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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
29/37

㉕なぜか頂上対決

(1)


 大奥の奥。御殿向前の中庭は、ほどよい広さ。

 御台所様専用と言っても良い庭なのだが、今は御台所がいないので遠慮はいらぬ。

 そして、話を聞いたのか、大奥各役職の女達が、それを囲む様、続々集まって着た。

 姉小路は庭から向かって一番右端に、席を取り既に座っている。

 るいに呼ばれたおさよも、その場にやって来た。

 すると、姉小路が、

「おさよ。こちらへ」

 と横に座るよう、指し示す。

 おさよは、

「これは誠に、ご無礼致します」

 と、頭を下げながら、姉小路の隣に座る。

 おみよと、るいもそれに続いて座る。

 今で言えば、まるでリングを囲む様な、有様だ。

 微笑を浮かべながら、姉小路はおさよに、

「のう、あの薙刀の娘とお華、どちらが勝つと思う?」

 聞いてきた。

 おさよも笑いながら、

「これは……。しかし、姉小路様ならもう、分かっておいででしょうに」

「まあ、そうなのだが。相手になるかね」

 おさよは苦笑いで、

「彼女には、誠にお気の毒ではございますが、勝負は一瞬で決まると存じます」

 姉小路に頭を下げる。

「ほう! 一瞬か……」

「ええ。どうか姉小路様には、それをお見逃し無きよう……」

 その言葉に、笑顔で頷き、

「そうか。それならそうしよう」


 さて、庭にいるお華は、まだやる気が湧き上がってこない。

(あたしゃ、姉様をお守りするために来たんだけどな~)

 と、ぼやく。

 とはいえ、相手の別式女の頭を務めていると思われる娘は、やる気満々で、先程から、薙刀を力一杯振り下ろしている。

 それを、チラッと横目で見たお華。

「は~」と深いため息である。


 おさよの隣に座っている、るいはおさよに、

「おさよ様。薙刀でもお華様には勝てませんか?」

 と、興味一杯で、聞くのだが、

「薙刀だからというのは、あまり関係がありませんよ。言ってみれば、薙刀より長いのがお華の手裏剣。それをどれだけわかっているか、というところじゃないかしら」

 るいは、大きく頷き、

「なるほど。大事なのはそこではないと?」

「そういうこと、あなたもよく見てね。あなたの修業の助けになるわ」

「はい!」

 るいは、和やかに頷いた。


 さて、些か年配の女中が、審判役なのだろう、庭に降りてきて、

「それでは、双方ともこちらに」

 と、呼ばれ、お華は廊下に並ぶ人々に目をやり、

(また、両国橋だよ~)

