㉔お華、千代田降臨
(1)
お華達は辺りを見回しながら、ついて行く。
すると、以前にも触れた、大奥面接の場に通された。
三人が並んで座敷中央に座り、右には、綾瀬。左に加藤が座る。
姉小路部屋の局、綾瀬は、
「あの、日光参詣以来じゃの?」
優しく言葉を投げかける。
するとお華が、笑顔で、
「あの折は、飴など頂戴し、誠にありがとう存じました。子供たちが大喜びでございました」
綾瀬は、声を上げて笑い、
「そうかそうか。それは良かった」
おさよと、おみよも和やかに聞いている。
すると、襖の奥から、若いお中臈の声で、
「姉小路様、おいでにございます」
と、大きな声が響いた。
綾瀬は、
「おお、早速いらっしゃったか……」
と姿勢を正す。
中央の三人も、パッと平伏して待つ。
襖が開くと、お華には一瞬、大きな圧力を身体に感じた。
何とも、回りの空気を一瞬変わらせる、力強さがある。
彼女は、深紅の打ち掛けを纏い、正面を向きながら入って来た。
お華は何となく、その歩く風に倒されるのでは? 大袈裟に言えば、そう感じたようだ。
一度、お華は遠目で会っているが、本拠、大奥では存在感がまた違う。
姉小路は中央に座り、付き添った中臈二人が、左右に座る。
綾瀬が口を開き、
「綾小路様、こちら三名が、お呼び出された者達にございます」
綾小路は、笑みを浮かべ、小さく頷く。
続いて、
「おさよ。ご挨拶を申せ」
との言葉に、おさよが身体を起こし、
「始めてお目にかかります。此度は、われら三人、お呼びにより参上致しました。私は、北町奉行町方同心、桜田浩太郎が妻、さよにございます。そして隣に座りますのが、我が夫婦の妹、お華にございます。そして最後の娘は末の妹、おみよにございます」
二人は順番に身体を起こし、綾小路と正対した。
現代でも、顔は小さい方が人気だが、この時代では珍しいタイプである。
公家系の女性にはよくある顔形らしい。
姉小路も、公家の姫と言われているだけあって、小顔系で、鼻筋も通り、口元も小さい。特に、目と眉あたりは、キリっとした、さすがに高貴さが漂っている。
挨拶を聞いた、姉小路は頷き、
「良く参った。待っておったぞ」
とよく通る声で、和やかに言う。
すると、おさよが、
「姉小路様には、何かとお世話になりましてお礼の言葉もございませぬ。このお華なんぞ、南の大暴れも、色々とお手数をお掛けしたそうで、誠にありがとうございました。これ!」
と、お華にも挨拶を促す。
するとお華は、少々、小悪魔系の顔で、
「全く、姉上は、姉小路様の前で、緊張しておりまして。私が暴れていたなどと……。あれは、少々、ご意見とご指導をしたに過ぎませぬ」
「意見と指導?」
と、姉小路は、笑い出してしまった。
「ええ、か弱い芸者などに、大勢で取り囲み。南のお奉行が訳の分からぬ事を申すものですから……。とは申しましても、そんな私のため、お助け下さいました上様、姉小路様、そして、北町のお奉行様には、大変、感謝している次第にございます。ありがとうございました」
お華は頭を下げる。
すると、姉小路は笑顔で、
「これお華。指導などと申して、奉行に刃物突きつけて出てきたらしいではないか。誠か?」
すると、お華は、「ははは」などと、口に手を当て笑いながら、
「それは勘違いというものにございます。これを」
と、懐から扇子をそっと出し、
