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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
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⑫感応の擾乱(後編)

徳川家斉には、一つ、思い悩んでいた事があった。


 「家斉は、生涯、頭痛に悩まされていた」

 確かにこれはこれで、面倒な病気であるが、その様な事では無い。


 家斉は、十代将軍・徳川家治の嫡男、徳川家基の急死の為、急遽、一橋家から養子に入り、家治の病死後、将軍となった。

 しかし、この家基急死については、一橋治済による、毒殺との噂が流れていた。

 勿論、単なる噂ではあるのだが、当の家斉は、この事、どうも、そのまま、信じていた様であった。


 この事は、生涯、家斉を苦しめた。

 晩年になっても、家基の命日には、自ら参詣し、最低でも、若年寄に代参させている。

 先代の死んだ息子に、ここまで気を遣うのは異例である。

 そう、考えられる理由は、祟りである。

 まるで、平安時代の天皇家の様だが、彼は本気で、恐れていた。

 そして、山の様に子供を作りまくったのも、この祟りを避けようとしていたのかも知れない。

 ところが結果は、如何にも祟りの様な有様。

 そして、この感応寺だが、

 これは、側室、お美代に、そこを突かれたのだろう。

 財政危機の中、大金を使い、大寺院を作ったのは、家基鎮撫という思いが大きい。

 もちろん、お美代にしても、その様な心情を慮って、という訳ではなく、単に、政治的な立場の為の「おねだり」であった。

 いずれにせよ、ここに来て、大変な事態を引き起こしてしまった。


 さて、同じ日、八丁堀。

 佐助と一緒に、お華がやって来た。

「あの~お華ですけど!」

 屋敷の玄関を開けて、お華は声を掛ける。


 ちなみに、与力の屋敷に玄関はあるが、同心の屋敷に玄関は無い。

 勿論、出入り口はある。

 与力の屋敷と、どこが違うかと言うと、「式台」があるかどうかである。

 式台とは、玄関先の一段低くなった板敷きの事。

 こうしたことで身分の差を表している。

 ここでは、出入り口を玄関としている。

 