 などと、またぼやきながら、ニコニコと座っている姉小路とおさよに目をやると、さらにガックリと肩を落とした。しかし、もう逃げられない。

 仕方無いと、首を上げ正面に進む。

 そして、お華と、薙刀の娘は向かい合う。

 審判の女中が一言。

「これは、寸止めの勝負である。そなたはともかく、お華と言ったな。その方はそれで良いのか?」

 お華は何も持たず、立っているだけだ。

「はい。お気にせず。仕度は調っております」

 と、羽織った羽織を、パンと中央に揃える。

 審判の女は、些か首を振るが、

「それなら、良いであろう。では勝負は一本。よろしいな」

「はい」と双方、礼をする。

「では、はじめ!」

 とうとう始まった。

 お華はそれ程とは思っていないが、事実上、江戸城、最強の女決定戦だ。


 薙刀の女は正眼に構え、刃先は、お華の目に合わせる。

 お華は何だか、ぶらっとただ、立っているだけである。

 先に動いたのは、薙刀の方であった。

 その動きを、見ていたおさよが、

「それでは駄目よ」

 と、ふと小さく漏らす。

 女は、左足を飛ばし、上段に薙刀を振り上げる。

 お華は、それと同時に、ポン、ポンと二つ跳び下がる。

 一度、振り下ろした女は、それを追い、再び正面から、上段に薙刀を振り上げた。

 すると、お華はふわっと横に回転をし、又一つ、後ろに飛び跳ね、片膝を着く。

 再び、女はそれを追い、上段から振り下ろし、お華の鼻先で止めた。

 そこで、審判から、

「そこまで!」

 との声が入った。

「私の勝ちにございますな」

 と、ニヤリと笑った薙刀の女は、高らかに叫んだが、審判は、渋い顔で指差す。

「そなたの負けじゃ。腹、腹」

 観客達は、大歓声がおこる。

 審判の女も、この次第には、驚愕の顔でお華を見ている。

 女の帯には、簪が四本。横に綺麗に並んでいたのだ。

「え~!」

 女はそれを見下ろし、思わず薙刀をコロンと下に落とし、両膝を着いて、顔を両手でおさえながら悲鳴を上げる。


 それをほぼ正面で見ていた筈の姉小路も、目を丸くしている。

「いや、驚いた。全く見えなかった」

 微笑のおさよを挟んだ、るいも、

「わ、私にも全く分かりませんでした……」

 その横、おみよも、ポカ~ンとした顔で見ていたが、首を振り、

 早速、帳面を開いて、何かを書き始めた。

 浩太郎に報告するためだ。

 そして、千鳥の間で、一緒に仕事をしている中臈達も手を叩いて喜んでいる。


 お華は、薙刀の女に近づき、腹の帯に刺さった簪をひとつ、ひとつ抜きながら、

「ごめんなさいね。その気は無かったんだけどね~」

 などと声を掛けるが、そんなこと言われると、その女は余計に、悔しさで泣き声を上げる。

 姉小路は、

「う~む見事じゃ、おさよ。あれは、身体を廻した時か?」

「はい。あの子は周りながら、簪を打てます。あれで、幻惑されてしまうのです」

姉小路は頷き、るいも分かったようで、大きく頷いている。

「なるほどな。しかし、これでは。みんな集まっているのに、如何にも早すぎる」

 少々意地悪そうに笑い、そして、

「そうじゃ、おさよ。そなたお華の相手をして模範を見せよ」

 と言い放った。

 おさよは、一瞬驚いた顔だったが、笑顔に変わり、

「これは姉小路様。ついでに私もでございますか?」

 と言いながら、立ち上がった。

 そして、庭のお華に、

「お華ちゃん! 今度は私だって」

 それには、お華も驚いたが、こうなってはどうなっても一緒と思ったのだろう。

「ほう。今度は、姉上が相手。それは、それでちょっと気合いが違いますね~」

 さすがに、おさよ相手なら、話が違う。

 降りていく、おさよを見ながら、観客の女達は、また歓声が上がる。

 彼女達にしてみれば、見慣れぬ女が、見慣れぬ技を見せてくれているから、何よりも、閉ざされた大奥の女としては、これ以上の楽しみは無い。


 おさよは下に降りる前、るいに、

「おるいちゃん。悪いけど、お仲間に手伝って貰って、庭の奥、立木前に、戸板を立て掛けてくれる?」

 と笑顔で頼んでいた。

 庭木を傷つけぬ為かと理解し、るいは頷いて、早速立ち上がり、下に降りている別式女の子達に頼んだ。

 その後、重大な事に気が付いた。

(おさよ様、あれを避ける気なんだ……)

 と、いわゆるレベルの高さに、一人驚いていた。 

 そして、おさよは、ゆっくり庭に降りて、お華の前に立った。

「お華ちゃんと、お稽古なんて久しぶりね。いつぐらいかしら?」

 笑って言うのだが、お華は先程とは違って、やる気満々。

「姉上とやれるなら、文句はございません。もう子供じゃ無いんだから、油断してはいけませんよ」

 と、上目遣いで、挑戦的だ。

 が、おさよは、

「はいはい。気を付けましょ」

 と笑って答える。

 戸板の準備も終わり、二人は中央で向かい合う。

 先程の対戦と同じだ。

 なにやら、異様な迫力が漂う二人が放つ気迫は、見ている者全て、先ほどとは違った緊張感に包まれた。

 るいは、両手を腿の着物を握って、一瞬たりとも見逃さぬよう、身を乗り出している。

 姉小路は、何か感じたのかも知れない。両手を組み、眉間に皺を寄せている。

 そんな中、審判の女の、

「はじめ!」

 の高らかな声が、庭中に響く。


 その声に二人は、お互いポンポンと同じ様に後ろに飛ぶ。

 おさよは、既に小太刀を抜き、丁度、両目の下に刃を横にして、些か身体を低く沈める。彼女のいつもの構えだ。

 一方、お華の方は、身体を斜めに、両手に簪を一本ずつ隠して持ち、まるで、芸者の浮世絵のような、粋な様子だが、身体から、気合いが漂う。

 明らかに、先程とは違う、気合いの入れ方だ。

 最初に動いたのは、お華の左手だ!

