⑬お華炎の舞(前編)
「先日は、ご苦労だったな」
すみやの、小上がりで、浩太郎は、羽織を脱いだ同心姿。
お華と差し向かいで座っている。
お華は、今のところ開店休業。
この日も、浩太郎に従い、深川の見廻りについていた。
奥の横には、従者の佐助。
すると、小上がり横に立っている、平吉が、
「何を仰います。あの程度の働きで、お千代に、七五三の着物買えるまでのご褒美を頂戴致しました。本当に、申し訳ない事にございます」
すると、そのお千代が、その帯解きの着物で、階段を降りてきた。
「お姉ちゃん。どう? 似合う?」
邪気も微塵も無い笑顔で、お華に聞く。
お華は微笑んで頷き、
「うん。よく似合うよ」
優しく、お千代に声を掛ける。
浩太郎も頷いて、
「そうだ、立派な娘になったな」
その言葉に、平吉と、おてい共々、頭を下げる。
「いいんだよ。な、お華。」
酒を呷りながら、お華も上機嫌で、横にチョコンと座るお千代を眺めながら、
「ほんとよ。お千代ちゃんも無事に育って、良かったじゃない。たださ、ご時世だから、あんまり良い着物選べなかった。ごめんなさいね」
おていは、即座に、
「何をおっしゃいます。深川のお華太夫様に、自ら選んで頂いた着物にございます。それだけで充分にございます」
そして、
「誠にありがとうございました」
嬉しげに、そして幸せそうに言う。
すると浩太郎が、
「ほら、あんまりお華にお礼なんて言ってると、芸者にされちまうって言ってんだろ」
すると、お華はこれも即座に、
「しないって言ってんでしょ!」
怒った声で言う。
それには、みんな大声で大笑いだ。
すると、浩太郎は、お華に、
「お前が助けた、あの親子。本所のお屋敷で、仲良くやっているようじゃ。それに、あの母親の奉公も、意外によく気が付く働きようで、奥方様も満足のご様子だそうな」
お華は、それには更に嬉しそうに、
「それはよかった……もう、問題はないわね」
と、胸を押さえる。
さて、ここまでは良かったが、浩太郎は、些か暗い顔に変わる。
「ところでな。どうもあの寺。取り壊しになるようじゃ」
目白の感応寺の事だ。
これには皆驚いた。
特にお華は、中にも入っているから、
「取り壊し? あんな大きい寺を? だってあれって、ついこの間、出来たばかりじゃないの?」
そう。感応寺が創建されたのは、天保七年。
ほんの五年前の事だ。
「俺にもよく分からん。金が無いって、ご改革を始めたばかりなのに……なあ、平吉」
平吉も、首を傾げ、
「壊すのだって、あれだけの大きさでございますから、相当の金額が、かかると存じますよ」
「そうなんだよ。どうも、やってる事が支離滅裂じゃ。金が無いからって、祭りが、中止されたばかりだってのに、一体どうしたいんだか……」
と、浩太郎は、否定的な笑いを浮かべる。
さて、一息ついた三人は、店を出る。
今日は、置屋の女将、お吉も、八丁堀の屋敷に来ている筈なので、少々早めだ。
しかし、店を出て、鳥越の橋を渡っていた時。
浩太郎は、ふと、厳しい目付きになった。
そして、指をちょっと舐め、風向きを調べる。
立ち止まって、妙な様子の浩太郎に、お華は、
「なに? 兄上」
浩太郎は、顔を上げ、
「何か匂わないか?」
二人は、あわてて、同じ様に、辺りを嗅ぐ。
すると、二人とも顔色を変え、
「これは……」
佐助が呟くと、お華も、
「か、火事よ!」
目を大きく開ける。
さすがに江戸の人間は、火事には敏感だ。
頷いた浩太郎は、佐助に、
「すみやに、家事だと知らせろ!」
「へい」
すぐに走らせた。
「俺たちは、現場に行く」
大声で言い残し、匂うと思われる方向に、急いで立ち去った。
すみやの平吉に知らせ、すぐ折り返し、追いついた佐助とお華に、
「おい、どの辺だと思う?」
お華が、叫ぶ。
「これは、両国橋の辺りじゃない!」
これには、佐助も頷く。
「よし! 急ごう」
やがて、両国橋西詰を越えた頃に、騒ぎが大きくなってきた。
「まだ先だ!」
浩太郎の声。
もう、夕刻になりかけているからか、その先に、三人にも、炎と煙が確認出来た。
あたりでは、半鐘の乱打。いわゆる擦半鐘が、鳴っている。
そして、人形町周辺に到着すると、三人は、立ち止まった。
既に、火消しも出ていて、建物を破壊しに向かっている。
この時代、火消と言えば、破壊消防だ。
他の火消しも、風下に向かい、列を組んで走っていく。
「旦那様! 煙が上がっているのは、葺屋町、堺町あたり……こ、こりゃ芝居小屋?」
この頃、葺屋町には市村座。堺町は中村座があった。
浩太郎は、驚愕し、
「芝居小屋だと?」
