神性邂逅 017
神性邂逅017
朱に染まる荒野には、絶えざる炎が燃えている。
火柱は空を焼き、不吉な茜色の雲がたなびいていた。
その下には、数多の武具が散らばっていた。
擦り切れ、半ばから折れ、砕け散った──剣、槍、斧、棍、あるいは盾から弩にいたるまで──古今、戦場に用いられたであろうそれらが、錆びた風に吹かれていた。
その中心で、眼帯の男が素拳を振るう。
真っ直ぐに突き出されたそれは、周囲の空気を巻き込んで風巻いていた。
おれは迫る拳に対して、自らの拳を等速で突き出した。
互いの拳がぶつかり合う、その寸前に、アハトの拳が軌道を変えた。
アハトの拳は、おれが突きだした右腕の内側へと流れ込む。
肘の内側に一瞬速く届いたそれが、おれの拳の動きを阻害した。
ハーフリングのリーチは短く、捻り込まれた拳は一方的におれの頬を打つ。
「こいつもハズレかよ!」
アハトの拳は文字通りに空を切り、彼はその結果に対して悪罵する。
周囲には無数に分裂したおれ、そして同じ数だけのアハトの残像が広がっている。
20を超える数のおれとアハトは正対して殴りあう。
そのどれもが残像、高速のフェイントの応酬の結果に過ぎない。
ゲヘナの時の流れが異常な歪みを示していることに、おれは気づいていた。
おれはゲヘナに長く留まるうち、己が今、尋常に生きるものとは、時の歩みを同じくしていないことを直感していた。
体内時間が狂う──一言で言ってしまえば、それで済むが──一秒が二秒となるDOPEの世界の反動を浴びているような感覚。
むしろゲヘナでは時の流れが加速しているのではないだろうか。
アハトの体はすでにぼろぼろだった。
手足の末端はどす黒く変色し、隻眼は赤く濁っている。
プレイヤーの肉体が無限に賦活し続けるのに対して、アハトは耐久の限界を迎え、徐々にその動きを劣化させていた。
それでも、おれと向かい合い、アハトは己の速度の限界に挑む。
残像をばら撒きながら、拳を打ち付けあい、その動きの全てをおれは記憶する。
「随分長いこと、やってる気がしますね」
おれは足を止め、アハトに向けて言葉をかけた。
アハトもまた、動きを止めて応じる。
残像は霧散し、荒野には二人の男が向き合っていた。
「あと1時間しかねえぞ、おい」
アハトは歯を剥いて笑い、黒々とした血と唾液の混じりあった分泌物を吐き捨てた。
彼は腹の前で掌を組み合わせ、印の字を切りながら、深い呼吸を繰り返す。
疲労と負傷の限界にあったはずのアハトの肉体は、急速に回復していく。
『息吹』に属する技能を、複数同時に扱っているのだと、おれにはわかった。
おれもまた、同様の動きを行う。
ゲヘナにおいてはダメージを受けることのないおれに、回復作用のある技能は意味が無い。
おれが行おうとしているのは、基礎ステータスを一時的に上昇させる補助技能。
──【新規技能『気息錬功』が開発されました】
──【技能『気息錬功』を習得しました】
魔導書のシステムメッセージが響く。
アハトは呼吸を止めて、目を丸くしていた。
「坊主、技能を追加しやがっただと」
おれは息吹を止めることなく、全身に深く効果をめぐらせる。
「アハトさん、おれはだいたいDOPEの仕組みがわかってきましたよ」
腹の下、丹田に留まって循環する気功を、おれは緩やかに練り続ける。
全身の関節から、末端の拳、あるいは地を蹴る爪先へと。
今のおれの目には、あらゆる動作とそれが生み出す結果が見える。
因果のつながり、その連鎖の終着が『武神の眼』を介して流れ込む。
この眼がつまびらかにした動作と技能の因果──それらをアハトから盗んだ知識と結びつけ──おれは個々の動作が持つ意味を知り、新たな技能として結びなおす。無意味な言葉の羅列を並べ替え、有意な文章を綴るように。