 今で言えば、ミサイルのように、簪がおさよに飛ぶ。

 おさよはそれを素早く、小太刀で弾き、右に飛ぶ、

 止まった途端、再び簪が彼女を襲う。

 おさよは、それを躱しながら、今度は左に走る。

 そしてまた、止まった途端、簪は目の前だ。しかも今度は二本。

 同じ様に、一本を小太刀で打ち落とし、一本を避けながら、また右に飛ぶ。

 これを、何回繰り返したのだろう。

 お華のまるで機関銃の様な連続の簪に、小太刀の技の見事さと、移動の早さ。

 見ていたおみよは、二人がまるで別人の様に見えた。

 長年、一緒に居るのに、こんな戦いは彼女ではとても理解出来ない。

 ましてや、観客の女中達も、あまりの早さに、目で追うのがやっとだ。

 庭で見学している別紙女、そして座敷のるいは、とても信じられなかった。


 しかし、そうやっている間に、二人の間が近づいてきた。

 ここで、少々焦りが出たのは、お華だ。

 少し、発射速度が落ちてきた。

 終いには、両手で四本一遍に打ったのだが、ふわりとおさよは躱す。

 ここが、勝機と、おさよは一気にお華に突っ込む。

 こうなると、お華は打ち切れなくなってしまった。

「はっ!」

 っと、おさよは、お華の後ろに回り、小太刀の峰打ちで、お華のお尻をスウッとと切ったのだ。

 お華から、

「うきゃ~」

 と、妙な悲鳴が上がる。

 それには、一斉に、あたりから歓声が沸く。

 あの、怒濤の早さの簪を掻い潜り、斬って落としたのだから。


「まだ私の方が強かったようね」

 言われたお華は、あまりの悔しさか、ワンワン、子供のように泣き始めた。


「見事じゃ!」

 姉小路も、頷き、声を上げる。

 あわてて、おみよが帳面を捨てて庭に降りて、泣いているお華の肩を抱く。

 それを見て、おさよは、

「全く、あの頃とちっとも変わってないわね~」

 と笑って言いながら、庭から上がり、姉小路の斜め前に座り平伏した。

「こんなところで、いかがでしょう?」

 姉小路は笑顔で、

「充分じゃ。見事じゃた」

「これは、誠にありがとうございます」

 おさよは、深く頭を下げた。


 姉小路は、

「これ、もう昼じゃ。それぞれ部屋に戻って食事を」

 と、回りに大きな声で言うと、

「別式女たちは、こちらに来なさい!」

 集まった彼女らに、姉小路は、

「そなた達が、是非と申すから、させてやったが、あれはなんじゃ!」

 鋭い声で叱りつける。

 頭の者は当然、他の者達も、返す言葉が無い。

「別式がこうじゃから、わらわは、こうせざるを得なかったのじゃ」

 と叱りつける。

 すると、おさよが、まあまあと、姉小路に笑いかけ、

「皆様、誠に申し訳ありません。決して邪魔するつもりはなかったのですが、やむを得ない事情だったものだから、許して下さい」

 すると、姉小路が、

「おさよ、これから、この者達。どうすべきか教えてやっておくれ」

 というので、おさよは微笑んで頷き、彼女達に向かい、

「まず、みなさん。後ろに立て掛けた、戸板を見て下さい。綺麗に二本ずつ、丁度腰のあたりに並んで刺さってます。これだけでも、あの子の力量がお分かりでしょう」

 皆が一斉に振り向き、その言葉通り、簪がほぼ一直線に並んでいるのを見て、それぞれ感嘆の声を上げる。

 そしておさよは、

 「お頭の方は、少々、油断が過ぎました。お頭の方は、太刀筋も良く、早いのに、あれでは如何にも考えが無い。お華に遊ばれてしまいました。クルクルってね」

 おさよは笑って言うが、みんなシュンとしている。るいは別に責任はないのだが、同じ様にガックリしている。

 すると、おさよは笑い、

「まあ、芸者の女と聞いていたからだとは思います。ある意味では仕方ありませんが……」

 と、少し笑って、真顔に戻る。

「しかし、どんな者でも、ここに、大奥に呼ばれたのです。その時点で、普通で無いと思わなければなりません。そう思わなかったあなた方の負けは、既に決定していたのです。そう相手の強さは見ての通りです」

 二、三人泣き出している。ましてやお頭の女は頭を抱えている。

「これを、よい稽古だと思って下さい。どんな相手でも気を抜かない事。そして、上には上がいる。この言葉を忘れないようにして下さいね」

「誠じゃ!」

 姉小路はまだ怒っている。

 すると、るいが、

「おさよ様。でもおさよ様はお勝ちになりました。一体どうやって……」

 それには、おさよは大笑いして、

「私は、子供の頃より、あの子の簪を千も万も見ておりますからね。でも実は、今日のは勝ったとは言えません。ほら」

 と、おさよは自分の袖口を見せた。

 なんと、そこに一つ穴が出来ていた。

 皆が、眼を大きくして、近くに寄って覗く。

「私も、最近稽古しておりませんでしたから。しかし驚くべき早さです。でも……」

 おさよは笑い、

「あの子には、内緒にして置いてね。あの子にも、上には上があると思い続けて欲しいから」

 それには、姉小路も大笑いだ。そして、

「よし、そなた達も下がって、午後の仕度をしなさい」

 