「こちらを何かと間違えた様にございます。足下お気を付けをと出しただけなんですがね~」
姉小路は、少し首を傾げ、
「何を申しておる。それから弓を手裏剣で打ち落としたと言うではないか。それは誠か?」
「は~。いや、本当に。弓矢で狙うなんぞ、信じられぬ事。怖くて手を振ったらたまたま当たっただけにございます」
加藤も、そして前の三人は静かな笑いである。
だが、おさよは隣で呆れた顔をしている。
そして、加藤が、
「まあ、良い。お前達の腕前は、ご参拝の折に見ておられたのじゃ。まあ、あの調子で上手くやってほしい。しばらくの間、この者達の事。よろしゅう、お願い申し上げます」
姉小路の笑顔を受け、加藤は、改めてお華達に向かい、
「良いか、その方達。これは姉小路様御警護の為に呼ばれたものではあるが、この城は、恐れ多くも上様お住まいの城でもある。この事、忘れてはならん。決してご迷惑にならん様、心してやってくれ」
その言葉には、お華達三人、平伏して一斉に、
「承知いたしました」
深く頭を下げる。
そして、おさよは頭を上げ、
「では、姉小路様。綾瀬様。今回の事について、些かお聞きしておきたいのですがよろしゅうございましょうか?」
「おお。構わん」
綾瀬も頷く。
「ありがとう存じます。大体の事は、加藤様よりお伺いしているのですが……まず、被害にあわれた方々のご様子はいかがにございましょう?」
それには綾瀬が、
「あの子達は、幸い、腹痛だけで済んだので、実家にて休むよう言い。駕籠で送った」
「左様にございますか。すると、平川から出て行ったのは、駕籠のみ。と言うことにございますな。綾瀬様」
「そうじゃ」
「では、ひょっとすると、今回は失敗したと相手方も察知していると、思った方がよろしいですね。で、加藤様。例の物。どうなりましたでしょう?」
「例の物?」
と、首を傾げるお華を見ながら、加藤が、
「金魚か……。心配は要らぬ。もう届いておる筈じゃ。のう、綾瀬殿」
「はい。幾つか届いております」
それにはお華が、
「金魚なんて、何すんの? 姉上」
おさよは少々笑って、
「毒味役よ」
「え! それは気の毒な。しっかし手回し良いわね。姉上」
おさよとおみよは、顔を合わせて笑い。
「昨日、隣の先生に、私とおみよちゃんで、毒についてご教授いただいたのよ。ね~」
それにはお華が、些か不機嫌そうに、
「あ~良いな~。私も混ぜて貰いたかったな~」
おさよは苦笑し、
「何言ってるのよ、この子は」
呆れた声を上げる。
その会話を聞いた姉小路達は、口を押さえて笑う。
そしてお華は、
「でもさ、一度失敗したらもうやらないんじゃない? さすがにさ」
おさよもそれには頷き、
「まあ、普通はね。あの綾瀬様。その例の菓子は、どちらからの菓子だったのでしょう?」
「あれはな、実は京からなのじゃ。急ぎ便で送って貰ったみたいなのじゃが。とはいえ、わざわざ京からそんな物送るとは思えないのじゃが」
「なるほど、それではやはり油断は出来ませんね。では、姉小路様。まず頂いたものから整理をしたいと存じます。折角の頂き物ですが、この場合致し方ございません。食べ物だけで無く、着物のようなものでさえ、油断出来ませんし。そちらは、私と、このおみよに、すべて確認させます。よろしいでしょうか?」
姉小路は、全て頷き、
「うむうむ。その通りじゃ。構わん。頼んだぞ」
「はい。ありがとうございます」