第四階梯上級職位『武神の眼を盗みし者』が、新たな武の境地を開く。
「いいだろう、終局だ。最後に全力でやってやる」
「とっくに全力でしょう」
アハトの口上に、おれは軽口で応じてやった。
生意気言いやがって、とアハトは毒づきながら、それまでは数打ちの安い武具ばかりを引き出していたストレージから、見るからに業物といえる両刃の片手剣を抜き出してきた。
「神話伝承の謂れを帯びた、伝説級装具──『屠龍剣グラム』──先に教えておいてやる、こいつの刺突は技能で回避できねえ。変な言い回しだが、当たれば必中の剣だ」
おれはその言葉に身構える。
なるほど、アイテムの等級によってはそんなものもあるわけか。
「すでにわかっているとは思うが回避技能は連続して使用できねえ。再使用までの待ち時間以外にも、使用後の微妙な遅延が発生する。おれはグラムを使わせてもらうが、坊主はその大層な目でもって、おれの隙をつくがいい。コンマ以下の隙って奴を」
アハトは黄金の輝きを帯びた剣を、顔の真横にまで掲げると、切っ先を俺に向けて構えた。
対しておれは正眼に構え、間合いを計る。
互いに微妙な足運びを繰り返し、間合いを奪い合う。
ともに後の先を取り合うことを狙っている。
やがてアハトは剣の手元を動かさず、大きく空を切って構えの左右を入れ替えた。
おれの眼が、アハトの動きの起こりを追った。
足先に動きは無い。
それは無動作からの距離を詰める技能『縮地』であった──だが、おれは肩から腰にかけての微妙な捻りを見逃さない──詰まる距離に放たれた突きを、おれは体を横にずらして回避する。
同時に相手の小手を落とすべく一閃を返した。
アハトは突きの軌道を歪めて、頭の高さで大きく剣を振った。
西洋拵えの両刃剣であるグラム、その十字柄がおれの一撃を弾く。
そして反動を利用して放たれたカウンターが、おれの顔面に迫った。
「こいつは刺突じゃない、そうですよね?」
おれはアハトから盗み取った『見切り』を発動させると、剣の行く末を視界に映す。
その延長線上に、紙一重の回避を見出すと、己の頭部を置いた。
猛烈な横薙ぎがおれの鼻先を通過する。
鋭く翻った剣先は、暴風の如き連打となっておれを襲う。
──【技能『見切り』をマスターしました】
──【『見切り』の受動技能化が発動します】
魔導書のメッセージが流れ、アハトは今さらのように苦笑した。
連続攻撃の嵐のなか、おれは微妙な間合いをずらして回避し続ける。
焦れたようにアハトは距離を置くと、再び剣を横に構え、刺突の姿勢に入った。
『縮地』が間合いを詰め、真っ直ぐに突き出されたグラムがおれの腹へと突き刺さる、その予見が描き出された。
「回避技能じゃなければいいんでしょう」
大業物と呼ぶに如く無いグラムを正面から受け止めれば、こちらの剣が破損する可能性が高い。
何よりこの突きは直線上の防御を破壊する無双の矛だ。
ならば、回避よりも先に、前へ出る。
予測線が引いた未来に、おれは自らの剣を沿わせ、流れに乗った。
それは本来であれば攻撃を受けた後に発動させる『ディフレクト』の技能を改変したもの──常時発動させた『見切り』と、攻撃を弾き逸らす『ディフレクト』──それを同時発動させた複合技能だ。
「技能──『ディフレクトライド』」
金色に輝く剣が届くよりも先に、おれは予測線に対して己の鈍らな数打ちを立てて前へ出た。
見切りが見出した線の流れの上を寸分違わず、至強の矛が走ってくる。
ただ、沿わせるだけだ。
剣の間合いの内側へおれは滑り込む。
互いの刀身は噛み合い、氷上を滑るように走っていく。
力は要らない。
流れのなかで、おれの剣の切っ先がアハトの胸へと届くが──無論、アハトは身体を脱力してその場に残像を残した──その回避技能の発動を、おれは予見していた。