(2)


 さて同じ日の午後。

 衝撃で食事もろくに取れなかったお華は、おみよに付き添われ、千鳥の間に座っている。 やって来た姉小路は、眉を寄せ、

「まだ、泣いておるのか、お華」

 お華は、

「く、苦節十何年、姉上を倒すべく修行してきたのに……こ、これでは兄上にも勝てない……」

 と、おみよに寄りかかり泣いている。

 両手を上に上げ、姉小路は呆れている。

 しかし、同席の中臈達から、

「でも、お華様。もの凄くお強いのですね~。あの別式女に、簡単に勝っておしまいになるのですもの」

 と、言われると、お華の耳がぴくッと動く。

「そうそう、これで私たちも安全というものですよ。ね~」

 などと言われると、先程の涙はどこへやら、

「ありがとうございます~」

 と、笑顔に変わる。

 更に呆れた、姉小路は、

「あほらしい」

 と笑い。

「では、朝の続きじゃ!」

 結局、おみよも一緒に仕事するようになってしまった。


 おみよも、この様な経験あるわけないので、興味津々に話を聞いている。

 すると、姉小路は、

「おみよ。大奥での話は他言無用じゃ。気を付けなさい」

 と、一言。

 おみよは、ははっと平伏する。

 

 相変わらず、昇進希望の者からの書状を読み上げ、姉小路から承諾を受ける。

 そして、簡単に言えば、許可を受けたものは、右筆で書類を作成し、将軍に提出することになっている。

 そんな中、「とく」という中臈から、

「姉小路様、誠に申し訳ありません、私の遠縁の者なのですが、勘定方への推挙をお願いしたいと申してきております。手数料百両。名前は、○○××にございます。いかがでございましょうか?」

 との申し出があった。

 それには、なぜかお華と、おみよの顔色が変わった。

 姉小路は、

「そなたの遠縁か……。されば致し方ないの~」

 と言ったのだが、お華が突然、

「少々、お待ちを!」

 これには、中臈達、そして姉小路でさえ驚いた。

 お華が仕事の話に割って入るとは思っていなかったからである。

 姉小路は、訝しげに、

「何じゃ、この話が不服か?」

 当然、おとくも、

「何なんです、お華様」

 と、少々、不満そうに言う。それはそうだ。親戚の話なのだから。

 お華は、申し訳無さそうに、

「私なんぞが突然申し訳ありませんが、おとく様、その○○××様という方。もしやすると深川にお住まいなのでは?」

「左様じゃ」

 これには、

「やはり」

 と、お華は隣のおみよと頷いた。

 そしてお華は、

「おとく様。そのお方は縁戚の方とか、お近い御親戚にございますか?」

 それには、おとくが笑って、

「いやいや。私も子供の頃にあったキリで、家族もそれほど……」

 その言葉にお華は大きく頷き、

「でしたら、そのお方はお止めになった方がよろしゅうございます」

 と、きっぱり言い放った。

 むしろ姉小路の方が、その言い様に意外な顔で、

「ほう。お華、そなた何か知っているのか?」

 お華は、頷き、

「その方は、深川、本所方面では、支払いをしない旗本で有名なのです」

 これには、おみよ意外、大層驚いた。

「支払いとな」

「はい。私も、ここのおみよも芸者をやっております。ですから、お侍の悪評はよく耳に入るのです。おとく様のその方も、深川の料理屋に遊びに来ては、金払わず帰ってしまう常習なのです」

 それには、ほかの中臈が、

「そういうのは、月末、晦日払いとかあるのでは?」

 と聞いた。

 お華は、大きく頷き、

「はい。そういう方もいらっしゃいますが、その方は、いつ行っても、主人はいない、とか、そんな覚えは無いなどと言って、全く払わないのです。ねえ、おみよちゃん」

 おみよも頷き、

「芸者代は別に頂いたりする物で、お客様によっては、後で、お支払い頂く事もあるのですが、おかあさんや、この私が行っても、覚えがないと言い張るんです」

 そして、お華が、

「おとく様。私が特に気になるのは、その百両の金子でございます。そうしたお家なのに、どうやって百両など集めたのでしょう。問題はここにございます。私が思いますに、ご領地から、かなり過酷な事なさっておられるのでは無いでしょうか。これは下手をすると後で訴訟など問題になりかねません。出来ればもう一度ご考慮された方が宜しゅうございます」