するとお華が、
「で、私は、姉小路様の御側で、備えるって事ですか?」
するとおさよが、
「姉小路様、この子は、姉小路様のお仕事を見ながら座っていると、必ず寝ますので、どうか、容赦無く、ひっぱたいて起こして下さいませ」
「うん。そう、ねむくなっちゃ……な、何を言うのです姉上、寝るわけないでしょ!」
おみよは、顔を伏せて、大笑いしている。
姉小路も、笑って頷き、
「あいわかった。長キセルでも横に置いておこう」
お華の首が竦む。
そして、加藤が、
「では、姉小路様、綾瀬様。準備は万端、整いました。あとはこの子達次第でございます。よろしくお願い致します。それでは私は失礼致します」
と、席を立ち、おさよとおみよは、綾瀬に従い、三の間に向かっていった。
そして、姉小路は、お華と中臈を従い、千鳥の間に向かった。
いよいよ、お華達の大奥の場が、静かに始まったのである。
加藤が七の口を出て、表に来ると、浩太郎と佐助は、慌てて近寄り、片膝を着いて頭を下げる。
「加藤様、あの者達、大丈夫にございましょうか?」
心配そうな浩太郎の言葉に、加藤は、
「姉小路様も、殊の外喜ばれておる。大丈夫であろう。そうそう」
と、加藤は懐から、木札のようなものを取り出し、浩太郎に渡す。
「これは七の口までの通行証じゃ。これで、毎朝、魚、野菜など届けて欲しい。これで、これ以上の事はなかろう」
「はっ」
まず、それを受け取った浩太郎は、
「すまんが、よろしくな」
言葉と共に佐助に渡す。
(2)
さてお華だが、千鳥の間に着くと、姉小路を待っているように、各係の中臈達がズラッと並んで座っていた。
初めて見るその光景に、少々身体を仰け反りながら、姉小路に示され、後ろに座る。
すると、姉小路の、
「知っている者は知っていようが、少々事情があり、これからしばらくの間、このお華が、ここに入る。正式な大奥の女中ではないが、その間は女中として扱うように。分かりましたか?」
という言葉に、中臈達は、「承知いたしました」と一斉に頭を下げる。
色取り取りの中臈が並ぶ様子を見て、お華は内心、(まるで踊りのご披露会じゃ)と感じた。
すると姉小路は、お華に何か言えとつつく。
(え~?)
と思いながら、仕方無く。
「これは皆様、お初にお目にかかります、北町同心の妹お華にございます。そして、一方で、深川の芸者をしております」
これには、中臈達が一斉に驚いた。
(げ、芸者?)
お華もその反応は、承知で、
「え~訳あって、この様な事になりました。どうかしばらくの間、よろしくお頼み申し上げます」
と平伏する。
中臈連中も突然の闖入者に、さぞ驚いているだろうが、さすが姉小路の手下。
冷静に、早速、仕事に入る。
しかしお華は、手を振り、顔に風を送りながら、
(いやいや、大変なところに来ちゃったな~)
と、思いながら、これからが思いやられた。
さて、こちらは三の間、姉小路部屋の、一方のおさよとおみよ。
そこに、待っていた、姉小路の部屋子達などが数名待っていた。
この子達は、姉小路預かりの娘達。
部屋で、様々な仕事に携わる。
簡単な挨拶の後、おさよは、姉小路の部屋の中を見回して、まず、その広さに驚いていた。
(これを一人で?)
と妙に感心しながら、奥にあった、送られて来た金魚鉢を確認し、そして別の部屋に残っている贈答品の数々を見た時、言葉にはしなかったが、
(なに、この量!)
