約束
* * *
どこか、遠くで声が聞こえる。
オレが大事にしている、あの時間のような。
――――声がだんだん近くで聞こえてきた。
薄く目を開けると、目に映るのは綿雲が浮かぶ、濃いけれど薄く透き通ったような青空。綺麗だな、と純粋に思った。
それからはっとして、がばっと起き上がる。
「ひぇ!?」
小柄な身体で小さく飛び跳ね、驚いた涼峰さん。かわいい。
そこでやっと、寝起きでぼうっとしていた脳が回転し始める。
確か、オレは――――――――。
「そうよ、朝倉はこんなところで呑気に寝てたわ」
どこか責めるような口調で、茜が不機嫌そうな表情をしてオレを見る。
彼女たちはオレから少し離れた場所でしゃがみ込んでいた。なにしてんだ、こいつら。
そう疑問に思ったけど、なんとなく悟ったのであえて口に出さず、
「やっぱりか……」
それだけ呟いて溜息を吐き出す。
「次……何時間目? 涼峰さん」
涼峰さんは自分から喋ろうとしない。だから、このままだと隅に追いやられてしまう。
それを思ってだ。私情とか……ねぇし。
少し実験的な意味もあって言った言葉に。
彼女は懸命な素振りを見せながら言ったのだった。
「えっと、あの……っ。も、もう、六時間目終わって、て……」
「うん」
そっか、終わってるんだ。
オレは一時間丸々爆睡してしまったようだ。
優しく微笑みながら、涼峰さんを見る。
涼峰さんは可愛いのにあまりオシャレに気を使っていないように見える。
でも、栗色の髪はふわっとして柔らかそうで、さらさら。
化粧だってしてないのに肌は白いし、睫毛は長いし……。
もう人形のようだな、と思ってしまう。
彼女は顔を俯かせながら続けた。
「ちょっと、時間……あったから、大丈、夫かなぁっ、て、ふ、二人で話して、クラス行ったんだけど、いなくって……っ」
「……うん」
まさか、まさか……!
彼女が青ざめた顔色を見せながらも言葉を紡ごうとした瞬間、茜がその口を塞いだ。
「!」
口を塞ぐと、茜は見るからに不機嫌そうに眉をひそめて口を曲げた。
「凛、無理しなくていいんだよ」
変わらない蒼白な顔で涼峰さんが頷く。
……あれ? でも、前よりも青さが薄くなっているような……。
涼峰さんはさっきよりも顎を引き、へそを見るような状態になっていて表情を見ることすらできない。
自身の口を塞いでいた手を握り締め、彼女は掴んだまま手を下ろして茜を見た。
「茜ちゃん。私ね、今までずっと、逃げてきた。治そうとさえ、しなかったでしょ?」
いつも困った顔の彼女は、一生懸命、自分の胸の中にある思いを伝えていた。
対する茜は、涼峰さんの凛とした、けど涙ぐんだ瞳を見て言葉が出ないようだ。
「でも、治せるチャンスが来たんだよ。だから、わたしは頑張りたいんだ」
にこっ、と優しく包み込むように笑った。
茜が涼峰さんの強い決意を聞き、全身の力を抜く。
そして、子が親立ちしてきた時の親のように、寂しそうに微笑んだ。
「頑張って」
うん、と頷いてオレに向き直った彼女は、さっきの凛とした表情は影もなく、もうすでに今までと同じ状態になっていた。
無理しなくていいよ……!?