 お華は、浩太郎は居ないと分かっているので、お気楽な調子で、おさよに声を掛ける。

 するとおさよは、着物の裾を直しながら、玄関先までやって来て、「ああ、お華ちゃん」

 お華は眉を上げ、

「何、お出掛け?」

 するとおさよは笑い。

「あなたも出掛けるのよ」

「え? どこに?」

「奉行所よ」

 お華は驚き、

「奉行所? 私はわかるけど、なんで姉上まで?」

 すると、おさよはちょっと怖い顔で、

「何、私が行ってはいけないの?」

 お華は、慌てて手を振った。

 後ろで聞いてる佐助も笑っている。

「違うわよ。だって、あたしはお手先だからさ。普通、奥方まで呼ばないでしょ?」

 すると、おさよは笑顔になり、

「お奉行の奥方様が、お呼びなのよ」

 それには、お華も驚き、

「奥方様が? これこそ珍しいわね」

「そう。だから急いで行くわよ」

 おみよに声をかけ、三人は、北町奉行所に向かった。


 奉行所の大門に、浩太郎が出てきて、

「呼び出して済まんな。奥方様がお呼びなのでな。お華。粗相があってはならんぞ」

 笑いながら言うと、お華は、少々怒った顔で、

「私は芸者よ。そんな事しませんよ」

 などと言いながら、佐助を待たせ、三人は奉行の役宅、表玄関に向かった。

 すると、内与力の加藤が出迎え、三人は挨拶すると、加藤は、

「さあ、奥方様がお待ちじゃ」

 そして浩太郎にも、

「お主もじゃ」

「え? 私もでございますか?」

「そうじゃ」

 と、笑いながら、指し示した脇の方から、中に通した。

 居間の一つに通されると、直ぐに奉行の妻、けい、がやって来た。「これは二人とも。わざわざご苦労様」

 奥方は和やかに、二人に挨拶する。

 おさよが、平伏しながら、

「奥方様。こちらこそお世話になっております。桜田浩太郎の妻、さよにございます。本日はお招き下さいまして、誠にありがとうございます」

 そして、

「こちらが、わが妹、華にございます」

 すると、お華は芸者のような顔で、

「華にございます。本日は我が兄の小細工で、このような普通の格好で申し訳ございません」

 などと言うものだから、当然、浩太郎が慌てて、

「これ! 何を申しておるのじゃ! 当たり前だろう」

しかし、お華はそれを無視し、けいに向かって、

「うちのおかあさんなんか、(たん)()に鍵なんぞ付けちまうものだから、芸者の着物、見る事も出来なくなってしまったんです」

「まあ!」

「ですからね。この小細工の兄が何しようと、元々着ることさえ、出来ないんでございますよ」

 それには、浩太郎も満足そうに、

「さすが、お吉ではないか。こいつは油断も隙も無いからな」

 と大いに笑うと、お華は、眉を寄せて、

「ふん。いつかはずしてやるんだから」

「お前は、金庫破りにでもなるつもりか!」

 と叱りつける。

 もう、けいと、となりのおさよは、腹抱えて笑っている。

 浩太郎は、けいに向かって、

「申し訳ございません、奥方様。この様に、言葉も知らぬ妹にございますが、よろしくお願い申し上げます」

 夫婦は、思い切り頭を下げてるが、お華はニコニコとしている。


 すると、けいが、打ち解けたように話を変え、

「あのね。実は、旦那様が至急、頼みたい事があるから、呼んだみたいなのよ」

 浩太郎が驚いた様に、

「そうでございますか。妻はともかく、このお華までお呼び出しですから、何か不都合でもあったのかと……」

 すると、これには即座に、

「なんで、あたしだと不都合なのよ!」

 眉を上げて、お華が怒る。

 けいは笑いながら、

「ほら、いらっしゃったわ」

 と言うと、遠山が笑顔で入って来た。

 三人は深く頭を下げる。

 遠山が、正面にけいと並んで座ると、

「なんだ、来て早々喧嘩か?」

 けいに笑顔を見せる。

「な、面白いだろ? こいつら」

 すると、けいも和やかに、

「ほんに。お話の通りですよ」

 浩太郎とお華は、

(お話って、一体、どんな話してるんだ?)

 内心思いながら、浩太郎は遠山に向かい、

「お奉行。至急の御用事との事ですが、どういった事でございましょう」

 遠山は、少し難しい顔になり、

「わざわざ、妙な呼び方したのはな。実は、奉行所の仕事ではないからじゃ」

 三人は驚いた。

 特に浩太郎は、同心だから、

「奉行所では無い……でございますか?」

「そうなのじゃ。奉行所というより、わし自身に頼まれた話でな。そういった事に、奉行所の連中を使うわけにはいかぬからの」

 お華は、何故か、そういう込み入った話が嬉しいらしく、

「それは、おもしろそうですねぇ。で、何したらよろしいんでしょ」

 遠山は、笑って頷き、

「お前達は、目白にある、感応寺を知っておるか?」

 浩太郎は頷き、

「一応、名前だけは」

 おさよは、

「私は一向に」

 と首を振る。

 しかし、お華は少し斜め上を見ながら、

「ああ、あたしは聞いた事ありますよ、お座敷で。大奥の方々が、何か色々ある、といった事です。えっと、まだ大御所様がお元気の頃で、詳しい事は忘れてしまいましたけど」

 遠山は頬を上げ、

「世間では、そうなっている様じゃな」

 と頷き、

「実は明日。そこに、寺社奉行の手入れがあるのじゃ」

 これで浩太郎は、奉行所の仕事ではない理由が、すぐにわかったが、

「しかし、そちらで、我々に何をせよと仰るので?」

「あのな、その寺と、もう一つ、下総の智泉院という寺。両方、手が入る事になっているのだが、下総の方はともかく、感応寺に、大奥の女が入っている様子なのじゃ」

 浩太郎は、それには驚き、

「なんと。それでは、世間の噂通りの女達がいると?」

「いや、今回の件はそういう事では無いと思う。恐らく、大奥の上から頼まれた、代参で来ている者らしいのだ。だが、今、宿下がりしている連中が、どれだけやって来ているのか、調べたが、見当がつかん。せいぜい、二、三人程度だとは思うのだが、その者達も含め、密偵の者を助けてやって欲しいのじゃ」

 三人は、真剣な顔で頷く。

 そして浩太郎は、

「先日、大御所様御逝去の後、西の丸の大奥の者達は、殆ど移動されたとお伺いしましたが、まだ、そのような者が残っている、ということにございますか?」

 遠山も渋い顔で、

「そうらしい。しかし、宗旨の事じゃから、すぐ、代参禁止というわけにはいかないようじゃ。それにあそこは、池上本門寺の末寺となっているから、それにはそれの、手順というものがある」

 浩太郎は俯き、そして顔をあげ、

「それでは、もしやすると今回の事は、寺社というより、大奥の御依頼、という事にございますか?」

 それには、お華とおさよは目を丸くする、思わず、おさよが、

「大奥のお仕事ですか」

「そうじゃ、しかも上﨟年寄・姉小路様から、()ってのご依頼なのじゃ」

 お華は嬉しそうに、

「そのお名前、お聞きした事がございます。大変、厳しいお方とか……」

 遠山は笑って、

「ご老中も恐れているからの。じゃから、そなた達。失敗はできんぞ」 

 おさよとお華は、一斉に、

「はい、承知致しました」

 と、頭を下げる。

 そして遠山は、

「よいか、密偵の女を含め、そなた達が救った女達は、様子を変えた浩太郎が、手の者に駕籠を用意させ、次々載せる。そして、本所のわしの屋敷に送るのじゃ。ぎりまで救い、浩太郎の判断で、引き上げよ。浩太郎は、その事、表で指揮を執っていらっしゃる阿部伊勢守様に、その旨、御報告するのじゃ。よいな?」

「委細、承知致しました」

 浩太郎は、些か緊張した様子で、平伏する。

 そして、遠山は、おさよとお華に、

「そなた達も、終わったら本所に行って欲しい。本所には、けいも向かわせるからの。けいを助けて、その者達を一応、調べて欲しい。だが、あくまで助けたのであって、捕まえたのではないという事を忘れずにな」