と、驚いていた。
同時におみよも、あまりの、箱の数にビックリしていた。
しかし、おさよはこれでは、やはりどうしようも無いと、綾瀬に、
「綾瀬様。折角の物ではありますが、菓子など食べ物は全て廃棄致しましょう」
綾瀬も、うすうす感じていたようで、
「そうじゃな。今さら気分が悪い」
と、そこにいる、姉小路の部屋の子達に廃棄を命じる。
「で、着物などはどうする」
「はい。それが少々面倒でございますが、姉小路様が、ご不要とされるのならば、若い者達に分けてあげればとは存じますが、実はこれも問題なのです」
「これがか」
「はい。これも隣の医者にお聞きした事にございます。この医者の者。本来は、伊達の武士だった方で、こういう事には詳しいのです。かの戦国の世では、よくある仕込み方がある様なので、気を付けねばならんと」
綾瀬は、相当驚いて、
「で、どうするのじゃ」
「はい。私とおみよで、一枚ずつ今から調べます」
そういって、二人は早速、確認作業に取りかかった。
一つ一つ、箱、包みを開けていき、小袖などの首回り、袖回りなどを徹底的に調べる。
おさよは、おみよに、
「慌てちゃだめよ、自分を傷つけてしまう」
と、注意を与えている。
部屋の若い娘達や綾瀬は、眉を潜めながら、作業を見詰めている。
すると、
「あ! あった」
と、おみよが叫ぶ。
二人は、眼を大きくして側に近づく、
「どう!」
「首回りに、固い物が……」
おさよは大きく溜め息を吐き、(こんな所にまで……)と呆れている。
慎重に、縫い口を開け放つと、一枚のカミソリが出てきた。
おさよは布で包んで手にする。
そして、よく見ると、やはり何か塗ってあるようだった。
早速、何匹か、金魚が泳いでいるいる鉢に、カミソリを放り込むと、しばらくして案の定、金魚が一匹、逆さに浮かんできた。
「きゃ~」
綾瀬を始め、回りの女達は、恐怖の顔色を浮かべ、悲鳴を上げる。
おさよは、
「みなさん、心配ありません。これから全て、調べますから安心して下さい。余計な物がなくなったら皆様にお分けしますから。よろしゅうございましょう? 綾瀬様」
綾瀬は驚きのあまり、震えるように頷きながら、
「当然じゃ、こんなもの姉小路様にはお着せできんわ」
「じゃ、反物なんかは、おみよに上げて下され」
これには、少々笑いながら、おさよが言うと、同じく綾瀬は承諾した。
そもそもさすがに反物には、最初から問題など無い物だから、おみよは両手で口を押さえ、笑いを堪える。
「これで、二人の商売の助けになるわね」
と、小声でおみよに言うと、おさよも笑顔で頷く。
おさよは、
「さあ、残り、同じく慎重にやりましょう」
おみよも元気よく、
「はい」
と取りかかる。
一日目は、そうして何とか終わる。
食事も、別の仕入れで、部屋で作るから、何事も無く終わる。
「え? また毒があったの?」
お華は、おさよの報告に驚いた。
当然、部屋正面でお茶を飲む、姉小路も厳しい顔になる。
「しっかし、本当にしつこいわね。着物まで」
「そうなのよ。まさかとは思ったけど、あんな昔のやり方まで使うなんて、ちょっと異常よ」
お華は、
「ねえ、姉様」
この呼び方は、あまりに失礼。なのだが……。
おさよと綾瀬は驚き、おさよは小声で、
「これ、姉小路様を姉様などと!」
と叱りつけたが、もうお華は、上﨟御年寄・姉小路からその呼び方に変わっていたのだ。
姉小路は、
「よいよい」
と、おさよと綾瀬に手を振り、
「何じゃお華」
「こんな、しつこい事やる奴は、一人しか浮かびませぬ。でも、何故でしょう、ここまでやる意味がわかりませぬ」
「そうじゃのう~。わらわにも、とんと分からぬ。ただな、今、そのしつこい男は、不安定な橋の上にいるようなものだからの。わらわに余計な事を言うなと脅しているのであろう」
「余計な事ね~」
お華は首を傾げながら、眉を寄せる。