危うく茜と同じ台詞が出てしまうところだった。そういう類(タグイ)の言葉をかけようと思った。
だが、そんな必要はなかったようだ。
すー、はー、すー、はー。
胸に左手を当て、目を閉じて深呼吸をし始めた。
あぁ、そうか。オレは、強い意志を持った彼女を見くびってしまっていたみたいだ。
閉ざされていた目をカッと開くと、彼女は俯きがちになりながらも続ける。
「だから、しん、ぱいになって……ここに、き、来たら倒れてたから……!」
強く言った涼峰さんが上げた顔では、目から涙が今にも溢れ出そうな状態になっていた。
……ごめん。今のオレには、涼峰さんの涙を拭ってあげることさえできない。
でも、今はできなくても、いつか必ず涼峰さんが涙を流した時に拭えるようになっているから。
……それにしても、オレがあっさり意識を手放していた間に涼峰さんが心配してくれていたのか。
……やばい。嬉しすぎる。
オレは頬がほんのり熱くなるのを感じながら、二人に謝る。
「心配させちまって悪い。心配して来てくれたのすげー嬉しいし、涼峰さんがそんなことを言ってくれたのも嬉しい。――――ありがとな」
そう言葉を伝えたことで、心なしか場の雰囲気が柔らかくなった気がした。
「……ってゆーか……」
そんな雰囲気の中言いにくそうに口を開いたのは茜だ。
少し恥ずかしそうに、珍しくオレに心配していることを窺える言葉をくれた。
「朝倉、あんた……だ、大丈夫なの?」
レアな状況に心を震わせながらピースをつくって笑う。
「大丈夫! 心配してくれてサンキューな!」
「は!? 朝倉の心配なんてしてないし。社交辞令だから」
バリバリ心配してくれてただろ……。
苦笑しながらも返ってくることのないだろう返事を返した。
「あーそーかよ」
でも、この会話はいつもより楽しく感じられる。
茜のことは最初からの印象で“天宮茜”という人物を決めつけていたけど、初めには見せなかった部分が多々あるからだろう。
会話の終わりを機に、オレは立ち上がって後ろのズボンを叩(ハタ)いた。
「じゃ、オレそろそろ行くな。部活あるから」
オレがずっとここにいると涼峰さんにも可哀想だし……。
改めて思うけど、オレいると可哀想とか嫌われてるみたいだよな。
ま、涼峰さんもあぁ言ってくれたし、それを治していくのがオレの仕事だから……凹んでる場合じゃない。そんな暇があるなら新しい男対策でも考えろって話だ。
当たり障りのない別れの言葉を言って立ち去ろうとしたオレへ、意外なことに引き止める声がかかった。
「ちょっと待って」
このしっかりとした、芯の強い声は茜だ。
呼び止められるとは思ってもいなかったので少し驚いた。
「ん?」
振り返って再び二人の姿を目で捉える。
オレが立っているからか、涼峰さんと茜まで立ち上がってオレと目線を合わせた。
悲しいことに涼峰さんのそれは一瞬で、視線はすぐに地面へと向けられた。
一体なんなんだと、次に出てくる言葉を待つ。
茜が少し間を置いて口から出てきた言葉は、忘れかけていたこのことだった。
「あたし達とお弁当を食べるって言った一週間……今日で終わりなの」
突然風が涼峰さんの髪をなびかせた。校舎の陰にいるせいでその風は冷たく感じられる。
「えっ……うそ、マジで? もう?」
全然覚えてなかった。
あと何日と数えていたわけでもないし、元々記憶力の悪いこの頭だ。
それより、“一週間”ということをすっかり忘れてその時間を楽しんでしまっていた。
どうせなら茜も涼峰さんも忘れてしまって、期限なんてなしでお昼が食べれたら良かったのに。
涼峰さんは嫌々だったから忘れるはずなんてないけど。
オレの問に黒髪ポニーテールの少女は無言で頷く。
なにかを言いたげな様子で、でもなにを考えているのか分からない表情だ。
空を見上げ、自然と寂しげに微笑しながら呟いていた。
「……そっか、もう終わりか……」
もう二度とあの楽しい時間は過ごせないのだと思うと悲しくてならない。
折角涼峰さんが決意を固めてくれたというのに。
あ、そうしたらあのアプリもやらせてあげられなくなっちゃうな。
課金までしたのだからやりきって欲しいんだけど。
色々な気持ちがあるけど、終わりは終わりだ。約束したから無しにはできない。
「一週間ありがとな。すげー楽しかったよ。また、一緒に食べれたらいいな」
気持ちが言葉に反映してしまってる。
頭で並べた言葉を押し込むように言ってしまった。
その証拠に、ほら、空なんか見上げながらお礼を口にしてる。
……もし、涼峰さんがほっとした表情を浮かべていたら。
仕方がないことは嫌でも分かってる。
それでも二人を見ることができないのは、オレの弱さだ。
だって、まだ終わりにしたくない。
今終わりにしたら繋がりがなくなっちまう。
第一、約束した男性恐怖症を治せなくなる。……というのは言い訳に過ぎない。
オレは三人で過ごすあの時間が好きだから、なにがなんでも繋がりを切りたくないのかもしれない。
一週間前にした約束はこれで終わりだ。
だけど、だったら新しい約束を結べばいいじゃねぇか。
また明日、お昼に教室行って誘ってみよう。
オレが作り出してしまった、さよなら以外の行動ができないような雰囲気を切り裂くように彼女は呟いた。
「……なんでもう終わりみたいになってんのよ……」
怒りを押し殺したような茜の声がオレの思考を中断された。
……どういうことだ?
