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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
15/37

⑬お華炎の舞(後編)

(1)

 

 その時、八丁堀。浩太郎の屋敷。

 おさよと母のお久、そしてお吉とおみよは、四人で喋りながら、お茶を飲んでいた。

 お久が、ちらっと、庭の方を見て、

「どこかで半鐘鳴ってるわね。旦那様、戻ってくるかしら」

 すると、おさよが、

「うちの旦那様も、今日は女将さん来るの知ってるから、早めに帰ると言ってましたよ」

 そんな時、優斎の治療場の方から、大きな声がした。

 その声は当然、四人の耳にも飛び込んできた。

 一斉に、視線をそちらに向ける。

「先生! 先生!」

 叫びながら、佐助は、優斎の元に駆け込んだ。

 佐助は、見事な走りっぷりで、現在なら、計って遣りたい位だ。

 優斎は、佐助の、異常な興奮に驚いた。

「どうした、佐助さん」

「は、はい先生! 芝居小屋で家事。お華さんと、逃げ遅れた子供が怪我。旦那様が、今、大八で運んできます」

 と、一気に、明確な報告をし、その場に倒れ込んだ。

 さすがに、胸が苦しそうだ。

 優斎は、眉が、頂点まで上がり、

「わかった!」

 優斎は、素早く表に出て、

「おみよさん! おみよさん!」

 大声で、屋敷の方に叫んだ。

「はい!」

 その大声に驚いた、おみよは、サッと草履を履き、慌てて優斎の方に向かった。

 残った三人も、何だか分からないが、異常さに驚き、揃って庭に出た。


 表で待ってた優斎は、やって来たおみよに、

「おみよさん! お華さんと子供が、火傷で運ばれてくる。すぐ仕度を」

 おみよは驚き、

「え! 姉さんが?」

「そう。すぐ、大きい机に白の布を引き、座敷に布団を二つ、敷いて下さい!」

「はい。承知しました」

 おみよは、倒れ込んでいる佐助を飛び越え、戸棚を開け、仕度を始めた。

 続いて優斎は、庭の方に行き、そこにいた女達に、事情を説明した。

 おさよ始め、皆、驚愕した。

 そして優斎は、おさよと、お久に、手持ちの桶に、ありったけ水の用意を頼んだ。

 今も昔も、火傷には水だ。

 とにかく冷やさなければならない。

 それは、おさよ達にもすぐ理解出来た。

 

 そして、それが済むと優斎は、八丁堀の、こちらに来そうな道を選びながら、迎えに走り出した。

すると、いつの間にか後ろから、立ち直った佐助も、追いかけてきた。

 確かに、向こうの方向で、半鐘が勢いよく鳴ってるのが分かった。

 走りながら、佐助に声を掛けながら、大八車を探す。

 すると、道の向こうの方から、大八車を、鬼の形相で目一杯引っ張っている、

浩太郎と小さな娘の姿が目の中に入ってきた。

「浩太郎さん!」

「旦那様!」

 二人とも、歓喜の様に、嬉しそうな大声を上げる。

 浩太郎も、向かってくる二人に気付いた様だ。

 若干の笑顔で、手を振り答える。

 大八車に、辿り着いた優斎は、浩太郎に、軽く会釈をし、まず、子供の様子をみた。

 佐助は、娘に笑顔で、頭を撫でる。

 載せられている二人とも、幾分、煤で黒い顔である。

「お前さん! 名前は?」

 その子供は、少し笑顔で、

「か、亀吉です」

 小さな声で答えた。意識はあるようだ。

 そして、今度は、お華の脇に進み、

「お華さん。また無茶しましたね」

 と、少し笑いながら、様子の確認をする。

「すみません先生」

 お華は、若干、恥ずかしげに言った。

 浩太郎に向かって、

「ふたりとも、まずは冷やします。屋敷の庭に急ぎましょう。おさよさんに、用意をお願いしています」

「承知した!」

 今度は、三人で押していった。

 屋敷の前には、女達が、険しい顔で待っている。

 大八車も、今度は三人だから、屋敷前に早く着いた。

「大丈夫? お華ちゃん!」

 と、おさよを始め、女達は、次々に心配の声を上げ、荷台の二人を囲む。

 汗を腕で拭きながら、優斎は、

「二人とも、井戸端に運びます。但し、背中には触れないように!」

 言われた通り、みんなは、子供とお華をゆっくり、井戸端に運んでいった。 

 そして、優斎は、

「おさよさん。ゆっくりと優しく、頭から背中に、水を掛けて下さい。決して、勢い良く掛けない様に」

「はい。お華ちゃん、坊や、寒いかも知れないけど我慢しなさい」

 冬では無いが、十月七日の夕刻。

 井戸水は冷たい。

 だが、

 おさよと、お久はどんどん、そして優しく水をかけ始めた。

「ひえ~」

 お華と亀吉の悲鳴が飛んだ。

 置屋のお吉は、亀吉の妹の小さい手を優しく握り、それを見守っている。

 

 その間、優斎は、浩太郎に事情を聞く。

「お華はともかく、あの子は、倒れたまま、こう」

 と、様子を真似して、

「うつ伏せで、顔を隠して倒れていた様だ。役者の子らしいが、顔だけは、焼けないようにしていたなんて、大したもんさ」

 すると、優斎は、

「いや、それもそうですが、それは、助けを待つ一番良い方法です。下で蹲って、顔を隠して居れば、気管が火傷する事が少なくなる。不幸中の幸いって奴です」

「ほう、そういうもんか。それはそれで、大したもんだ」

 優斎は頷き、佐助に、井戸汲みのおさよと、変わってくれるように頼み、おさよとお久を呼んだ。

「おさよさん。最初に子供の治療を始めます。おさよさんは、あと五、六杯、お華さんに水を掛けたら、座敷に上げて下さい」

「はい」

 おさよは、真剣な顔で頷く。

「そして、ここが大事です。お二人で、お華さんの着物をゆっくりと脱がせて下さい。但し、もし途中で、着物が、背中あたりの皮にくっついていたら、剥がさないよう、着物をそのまま、また着せて下さい。わかりますか」