(3)
同じ頃、八丁堀同心屋敷では、浩太郎と優斎、佐助が夕食と一緒に、三人で飲んでいた。
「いや~先生。おさよ達が、ご迷惑お掛けし、誠に申し訳ない」
と言いながら、優斎に酒を注ぐ、
優斎は笑いながら手を振り、
「あの程度、大した事ではございません。いや、しかし驚きましたぞ、とうとう大奥に上るなんぞ!」
「いや、おかげで、新たな毒も発見されたようじゃ。それも今度は小袖だと」
優斎は、それには、大いに驚き、
「え~、誠にございますか……それは何とも、申し様がありませんな」
浩太郎は僅かに微笑み、
「先生、しばらく伊達様には、内緒にな」
浩太郎は言いながら、佐助にも酒を注いでやる。
「いや、とてもとても言えませんよ。しかし、あまりに急だったから、ちゃんと伝えられたか不安でしたが、もう見つかるとは……」
「俺も驚いたよ。しかし、俺にもよく分からんからな中(大奥)の事は」
「一応、考えられるだけの事は言いましたが、城に毒を送るなんて、それはそれで考えられぬ事。正気の沙汰とは思えませぬ」
「そうなのじゃ、こんな事扱った事がないからな~あれらの勘の良さに頼るしかないよ」
浩太郎は大笑いする。
すると、佐助が、
「先生、野菜など、私と親分でやれるだけの事はしましたが、あれでよかったのでしょうか?」
優斎に、自信無さそうに聞くが、それには、
「それぐらいが限度だよ。おおぴらに出来ないとなったら、あれが一番だと思うよ」
「それなら、いいんですけど」
「佐助。心配するな。ただ、お前の所も今は、くれぐれも内緒にな。父ちゃんによく言っといてくれ。何しろ毒が絡んでいる」
「はい。それは勿論にございます」
そして、浩太郎は優斎に、
「しかし、先生。この事、どう思う?」
それには、さすがの優斎も、頭に手を当て、
「いや~私にもサッパリ。おさよ様に大奥のお話を聞いてから、考えていたのですが、全く分かりません」
「そうだよな~」
そう言った浩太郎は、猪口の酒を飲み干す。
優斎が、浩太郎のそれに、酒を注ぎながら 、
「確かに、姉小路様はお力を持った方で、我が伊達でも、ご当主の官位昇進について、もうそろそろ、お世話になる頃だと思いますが……」
浩太郎は笑顔で、
「ああ、伊達様と薩摩様の話は、江戸の庶民でも有名だからな」
「あはは、少々お恥ずかしい話です」
優斎も苦笑いで酒を呷る。
「しかし、浩太郎さん。幾ら姉小路様に力があるとは言っても、暗殺はなんの意味も無いと思うんですけどね」
「全くじゃ。何の得になるのか……」
決着の付かない、そんな話を交わし続けていた。
その夜は他でも密談があった。
ここは、南町奉行所の役宅。
小部屋の小さな部屋に、一人の男がやって来た。
この男は、奉行所の役人ではない。奉行の家来と言う事で、奉行所内に暮らしている、佐平治という名の男だ。
ちなみにこの者、以前におさよに足をしたたかに斬られている。
だからか、少し足を引き摺ってやって来た。
「お奉行様……」
という、低い暗い声に反応した鳥居は、
「ああ、佐平治か」
静かに襖を開き、中に入る男。
「お奉行様。やはり石見銀山は失敗した様で……」
「ああ、どうもその様じゃ……」
「平川門から出てきた駕籠は確認しましたが、やはり部屋子の様で、あの方ではございませんでした」
「そうか。どこまでも運の良い奴よ」
と二人は笑い合う。
しかし佐平治は、笑顔を止め、
「しかし、これからあの手は少々難しい。噂に寄れば、どうもその辺の備えを固めているようにございます。それに何やら特別の護衛を大奥に入れておるとか」
それには、鳥居も目を剥き、
「なに、護衛だと?」
「はい。あそこは情報の入手が難しいのですが、なにやら、お華とかいう女とかはじめ二、三人……」
その名前に、鳥居は驚愕した。
「なんじゃと! お華? そやつは先年わしにえらい恥を掻かせた憎き奴。あの女め、そんな者を……」