 お華は、更に嬉しい顔で、

「奥方様と、一緒にお仕事出来るのですか? これは嬉しいです」

 おさよに頷く。

 遠山は笑って、

「おけい、人気者じゃの」

 と言うと、けいも和やかに、

「私も、嬉しゅうございます」

 楽しそうに笑う。

 すると、おさよが、遠山に向かって、

「あの……やはり、証拠は残さない方が、よろしゅうございますよね」

「そうじゃな。出来るならそうしてもらいたい」

 おさよは、お華に向き、

「簪、仕えないよ」

 と言うと、お華は、

「それじゃ、河原で石でも探します」

 などと言いながら、座を辞し、奉行所を後にした。 


 お華達二人は、屋敷に戻ったが、浩太郎は、佐助と一緒に、そのまま、蔵前のすみやに向かった。

 昼過ぎで、客は引けている。

「え! 感応寺の手入れにございますか?」

 さすがに省蔵は、一通り知ってるから、声を上げて驚く。

「そうなのじゃ、しかも、おさよとお華を使ってな」

 これには、省蔵、平吉は、更に驚いた。

「若。とうとうお奉行様は、本気で、お二人をお使い始めましたか」 と、省蔵が唸る。

 浩太郎は笑い、

「そうなのじゃ。全く、妙な方向に動き出しちまったよ」

 言いながら、依頼の件を話始める。

 すると平吉が、

「いや、若様。これは妙というより、理にかなったお話では?」

 すると省蔵も、

「そう。確かに、打って付けという気が致します」

 浩太郎は渋い顔で、

「普通ならな。しかしあの二人だからな。少々心配だよ」

 省蔵は笑って、

「しかし、このお話。大旦那様がお聞きになったらどういうお顔をするのやら」

 三人で大笑いだ。

「まあ、俺も行くから、その辺は何とかなるとは思うけどな。ということで、明日の朝、信用できる店で、駕籠を五丁ばかり用意し、朝、屋敷に来てくれるか。五人でそれに乗って、現場に行く。それとな、それじゃ、足りない場合もあるから、親分。そこら辺も考えといてくれるとありがたい。金は、本所の屋敷で、内与力の加藤様が、過分に払ってくれるだろう」

 省蔵は深く頷き、

「それはありがたい。承知しやした。その辺の案配も、しときましょう」

「すまんな。どうせ大奥の金だ。遠慮はいらん」

 浩太郎は、妙な笑顔を浮かべる。

 すると、省蔵は、

「お嬢様達の、晴れ舞台でございますから、抜かりなく致しやす」

 それを聞いて浩太郎は、

「晴れ舞台ね」

 大きく笑って、

「まあ、あの二人に。武芸を教えた父上も、顔が立つってもんかな」「そうでございますよ。決して無駄ではございませんでした」

「それなら良いんだけどな。それと平吉。店には迷惑掛けるが、お千代に、着物を買ってやる位は褒美も出るだろう。では、二人とも明日はよろしく」

 二人は一斉に、

「承知しやした」

 笑顔で深く、頭を下げる。

 

