
「ありがとう存じます。おじいちゃん喜びます」
と、また深く頭を下げる。
簪を返して貰ったお華は、お頭に、
「少々、お伺い致します。例の者達、そして女達は、如何なされたのでしょう?」
するとお頭は、
「その前に、聞きたい事がある。そなたとあの小太刀の者は、一人も急所を突くこと無く、倒している。これは何故じゃ。もしかすると、あれは、そちらの医者様の指示か?」
そう言われた優斎は、手を大きく振り、
「とんでもございません。前から二人は、急所以外だけ、狙っているのです。私も剣を使いますので、最初、遣られた者を見た時に、そりゃ驚きました」
お華は、穏やかに、
「お頭様。あれは、亡くなった我が父からの教えなのです。私共は女。ただ我が身の安全と、大切な者を護る為に、手裏剣や小太刀などの指導をしてくれましたが、父は、決して殺してはならんと申しておりまして……」
すると、浩太郎が、
「人殺しにはさせたくなかったんだと思います。ああいう技を身につけてしまうと、調子に乗り、いずれ誰にでもとなってしまい。結局は急所を打ち、そして切り始めます。それが嫌だったのでしょう。特にお華は危ないですからな」
と、笑うが、しかしお華は、
「何が、特によ!」
と、怒る。
すると、お頭は大きく頷き、
「そうじゃな。忍びでもなければ、そんな必要はないからの。忍びでも、そもそもは、逃げるためのものじゃからな」
「そうなんです。私もそれを先生から教わって、気を付けるようにしています」
それには、優斎と浩太郎は笑って、浩太郎が、
「やっぱり、お前じゃないか。危ない所だったな、先生」
優斎は、和やかに頷く。
そしてお頭は、
「いや。あれは本当に有り難かった。無用の恨みを残さずに済んだからの」
この言葉には、並んで座っている配下の忍び達も、一様に頷く。
「嫌ですよ。改まって。あ、そうだ。おみよちゃん、皆様にお酒と肴をお願いしてくれる?」
おみよは和やかに、
「はい」
と席を立つ。
用意の酒などが皆に回ると、お華があることに気が付いた。
並んだ忍び連中の中の一人が、やたら若い事に。
お華は、その男に、
「あなた、お幾つなの」
その男、いや、まだ子供の様な笑顔で、
「十三になります」
と頷いた。
「いやだ。まだ子供じゃない。その年で、もう天井なんかに隠れる事なんか出来るんだ。偉いわね、ちゃんと修業してるのね」
するとお華は、おみよに、
「そうは言っても、お酒は早いわよ。ねえ、甘酒かなんか持ってきて上げてくれる?」
それには、その子の隣に座っていた、父親らしき忍びが、思わぬ気遣いに、
「これは、お華様。我が子、翔太にかたじけのうございます」
「お父様ですか? そうか翔太さんか。しっかり修業して、お頭をお守りするようにね」
翔太は、江戸城でのお華を見ているから、些か緊張しているのか、上手く言葉にならず、ただ、笑顔で深く、頭を下げる。
すると、お頭が和やかに、
「お華さん。彼奴らは、破門にした。傷が治り次第、伊賀に送るつもりじゃ」
それにはお華が、嬉しそうに、
「それじゃ、命は取らずに?」
「そうじゃ。まあ、江戸所払いと言うところかな。伊賀に戻り、田畑を耕す事になるだろう」
「それは、良かった。私と姉上もあの後、上様を狙った者でも無し、ちょっと、上様にお手合わせをお見せしたって事で、姉小路様にお願いしたんです」
それを聞いて、浩太郎は笑って、
「先生、お手合わせだってよ。あんな手合わせやられたら敵わんな」
「フフ。そう言われたら、両国の見世物と変わりませんよ」
と、こちらも笑う。
お華とおみよも吊られて笑う。
お頭も微笑み、
「初めて恐怖を感じたと、あの者たちが言っておったよ。しかし、おかげでこの様な決着をお許し頂いて、誠にありがたい事じゃ」
「いえ。別に恨み辛み有っての事ではありませんし、そちら様でもご納得頂けるのなら、有り難い事です」
と、お華が言った時。二人の男が、お華の側に来て座り、二人とも一斉に頭を下げた。
お華は、少し驚いた。
すると一人が、
「私たちは、姉小路様を襲った娘達の親にございます。あんな事しでかしておいて、何とも暖かいお情けを頂戴して、誠に持ってありがとうございます」
この言葉には、お華も少し下がり、
「あの娘達のお父様でございましたか。いや、私共の方こそ、あんな若い娘を傷つけてしまって、誠に申し訳ない事にございます」