そして、間髪入れず、
「よし、お華と佐助は、あっちの小屋! 俺は、むこうの小屋を調べる!」
二手に、分かれ走り出した。
お華達が向かったのは、中村座だった。
その日、芝居はやっていなかったので、正面は閉まっている。
「佐助さん、裏口は?」
「確か、あの壁を沿っていけば……」
そう言って、指差す。
「わかった! 急ぐわよ」
二人は、また走り、二つ目の角を曲がったところで、お華と佐助は、急に立ち止まる。
侍らしき二人組が、小屋の裏側から、現れたところに、ちょうど出くわしたのだ。
お華は、とっさに大きい声で、
「待ちなさい! あんた達は何!」
突き刺すように、声を飛ばす。
その、侍達はその声に、一瞬止まり、振り返った。
両方とも、頭巾を被っていた。
その二人組は、慌てた様子で、再び、逃げに入った。
一連のその様子で、火付の下手人と確信したお華は、
「待ちなさいって、言ってんでしょ!」
素早く、簪を二本、投げ打った。
さすが、お華。
しかし、それは見事に、双方背中へ当たったものの、そいつらは、それにもめげず、走って逃げている。
さすがにお華の簪も、逃げる相手に打ったのでは、威力が半減してしまう。
「この~」
更に怒り、走りながら再び投げ打とうと思った、その瞬間。
横の、奥の方と思われる所から、佐助の声が飛んだ。
「お嬢様!」
同時に、小さな女の子の声で、
「お兄ちゃん!」
泣き声の様な、大きな叫び声が、あたりに響き渡った。
お華は、下手人を諦め。すぐに、そちらへ向かう。
どうやら、そこは芝居小屋の、いわゆる楽屋口の前である。
走って、女の子に近づき、
「ど、どうしたの?」
女の子の前に膝を折り、目を正面に見ながら、話を聞く。
すると、その子は、燃えさかる建物の中を指差し、
「お兄ちゃん、私を逃がしてくれたんだけど、お兄ちゃん、足が挟まって~」
と、泣いて訴える。
佐助が、横から、
「兄さんが、一人でか?」
泣きながら頷く、その子供。
佐助は、頷き、
「旦那様~!」
と、空に向かって、大声で叫んだ。
すると、お華が、左右に首を振り、
「よし!」
道端にある、消火の為に備えている、積み上げられた水桶。
火消し桶に走って行った。
すぐに、桶で二杯、頭から一気に被る。
そしてお華は再び、楽屋口に向かっていった。
しかし、それを見た佐助が、サッと、お華の袖を掴み、
「お嬢様、それなら私が」
慌てて、引き留めて言ったのだが、お華は水滴を垂らしながら、
「この子を見ていて、そして兄上を!」
袖を振り切り、小屋の中に入っていった。
佐助は、妙な悔しさに包まれながら、子供の手を握り、俯いた。
しかし、すぐに顔を上げ、両手を口にあて、もう一度、今度は自分の精一杯の力を込め、浩太郎を呼んだ。
「旦那様! 旦那様!」
浩太郎はその時、反対側の小屋を、走って確認していたが、
突然、佐助、渾身の声が、耳に突き刺さった。
「佐助?」
立ち止まった浩太郎は、即座に、お華達の方に駆け出した。
一方、中に入ったお華には、倒れている子供が、先の方で目に入ったが、
焼けた柱や板が、次々に、行き手を阻む。
中村座とは言っても、その頃は、丸太と藁で作られた、所詮は荒ら屋。
焼け落ちるのに、それ程の時は要らぬ。
お華は、自分の集中力を最大限に高め、まるで舞う様に、それらを避け続けた。
しかし、確実に少しずつ、子供に近づいていく。
そんな時、ようやく浩太郎が、裏口に辿り着いた。
佐助が涙顔で喜び、「すみませんお嬢様が……」と、
怒濤の様な早口で、状況を説明する。
浩太郎が頷いた時、佐助と一緒にいる小さな娘が、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
大きく、泣き叫ぶ。
浩太郎は、一瞬で状況、いや、お華の気持ちが理解出来た様だ。
「馬鹿野郎、無茶しやがって! 佐助、気にすんな。あいつじゃ、俺が止めても一緒だよ」
少し笑いながら、楽屋口入り口から、腕を額の上に置き、中の様子を見る。
楽屋口といっても、大道具などの出入り口なども兼ねている為、中も外も広い。
お華が、立ち上る煙と炎の中、踊る様に、子供の方に向かっているのが見えた。
その時だった、お華の目前。子供の上に、焼けた柱が、炎の尾を引きながら、落ちてきた。
それに気が付いたお華は、素早く一本、簪を打つ。
その焼けた柱は、少し、落下がずれ、子供の横に落ちていった。
そしてお華は、ようやく子供のところに、辿り着く事ができた。
その子の様子を見て、お華は目を大きく広げた。