 翌日朝、一行五人と、佐助は感応寺に向かった。

 女二人は駕籠に、男達は徒歩になった。

 浩太郎は駕籠越しに、お華に向かって、

「おい、石は用意したのか」

「はい兄上。一応、簪も充分に」

 浩太郎は頷き、

「よし。今日は頼むぞ」

 お華は嬉しそうに、

「は~い」

 明るく答えるが、それを聞いて、浩太郎は余計心配になる。


 やがて、目白の感応寺、言われた門に辿り着いた。

 さすがに、亡き大御所家斉、お声掛かりで作られた寺だ。

 本堂、五重塔、経堂といった、十を数える、荘厳な伽藍などがあり。

 そして、二万八千坪余りの敷地。実に大きい寺である。

 しかし、そこは事前の話の通り、小さな通用口、と言ったような門があった。

正面の方には、既に寺社の連中が到着している様子だが、まだ行動には入ってない。


 そこで、浩太郎は皆の前で、

「これは、御法に則った仕事ではない。しかし、上の方が」

 と指で天を指し、

「我々に、信頼を持って頼まれたものだ。失敗はできぬ。特に二人には、師匠である御父上の名誉もかかっている。それを忘れないようにな」

 二人は、その言葉には、真摯に頷く。

「いいか、二人とも。手入れが始まったら、すぐ中に入れ。ただの坊主に当てんじゃないぞ、お華」

「わかってるって」

 如何にも、わくわくしている、という様子のお華だ。

「あくまで、女達に危害を加えようとするものだけだ。おさよ、ちゃんと見極めろよ」

「はい。如何にも承知!」

 おさよも、こういう時のおさよに変わったようだ。


 しばらくすると、寺の奥の方から、何やら声らしき音が聞こえた。

 親分が、

「若、始まった様です」

 浩太郎は頷き、

「よし、二人とも行け!」

 と声を上げた。

 二人は打ち合わせ通り、中に入り、木陰に身を隠して様子を伺う。 そんな時、

「ガッターン」

 と広い敷地にも関わらず、大きな音が聞こえる。


 驚いたお華は、となりのおさよに、

「仏像でも、倒したかね?」

「さあね、罰当たりな事よ」

 と笑い、

「でも、始まっているようだね」

 先にある、門口を見詰める。

 すると、おさよが指さし、

「来た!」

 大きく叫ぶ。


 女が一人、まるで水中を泳ぐように、手を回して、走って逃げて来た。

 おさよとお華は、木陰から飛び出す。

 そして、おさよは、

「こっちよ~」

 と大声で、手を振る。

 すると、その女も気が付いたようで、懸命に向かってくる。

 しかし、その後に、妙な男が一人。

「こら~、待ちやがれ!」

 と追いかけてきた。

 瞬時に、お華は女の方に駆けていき、そして懐から石を取り出し、スパッと腕を斜め上に上げる。

 それは、男の眉間へ見事に当たった。

 お華はそのまま、女を抱きかかえるように誘導する。

 おさよは、それと入れ違いに、素早く飛び込む。

 そして、その男の両足を、キラリと光る小太刀で割る。

「ギャ~!」

 声を上げて、男は突っ伏した。

 お華は、走りながら、その女の手を引いて、浩太郎に渡す。

 女は、一瞬恐怖の顔を浮かべたが、丁重な浩太郎の笑顔と態度に、多少、安心したようだ。

 とりあえず、駕籠に載せて、話を聞く。

「あなた様は、お城の方ですか?」

 怯えの緊張は取れないようだが、以外にしっかり、

「そ、そうでございます」

 と答えた。

「どちらのお勤めで?」

「はい、西の方でございます」

 西の丸と言うことだ。とりあえず、これだけ聞けば充分である。

 そして、

「これより、本所に参ります。そちらで一休みして頂きます」

 その時、女が僅かながら、警戒の態度をとっていたので、浩太郎は穏やかな言葉で、

「これは、あくまでお助けしたのです。今、駕籠の外に出るとお縄になってしまうかも知れません。どうぞ安心なさって下さい」

 といって、まずは一人、送り出した。


 一方、お華達はというと。

「また来たよ!」

 と叫ぶ。

 今度は二人だ。

 お華の石の後、おさよが斬りまくる。

 そして、今度は途中で、佐助が、二人を誘導して、駕籠まで送る。

 これも、姉小路の手の者では無かった。

 同じ様に、送った駕籠を見送りながら、

「早く見つかると良いんだが……」

 と、密偵の女の動向を気にする浩太郎が呟くと、省蔵も頷く。


 すると今度は一人だ。

 お華とおさよの活躍は続く、

 しかし、駕籠はあと一つ。

 浩太郎は目的の女が見つからないため、省蔵に、駕籠の追加を頼む。

 承諾した省蔵は、平吉を走らせた。

 お華とおさよは、息が上がっている、と言う訳ではなかったが、

「姉上。まだ続くかね」

「だって、まだ肝心の子が見つかってないもの」

「そうよね。でも、全然五人じゃ済まないじゃ無い」

 おさよは笑い、

「そうね。驚いちゃう」

「いや~ちょっと石が足りなくなってきてさ……」

 仕方無く、お華は佐助を呼ぶ、

「あのね、もう石が足りなくなってきたから、次辺り、簪飛ばすから。あと回収してくれる?」

 佐助は頷き、和やかに、

「はい。承知しました」

 と返事する。

 お華は、浩太郎に向けて、

「兄上! 佐助さんに脇差、貸してあげて!」

 と大声で頼む。

 すると、門の方から、

「もう石が足りないか。わかった。佐助! 取りに来い!」

 と声が聞こえ、佐助は門の方に走る。

 石は、何でも良いと言うものでは無く、重さが違うと、狙いも外すし、肩も外れかねないからだ。


それもつかの間、今度は三人も来た。

 ご丁寧にも、大勢を引き連れている。

 お華は、ちょっと笑って、

「三人? どういうことなの」

 と呆れ気味だ。

 しかし、おさよは意に介さず、

「みんな! こっちよ!」

 と手を振る。

 お華は、少々、頭にきたようで、今度は簪を、廻りながら六本投げ打つ。