 これには姉小路は、妙に感心し、

「お華、まるでお上のお目付のようじゃな」

 他の中臈達と一緒に大笑いしている。

 しかし、おとくは困った顔をしている。

 お華は、おとくに、

「よろしければ、只今の事。全てあなた様に頼まれた方に、大奥の調べでは。とおっしゃって見てはいかがでしょう。それでも尚ということでしたら、姉小路様がご判断なさるでしょう」

 おとくは、これからのことを示して貰って、多少、安心したようだ。

「お華様、ありがとうございます」

 姉小路も大きく頷き、

「お華の言う通りじゃ、他の皆の者も、他人事ではない。気を付けるように」

 続いて、お華が和やかに、

「みなさん。ここで出会ったのも何かの縁。困った事があったら、北町奉行所、桜田浩太郎、妹、お華までお知らせ下さい。只今の様なお調べは、替わって私がやりまする。まあ、このおみよもそうですが、まわりには、同心や親分なんかもおりますから、直ぐにもわかります。いつでも仰って下さい」

 と、皆に対して平伏する

 皆も、それには喜び、

「よろしくお願いします」

 と、笑顔で頭を下げる。

 

さて、そんな中、しばらくすると、

「失礼致します」

 の声が、襖越しに聞こえた。

「表使いの滝山にございます。姉小路様にお取り次ぎを」

 の言葉を聞いて、姉小路は少々、眉を寄せる。

 滝川は、次期年寄とも言われる実力者だが、姉小路のそれは滝山に対してではない。

 ちなみに、表使という役職は、大奥の外交役。

 大奥一切の買い物などを司り、留守居や広敷役人との応接をする。御年寄の次に権力があったとされる。

 部屋に通された滝山は、早速、お華を見つけ、

「これは、お華殿。先程は拝見させて頂きました。実にお見事にございました」

 さすが、外交を主とする表使。

 気遣いも忘れない。

 お華は、

「いや、いや、これはどうもおりがとう存じます」

 と、照れくさそうな顔だ。

 それはともかく、

「これは滝山。如何された?」

 と聞く。

 すると、滝山は、

「姉小路様。実は、至急ということで、留守居の土屋様から、お呼びにございます」

「やはり……」

 と姉小路の顔が曇る。


 江戸城における留守居は、当然だが、将軍不在の際に江戸城を取り仕切るのが、本来の役職である。

 しかし、将軍が外泊を伴う外出をする事は滅多に無い。

 先日の日光参拝でさえ、何十年ぶりの事だから、殆ど仕事は無い。

 結局やることと言えば、関所で必要な、女手形の発行。そして、大奥の取締が職掌である。

 留守居は役高五千石。定員は4名から8名ほど。旗本が任じられる職としては最高の職である。

 さて、この、土屋紀伊守廉直(ただなお)