なんと、その子は、顔だけは手で包むように火を防ぎ、俯きに寝ていた。
お華は、僅かな笑みを浮かべ、
「さすが、芝居小屋の子ね!」
と言いながら、すぐに、その子の足に落ちていた柱を、燃えていない他の柱を使い、いわゆる、テコの原理で、何とか外した。
そして直ぐさま、
「逃げるわよ!」
と、叫んだお華は、素早く抱き上げた。
その子は、手の中で、嬉しそうに、
「あ、ありがとう」
しかし、お華は、
「行きは良い良いよ」
などと、言いながら、真剣な顔になる。
それを見ていた浩太郎は、
「よし! 後は帰りだけだ」
燃えている、上の状況を気にしながら、叫ぶ。
佐助と、その小さい娘も、声を上げ、嬉しそうに手を叩く。
だが、お華の言う通り、帰りはもっと、大変な事態だ。
火柱は、彼方此方に散乱し、まだ上から、火の粉が、まるで雨の様に落ちてくる。
お華は、更なる大きな動きで、それらを避けていく。
まさに、炎の舞だ。
抱かれている子供は、目を大きく見開き、
その動きの、あまりの美しさに見惚れ、指で顔を隠すのも忘れている。
浩太郎も、それを見て一瞬笑い、
「あいつめ……」
と、言いながら、上を見ると、顔色が変わった。
「あれが落ちてくる!」
大きく叫んだ。
とっさに、浩太郎は頷いた。
「二人とも、離れてろ!」
側の佐助達に、叫んだ時、その火柱は落ちる寸前だ。
あのままでは、お華の頭に当たるかも知れない。
それぐらい大きな柱だ。
浩太郎は、小柄ではなく、脇差を鞘から抜き打ちの様に、渾身の気合いの声と共に、落ちてきた柱に向け、下から上へ投げ打った。
それは、亡き父親から譲り受けた、脇差であった。
炎を断ち斬る早さで、脇差は突き進む。
すると、
「がーん」
と、大きな音を立て、その火柱にぶち当たった。
まるで、父の形見が、お華の命を守るように、一瞬の制止の後、
その柱は、お華の両側に落ちていった……様に見えた。
その音と振動で、若干身体を崩したが、お華の舞は続く。
やっと、出口近くになると、お華は子供を抱きながら、最後の疾走だ。
浩太郎も同時に、それを迎えに、懸命に走る。
「よくやった!」
と、叫びながら、二人と子供を引っ張り、ようやく外へ逃げた。
妹の小さな女の子は、半狂乱とも言える声で、寝かされている兄に抱きつく。
「触っちゃだめよ。お兄ちゃんは怪我をしてるから」
しかし、言ったお華は、地面に蹲る。
その様子を見て、浩太郎は、
「おい、あの柱に当たったんじゃないか?」
大声で聞くと、お華は、情け無さそうな声で、
「ちょっと、背中が……」
言いながら、完全に横になってしまった。
浩太郎は佐助に、早口で、
「この辺の、大八車。一台借りてきてくれ、優斎先生の所へ運ぶ」
言われた、佐助は直ぐさま駆けだした。
「しっかりしろ!」
と、言ってる間に、火消し達も、遠目に集まってきて、助かった二人に歓声を上げる。
そんな中、しばらくすると佐助が、どこかから調達した大八車を、走りながら、懸命に引いてきた。
「旦那様~!」
そばに来た大八車に、
「お華と子供を乗せろ!」
二人はまず、子供を俯せのまま、最初に載せる。
そして、お華には両方から肩を貸し、同じ様に大八車に乗せる。
その時だった。
小屋の全てが、燃えながら、大きな音を立てて、ガラガラと潰れていった。
とっさに佐助は、小さい娘を庇い。
浩太郎は、大八車に素早く載って、二人に覆い被さった。
幸運な事に、そこには何も落ちてこなかった。
「大丈夫か! 佐助!」
「大丈夫にございます!」
無事を確認すると、
「それじゃ、いくぞ!」
浩太郎が前。佐助が後ろから、大八車を押していく。
辺りで作業していた、火消し連中に大声で、
「俺は北町の桜田だ! あとは頼む!」
と、叫びながら、そこから離れていった。
すると、浩太郎が大声で、
「佐助! 俺がこのまま押していくから、お前は、八丁堀の優斎先生に、この事を大至急、お伝えしろ」
佐助は、大きく頷き、
「委細承知しました!」
大八車を離れ、まるで稲妻の速度で、駆け出して行った。
殆ど、手伝う事が出来なかった佐助は、ここが出番と一気に突っ走る。
浩太郎は、小さな娘に、
「お前さんは一緒に、兄ちゃんを医者に運ぶんだ」
娘も可愛く頷き、大八車を押す。
だが、幼い娘だから、触っているだけに過ぎなかったが、彼女にしたら、身体全体の力で、押している積もりであった。
お華は、隣で寝ている子供に、
「あんた! 大丈夫?」
自分の事より、そちらを気にしながら、運ばれていく。
~後編につづく~
申し訳ありません。
書き直しました。
すみませんでした。