「はい。大丈夫です」

 お久も、真面目な顔で承知する。

「それからもし。全く、くっ付いていなかったら、うつ伏せで布団に寝かせ、背中の水を、優しく、優しく拭いてあげて下さい。決して擦ってはいけません。それが終わったら、軽い着物を着せ、なるべく背中が付かないようにして下さい。お願いします」

「承知しました」

 おさよとお久は、汲み取った。

 説明が終わると、優斎は、浩太郎と一緒に、子供を俯せのまま、治療場に運んでいった。

「先生! 用意は出来ました」

 優斎は頷き、ようやく治療に入った。

 一方、お華の方も、ようやく水攻めから、解放され、

優斎の教えの通り、おさよとお久が、慎重に着物を交換した。

 ありがたい事に、最悪の事態にはなっておらず、ゆっくりと、布団に寝かされた。

 その様子を聞き、浩太郎も、一息つく


 さて、小さな妹の名前は、きくと言うようだ。

 お吉は、浩太郎から耳打ちされ、きくから、家庭の事情など聞き出すよう、頼まれていた。

「ねえ、おきくちゃん。お父さんとお母さんは?」

「お父さんは、死んじゃったの」

「あら。じゃ今は、お母さんと一緒なの?」

「うん。そうだよ」

 おきくは、素直にお吉に話す。

 お吉は、庭に屈み、おきくの顔の前で、優しく聞き出す。

「あれ? じゃなんで中村座にいたの?」

 おきくは頷き、

「うん。お兄ちゃんは、叔父さんのお弟子さんになったから」

 お吉は、ちょっと驚いた。

 お吉は、元々、芝居好きだ。

 自分自身の興味も重なって、

「へぇ、そうなんだ。おじさんの? で、叔父さんって、なんてお名前なの?」

 あくまで、優しく聞く。

「うん。叔父さんは、(なか)(むら)(でん)()(ろう)っていうの」

 これには、お吉は胸が躍った。

 大看板では無いが、中堅の、実に上等な演技を見せる役者だ。

「そうだったの。おかあさんの御親戚なの?」

「そうだよ。お父さんが死んじゃってから、お母さんが頼んだんだよ」

 女の子だからか、小さい癖に、そういった事は実に正確に話す。

「じゃ、おかあさんのお名前は?」

「おせい。踊りのお師匠さんなの」

 その言葉に、お吉は少々、眉を寄せる。

「踊りの? 踊りではなんて言ってるの」

「うん。志賀山おせい」

 そう、母は舞踊志賀山流家元の三代目、志賀山せい、だったのだ。

 この言葉に、お吉は、心の底から驚いた。

 なんと、その母親は、お吉の師匠の娘だったのだ。

 お吉は、途端に目頭が熱くなった。

(私の芸者が、私の師匠のお孫さんを助けたんだ……)