 まるで将棋倒しの様に、男達は膝をつく。

 そこに、おさよだ。

佐助も矢のように走る。

 お華が、三人を引き連れ、浩太郎の元へ。


 その時、追加の駕籠も、既に用意出来ていた様だ。

「よし。みんな逃げるんだ!」

 と三人載せて、送り出す。


おさよと、佐助は、倒れた男達から、簪を強引に引き抜く。

そんな中、お華はおさよに、

「まだ、みたいよ!」

 おさよは、佐助に、

「まだだってさ」

 佐助も、呆れた様子で、

「えらい、見当違いですね」

 と言うものだから、おさよも笑い。

「まったくよ」

 嘆きながら、二人元の位置に戻る。


 先程の簪をおさよから受け取った、お華が、

「もう、そろそろ……」

 と言った時、二人が逃げてきた。

 一人は小太刀を持っているが、片腕に傷を負っているようだ。

 肩を手で押さえながら懸命に走ってくる。

 今度は、浪人らしき者達も数人いる。

 おさよは、

「今度こそ、お目当ての様よ」

 と叫び、お華も、

「よ~し」

 と走り出す。

 最初の一人を、佐助が保護する。

 もう一人は、後ろから、浪人が繰り出す刀を、小刀で避ける。

 そこでお華が、

「いい加減にしなさい!」

 と豪快に、六本を放つ。

 それは、女の横を通り抜け、侍に全て突き刺さる。

 その侍も意外な衝撃に驚いたようだが、むしろ、その女の方が、更に驚いた顔をしている。

 そして、その侍は間髪入れず、おさよに切断される。

 そして再び、お華は構えに入る。

 残りの侍も、例によって光の雨だ。

 一瞬で、天を仰ぐ。

 こちらの侍達も、手も見せない、おさよの早業によって一瞬で倒れ込む。

 腕を押さえた女は、襲われた怖さより、この鮮やかな攻撃に目を丸くしている。

 お華が、その女の側に来て、

「斬られたの?」

「い、いえ浅手にございます」

 お華はすぐ、手拭いをその腕に巻く。

 おさよも側に来る。

 佐助は、脇差しを構えながら、大量の簪を抜くのが大変そうだ。

「あなた。姉小路様の?」

 おさよが聞くと。

「はい」

 と嬉しそうに、頷いた。

 それを聞いた二人は喜び、お華は、その娘に、

「あなたが、女達を全部逃がしたの?」

「はい」

「そう、だから斬られちゃったのね。でも、大したものね。それだけで全部逃がすなんて」

 笑って言われるが、女は廻りに沈んでいる男達を見回し、

「とても、とても」

 と手を振る。

 おさよは、和やかに、

「では参りましょ」


 門の外に出ると、浩太郎が佐助に、

「すまんが、中をもう一度。お前の自慢の足で見回ってくれないか。手は出さなくてよい。女が居るかどうかだけじゃ」

 佐助は頷き、

「承知しました」

 の言葉を残し、走り去る。

 そして親分に、

「残った駕籠は、おさよとお華に。親分も先に行っててくれないか。俺は、阿部様に報告して、後を追いかける」

「承知しました、若」

 すると、もう佐助が帰ってきた。

「捕り物の連中と男以外は見当たりませんでした」

「よし、じゃ親分頼む」

 と、駕籠と親分達は、その場を離れた。

 そして、浩太郎は寺沿いを、報告しに向かっていると、

 後ろから、お華がついてくる。

 振り返って、

「お華! 本所へ行けって言っただろう」

 と浩太郎が言うと、お華は妙な顔で、

「いや~お殿様っていう人を、一度見たくってさ」

 などと、お気楽な事を言ってるので、怒鳴りつけようとした浩太郎だったが、同時にあることを思いついた。

「しょうがねえ奴だな。まあいい。挨拶させてやるから、俺の言う通りにしろ」

 と小声で、お華に指示を出す。

「ふ~ん。分かったよ。勝手にやってりゃいいのね」

「そうだ。これは意外と大事な事だ」

 浩太郎も笑う。


 そして、二人は表門に着いた。

 そこには、阿部家中の侍などと共に、大名駕籠があった。

 浩太郎とお華は、低姿勢で駕籠に近づいた。

 そして、そこに居た、留守居らしい威厳のありそうな男に、小声でささやく。

「お殿様に、内密なご報告でございます。私は北町奉行所同心、桜田と申します。お取り次ぎをお願い申し上げます」

 その侍は、話が通じていたのだろう。

「おお、少々待て」

 と、駕籠の前に跪き、中の人間に小声で話す。

 すると、

「おうおう、待ちかねていたぞ!」

 と面会を許し、駕籠を開けた。

 浩太郎達も跪き、挨拶し、お華の紹介をする。

「げ、芸者?」

 と阿部は、初めて見た芸者の女に驚いたようだ。

 すると、挨拶が済んだお華は、いきなり大声で世間話を始める。

「お殿様、そのうち是非、深川の方へ……」

 などと、全く意味の無い話をし始めたのだ。

 周りはもちろん、当の阿部も驚いたが、そこに浩太郎が阿部に近づき、

お華の声の中、

「内密でございますので、ご容赦を……」

と囁く様に言われ、頷いた。その意味が分かったようだ。

 そして浩太郎は、

「お殿様、ご依頼の件。全て方がつきました。つきましては、左側の手配をよろしくお願い申し上げます」

 と言い、返事を待たず。

「お華、ご挨拶は済んだ。お暇するぞ」

 するとお華は、笑顔で、

「お殿様~深川にも是非~」

 などと、言葉を残し、浩太郎に引っ張られていった。

 阿部は、大笑いし、

「なるほどな」

 と独り言を言うと、側の者に、

「よし、左のほうにも手を入れろ!」

 と大声で叫んだ。


 一方、駕籠の方へ進む、浩太郎達は、

「お殿様って、お若いお人だったね~」

 浩太郎はフフっと笑い。そして、眉を寄せ、

「やっぱり、目付らしい者がいたな」

 とお華に言った。

「そうなんだ。あの傘被って、近づこうとしてた人たち?」

「そうだ。聞かせたくないからな。お前もよくやった。あとは早く行って、奥方様を手伝え」

 と言いながら、お華を駕籠に乗せた。

  