 天保十二年に、大目付から留守居になった男だが、年齢はなんと八十五である。


 姉小路は、この老人が苦手だった。

 姉小路が唯一、贈り物などして、いつも機嫌を取り結ぶ男である。

 なにしろ、土屋は曲がった事が嫌いで、謹厳実直。不正は許さぬといった正義感の男だから、姉小路としては、触らぬ神に……と言うことだろう。


「なんじゃ、このお華の事か?」

「はあ、先程の手合わせの件をお聞きになった様で、少々、お怒りにございます」「ふ~ん……」

 すると、お華が、また突然、滝山に、

「滝山様? お伺い致します。その土屋様と仰るお留守居様は、もしかしたら、土屋紀伊様とおっしゃるのでは?」

 いきなり聞かれた滝山は、戸惑いながらも、

「そ、そうじゃ。紀伊守様じゃがな……」

 間髪入れずお華は、続けて、

「それでは、本郷に屋敷がお有りでございますか?」 

「う、うん」

 と、滝川は頷いたが、なぜお華が、と少々驚いていた。

 お華はそれを聞き、満面の笑顔で隣のおみよに、

「おみよちゃん! あなたもさすがに憶えているでしょ」

 おみよも、あ~と笑みになり、

「勿論ですよ!」

 お華は、高らかに大笑いだ。

 しかし、姉小路と滝川には、一向に分からない。

 姉小路が、お華に、

「まさか、お華。土屋様を存じておるのか?」

 笑顔のお華は、

「あっはは、知っているも何も。私とおみよのご贔屓ですから~」

 それには、姉小路も滝川も目を三角にして、

「え~?」

 と一斉に声が上がった。

 お華は、姉小路に、

「そのお方なら、ご心配要りません。私とおみよちゃんも一緒に参りますよ」

「お、おおう」

 姉小路はそう返事するしか無い。

「滝川様も、申し訳ありませんが、少々、お手伝い頂けます?」

 と、嬉しそうに言うものだから、彼女も興味を持ったらしく、笑顔で頷いた。

 しかし、回りの中臈達は、何が起こったのか、さっぱり分からず、ポカンとしている。


 さて早速、四人は、留守居が待つ広敷の小部屋に向かった。

 最初は、姉小路だけが、留守居土屋の前に向かった。

 他の三人は、襖が閉まった外の廊下に座っている。

お華は、事前に手筈を姉小路、滝山に耳打ちしている。

 さて……。

 留守居の前に座った、姉小路は挨拶の後、早速。

「姉小路殿。少々、耳に入ったのだが、何やら、大奥の者では無い、胡乱な女を、そなたの独断で入れているというのは間違いないか?」

 ピシッと、厳しく言い放った。

 まるで目付の様な、反駁出来ない申し様。

 仕方あるまい、若い頃は本当のお目付だったのだから。

 姉小路は、真面目な顔で、

「あ、いえ、決して胡乱な者ではございません。先日の毒薬騒ぎにて、これ以上、大事無きよう、十日ばかり様子を見ているという訳にございます」

「おお、その事はわしも聞いておる。しかし、その者達元は芸者と言うではないか、その様な者入れるのはどうかの?」

 と、ネチネチ言ってくるが、当の姉小路と廊下の滝山は思った。

(いいのか~そんなこと言ってて……)

「いえいえ、おかげをもちまして、着物に仕込まれていた、毒のついたカミソリもみつけてくれまして、おかげで、助かりました」

「ほう、そうか。それほどいい加減ではないということか。しかしなぁ~」

 と、まだ言うので、姉小路は決断した。

「それなれば、廊下に連れてきております。一度、ご覧になってはいかがでしょう?」

「連れてきてるのか、良い。会ってみよう」

「分かりました」

 と良い、続けて後ろの障子の方に、

「お許しが出た。お入りなさい」

 少々、大きい声を掛ける。

 同時に姉小路は、サッと横にずれる。

 すると、滝山は打ち合わせ通り、スパンと勢いよく襖を開けた。

 すると、二人が平服している。

「そなた達、こちらへ。ご挨拶を」

 二人一斉に、「はい!」と大きく返事をし、顔を伏せながら前に進む。

姉小路の横あたりに、二人とも座り再び平服。

 そして、お華が顔を上げた。

「初めてお目にかかります……と申し上げたいところにございますが、私、お華太夫にございます。ご隠居様、お久しぶりに存じます」

 さすがに土屋の目が、驚きで大きくなった。

 そして、おみよも顔を上げ、

「この度は、またもやお呼び出し、誠にありがとう存じます。おじいちゃま、

みよ吉にございます」

 と行って、再び平服する。

(お、おじいちゃま~?)

 姉小路も滝山も、これには驚いた。

 いや、それよりも、土屋は、まさに喫驚仰天。思わず、正座が崩れてしまった。

 しばらく、声を失っていたが、ようやく指差しながら、

「な、なんでお前達が……」

 と、声が裏返る。

 すると、お華が横のおみよに、

「いや、深川があんなことになっちゃって、本にお久しぶりではございますが、あの、ご隠居が実は、江戸城お留守居様だったとは……ねえ、おみよちゃん」

「はい。私も驚きました。お屋敷の方々は、ご隠居で足腰が弱くなってしまったので、よろしくお世話をと、言われておりましたが、まさか、おじいちゃまが、お留守居様だったとは……」