 するとおきくは、恐る恐るといった様子で

「ねえ、おばちゃん。お兄ちゃんが怪我したら、私も怒られるかな?」

 と、少し心配そうに言ったが、

「何言ってるの。あなたが、怒られる事なんか無いわよ」

お吉は涙を隠して、微笑み、

「今のあなたは、お兄ちゃんが無事である事を祈ってなさい。おばちゃんも祈って上げるから」

 おきくは、幼い顔で笑顔を浮かべ、

「はい」

 と、治療場に向かって、手を合わせる。

 お吉も、心の底から神に祈る。


 さて、その医療場では、優斎が、おみよに指示を出す。

「おみよさんは、この子の足を見て下さい。骨は確認したから、打ち身だとは思うけど、同時に、火傷も確認して下さい」

 おみよは真剣な顔で、返事をし、子供の足を確認し始める。

 優斎は慎重に、着物を脱がせ始める。

 着物とは言っても、安物の着物。

 濡れていても、ちょっと、ゴワゴワしていて、折れた先が、背中に触れる。

 若干、痛がっていたが、特に大きな問題も見つけられず、着物をゆっくり脱がせた。

 そして、明かりを寄せ、背中全体を見回す。

 皮膚に水ぶくれは無く、少々赤いが、それほど酷い様子では無かった。

 優斎は、喜色を露わにする。

「よし、これなら大丈夫だ」

 と、大きい声で、言った。

 すると、おみよが、

「火傷は、問題無いようですが、やはり打ち身が……」

「わかりました。それなら、先日お教えした様に、薬をまんべんにぬり、白い布で、しっかり巻いて下さい」

「はい」

 おさよが返事をすると、幾らか落ち着いたのか、俯せの亀吉が、しゃべり始めた。

「ねえ、先生。あたしは火事場で、すごい物見ちゃったよ」

 優斎が、背中の水を慎重に拭きながら、少々笑顔で、

「ほう、何見たんだい」

「うん。あのお姉ちゃんの舞だよ。上から、いっぱい炎や何やら次々と落ちてくるのに、ふわりふわりと避けちゃうんだ。きっと、あれは、炎の舞って言うんだね」

 その言葉を、その子の足下で聞いた、おみよは、目頭が熱くなった。 

 優斎も、少し、心に来たのかも知れない。

「おみよさん。炎の舞だって」

 おみよは、泣きながら満面笑みで、

「あの人は、お華太夫っていう、深川一番の芸者なのよ。あなたも勉強になったでしょ」

 言いながら、白布を足に巻いていく。

「へ~そうなんだ」

 亀吉は、嬉しそうな顔だ。

 すると優斎は、

「まあ、あの人ならやりそうだな」

 独り言で笑いながら、火傷の薬を小さな背中に塗っていく。


 亀吉の治療が終わると、座敷の布団に彼を寝かせ、優斎は表に出た。

「浩太郎さん! 子供は大丈夫です。治療は終わりました。今度はお華さんです」

 大声で、お華を呼ぶ。

「今度は私か……」

 お華はゆっくり、おさよとお久に手伝って貰いながら、縁側に出ると、浩太郎が、

「背中に乗れ」

 と縁側に座った。

 それにお華が、首に手を遣り、負ぶさると、おさよが笑いながら、

「あら、懐かしいお姿ね。旦那様」

 すると、浩太郎も笑い、

「おお、そう言えばそうだ」

 お華は、何だか恥ずかしそうだ。

 すると、浩太郎は、

「こいつ、俺がおんぶすると、すぐ漏らすんだ」

 などと言うから、お華が、火傷でも無いのに顔を赤くし、即座に、浩太郎の首を引っぱたく。

「余計な事、言わない!」

 これを聞いた、お久とおさよは大笑いだ。

 

お華も、机に座らされ、着物を脱がそうと、優斎が、胸元に手を掛けようとすると、

「う……」

 恥ずかしげに、手を胸に当てる。

 優斎は呆れて、苦笑し、

「おみよさん、着物脱がせて下さい」

 おみよも呆れながら、

「同じ人とは思えませんねぇ」

 苦笑いで脱がせ、俯せに寝かせた。

 優斎は背中を見回し、

「炎の舞ね」

 その言葉に、おみよも笑う。

「よし。火傷は心配なさそうだ。それじゃおみよさん、私じゃ嫌がるから」

 笑いながら、赤くなっている打ち身の部分に指をあて、

「お華さん、肩は動きますか?」

「はい。ちょっと、響きますけど」

「そうですか、それなら、簪打つのは大丈夫そうだね」

 すると、座敷で寝ている亀吉が、

「お姉さん、簪打つってなあに?」

 などと聞くが、お華は、邪魔するなといったご様子で、

「ええい、あんたは寝てなさい」

 それを聞き、優斎は笑いながらも、おみよに、

「ここは打ち身の薬を、そしてあとは、念のため、全面に、火傷の薬も塗って下さい。脇の部分もね」

「はい。承知しました」

「ごめんね、おみよちゃん」

 とお華が言うが、おみよは微かに笑い、

「何言ってんの、お姉さん」

 丁寧に、薬を塗り始める。


それが終わると、優斎は、表に出て、浩太郎の前に向かう。

「治療は、全て終了しました。二人とも命には問題なく、火傷も跡は残らないと考えます。但し、まだ、完全とは言えないので、念のため、十日ばかりは、様子を見たいと思います」

 浩太郎は、笑顔で優斎の手を握り、

「これは、誠にもってかたじけない。ありがとう」

 深く、頭を下げた。

「何を仰います。やめて下さい」

 優斎は慌てて言って、笑いながら、

「浩太郎さんもさすがに疲れたでしょ。一休みしましょう」

 笑い合って、二人で、屋敷の居間に行こうとすると、

そこに、おさよの父、吉沢甚内が、庭に現れた。

 浩太郎が、驚いた様に、

「これは、お父上。わざわざ?」

 頭を下げながら、近づく。

 甚内は、かなり慌てた様子で、

「お華は大丈夫なのか?」

 少々、大声で、浩太郎と優斎に聞く。

 浩太郎が笑顔で、

「お父上。お陰をもって、大丈夫にございます。先生の治療も終わりました」

 すると、甚内は大きく息を吐き、

「そ、そりゃ良かった。嫁入り前だし、娘は、娘だからの」

 居間に見える、お久に顎をやり、

「あれから知らせを貰った時は、慌てたぞ」

 浩太郎は、笑みを零し、

「それでは、詳しくは居間で。先生も来てくれ」

 と、三人は、おさよ達の間に入って座った。

 すると、甚内は、

「いや、火事の事は、その前から知らせがあったのだ。それが芝居小屋というから、みんな慌ててな。なにしろ、お上の方で、騒いでいた所であったし。ところが、その後に、お久から、お華が運ばれたなんて聞いたから、さらに大騒ぎじゃ」