「いかが致します? これから」
と言いながら脇にあった酒と盃に手を出した佐平治。
それを嫌そうに見ながら、
「酒は部屋に帰って呑め!」
と叱りつけ、
「よい。それなればそれで、違う手を考える。そうじゃ、その方が手なずけていると言った例の奴。それに、繋ぎを付けよ」
酒を止めた佐平治は、
「それは構いませんが、何故そこまでなさいます。いくらお奉行様でも、それ以上は危険じゃねえでしょうかね~」
鳥居は顔を背け、
「あの女は、御改革を潰したにっくき奴。それに今、阿部と遠山が色々と探っている様じゃ、危ない者は既に追いやったが、あの女がいるだけで、わしも遠からず御役御免じゃ。そうはさせてなるものか! 今のうちにあの女を消し、城中大騒ぎとなれば、わしの事は沙汰止みとなるじゃろう。急がねばならんのじゃ」
佐平治は、軽く上を見て、
「へえ~そうなんで。まあ、わかりやした。早急に手配いたしましょ」
「頼むぞ、わかったら直ぐいけ」
「はいはい。それでは失礼致します、お殿様」
佐平治はその場を立ち去った。
妖怪・鳥居は、正面を向き、
「お華も一緒とは丁度良い。すべて葬り去ってやるわ」
と呻いた。
(4)
さて、それはともかく、翌日である。
「六つ半、お目覚め、おめでとうございます」
の声が、城内に響くと、大奥の朝が始まる。
全ての仕度が済むと、将軍家慶が大奥に渡り、朝のお仏間で、将軍家代々の位牌に拝礼し、朝の行事が行われる。
おさよ達は名目はともかく、それには参加出来ないので、部屋に控えている。
姉小路は、「お前達も来るか?」というのだが、さすがに三人は丁重にお断りをして、部屋で控えている。
そして、しばらくすると、お華は、
「じゃ、言って来ます」
一人、千鳥の間に向かった。
当然ながら、まだ誰も居ない。
お華は所定の位置に座り、まだ朝なものだから、ウトウトしだしている。
そんな時、そ~っと襖が開き、一人の女が入って来た。
それに勿論気付いたお華が、
「あら! あなたは」
その女は、満面笑顔で、
「お華様。お久しぶりにございます」
と、目の前にやってきて、深く頭を下げる。
大奥の別式女、るい、である。
るいは、別式女ではあるが、普段は、御錠口という役を務めている。
「お華様がいらっしゃっていると、綾瀬様からお伺いしまして」
「そう。いや本当にお久しぶりね」
お華も微笑む。
るいは、以前、感応寺事件の折、お華とおさよに助けられた女だ。
「驚きましたよ。まさかここにいらっしゃるなんて」
お華は、
「私もさ、なんでこんな事になるのやら。てなとこよ」
と、苦笑する。
「ということは、やはりあの事は本当の事だったんですね。何か特別な姉小路様護衛が入ったとお聞きしてたんですけど」
「まあね。本来はさ、私など居たって大した役には立たないんだけど、姉様がね~」
と、また苦笑いだ。
すると、お華は気付いた様に、
「ねえ、ねえ、あなたの他の別式女さん達、ひょっとすると怒ってるんじゃない?」
るいの腕に手を掛けて聞く。
るいも申し訳無さそうに、軽く笑いながら、
「実は、そうなんですよ」
「あっちゃ~」
お華は掛けた手を、今度はおでこに当てる。
「何とか穏便にお願いよ。別に邪魔する気はないからさ」
「私もそう言ったんですけどね~」
そんな話をしていると、一連の行事を終えた、姉小路ら中臈の者達が、ぞろぞろと入って来た。
皆に挨拶した、るいは、
「じゃ、またお華様」
「あとで、部屋にでもおいで」
るいは、頭を下げながら、部屋を出て行った。
さて、あらためてその日の業務が始まった。
「今日は何じゃ?」
姉小路の言葉に、一人の中臈が、
「はい。本日は数々、願いの書状が来ておりますので、そちらのご判断と、その返書につきまして、お伺いしとう存じます」
といった、事務的な会話が交わされた、その時だった。