 本所の方では、既に、おさよが到着していた。

「奥方様、お申し付けの件。全て、滞りなく終了致しました」

 と深く頭を下げる。

「おや。お華さんはどうしたのじゃ?」

 おさよは、呆れた様に、

「阿部のお殿様に、ご挨拶したいと言って。少々遅れて参ります」

 それには、けいは笑って、

「そんなに珍しいものかしらねぇ」

 と二人は、声を上げて笑う。

 そして、

「みんなは、広間の方でゆっくりして貰ってるわ。よほど驚いたみたいね」

 おさよは頷き、

「それは、そうでござましょう。寺にあんな者達や、お寺社の捕り手がいきなり来れば、驚かれてもおかしくはございません」

「そうね。それじゃ、早速だけど……」

 と言った時、大きな声がした。

「お華、参りました」

 二人は、障子の方に目をやり、

「お華ちゃん。えらく早いわね」

 とおさよが言葉をかけると、

「駕籠を急がせました。お手伝いしなくてはということで」

 二人は、苦笑する。

「そこまで、慌てなくてもいいのに」

 と笑うおさよの言葉を受けて、けいが、

「おかしな子ね。それでお大名様にはご挨拶したの?」

「はい。意外とお若い方で驚きました」

「あのね……」

 というおさよの言葉を制し、けいは、

「それじゃ、例の姉小路様のお使いの方を呼びましょう。おさよさん、傷は大丈夫なの?」

 と聞くと、おさよは、

「はい。お話は大丈夫でしょう」

 というので、呼んできて貰った。


「私、大奥、お広座敷に勤めまする、るいと申します」

 とその女は、片腕を釣ったまま平服する。

「私は、遠山の家内です。この子達は知っているわね」

 すると、その女は驚き、

「と、遠山様の奥方様? これは、知らぬ事とはいえ、大変お世話をおかけし、誠にありがとうございます」

 再び、深く礼を言う。

「ここは女だけ、そうかしこまらなくてもいいわ」

 と優しく笑い、

「でも、さぞ驚かれたでしょう」

「は、はい。何もつなぎを受けておりませんでしたので、いきなりお手入れやら、何やらが入って、正直どうしようかと思っていましたところ、あそこの門は開いているのだけは知ってましたので、そちらに逃がそうと考えました」

「しかし、よく向かっていったわね。あなた、もしかしたら、別式もやってらっしゃるの?」

 すると、おるいは驚き、

「よくご存じで」

 それを聞いたおさよは、

「え! 千代田にも別式女がおりますので?」

 けいは、頷き、

「そう。役名ではないけど、特別に命ぜられている者がいるのよ」

「はぁ~、大きな家中には、そういう役があると、父上に聞いたことがありますが、お江戸にもあったのですか」

 けいとるいは頷く。

 すると、お華が、おさよに、

「ねえねえ、姉上。別式女って?」

 と袖を引っ張って聞く。

「あのね……」


 別式女とは





 しかし、るいは、

「そうは申しましても奥方様。こちらのお二人には驚きました。別式どころではございません。城に他にも別式はおりますが、これほど強い方々を見た事がありません」

 そう言われた二人は、少々照れている。

 けいが笑って、

「この二人ね。遠山が、姉小路様に頼まれててね。どっかから引っ張り出してきたのよ」

 と、それには三人が笑っている。

 しかし、るいは、

「姉小路様は、ご存じ無かったってことですか?」

「そうみたいよ。ここだけの話だけど、かなりお慌てになったみたい。お手入れの話は突然聞かれたらしくて、阿部のお殿様と遠山に急遽、頼まれたみたいよ」

「は~、そうだったのですか」

 するとお華が、

「姉小路様って、良い方ね。あなたの命を大事にしてくれたんだもの」

 すると、るいも涙ぐむような顔で、

「はい。ありがたいことにございます」

 そこで、けいが、

「それでは、せっかく寺に入ったのだから、一応聞いておきましょう。あなたの他は、みんな頼まれて入った大奥女中の方々なのかしら?」

 るいは姿勢を正し、

「はい。大方は。ただひとり、わからない女がおりました」

 すると、おさよが、

「あ! あなたと一緒に出てきた人ね?」

「はい、そうです。とても大奥の女とは思えませぬ。何やら、私と同じように、何かを調べていたような素振りでございました」

 けいは、軽く頭を下げ、

「わかりました。他は、あなたと同じと思って良いのね」

 るいは「はい」と、うなずく。


 今度は、その女が、入れ替わりに呼ばれた。

 幾分、怯えた感じが漂う、女であった。

 座った途端、おさよが、

「あなたは、大奥の女中ではありませんね」

 と、厳しい顔で、まるで一刀両断するように、言い放った。

「あ、あ……」

と言いよどむと、けいが、

「何も怯えることはありません。あなたを捕まえようとするのではないのです。ただ、ここは、北町奉行、遠山左衛門尉の屋敷。嘘は通じないと思って下さい」

 これも、さすが奉行の奥方。有無を言わせぬ気迫である。

「は、はい。申し訳ございません……」

 と涙ながらに、事情を話す。


 この女は、本所の長屋に、幼い娘と、年若い妹と住んでいる女であった。  

しかし、この女は貧しさのあまり、ある夜。妙に着飾り出かけてしまった。

 茣蓙ござを持った。そう、夜鷹になって。

 ところが、ある侍達に捕まり、脅され、あの寺に行くことを強要されたのだ。

 お華が首を傾げ、

「 あなた。小さい子もいるんでしょう。そうしなきゃ、だめだったの?」

 女は小さく頷き、

「すみません……」

 すると、お華は、

「奥様の前ですけど、私は芸者だから、そういった女達をたくさん見てきた。仕方なかった人たちもいた。でも、その為に殺された人もいたんだよ。だからと言って、あなたをそれで責める気はありません。でもね、このままだと、娘さんも妹さんも同じ道を歩んでしまうわよ。よく、考えてね」