 これには、優斎も微笑み、浩太郎も若干の笑みで、

「いや、誠にお騒がせし、本当に申し訳ございません」

 甚内は、頷きながら、

「無事なら良いのじゃ。ただ、それには、与力の佐久間様。そしてお奉行の奥方様まで、えらくご心配頂いてな」

「え! 奥方様まで」

「例の感応寺から奥方様は、お華の御贔屓でいらっしゃるからな。じゃから、詳しい事聞いて、佐久間様にご報告しなければならぬのじゃ」

 これには、浩太郎も恐縮し、

「わかり申しました」

 と、浩太郎が経過を報告し、優斎からは、怪我の報告を受けた。

「なるほど。お華はよく、子供を守ったの」

 と、甚内が言うと、優斎が、甚内やお久たちにも向かって、

「あの亀吉は、さすが芝居小屋の子。お華さんを「炎の舞のねえちゃん」なんて、言ってましたよ」

 それには、お久も大笑いし、

「そりゃ、いいわね。その通りよ」

「そして、おみよさんが、あの人は、深川一の芸者さんよ。なんて言ったら、びっくりしてました。そして、芸者さんがなんで、簪投げるの? だって」

 それには、おさよが大笑いだ。

 さて、そんな中、浩太郎は甚内に、

「その、簪投げる姉ちゃんですが。実は……」

 と詳細を語る。

 それには、甚内も大きく驚き、

「なんだと!」

「お父上様、この事よろしくご報告下さい。奥方様には、様子を見て後日、おさよとお礼に参ります」

 甚内は、少々、機嫌が悪くなっていたが、浩太郎には笑顔で、

「承知した。ここまで聞けば充分じゃ。あとは、お奉行様がご判断下さるじゃろう」

 甚内は、早速、従者の正吉と一緒に、奉行所に向かった。


 大きく息をついた浩太郎は、

「せめて、亀吉には、良い方に転がってくれると良いんだが……」

 と言うと、おさよが、

「大丈夫ですよ。あの子は運の強い子です」

 それには、優斎も頷き、

「全く問題ございません。返って、お華さんに出会った事が、あの子の今後に、繋がるような気がします」

 浩太郎は、わずかな笑顔で、

「それなら、いいのだが」


 一方、治療場では、若干の騒ぎになっていた。

「何? 踊りを教えろ?」

 お華の、悲鳴に近い言葉が上がる。

 二人は、治療を終え、座敷に二人並んで、寝かされていたのだが、亀吉は、火事場の折の、お華の舞について、しつこく聞いている。

「だって、お姉さん。あんな身体の運びなんて見た事ないんだもん。ねえ、教えてよ」

「あんた、芝居小屋の子なんだから、教えてくれる先生、いっぱい居るでしょ!」

 と大騒ぎ。

 余りにうるさいので、いい加減、頭にきたのか、おみよが、

「二人とも!静かに寝てなさい。治療終わったばかりなのよ!」

 驚く二人。

「ほら、怒られちゃったじゃない。踊りは、あんたの足が治ってから」

 お華は横向いて、目を閉じる。

「え~」

 亀吉は、納得いかない様子だ。

 おみよは、声をださず、口を押さえて笑う。


(2)


 さて、そんな時屋敷では、町人の男女二人が、申し訳無さそうな顔で尋ねてきた。

 佐助は、浩太郎の指示で、居間に案内した。

 すると、二人とも部屋の隅に下がり、頭を畳に付けるように下げている。

「この度は、我が弟子をお助け頂いた様で、誠にありがとうございました。そして大変な、お世話をお掛けし、申し訳ございませんでした」

 二人、同時に浩太郎に謝る。

「ここがよく分かったな」

 浩太郎が、腕を組みながら言うと、

「はい。火事場の火消しの方々にお聞きして」

「なるほど」

 と、浩太郎が頷くと、 

「私は、亀吉の叔父、そして師匠でございます中村傳九郎と申します。そして、こちらはあの子の母、せいでございます」

 事前に、お吉から聞いていた浩太郎は、頷きながら、厳しい顔で、

「二人とも安心せよ、亀吉の命に別状はない。しかし、そなた達には、問い質さなければならない事がある。そこでは遠い。佐助、もう少し近くに寄るよう」

 佐助に指示を出す。

 すると、お吉の隣にいた、おきくが、

「おかあちゃん」

 安心した様に、母親の所に走る。

 お吉は、和やかに微笑む。

 浩太郎は、背筋を伸ばし、

「そなた達に聞きたいのは、ただ一つ。何故、子供だけにして出掛けたのか。という事じゃ」

 それには、傳九郎が、顔を上げた。

「私は、この度の芝居小屋の件で、寄合に出掛けておったのでございます。話が話でございますから、子供には聞かせたくなかったという事もありまして、つい、置いて出てしまいました」

 一気に言うと、そのまま、再び頭を下げた。

 母親も手をつき、

「私も、たまたま弟子の用事が入ってしまいまして、ほんのちょっとのつもりでございましたが、長引いてしまいまして……」

 顔を覆い、涙で話す。

 小さいおきくが、横で母親の背中を撫でている。

 浩太郎は、

「やはりそうであったか……。分からないことはない。しかし、子供のみしていたのは、不行き届き。子供達は危うく、焼け死ぬところであった。寄合や家業の事、気持ちも事情もよくわかるが、面倒でも連れて行くべきであった。一瞬の都合で、生涯、後悔するところだ。二人とも反省するように」

 二人は、殆ど泣き声で、

「誠に申し訳ございませんでした」

 叫ぶ様に誤る。

 浩太郎は、横の優斎に、

「先生、どのくらい掛かりそうかな?」

「そうですな。火傷と足の傷で、しばらく、まあ十日程は、動かさない方が良いでしょう」

「そうか。……」

 浩太郎は少し考えて、

「よし、そなた達。しばらく亀吉は、こちらにて預かろう。そなた達も、火事の後では、色々と大変であろう。知らせが来るまでに、準備をしておきなさい」

 この言葉には、二人とも殊の外喜び、

「これは、我々の様な者に、誠にありがとうございます」

 傳九郎の言葉に、浩太郎は笑い、

「なに、助けた妹も多少、怪我をしている。一人も二人も変わりは無い。心配するな」

 な? と、おさよに承諾を求めると、おさよも笑顔で、頷く。

 すると母親が、

「本当に、本当にありがとうございます」

 おきくと一緒に、泣きながら深く頭を下げる。

「よしよし、それじゃ、治療場にいる亀吉に会ってきなさい」

  