顔を正面に向ければ、拳をぐっと握りうつむく彼女の姿。
「そんなにあたし達とお昼食べたくないの? もう終わりがいいわけ? それならいいわよ。正真正銘の、終わりで」
女子特有の責め口調で冷たく言い放つ。
「そんなわけないだろ! このままずっと一緒に昼食べていてーよ!」
聞き逃せないことを言われすぐさま反発するも、すぐに言い返される。
叫んだ後に呟かれたものは、耳を疑うものだった。
「ならなんであんなに終わりを急かすようなこと言ったのよ! ……折角あたし達がまだお昼一緒に食べていたいな、って思ってたのに」
「……え、うそ、マジで?」
「ホントだし……」
少し恥ずかしそうにオレを見る茜の様子からすると、どうやら本当のようだ。
嘘……なんてはずはない、と思う。
ちらりと涼峰さんに視線を向けると、彼女は茜を見つめたりオレを一瞬見たりと、会話に入れないなりにどうやら二人の様子を伺っているらしかった。
……正直、涼峰さんの口から聞きたかったけど。
だけど、それが本当だとすると驚くべきことだ。
茜になにを囁(ササヤ)かれてこの件を承諾したのかは分からないけど、嫌々だった涼峰さんまでもがお昼の時間を楽しいと感じてくれたということ。
これは、男慣れにも繋がることだろうし、なにより凄く嬉しい。
楽しいと感じていたのはオレだけかもと思っていたあの時間は、皆が楽しいと感じてくれていたんだ。
なんだ、じゃあ安心、これからもお昼一緒に食べれると安堵していると、茜が深い溜息をついた。
「でも、さっき朝倉もうさよならみたいになってたし……もういっか。別に一緒にお昼食べなくても」
「「えっ」」
オレと涼峰さんがぱっと茜を見た。
今の小さな声は涼峰さんだ。
涼峰さんとハモったことが、このことにえっ、と言ってくれたことが嬉しくて、こんな状況だというのに頬が緩んでしまう。
「えっ、なんでだよ。一緒に食べようぜ」
「……ニマニマしててキモいんだけど」
毒を吐かれても、本心ではないだろうというポジティブ機能がさっきの言葉によって備わったので、痛くも痒くもない。
本心ではないというか、最初の頃のような刺が入っていないから大丈夫なのだろう。
「それより、どうしてあんなに終わりを急かすようなこと言ったの? まだ答えを聞いてないんだけど」
「あれ、その話まだあったのか?
オレだってあんなこと言いたくなかったけど、頭の中で考えた言葉を言ったら早口になっちまって……。でも、あの後新しい約束を結ぶつもりだった」
流されてしまった問をもう一度聞くほど気になっていたことだろうに、茜は表情を変えずにオレの答えを無言で耳にしていた。
そんな彼女が反応したのは最後の言葉。
「……新しい約束?」
「あぁ。明日お前らの教室行って、お昼食べようって誘うつもりだった。期限が付けられて切れたら、また何度でも」
茜がふっと笑みを零した。
「期限はつけない。また明日、お昼ね。……バイバイ」
茜に別れの言葉をかけられて気付く。
やべ、部活……!
「ん、じゃあまた明日、昼な!」
立ちっぱなしの二人に笑顔で声をかけ、返事を待たずに背を向けて小走りした。
後ろから送られてきたのは涼峰さんからの挨拶。
「……っ、バイバイっ」
たるんだ顔を見られては困るので、振り返らずに右手を上げた。
オレが心の中で舞い上がったのは言うまでもなかった。
本当にお久しぶりになってしまいました。
皆様との繋がりが疎かになりすぎているのにも関わらず、私の作品を読んで頂いている方……本当になんと言ったらいいか分かりません。それくらい、ありがたいです。
ついに涼峰さんが決意をかためました。
やっと一段落……ですかね。
私も頑張りたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
ここまで読んで下さってありがとうございました!