締め切った、襖の向こうから、ガヤガヤと騒がしい声と物音が聞こえて来た。
中の者、お華も「なんだ?」と一斉にそちらに首を向けた時、
「お止め下さい。無理にございます」
との声。あれは、るいの声、
お華が、頭を少し前に出し、眉を寄せている。
「ええい。黙っておれ!」
の声と共に、襖がパッと開いた。
女達は、何かこれから戦でも始まろうかという、物々しい装いの女達だった。
その中の代表と、いった女が、中の中臈達の間を、
「失礼!」
の言葉一つで、端に追いやり、姉小路の正面に座った。
他の者達は、その後ろに並んで座り、るいは、忍び足といった感じで、お華の隣に座った。
驚くお華に、るいは小声で、
「申し訳ありません。聞かないものですから……」
と囁く。
そして、その代表は、姉小路に、
「上臈お年寄様! 何ですか、お城のお守りに、全く関わりない別の者を召し出したとか。誠にございますか!」
勢い良く、姉小路に詰問調で、問いかける。
お華は、両手を前に付き、頭をガックリ下に落とし、
「うわ! やっぱり来た!」
と、声なき声で、悲鳴を上げる。
姉小路は穏やかに、
「何です、いきなり半端ない」
と、一応叱りつけ、
「それなら、その通りじゃ。ただ今回は、わらわ自身の問題。そなた達に手間を取らせたくないと言うだけの事じゃ」
すると、その女は、
「それは、承服出来かねます! 姉小路様ご自身を仰られても、姉小路様は大奥取締のお方、そのようなお方の事であれば、余計に我々にお申し付け頂くのが本筋と存じます」
ぴしゃりと反論する。
お華も頭を下げながら、(そりゃそうだよね~)
と、自分の事ながら思ってしまう。
すると、姉小路は腕を組んで、
「う~ん。あまり大袈裟にしたくなかったからの~」
「お聞きしたところ、その特別にお命じになったのは」
ぴっと、お華を指差し、
「そこのおなごとの事。どうも納得出来ません。どうしてもと仰るのなら、一度お手合わせを!」
お華は、(やはり、来た~)である。
頭を下げているお華が下から、姉小路の顔を見ると、何と片頬が上がっていた。
(やっぱり、喜んでるよ~)
お華は、溜め息を吐き、更に頭が下がる。
思った通りと言うか、
「仕方が無い。それじゃ特別に、これからその手並みの程、見ようではないか」
(あらら……)
お華は、全てを諦め、顔を上げる。
「それでは、その方達、中庭にて仕度を」
と、姉小路が指図すると、その者達は喜びの顔で、
「はい。只今」
と立ち上がって、早速行ってしまった。
「姉様……」
すると、るいが、
「申し訳ありません。お華様」
と誤るのだが、お華は泣きそうな笑顔で、
「いいのよ。あなた、申し訳無いけど、お部屋にいる、おさよ姉上に言いに行っておいてくれる?」
そして、お華はフラフラ立ち上がって姉小路の正面に座り、
「姉様! 本当に良いのですか? どうなっても知りませんよ」
姉小路は機嫌良く、
「よいよい。存分にな」
などと言うから、ガックリと肩を落とす、お華。
そして、何が何だかよくわからない中臈達の顔。
そして、おさよは部屋で、走り込んできた、るいからその事を聞く。
「え! やっぱりそんな事になっちゃったの?」
と、大笑いである。
~つづく~
お華達の大奥が始まりました。
大奥は男子禁制……と思われがちですが、老女(姉小路などの御年寄)の許可があれば、男子でも入れます。
医者・大工・人足など生活にどうしても必要な男。
そして、数え年で9歳(満7、8歳)迄の男の子ならば、宿泊も可能です。
ということで、お華たちなら、余裕で入り込めるのです。
もう少し、大奥について詳しく書くべきだったかも知れませんが、力不足の為、
この程度でございました。申し訳ございません。
よろしければ、次回もお付き合い下さい。
ありがとうございました。