 二人は、佐助に連れられ、治療場に向かった。

 腰高障子を開けると、母親は頭を下げながら、布団の方に飛ぶように行く。

「亀吉!」

「おっかさん」

 と、涙で抱き合った。

 それを、和やかに眺めるお華。

 すると、おみよが、

「お母さん。まだ余り触ってはいけません。薬を塗ったばかりなんで」

 おせいは、慌てて手を離す。

 それを聞いて、

「おさよちゃん。医者っぽくなったね~」

 お華が笑う。

 すると、傳九郎も入ってきて、お華に向かい、深く頭を下げる。

「このたびは、亀吉をお救い頂き、誠にありがとうございました」

 お華は、

「お礼なんて、いいんですよ」

 手を振り照れる。

 すると、亀吉が、

「おねえちゃん、凄いんだよ。炎の舞で、おいらを助けてくれたの」

 すると、さすがに役者、

「炎の舞……ですか」

 お華は笑い、

「この子が、勝手に言ってるだけです」

 更に照れる。

 すると、お吉もそこに入ってきて、おせいに頭を下げた。

「おせいさま。お忘れとは思いますが、私はあなた様のお母様の弟子でございましたお吉と申します」

「え? 母の弟子?」

「ええ、もう昔の事ではございますが、お母様生前の折、深川で芸者をしておりました頃、志賀山流で踊りを教わっていたのでございます」

 おせいは、さすがに驚いた顔で、

「ああ、そうなんですか……」

「ところが、本日、おきくちゃんから、事情を聞いた時は本当に驚きました。まさかあなたのお子様とはと。それで助けましたのが、私が抱えている芸者。世の中狭いものだと、つくづく感じております」

 それにはおせいも、

「なんとありがたい事。ほんにありがとうございました」

 と、礼を言っていると、

突然、お華が首を傾げ、

「ちょっとお待ち下さいね。ってことは」

 横で寝ている、亀吉を指差し、

「この子は、踊りの師匠の家の子……って事ですか?」

 お吉が、当然頷く。

 お華は、目尻を上げ、

「こら! 亀! あんた踊り知らないどころか、師匠の息子ってどういうことよ!」

 布団の上から、引っ叩く。

 周りは、大笑いだ。

 すると、お吉が、

「亀吉は、志賀山の跡取り、そしてそちらにいらっしゃる中村傳九郎様のお弟子よ。中村鶴蔵とお名前もお持ちなのよ」

「な! (ふた)()も持ってるの~。亀! あんたそんな事、一言も言って無いじゃないの!」

 お吉は、おせいに、

「このお華と、後ろのおみよは、言わば、お母様の孫弟子。今後ともよろしくお願い申し上げます」

「何をおっしゃいます。今回はこちらがお礼を申さなければ鳴らない事。誠にありがとうございました」

 二人は穏やかに言うのだが、お華は、

「申し訳ございません、お母様。わたしは、お華太夫と名乗っております。そんな事、亀吉は、ひとっことも言わないものですから。危うく、孫弟子が、師匠の孫に踊り教える所でした。申し訳ございません」

 おせいも和やかに、

「お華太夫様ってお名前、お聞きした事ございますよ。伺いました。炎の舞ですか? 遠慮無く教えて下さい。この子は、芝居は別と考えているようなので、言い出したら聞きません」

 その言葉に、おみよが、

「なんだ、姉さんと一緒じゃない」

 と、みんながまた大笑いだ。


 そんな中、傳九郎は、優斎の所に行き、

「あの、治療費の事なんですが……」

 と言いかけたが、優斎は、手でそれを遮り、

「ご心配なく。火事で大変な時に、無理は申しません。治療費は、あの子が初舞台に上がり、給金を貰った時で結構。自分で払いに来させて下さい」

 と、穏やかに言った。

 それには、傳九郎と、聞いていたおせいが、深く深く頭を下げた。

 

(3)


 さて、夜遅く、甚内から報告を受けた佐久間は、翌日朝早く、登城前の遠山と奥方けいの前に罷り出る。

 佐久間は、もう、市中に広まっていた瓦版を、遠山に手渡す。

 それを見た遠山は、腹抱えて笑い、おけいにも見せた。

 けいも驚いた顔で、それに見入る。

「お華、やるの~。炎の舞か……大したもんじゃ」

 と、笑う遠山とは、違った顔で、けいが佐久間に問う。

「で、お華ちゃんは大丈夫なの?」

 佐久間は笑いを止め、

「これは失礼致しました。お華は、背中に多少の火傷と打ち身のみにて、命には別状ございません。痕も残らない様なので、どうぞ、ご安心を」

 と言いながら、平伏する。

 それには、けいも安心した様子で、

「それなら良かった」

 すると遠山が、

「子供も無事という事か?」

「はい。炎の舞にて、二人とも助かりました」

「それは、本当に良かった」

 遠山も満足そうだ。

 しかし、ここから佐久間は、吟味与力の顔に変わる。

「お奉行……。残念なご報告もございます」

「ん? なんじゃ」

 佐久間は頷き、

「実は、お華が子供を助ける前ですが。お華が、現場に到着すると、怪しげな二人組が逃げていったそうにございます。お華も制止のあと、例の簪を二本、打ち込んだようにございます。しかしながら、些か間が空きすぎ、当たったにも関わらず、それらは逃げていったそうにございます。そして、お華の証言によりますと、その二人は侍……」

 ここで、遠山の表情も、厳しいものに変わる。

「なんと! 侍じゃと?」

「はい、生憎その時、子供の助けを呼ぶ声が聞こえ、お華は下手人を諦め、子供の救出に向かったそうでございます。その二人は、双方、頭巾を被っており、顔は確認出来ませんでしたが、確かに侍。それも身なりの良い侍に見えたそうでございます」