と、二人に平伏した。
すると、一人が慌てて、
「何をおっしゃいます。本来なら、娘は勿論、私も家内も兄弟達もお咎めを受けるところでございました。お情けを持って穏便に済ませて頂いて、本当に感謝しております」
すると、お華は少し微笑みながら、
「あれは、私も驚きました。ちょうど大部屋で踊りの練習をしている時でしてね。さすが伊賀の忍び、いつの間にか女中に化けておりまして。私共も、大奥だからあり得るとは思っていましたが、それは見事なものにございました。ただ、その後がいけません。いざその時、あまりに大きい殺気を放ってましたので、すぐ気付くことが出来ました。ただ、捕まえてみれば、この、おみよよりも若い娘達。少し後悔しておりました」
一人の父親が、
「さらに、自害まで止めて下さったとは、忍びとしては情けないですが、娘としては本当にありがたく思っております」
「いいんですよ」
お華は手を振りながら、
「誰に言われて行ったもの、と分かっておりましたので、姉小路様に殺さぬ様、お願いしたのです」
浩太郎と優斎は、その行動に満足そうに頷く。
すると、お頭は、皆にむかい、
「皆の者、分かるであろう。伊賀の忍びともあろう者が、殺気で気付かれ、動きについて行けず。全く、忍びの連中ともあろう者が情けない事じゃ。お華さん。あの子達も、傷も癒えましたので、私の油屋で、女中として働くことになりました。これで宜しいかの?」
父親達も、深く頭を下げている。
お華は、それは嬉しそうに、
「それは良かった! それなら、もう何事もありませんでしょう。ねえ、兄上」
浩太郎も頷き、
「そうだな。お頭の元に置いておいてくれるのならば、何も問題ない」
するとお華が、伊賀の連中に向かい。
「それでは、今回の事。これにて手打ちと致しましょう。今後は何とぞ、何時までも仲良く、お付き合いの程、お願い申し上げます」
それには、全ての者が、声を上げて、盃を空け、お互いに頭を下げる。
お華とおみよは皆に回り、和やかに酌を始める。
(3)
しばらくすると、お頭が浩太郎に向かって、
「お主、前に、元々甲斐の出と申しておったな」
浩太郎は頷き、
「はい。亡き父の申すところによりますと、そうなっております。伊賀の皆様には申し訳無いことかも知れませんが、甲府の元々は、草の者だったと……」
それを初めて聞く、伊賀の者達から、声が上がる。
しかし、お頭は、
「それは、そうかも知れんが、もしかすると、信濃ではないか?」
浩太郎はそれには驚き、
「え? 信濃にございますか?」
お頭は大きく頷き、
「そなたの技。そして、お華さん達の技を見ての思いじゃ」
「は~」
お華も、自分に関する話の様なので、お頭の元に、お銚子を持ってやって来る。
そしてお華は、
「でも、お頭様。父上は、あんまり詳しい事は言って無かったのです。ただ、我が家につたわるの技とだけ……」
お頭にお酌しながら、お華の言葉に、浩太郎も頷く。
お頭は、一口、酒を呑んで、お華に笑いながら、
「おじいちゃんが、そのまたおじいちゃんに聞いた話じゃ」
と、言う。
「そりゃまた、えらい昔のお話ですねぇ~」
お華も笑いながら、お頭を見詰める。
「そのおじいちゃんも、父から聞いたと言っておったから、その通り。かなり昔じゃ」
「ほう~」
浩太郎も優斎も、こういった昔話は、興味がある。
しかも相手は、伊賀のお頭だ。
「お主達は、大坂の陣の話は知っておるか?」
言われた浩太郎は、
「はい。権現様が豊臣家を滅亡させた戦かと」
優斎も頷く。
しかし、お華は全く分からず、不思議な顔をしている。
お頭は笑いながら、
「お華ちゃん。戦国、最後の戦の事じゃ」
「は、はい」
それには、回り者も、興味深そうに聞いている。
「その最後も最後。夏の陣に、我々伊賀は、将軍様ご警護で、付き従って居たそうじゃ。その頃、既に将軍であった権現様で、兵の数も相当な物。負ける訳の無い戦であった」
これには、浩太郎と優斎は、驚愕した。
なんと、権現様。徳川初代将軍、徳川家康の話だからだ。
そして、お頭の話は続く、
「しかし、その時、大坂方のある一隊が、猛然と、権現様本陣に突き進んできた」 さすがにここまで聞けば、お華でも知っている。
かなり、真剣に聞いている。