 と静かに言う。

 女は、神妙に聞いている。

 続いてお華は、

「あなたを脅したのは、どういう奴なの?」

 涙を浮かべるその女は、

「はい。(かち)やコビトなんて言ってた侍達でした。捕まっても、すぐ助ける。言う通りにしないと子供を殺すと……」

 女は、とうとう泣き崩れる。

 するとお華は、けいに顔を向け、

「そういえば、奥方様。阿部様にご報告に言った時、我が兄が、大きな声で世間話しろ、と言うんです。そしてその間に、小声で報告してました。後で、何故かと聞いたら、側に目付らしき者が居たからと言ってました。同じ男かどうか分かりませんけど、同類ではないでしょうか」 

 けいは感心し、

「そなたの旦那様も中々のものじゃの」

 とおさよに笑って言うと、照れながら頷くが、

「そうなんですか~」

 と決して、認めたくないお華である。


 それはともかく、お華は、姿勢を正し、

「奥方様。今回、私の褒美がわりに、この人をしばらく雇っていただけないでしょうか。今回、この人を放免しても、さほど問題は無いでしょう。でも、この人いえ、何より子供達も手に掛け、証拠をなくしてしまう恐れが無いとは言えません。私にはそれは我慢出来ないのです。しばらくお雇い頂き、子供をこちらに引き取っていただければ嬉しゅうございます」

 けいは、大笑いした。

「子供が心配か?」

 お華は、

「はい。私も赤子のおり。両親を殺され、良い家に引き取って頂いた事で、今があります。同じ様にと言うわけではありませんが、せめて、その子達の命を救ってやって頂けないでしょうか」

 それには、けいも驚いた。

「そうだったのお華ちゃん……」

 そして、少し間を置き、

「わかりました。今回は、遠山の断っての依頼。それぐらいは飲みましょう」

 お華とおさよは、歓喜し、

「ありがとうございます」

 と叫び、おさよが女に向かって、

「これが、最後の機会よ。こちらで真面目に働きますか?」

 その女は涙が、あとからあとから流れだし、

「はい! ありがとうございます、ありがとうございます」

 と深く平伏する。

 お華は、和やかに、

「それでは、私が一緒に、その子達を連れてきましょう」

 すると、けいが、

「あのね、ちょっと狭いけど、隣の長屋が一つ開いてると思うから、そこに連れてきなさい」

「はい、承知しました」

 と、笑顔のお華とその女は、早速、座を立った。


 それを見送って、おさよが、

「妹の我が儘。誠に持って申し訳ございませんでした」

 と畳に、顔を擦りつけるように、けいに礼を述べる。

 けいは、

「褒美はいらぬから、子供の命を守れと言われてはの。断れる訳、ありませんよ」

 と微笑む。

 おさよは、

「しかしながら、これでお殿様も何も心配が無くなるどころか、逆に証拠を掴んだようなものです。別の意味で、当分は安心では、ないでしょうか」

「はは、まあそうだけどね」

 二人は、笑い合う。


 一方、別室にいた浩太郎は、お華に一連の話を聞き、

「出過ぎた真似を!」

 と怒ったが、子供の為と言われると、

「まあ、仕方が無い。お奉行に感謝しろよ」

 などと言って、奉行所の遠山に報告に行った。 


浩太郎の報告を聞いた遠山は、再び登城する。

 二度目の、大奥の対面所である。

「お喜び下さいませ。全て、こちらの重い通り、事が済みました」 姉小路は満面の笑顔で、

「左様か。それは助かる。して、様子はどうじゃ」

 遠山頷き、

「はい。例の娘の件でございますが。残念ながら、手傷を負ってしまいました」

「まあ……」

「ご安心を。浅手にございます。明日には再びこちらに参りたいと申しておるようにございます」

「そうか。それは一安心じゃ」

 遠山は笑顔で、

「曲者達と戦い。他の女どもをお逃がししたようにございます。そして、ようやく例の門前に現れまして、そこからは一瞬で片がつきました」

「一瞬か……」

「はい、阿部様によりますと、そこには二十人程、侍などの胡乱な者が寝ていたそうにございまして。お縄より、戸板で運んだ者が多かった様にございます」

 と大笑いだ。続いて、

「駕籠に載せた女は全部で八名。その内、大奥の者が七名にございました」

「ということは、六名行ってたということか?」

「はい。左様にございます。これらはやはり、代参にございました。わざわざ、あのような遠い所に行って、妙な男達に追い回され、命からがら駕籠に載るなど、誠に気の毒。これは命じた者に、それなりのお叱りをお願い致します」