 遠山は、腕を組んで俯き、おけいも、あまりの事に難しい顔をしている。

「これはお奉行……」

 佐久間が言うと、遠山が直ぐさま、

「わかっておる。芝居小屋なんぞ狙って、武士が火を付けるなんぞ、わざわざ、自白している様なもんじゃ」

 佐久間は、意味が通じているのを確認でき、平伏する。

「申し訳ございません。お華がもう少し追い詰めていれば、正体も判明したかも知れません。替わってお詫び申し上げます」

 すると、けいが不機嫌そうに、

「子供を放っといて、お華は鬼にはなれますまい。あの子には当然の事じゃ」

 それには、佐久間も、

「その通りにございます。私にとりましても、お華は、ああであって欲しい。これは、どこまでも我々、奉行所の油断にございます」

 遠山も頷き、

「そうじゃ。これは少し甘すぎた」

 けいに、頷く。

 そして佐久間が、

「とはいえ、この様な、あまりのやり口。全く開いた口がふさがりませぬ」

「誠じゃ。世も末じゃの……」

 暫く、沈黙が続いたが、遠山が、

「佐久間。火付は癖になる。皆に、注意するよう申し伝えよ」

「は、しかし。今度はどこを狙ってくるでしょう」

「知れた事よ、北か南じゃ!」

 佐久間は、ため息を付き、そして。

「承知しました。早速、皆に申し伝えます」

 その場を下がって行った。

「殿様……」

 困惑の顔で、けいが言う。

 すると、遠山は表情を変え、

「心配するな。そんな事になっても、お華が炎の舞で助けてくれよう」

 途端に、大笑いして、登城の仕度に向かった。


 数日後、浩太郎とおさよは、奉行所に向かった。

 奥方けいに、お華について、お礼を言う為である。


「奥方様、此度は、妹お華に、お心を砕いて頂き、誠にありがとうございます。また見舞いなど頂戴致しまして、お礼の言葉もございません」

 浩太郎とおさよが、並んで礼を言うと、けいは笑って、

「いいのよ。あの子はおまんじゅうとか好きだから。貰い物でごめんなさいね」

 するとおさよが、

「とんでもございません。子供と二人で、喧嘩しながら食べております」

 それには、けいも妙な顔で、

「喧嘩しながら?」

 おさよは、笑って、

「早く踊りを教えろ、私が気が向いたら、何でだ! などと言い合いながら食べております」

 けいも、それには大笑いし、

「元気が良くて、何よりじゃ」

 浩太郎とおさよも、笑顔である。


 挨拶がすんで、奉行所の門前に出ると、浩太郎が、

「おさよ。実は、親分がもう何日も、奉行所の周りを見張ってんだ。お前も一緒に礼を言ってくれねえか」

 おさよが驚き、

「親分が? どうして」

「佐久間様から、奉行所の付け火があるかも知れないと、ご注意は頂いているんだが、親分は既に、気づいていたらしい。亡き父上も、前に言ってたそうだ。付け火は、病気のようなもの、一度やるとまたやりたくなる。ってさ」

「なるほど……」

「もっとも親分は、お華がやられたって事で、頭に血が登ってるって、平吉が言ってたよ」

 おさよは頷き、

「そりゃ、そうですよ。私だって腹立ちますから」

「いや、お前さんは、おとなしくしてなさい。とんでもない事になるから」

 と笑い、

「しかし、ありがたい事だ。一緒に、礼を言いに行こう」

「はい」

 おさよも嬉しそうに、浩太郎の後ろをついていった。

 親分達は、北町奉行所から、呉服橋御門を渡り、日本橋呉服町のあたりを見張っているらしい。

 日本橋ならば町場。

 火を付けやすく、奉行所を狙うには、風さえ吹けば一直線だ。

しかも、今日の風は、その方向。

 親分達にしても、見張るのは、当然といえば当然の状況だ。


事前に聞いてた、商店脇の見張り場に、二人は赴いた。

「こりゃ、奥様まで!」

 親分が、恐縮していたが、そんな時、声が上がった。

 呉服町の、まさに呉服問屋の裏手で、密かに、油を振りまいている侍を、平吉が見つけたのだ。

「付け火野郎! 御用だ!」

 平吉と、協力してくれている、日本橋界隈の手先と共に、侍を囲むように、十手を差し向ける。

 侍は、刀を抜き、ジリジリと大通りに出ようとする。

 浩太郎も、おさよと親分一緒に、その様子を見に、駆け付けた。

 その侍を目にした時、頭巾はかぶっているものの、一目で、浪人で無い事がわかった。

 手先達は、目潰しや、投げ縄などで捕まえようとするが、さすがに侍相手では、簡単にはいかない。

 とうとう、その侍は大通りに出てきた。

 手先達も、その侍を中心に囲んでいるが、どうもその侍、刀を構えながら、逃げ道を探っているようだ。

 そして、さすがに日本橋。

 相当数の人々が、遠目で見物している。

 親分が、

「若!」

 と叫んだ時、浩太郎は、刀の小柄に手をやった。

 しかし、浩太郎は、その野次馬の多さが、少し気になった。

 そして、一瞬、戸惑っていると、

 おさよが、囲むお手先の輪の中に、ササッと入り込んだ。

 帯の後ろに、小太刀を隠している。

 おさよは、涼しい顔で、どんどん近づいていく。

「やっぱり!」

 と、浩太郎は唸ったが、もう遅い。

 おさよは、人が変わってしまっている。

 一方、侍の方は、突然、女が近づいてきて、これを好機と受け取った様だ。

 女を盾に、活路が開いた様に思えたのかも知れない。

 親分達はともかく、他の手下連中は、「やめろ! 下がれ!」と言うのだが、

親分は、反対に口元が笑っていた。

 小柄を諦めた、浩太郎は、呆れた様子で、手を頭にやる。

 親分と平吉は、さすがにご存じだから、飛び込んでいく準備の姿勢だ。

「そこの女! どけ!」

 構わず進むおさよに、その侍は、刀を上段に構え、襲ってきた。

 切り倒してそのまま逃げる気だ。

 しかし、そんな事、百も承知のおさよは、いつもの様に、低い姿勢で、素早く飛び込み、上段からの刀を、難なく躱す。

 続く、二の太刀、三の太刀も、アッサリ躱す。

 そして、素早く横へ回り、刀をつかむ侍の手首を、スパッと切断し、続けざま、両膝を八の字に切って捨てた。

 鮮やかな、太刀裁きだ。

 見学していた者たちも、あまりの手腕に、大喝采である。

 浩太郎も怒ってる場合ではないので、倒れた侍に走って近づき、平吉に、着物の上を脱がせる様、命じた。

 浩太郎と親分は、痛がっている侍には、一切頓着せず、傷を探す。

 すると、浩太郎が指差し、明らかな簪手裏剣の刺し傷を見つけ、

「あった!」

 と叫んだ。

「やった! 親分。こいつが芝居小屋の下手人だ!」

 と喜ぶ。

 うつ伏せの侍は、悔しげに、うなりを上げる。

 普通ならこんな時、「無念」と言って、腹を切ってしまうのだが、脇差は既に奪われていて、所持しておらず、何より、腕も無い。

 そして、浩太郎は平吉に、

「戸板で、奉行所に運べ!」

 と、指示を出した。

 