「ちょうど、戦線が拡大してしまって、騎馬隊などが出払ったその時じゃ、その一隊が、迎え撃つ、旗本などを次々打ち倒し、権現様に迫って行った」
その時、優斎が、目を大きく開け、
「あっ!」
と声を上げた。
「そなたは知っておるか」
「そりゃ、我が藩祖、正宗公も出陣しておられた戦にございますから」
「そうじゃ。その権現様に、真田の草の者が攻撃を仕掛けた。それは、次々、空に舞い上がり、棒手裏剣を打ち放ったそうじゃ」
「え~?」
これには、浩太郎とお華、そして、優斎も衝撃を受けた。
(あのままではないか……)
お頭の話はまだ続く。
「そうなると、権現様を守るのは我々、伊賀しかおらぬ。しかし、見たことも無い攻撃に、打つ手が無い。仕方無いから、その当時のお頭は、当たってお守りせよと命令されたそうじゃ」
他の伊賀の連中も、それには仰天した。お互い顔を見合わせる。
「権現様も、さすがにその攻撃には最後を悟り、二度も自害すると仰ったそうじゃ。それは我々が止めたものの、しかし、手裏剣は飛んでくる。お前達、お華の手裏剣見たならわかるじゃろ、あんなものを、何人も打ってくればどうしようも無い事を」
伊賀の者達は、真剣な顔で頷く、そして優斎も頷く。
浩太郎に至っては、呆然自失といった表情だ。
お華は、自分の技がそんな昔から有った事に喜んでいる顔だ。
「幸い、騎馬隊が帰ってきて、ようやくその危機に間に合った。騎馬隊が来ると、あれも効かなくなる。槍で、飛んだ者達、次々打ち落としたそうじゃ。それしか守る術が無かったというわけなのじゃ。わしは、お華ちゃんが飛んだのを見て、それを直ぐ思い出した」
優斎が、何度も頷き、
「なるほど。あの真田幸村様の戦は、正宗公も、見事と仰ったそうな。ということは、お華さんは、真田草の者の流れなんだ。浩太郎さんは特に、直系だ」
しかし、浩太郎は、少し困った顔をしている。
そして、
「いや、お話は納得致しましたが、奉行所の同心の私が、権現様を狙った子孫とは。何と申したら良いか……」
お頭は笑いながら、
「それは、もう昔の事じゃ。良いも悪いも無い。ただ、情けないのは、我が伊賀の連中じゃ。まあ、最も、あれは今は消えてしまった戦忍びの技だからの。仕方無いと言えば仕方無いのじゃが……」
さすがに、浩太郎は驚いた。
「戦忍びにございますか?」
お頭は頷き、
「戦国の頃は、多かったらしい。我が伊賀でも、名の残る忍びは、皆そうじゃ。しかし、権現様が天下をお取りになったら、必要無くなるからの」
更に、お頭は、少し憤然とした様子で、
「真田の草の者は、時代を巡って、今度は上様のお命を守った。ところがどうじゃ、伊賀は。二百年経っても、やられっぱなしじゃ」
これには、皆、苦笑するしか無かった。
しかし、お華は涙を流し喜んでいる。そして、
「お話、ありがとうございます。私は間違っていなかった事。そして、亡き父上の教えは、そんなに大事な事だとは思っていませんでした。これは本当に有り難いことにございます。ねえ、兄上」
浩太郎も、頷き、
「お華の言う通りにございます。戦国の頃は色々あったにせよ、今、この時、全てが分かって、そして、伊賀の方々の命を救うことが出来たのも、何かの縁にございましょう」
こちらも目に涙を浮かべている。
お頭は、微笑んで、
「まあ今頃、権現様は、あの世で苦笑いってところじゃ」
と大笑いだ。
それには優斎が、笑って頷き、
「誠に」
と頷いた。
(4)
「本日は誠にありがとうございました」
お華と、おみよは、玄関先で駕籠に載る、お頭に向かって、満面の笑顔で見送った。
勿論、共の者達にも、深くお礼をし、見送る。
すると、子供忍者、翔太が、お華の所に寄って来て、
「ねえ、お姉さん。今度、手裏剣教えておくれよ~」
と、笑顔で、小さい手を合わせて頼み込む。
それを見て、お華と、浩太郎、優斎は笑う。
お華は呆れた声で、
「だって、あんたの所の手裏剣とは、全然違うのよ~」
「良いんです。とにかく、少しでも強くなりたいんです」
すると、この子の父親が慌てて寄ってきて、
「申し訳ありません。無理を申し上げて」
そして翔太に、
「これ、お前は、何と言う事をお願いするのじゃ!」
と、叱りつけるが、お華は笑って、
「まあまあ、お父様。よし。落ち着いたら教えてあげる。良いわよね、兄上」