「ありがとうございました、アハトさん」
回避技能の発動に伴う動作をおれは見抜いていた。
アハトがおれの背後に出現することは、彼が発動させた『影歩』の特性に約束されている。
おれが放った返しの突きは空を切った。
それを追うように、空間の歪みから抜け出たアハトが迫る。
グラムが上段に掲げられ、その力を誇示するように輝く。
「その姿勢から、返してみせろ!」
アハトが叫び、おれの背を薙がんとして一撃が振り下ろされる。
完全に背後を取られた形、だがおれの剣は物理法則を捻じ曲げて踊った。
「こいつはあなたから見せてもらった──『秘剣・燕返し』」
本来は天地に垂直に振られた刀が、急速に方向転換し二の太刀となる技能。
それを改変し、おれは突きだした刺突の動作から、燕返しを強引に発動させた。
時空を捻じ切り、不条理の剣先がアハトの心臓を突いた。
180度の転換が、速度を殺さぬままに背後に向けて放たれたのだ。
アハトの口から、大量の黒血が吐き出された。
胸を突いた剣は、その革鎧を食い破り臓腑へと至っている。
おれは勢いのままに押し込む。
貫通した剣の切っ先は、拍動を続ける心臓を抉り千切って体外へと押し出した。
朱い宝石を散りばめた肉の実は、どす黒い血を滴らせてグロテスクに脈打っている。
「ここが、ここだけがヒトらしい形として残った部位だ」
核を失ったアハトの四肢が、急速に萎びて力を失っていく。
ヒトの肉体を象っていた末端が液状化して大地にタール溜まりとなった。
顔の血色は漂白されたように抜け落ち、唇は乾いてひび割れた。
彼が言葉を紡ぐたびに割れ落ちた肉が、ぱらぱらと零れ落ちていった。
それはこれまで出会ってきた他のNPCには無い反応だった。
面食らうおれの様子に、アハトは壊れた頬の肉を歪め、精一杯の笑みを浮かべる。
「おれの役目は終わった、完全に終わったんだ。それだけのことさ」
アハトは笑う。
おれの握る剣の先にある心臓は、拍動をゆるやかにして動きを止めかけていた。
アハトの指が灰化し崩れ落ち、握られていたグラムが地に突き刺さった。
「おれが、あなたの中にあるものを全て奪い取ったからですか」
おれはアハトの記憶にある動作を全て引き出したのだ。
技能動作を司るAIとしてのアハトは、その役割を失った。おれという代替存在に、取って代わられた。
「英霊は管理AIの残滓に過ぎねえ。膨大な情報量を詰め込まれた──今は時代遅れの雛形──プレイヤーもDOPEの中では属性の違うimAIに過ぎず、所有する情報量を満たすなら、あとは第一位AIが裁定する」
お前はおれの存在をDOPEした──おれもまた、お前にDOPEする──アハトの窪んだ眼窩から、最後のタールが流れ出した。
生命が内包する熱量が燃えだし、彼の存在を消却する。
ゲヘナに吹く、錆びた風が黒い眼帯をさらった。
おれはそれを掴む。
この眼は見え過ぎる。眼窩の奥に鈍痛が刺していた。
おれは『武神の眼』を抑制するために、アハトの形見を身に着けた。
地に突き立った「屠龍剣グラム」は燻るタールの火を受けて、黄金に光っている。
おれはその柄に手をかけた。
上質な革巻きの柄は、手のひらに吸い付くように馴染み、ストレージへと独りでに収納された。
──【緊急試練の達成を確認しました】
──【三十秒後に、現世へ送還されます】
無機質な魔導書のアナウンスが流れる。
おれはその背景にある、未だ見ぬ管理AIの存在を感じ取る。
第二位か、あるいは裁定者とされた第一位か。
──【送還座標、否認。再検索開始します】
──【再設定、座標確定】
ゆるやかに、おれの肉体は光の粒子に分解されていく。
意識は白く遠のき、おれは上方へと引き上げられる感覚に身をゆだねた。
2017年5月17日22時の投稿分です。