 そして、浩太郎は、おさよに近づいた。

 おさよは、既に刀も納め、通常に戻っているが、斜め上を向いている。

「まったく、お華みていな事しやがって」

 と、優しく叱る。

「だって……」

 浩太郎は笑い、

「まあ、いい。俺はあいつを取り調べなきゃならん。親分と一緒に屋敷に戻れ」

 と言って、浩太郎は奉行所に向かった。


 おさよは、親分と屋敷の方へ帰る途中、

「奥様、お見事でございました」

 おさよは笑って、

「お華ちゃんばっかり、いいかっこさせられないからね」

 と言うと、

「あはは、なぜか、お華お嬢様だと、ちょっと心配になるのですが、奥様でしたら安心して見てられます。でも、大旦那様は、呆れていらっしゃるでしょう」

「いや~ね」

 二人は笑いながら、屋敷に戻っていった。


(4)


 目付の、放火での逮捕は、江戸城でも大騒ぎとなっていた。

 お上の目付が放火犯など、前代未聞である。

 翌日には、二人組のもう一人も、品川宿で、同じくお縄となった。

 鳥居は、目付筆頭として、窮地に追いやられるが、二人が勝手にやった事で、なんとか押し通した。

 老中、水野も、事態の更なる悪化を警戒して、付け火二人に直ぐさま、切腹を申しつけた。

 しかし、切腹させただけで、騒ぎは収まらなかった。

 結局、芝居小屋取り潰しは、遠山の願い通り、将軍により廃案となったのだ。

 しかし、浅草聖天町(後の猿若町)に、移転はまぬがれなかったが、立ち退き金、五千五百両を払う羽目となった。

 事実上、この件は、水野・鳥居の敗北である。

 

 お華とおさよは、その知らせを聞き、胸をなで下ろした。

 これで、少なくとも亀吉の将来が、潰される恐れが無くなったからである。

 しかし、八丁堀の屋敷では、新たな戦いが起きていた。

「ねえねえ、おねえさん。小太刀が強いんだって? 親分さんが言ってたよ。ねえねえ、教えておくれよ」

 と、少し、動けるようになった亀吉は、優斎が、背中の火傷の痕を確認している最中、今度は、おさよに懇願している。

 お華は、話題がおさよに移った事に、大歓迎の様子だ。

「あんた、つい昨日まで、炎の舞だったじゃない。なんでいきなり小太刀なのよ」

 おさよは、突然の災難に、文句を言っている。

「だって、俺は女役もやるんだから、小太刀で殺陣も教わらなきゃ。伽羅先代萩じゃ、小太刀もって、戦うんだよ~」

 その言葉には、優斎も苦笑いだ。

 すると、お華の世話に来ているお吉も、

「そうそう、あれは、坊ちゃんの言う通りよ。ねえ、優斎先生」

 振られた優斎は、苦笑いで、

「それ、私に聞きます?」

 おさよは笑顔で、

「ふふ、それは、先生に教わった方がいいわよ」

 それには、さすがの優斎も、

「無理ですよ。兄上に怒られてしまいます」

 優斎が仙台出身を知っている、みんなは大笑いだ。

 お華が、

「とにかく、あんたは、早く初舞台踏んで、先生に治療代払えるようになったら、私が踊り見て上げる。でも、姉上の小太刀はどうかな? あれ習っても、芝居になんないよ。ねえ、先生」

 優斎は笑って、

「そうですね~あれは、見てる方がビックリしますよ」

 おさよも静かに、笑う。

 すると、亀吉は、さらに嬉しくなったのか、

「それじゃ、新しい工夫の政岡って事でやれば、喜んでくれるね!」

 おさよは呆れて、

「だめだ。こりゃ」

 と、台所に逃げていった。

 それを見て、みんなはまた大笑いだ。



 さて幾日か立って、今日で言う、退院の日となった。

 当日、母と妹。

 中村傳九郎に、そしてなんと、傳九郎と昵懇にしている、四代目中村歌右衛門が、揃って迎えに来た。

 折良く、浩太郎、おさよ。お華、そして優斎が、座敷に座り、縁側には、お吉とおみよが座している。

 お吉は、歌右衛門を間近に見る事が出来るなど、有頂天の様子。

 それを横目に、おみよが呆れている。

 傳九郎が、

「このたびは、長々と亀吉を面倒見て頂き、誠にありがとうございました」

 一斉に、頭を下げる。

 すると、お華は笑って、

「まったく、病気で寝てたんだか、何だか、この子には大騒ぎよ」

 と、呆れた顔で言うと、みんな笑顔だ。

 浩太郎が、優斎に、

「先生。もう、問題無いと、思って良いのかな」

「ええ、初舞台で、桃太郎でも一寸法師でも、何でも出来ますよ」

 微笑んで頷く。

「そうか。亀吉、あとはお前の精進次第だ。師匠や、小屋の方々の教えを、良く聞いて頑張りなさい。それが一段落ついたら、お華でもおさよでもお前の技を見てくれるだろう。だから、まず、それを目指しなさい。わかったな」