「全く、その通りじゃ。そしてあとの一人は何者じゃ?」

 遠山は、若干厳しい顔になり、

「これが、やはり目付が送り込んだ者にございました」

 聞いた二人は、途端に険しい顔になる。

「目付……」

「ええ。ただ、この女自身は、町人で、つまらぬ事で弱みを握られ、密偵に入ったとの事。逆に、姉小路様の密偵を探っていたようにございます」

「なんと!」

 遠山は笑いながら、

「しかし、それらも含め、一切合切、匿いましたので、今頃、目付達は、目を白黒させておるでしょう」

「それは助かった」

「では、大奥の者は明日、昼にでもお送りしますので、よろしくお願い申し上げます」

 と、平伏する。

「委細、承知した」

 姉小路も満足そうに、微笑む。

 そして、

「では、その者達に褒美を与えんとな」

 綾瀬も頷き、遠山に言ったが、遠山は、妙な笑顔で、

「それなんですが。お華が、あのお目付に脅された女の、幼い娘の命が心配だから、我が家で、匿って欲しいと申しまして……」

 姉小路は驚き、

「なんと子供の命の代わりに、褒美はいらんと言うのか」

 遠山は笑顔で頷き、

「はい。それを聞いたのが我が妻。私の断りも無く、下女に雇うと決めてしまったのです。さすがに、女が女に子供の命を、と言われれば断りも出来ません。ですので、今回の件は、姉小路様にお預かり、という事にして頂けませぬか」

「ほう、なるほどな」

「はい。今回の事も、これで終わりとは行かぬように思えます。できれば今後も姉小路様が、外で使える者をお持ちの方が良いと思います。どうか今回は、そういうことで……」

 姉小路も綾瀬も、良い笑顔で頷く。

「なかなか、よいおなごじゃの。わかった、預かっておこう」

 はっ、と遠山は深く頭を下げた。


 これにて、今回の騒動は終わった。

 お華は、小さな女の子の手を引いて、本所の屋敷に向かっている。

 後ろには、佐助と母親、そしてその妹が、荷物を持って、笑顔で、ついて来る。

「行儀良く、するんだよ~」

 などと、幼い子に優しく和やかに、話しかけながら。


 一方、夕刻。下谷の、ある屋敷の庭先では……

「なに? 女が一人も居ないだと?」

 この家の主人と思われる男が、怒りをを交え、怒鳴る。

「は、我々、阿部様についておりましたが、お縄になったのは、男ばかりにございます。しかも、密偵に入れておった女さえ、おりませんでした。しかも、その女の長屋も、もぬけの殻」

 並んで、片膝をついて報告する、二人の侍は頭を下げる。

「う~ん」 

と、その男は、顎に手を当て考えている。

「これは、阿部様が、何か仕組まれたのでしょうか」

 すると、その男は嘲笑い、

「あの若造に、そんな器用な真似など、出来るものか!」

 と、吐き捨てたように言う。

 そして、イライラとした顔で、

「昨日辺り、千代田の女狐に、会った者の報告は無いのか」

 一人の男が、首を傾げ、

「誰かと、面会したという話は聞いているんですが、阿部様と、あとひとり……これが一向に……」

 男は頷き、

「そいつじゃ! そうとしか考えられぬ。しかし、もう遅いわ。今回は、最後に味噌をつけたが、これ以上の失敗はならぬ。わかったな、もうゆけ!」

 男達は、双方、ガックリとした様子で、その場を去って行った。

「くそ、あの女狐め。次は逃がさん」

 男は、夕刻の空を、睨むように呟いた。


~つづく~

「お美代の方」

 彼女は、家斉、寵愛の側室。

 もともと、僧侶・日啓の娘に産まれたが、

 旗本、中野清茂(中野石翁)の養女となり、大奥へ出仕。

 家斉に見初められ、側室になった女である。

 典型的な、成り上がりの娘。

 そして、養父の石翁は、家斉の、お伽衆の様な、役を勤め、異例の昇進をした。

 

 さて、そのお美代。

 お子も産み。順調だったが、残念ながら、子供は、娘ばかりであった。

 それではと、溶姫が生んだ、前田家の孫を、家慶の後継にと企んだが、失敗。

家斉、命日の混乱も、この後継問題が引き起こしたと、一説では言われている。


 結局、粛正され、明治まで生きるのだが、寂しい後半生を送った。

 中野石翁は、加増地没収、別邸取り壊しの処分を受け、翌年には、死去する。

 

姉小路ほどでは無いが、この「お美代」も、私の興味ある女中。

 ある女優さんが、演じておりましたが、

 これも祟りなんでしょうか、大変な事になりましたね。

 実在の人物を演じる時は、気を付けねばなりません。

 

 ところで、この方も、墓が明確ではないのです。

 一応、金沢の野田山に、娘の溶姫と合葬されてるとされてますが、確認はとれてません。

 まあ、仕方ありませんが……。

 

 ということで、お華とおさよは、やっと派手に動き始めました。

 敵も明確になったし、今後が楽しみです。


 本日は、お読み頂きありがとうございます。

 また、よろしくお願いします。

 しかしながら、私、少々体調不良の為、次回は遅くなるかも知れません。

 申し訳ありませんが、お許し下さいます様、お願い申し上げる次第にございます。

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