浩太郎は、それこそ苦笑いで、
「まあ、いいよ。伊賀の人だし」
すると、お華は、
「いい、翔太ちゃん。まず、気配を消す事を憶えなさい。これは、お父上に、もう一度、しっかり教えて貰いなさい。ねえ、お父様」
父親は、何だかよく分からないが、頷く。
「いい、大奥を狙った、女の子達も、それが出来てないから、簡単に捕まった。いや、下手したら殺されていたでしょう。それが出来なきゃ、いくら憶えて、上手くなっても役には立たないわよ。わかる?」
翔太は、真っ直ぐお華を見ながら、頷く。
「だから、話はそれから。いいわね」
「分かりました。じゃ、それが出来たら……」
「うん。教えてあげる」
この子の父親は、話を聞いて、感心していた。
何の事はない。忍びの基本を憶えなさい。と言っているのに気付いたからだ。
「いや。やはりさすがですね。ありがとうございます」
と、二人は、走って駕籠に向かった。
「全く、お前は、芸者なんだか忍びなんだか分からないな」
浩太郎は大笑いする。
「私もあんなこと言う芸者を、初めて見ましたよ」
おみよも、一緒に笑う。
お華も笑いながら、
「まあ、伊賀の忍びに教えるくらいなら、お父上も怒らないでしょ」
と、言って、歩き出す。
大川沿いを歩きながら、優斎が、
「しかし、驚きましたね。信濃とは……」
浩太郎も頷いて、
「本当だよ。まさか、あの幸村様とは。よく同心にしてくれたもんじゃ。おれはてっきり、信玄公の繋がりで仕える様になったと思い込んでいたんだが……」
と笑う。
すると、優斎は、
「もしかすると、ご先祖のだれかが、養子で入ったのかも知れませんよ」
それには、浩太郎もお華も、
「あ!」
っと、驚いた声を上げる。
浩太郎は頷き、
「なるほど、それはあり得る。いや、むしろ、そっちの方が道理に合っている。
だから当然、俺や、お華が技を使えるのも不思議ではないって事か……」
しかし、お華は、
「でも、それはもう、どうでも良いですよ。私に取っては、お父上のお陰。それだけで充分です」
すると、優斎は、
「それとね。これは、一応内緒ですけど、あの幸村様の娘御は、その戦の後、後です。我が、伊達の片倉家に嫁いでおられるのですよ」
「なんと!」
浩太郎は勿論、お華も立ち止まり、目を丸くする。
優斎は可笑しげに、
「いや~縁は異なものとは申しますが、私にも意味があるとは驚きましたよ」
「全くじゃ……」
浩太郎は何度も頷く。
お華と言えば、何だか妙に嬉しそうだ。
それを横目に、おみよも笑う。
浩太郎は、夜の川面に目を遣りながら、
「何だか、我々も分からないところで、色々繋がっていたんだな……」
とふと漏らす。
四人は、それぞれの我が家に向かい、川下の方向に歩いて行った。
~つづく~
今回から、お華も柳橋にて、芸者復活。
手始めは、伊賀衆との手打ちとなりました。
しかし、深川もそうですが、柳橋も今となっては、江戸の雰囲気など全く消え去り、柳橋で微かに残るのは、屋形船の駐船場ですから、寂しいものです。
何名か残っているのかも知れませんが、普段、芸者なんて全く見ませんしね~。
さて、浩太郎・お華の桜田家は、いよいよ実態が分かってきました。
さすがに、あの、大坂夏の陣直後に、奉行所同心にはなれないですからね。
優斎の言う通り、恐らく、武田家がらみの養子という事なのでしょう。
全く、都合良く出来ています(笑)
幸村手下の草の者……という設定は、以前から考えていた事です。
「戦忍び」って言葉、使いたかったんですよ。
例の、家康危機の場面は、後世、鉄砲で襲ったとか、色々言われておりますが、良い思いつきでしょ? 簪。
ところで、優斎が仙台の侍だったって話は、この事とは全く別で、西の(特に薩摩など)侍は嫌だなと思って、伊達に設定しました。
しかし、話を進める中、夏の陣を考えていて、私自身も驚愕しましたよ。
幸村の娘、阿梅は、伊達の片倉重長に輿入れしているんですね。
思ってもいませんでしたが、正に、縁は異なものです。
さて、次回から姉小路様が、とうとう動き出します。
贔屓の私も、嬉しい限りです。
そしてお華は、何だか大変な事になります。
どうか、またお読み頂けると有り難いです。
それでは、よろしければ、ご意見ご感想をお待ちしています。
今回もありがとうございました。