「そうそう、おみよちゃんなんか、階段の昇り降りも大変だからって、肩貸してあげたりしてね。随分親切だったもの~」

 お華、怒濤の攻撃である。

 姉小路と滝山は、平伏で声を出さないが、畳に向かって大笑いしている。

 そして、さらにお華の攻撃は続く、

「何でも、胡乱な芸者が、どうのこうのと仰ってましたが、まさか私たちの事ではございませんよね~」

 土屋は声が出ず、ただ手を振る。

「それでは、おじいちゃまがお好きな、おみよの三味と私の踊りでも、久々に、こちらでお見せ致しましょうか? おみよちゃん、三味もっといで!」

「はい、只今!」

 ここでやっと、

「わ~かった! 悪かった悪かった。この通りじゃ許してくれ」

 土屋は、素直に敗北を認めた。

 すると、お華は、最後のトドメ。

「では、お留守居様。私たちの事、しばらくお許しいただけますね?」

 土屋は何回も頷き、

「許す! 許すから勘弁してくれ」

 ここで、やっと皆の笑い声が、部屋中に行き渡った。


 土屋もようやく落ち着いて、

「しかし、まさかお前達とは……。あまりの事に寿命が縮まったわい」

 お華が、

「何、仰ってるんです。今まで、隠居じゃと言っていたのに、お留守居役なんて黙ってらっしゃって、こっちだって驚きましたよ」

ここで、ようやく姉小路が、話に入って来た。

「私もビックリじゃ、なあ、滝山」

 うしろの滝山も、大きく頷く。

 土屋は、見たことのない様な顔で、目を左右に振りながら、

「この事は、内密に。な、姉小路」

「はい。承知いたしました。わかりましたねお華」

 お華も、大きくハイと笑顔で頷く。

「それと土屋様」

「な、なんじゃ姉小路殿」

 まだ、動揺している。

「毒薬は、この者達のおかげで、私の方は大丈夫にございますが、気になるのは上様の方にございます、何らかの間違いがあってはなりません。どうかお留守居様の方から、係の者へご注意いただけませんでしょうか」

 するとお華が、

「そうでございます。私も何かとお世話になっている大事な上様。どうかよろしくお願い申し上げます」

 それには、再び驚く、土屋。

「そなた! 上様もご存じなのか!」

 姉小路が頷きながら、

「そういうわけですのでよろしくお願いします。それでは今日のお話は、これでよろしゅうございますか?」

「お、おうおう」

 姉小路は微笑んで頷き、

「それでは、失礼致します」

 と皆立ち上がると、お華が、

「お留守居のご隠居様、今度は柳橋でも、お呼び下さい。おみよと二人、お待ち申し上げております」

 と一礼して、座を立った。

 土屋は、全身の力が抜けた様になり、

(みんなに知れるのも時間の問題だな……)

 と頭を抱える。

 八十五の老人には、些か厳しい一戦であった。


 滝山と別れ、姉小路達は自室に戻った。

 それからの、姉小路の機嫌の良さは、今までに見たことが無い。

「ようやった! ようやった!」

 である。

 迎えた綾瀬も、そしておさよも驚いている。

「何でも、褒美をくれてやる」

 と言うものだから、お華とおみよは顔を合わせ、一つお願いした。

「なんじゃそんなことか、よいよい、すぐ手配せよ」

 日頃、悩まされていた姉小路の天敵、土屋。

 一泡吹かせて、余程嬉しかったのだろう。

 彼も当分、煩いことは言えないのは容易に予想できる。


(3)

 