 それには、優斎も深く頷き、

「ただ、直ったと言っても、まだ、無理してはいけない。くれぐれも注意するように。何かおかしいと思ったら、また、ここに来るようにな」

 亀吉は、浩太郎と優斎の言葉に、

「誠に持って、ありがとうございました。いずれも様にも、今後とも御贔屓下さりますよう、隅から隅まで、ずずずい~とこいねがい上げ奉ります」

 と妹と二人、平伏した。

 同時に、歌右衛門らも、この言葉を聞くと、いつもの慣れで礼をする。

 これには、本人達も、みんな大笑いし、お吉などは、大きな拍手で、少し涙ぐんで笑っている。


すると、浩太郎は、傳九郎に向かい、

「とりあえずの住処などは、用意出来たんだな」

「へい。まだ、多少ゴタゴタしておりますが、私共は、なんとか」

「そうか。それは良かった」

 と微笑み、すぐ真面目な顔に変わり、

「歌右衛門。傳九郎。お奉行様から内々に伺った話じゃ。ここからはここだけの話。良いな」

「はい」

 と、二人共々、突然の事に、緊張気味に頭を下げる。

「この度の移転。役者連中の中では、不満に思っている者もおるだろう。しかし、一時は本当に、廃止になるところであったのだ。お上の中には、そこまでする意味があるのか? という人々もいた。お奉行も同じであったであったが、廃止に賛成する者も多く。危ういところであった。そうなれば、京大坂に行っても同じ事。もう、どんな大看板であっても、演じる事自体、御法度となる」

 それには、歌右衛門が、

「お江戸以外でも、芝居が出来ないと」

「そうじゃ。そうなれば、そなたは勿論、下足番に至っても翌日から無職となるところであった。わかるであろう。」

「はい。私も散々みんなに申しておったのですが、皆、甘く見ていた様でございます」

「ところがな。一転、芝居を存続に導いたのは、そういう者達の意見でも、小屋の連中が直の訴えをしたからでもない。亀吉じゃ」

 二人とおせいは、真剣に耳を傾ける。

「亀吉が、妹を、命がけで逃がし、顔だけでも火傷にさらしたくないと、腕で隠しながら、助けをひたすら待っていた事が、大奥や幕閣の方々にも、大変、評判となったらしい」

 そこにお華が、

「へ~大奥ですか」

 と言うと、浩太郎は笑い、

「そうじゃ、お前も知っているあの方は、またお華か。と大笑いされたそうじゃ」

「大笑いって」

 と、お華は少々不満そうだ。

「しかし、そのお陰で、上様にもこの話が届き、それは気の毒と、小屋を残すと決まったようじゃ。他にも、色々あるが、いずれにせよ、子供のお陰で、小屋が残ることになったのじゃ。その事、よく考える事じゃ」

 これには、歌右衛門も相当驚き、おせいは、横の亀吉の頭を撫で、

「この子が、将軍様に……」

 涙が溢れている。

「そうじゃ、言ってしまえば、この子の芝居が、上を動かしたのじゃ。そして、お華とおさよのお陰で盤石となった」

「誠に、誠にありがとうございます」

 せいは、涙ながらに礼を言う。

 浩太郎は、

「遠くなりはしたが、これも考え方一つ。良い物を作れば、客は来る。なあ、お吉」

 縁側のお吉も、頷き、

「そうですよ。要するに中身が大切」

「歌右衛門もそうは思わぬか?」

「はい。誠に持って、その通りと存じます」

「そしてな、まだ油断をしてはならん。例えば、来年には、宮地は全部廃止。寄席も五百あまりあったものが、十五位に減らされるようじゃ」

 これには、全員が驚愕した。

「調べてたあれって、廃止の為だったの?」

 お華が、動揺の様子だ。

「そうだ。古い物だけ残し、演目も決まった物だけになるそうじゃ」

「だって、あれで暮らしている人達や、小さな子供達だっていたのに……」

 浩太郎は、前の三人に向かい。

「よいか、お上にとっては、寄席も宮地も、そして江戸三座も全く変わりはない。今回は、亀吉が助けてくれたものの、次はわからん。言っておくが、歌右衛門。そなた自身も、目付に狙われておる。そう、団十郎などもな。今度は一人一人、御改革に背けば、容赦なくお縄じゃ。間違っても、千両役者なんて言葉、当分使ってはならん。意味はわかるな歌右衛門?」

 歌右衛門は、自分までも狙われているとわかり、衝撃を受けている。

 そして、自分たちの位置が、まだ崖っぷちであることが、嫌でも理解出来た。

そう、浩太郎の言葉通り、翌年、市川海老蔵(団十郎)は、江戸四方追放の処分を受けている。

 こうして、そんな話も終わり、亀吉達は、優斎やお華に、丁寧にお礼を言い、家に帰って行った。


 そして後の話。

 彼の初舞台の報を、お華が聞いたのは、猿若町の小屋が再建されて、すぐの事だった。

 屋敷の居間で、茶を飲むお華は、

「亀の奴、すぐやってくるだろうね」

 などと、おさよに話していると、丁度、玄関先から、

「亀吉で~す」

 の声が響いた。

 お華が、戦慄したのは言うまでも無い。

 

~つづく~


 再掲で申し訳ございません。

 

 さて、歌舞伎好きの方ならば、「亀吉」が誰のことか、お分かりでしょう。

 そう、三代目中村仲蔵さんでございます。

 まあ、特別出演です……。

 実際は、もう少し前の時代の人なのですが、中村座炎上で活躍して貰うには、丁度良い方でございましたので、ご出演願いました。

 この出来事は、現代も続く、歌舞伎の伝統には、大きなターニングポイントだったと思います。

 

 とは言え、この事件も、天保の改革にとっては、単なる序章。

 これから、何とか書ければと考えています。

 よろしくお願いします。

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