 暮れ七つから、平川門で浩太郎は、門番の若い侍と世間話をしていた。

「おみよさん。いらっしゃいませんねぇ」

「うん。別に今日騒ぎがあった訳じゃねえんだろ?」

「ええ、特には」

 浩太郎は少し苦笑いで、

「あいつら、中でまた、とんでもない事やらかしたんじゃねえんだろうな~」

 独り言のように、足下の石を転がしている。

 すると、

「あ! 旦那さん、おみよさん、いらっしゃいましたよ」

 と、教えてくれた。

「旦那様!」

 と手を振りながら、梅林坂を駆け下りてくる。

 浩太郎と佐助も、手を振って出迎える。

 やってきた、おみよに、

「そんな慌てなくていいよ。何か、厄介事か?」

 おみよは、呼吸も忙しく、手だけを振る。

 すると、浩太郎はその若い門番に、

「ちょっと、小屋を借りるぜ」

 門番は笑い。

「ええ良いですよ」

 門番には、事前に事情が行き渡っているので、話が早い。

 橋脇の小屋に、おみよを連れて行き、座らせ落ち着かせた。

「申し訳ありません。旦那様」

 浩太郎は笑って、

「気にするな。して、急ぐ事か?」

 浩太郎としては、さすがに気になってしまう。

 しかし、

「いえいえ、全く。遠山様には、明日でも構いません」

「なぁんだ」

 浩太郎は、安心したのだろう。大きく息を吐く。

「で?」

 すると、おみよが、懐から紙を渡した。

 五、六枚はあるだろうか。

「あの、旦那様。奥様が、返って、お酒の肴にでもして下さいとの事でした」

 浩太郎は、眉を寄せ首を傾げ、

「こりゃ多いな」

 と笑い、

「ふ~ん、帰ってゆっくり読めってことかい?」

「はい。そういうことでございます」

 おみよは微笑んで頷く。

「まあ、そういうことなら、安心じゃ」

 すると、おみよは、

「あ! 忘れるところでした。必ず先生と一緒にお読み下さいませ」

「先生? 優斎先生か」

「はい。そうでございます」

 大笑いした浩太郎は、おみよと別れ、八丁堀に帰っていった。

 屋敷前で、優斎を呼び、佐助が買ってきてくれ煮物やらで、三人酒を呑み始めた。


優斎が、

「で、手紙って何です?」

 と言うと、浩太郎が、

「おう、忘れるところだった」

 と笑い、そして、

「読んでやろう」

 報告書を読み始めた。

 しかし、ちょっと読んでいきなり、優斎は大笑いだ。

「なんと、やっぱりそうなりましたか」

 浩太郎は渋い顔で、

「あいつら~」

 と言うのだが、優斎は、

「いやぁ、すごい事ですよ。江戸城で、手並みを披露するなんて。そうそう出来る事じゃありませんよ」

「そうかね~」

 佐助も横で、口押さえて笑っている。

「まあ、別式なんて、どこでも言うほど強くないって言いますけど、さすがにお華さんじゃ、とてもとても。それより、奥様と模範手合わせなんて、浩太郎さんのお父上は、あの世で、さぞお喜びではないですか?」

 それには、浩太郎も笑い。

「喜んでるというより、呆れかえってるよ。さすがに江戸城大奥で、簪や小太刀なんてな。どうなんだか」

「いや、それに、姉小路様って言う方は、さすがですよ。最強と最強ぶつければ、何より別式の勉強になりますからね」

 さすがにそれには、浩太郎も大笑いし、

「最強って……。まあ、少しでも御役に立てたなら、喜ぶべきか」

 優斎は頷き、

「その通りですよ」

 すると、浩太郎は、

「まだ、続きがあるんだ……」

 一人、すらっと読んだ、浩太郎は困った顔で、

「やっぱり、あいつは悪魔だ……」

 と呟き、酒を一気に開ける。

「なんです?」

 と優斎が、和やかに聞く、

 浩太郎は、呆れた顔で、留守居の顛末を話す。

「え! お留守居様が?」

 優斎と、佐助は大層驚いた。

 顔太郎は、

「そうなると、もうお華の独壇場だよ。それでな……」

「はい」

「姉小路様も苦手な方なんだと。だから姉小路様も大層お喜びで、褒美に優斎さん。伊達様の官位のご推薦してくれるとよ」

 さすがに優斎も、それには飛び上がる程驚いた。

「本当ですか?」

 と、少々大きい声の優斎に、浩太郎は手紙の最後を渡す。

 確かに、順番があるので、時間は少々かかるが、「左近衛権中将」の推薦をしておくと書いてある。

 それを読んだ、さすが仙台藩の男。優斎の目に涙が薄ら溢れている。

「わ、私はこの様なつもりでは無かったのに……」

 伊達の家臣ではないが、家に通じる者として、浩太郎などには無い、別の思いがあるのだろう。

 浩太郎は、優斎に酒を注ぎながら、

「まあ、お華とおみよの、恩返しってとこじゃないか?」

 それには、佐助も、

「そうですよ。きっとそうです」

 優斎は、何とも言えない顔で、

「うん。うん」

 と、頷く。

 浩太郎は、一口酒を呑み、

「なるほど、そういうことか……。このまま何事も無く、終わってくれれば良いがな」

 と、夜の庭に目を移し静かに言った。


 ~つづく~

 内輪揉めから始まった今回ですが、いかがだったでしょうか?

 歴史的事実など殆ど無く、完全な物語になりました。

 滝山は完全にゲストだし(笑)


 唯一、土屋紀伊守は実在の人物で、姉小路の天敵だったのは事実の様です。

 彼女は、上質のたばこ盆など送り、機嫌を取っていたとの話があります。

 ところで、江戸幕府では、留守居・旗奉行・大目付などの役職は「養老役職」と言われていた様で、土屋が本当に老衰で隠居したのは95といわれています。

 他の役職も同じで、80以上で働いていた者が、意外に多かったのが江戸幕府です。

 ですから、遠山の金さんが大目付にされたのが、左遷だったというのがよく分かります。

 本来は、75で隠居届を出すのが普通ですが、出せるというだけで、結局は将軍の裁可次第。

 気に入られると逆に、辞めさせてくれなかった様です。


 さて、次回から怒濤の戦いが待っております。

 宜しければ次回もお読み下さい。

 ありがとうございました。

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