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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
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瞳の奴隷⑥

「――ノエル! ポーラ君!」


 校舎から出た私達の元へ、正門の方から自転車で駆けつけてきたのは父さんだった。よほど慌てて出てきたのか、スーツはよれ、整えられていた髪はぼさぼさに乱れていた。


「連絡を受けて役所から飛び出してきたが……ああなんて怪我だ。二人とも大丈夫なのかい?」

「うん、なんとか。ごめんなさい、父さん。心配かけて」

「なにを謝る事があるんだ。ともかく大事なくて良かった……本当に……」


 今にも泣きだしそうな顔をして、父さんは詰まりながらもそう言った。そんな表情をさせてしまった事に胸が痛う。父さんの人となりを良く知っているだけに、ことさらに。


「それで、犯人は? もう捕まったのかい?」

「残念だけど、まだ手掛かりも。狙いも目的もさっぱり分からないって状況だから……最悪の場合、またボクらが狙われるって可能性もあるかもね」

「そうか……ああ、なんて事だ」

「だ、大丈夫よ、父さん。警察の方々も警戒を強めてくれるそうだから。そうそう危ない目には遭わないわ」


 その言葉は、半分は自分への言い聞かせのようなものだった。そして願望でもある。おそらくは叶わない願いだろうけれど。

 犯人が自身への注目を求める厄介なタイプであるなら、当然次もある。そして、その次が起こるまでに犯人が捕まるという保証はどこにもない。警察は今のところ、犯人に繋がる痕跡や手掛かりをまるで掴めていないそうで、私達との別れ際、ベイカーさんが額をおさえつつその事実を教えてくれた。


「おじさんもノエルも、心配ばっかりしててもしょうがないよ」


 と、軽く笑いながらそう言ったのはポーラだった。


「変に悩んで疲れるよりかは、さっさと寝て休んだ方がいいって。どうせ今は考えたってなんにも変わらないんだから」

「……ふふ、それもそうね」


 実にあっさりとした彼女の態度に、私はかえって安心していた。父さんもふっと笑みをこぼしていた。こういう時、ポーラは本当に強くて頼りになる。


「今日はもう帰ろっか。で、帰ったら夕ご飯はお肉。お肉をがっつり食べたいなー、ノエル」

「はいはい、分かったわ。父さん、家にお肉の食材まだ残っていたかな?」

「うん? いやー、どうだったかな……確かもう使い切っていたんじゃないか。私が後で買い出しに行ってこよう」


 そう、日常の会話をしつつ、学校を後にしようとした時だった。後ろから私達を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ればそこには、慌ただしく駆けつけてきたレイチェルさんの姿があった。


「はあ……良かった、追いついて。改めてお礼を言っておきたかったのよ」

「お礼だなんて、そんな。あの時は私達も必死だったというだけですから」

「でも、結局私は何も出来なかった訳だから。せめてお礼くらいは……」

「何も出来ないっていうのが普通だと思うよ、レイチェルさんみたいにさ」


 薄い雲が沈みかけの夕日にかかり、ポーラの顔に影が差す。


「あんな状況に巻き込まれちゃったら、さ。ふつうはパニックになって逃げ惑うしかないからね。でも、それが()()なんだよ」


 私は上の方に視線を逸らす。ただ遠く、夕空の切れ目を見つめる。紺の色がじわりと滲み出してきた空は仄暗く。


「……二人とも、あまり無茶はしないでよ?」


 レイチェルさんの言葉に、私は曖昧に頷く事しかできなかった。


  ◇


「――で、ノエル?」


 翌日。にわか雨の降りそうな空模様の中、私はポーラと一緒にセンター街の前まで来ていた。目的地は当然、最初の殺人事件が起きた路地だ。


「つい昨日レイチェルさんから無茶するなーって言われたのに。昨日の今日でもう現場巡り?」

「うん……レイチェルさんやベイカーさんに見つかったら、絶対叱られそうだけれど」

「それでも来ちゃうんだから、ノエルは。もう」

「あはは……」


 何も言い返せない正論なので、私はただ笑って誤魔化す事しかできない。それでも、なんだかんだ苦笑いしつつも一緒に来てくれるのがポーラなのだけれど。


「それで。一体今日は何を調べるつもりなのさ?」

「うーん……調べる、というほど大げさな事はしないわ。現場も綺麗に片付けられているだろうし。そうね……今日は散歩がてら、みたいな軽い感じになりそうね」


 遺体の発見された路地に入り、そこを真っ直ぐ進んでいく。事件があったせいだろうか、祝日の昼間だというのに人通りはほとんどない。それでもひと気が全くないという訳ではなく、道沿いのレストランにはそこそこお客さんも入っていた。反対側では出店が賑わっている。センター街からすぐそばという事もあって、元々人の通りは多い方なのだろう。夜間や早朝がどうかまではまだ分からないけれど、レイチェルさんのように近道としてここを通る人はいるだろうから、人目が皆無という状況はあまりないと推察できる。

 では、身を隠せるような場所、あるいは物はあるだろうか。周囲に目を凝らして路地を進む。けれど、整備の行き届いている通りには、道を妨げるような物は何も無く。


「うーん……」


 改めて辺りをぐるりと見渡して、私は首を傾げる。


「ノエル―、さっきから何を探してるの?」

「うん……ほら、最初の事件。レイチェルさんを含めて、誰も犯人らしき人影を目撃していないでしょう? でも、犯人がどこかから遺体をここまで運んできたのなら、いくら早朝の時間帯とはいえ、こんな繁華街の中を誰にも見つからずに遺体を運ぶなんてできるのかな? そう疑問に思ったの」

「あー、確かに。うまくこそこそ隠れられるような物もないし。万が一誰かが通りかかれば、そこでもう見つかっておしまい、だもんね」

「けれど犯人は実際、誰にも見つからずに済んでいる。という事は、そこには明らかに何かしらの仕掛けがあるはずなの。それを調べようとここまで来たのだけれど」


 すぐそばの壁に寄りかかり、ひとまず小休憩を挟む。そして一つ大きく息を吐いた。

 誰にも見つからず遺体を運ぶ事のできるトリック。それに関わりのありそうな物でも何か見つかれば、それが犯人の手掛かりになるのでは。そう期待してここまで来たは良かったものの。いざ来てみれば、そもそもここにトリックを用意する事自体が難しいという状況が分かっただけだった。


「ねえ、ポーラ。事件があった朝、何かおかしいと感じた事はなかった?」


 私の隣に寄りかかるポーラにそう尋ねる。しかし、彼女はしばらく難しい顔をして唸ったあと、力なく首を横に振った。


「ごめん、分かんない。しいて言うなら、霧が出てたなーってくらい? でもそれもただの天気の話だもんね」

「そうよね……はあ」


 顎を手でさすりながら、どうしたものかと悩む。これでは手掛かりどころではない。散歩のついで、くらいの感覚で来たとはいえ、こうも何一つ見つからないとさすがに気分が沈む。そんな私の感情が顔に出ていたのだろう、ポーラがこちらに苦笑いを向けた。


「どうする? 本業の人みたいに聞き込みでもしてみる?」

「そこまではしなくていいかな……そうね。せっかくの休みなんだし、今日はもうここまで、」

「――ロイ! あなたという人はどこまで私を愚弄すれば気が済むので!?」

「なによう! ほんのちょっと課題を休んで今流行りのレストランでも取材しようってだけ――あ、やあやあ失敬二人ともちょっと助けて!」


 路地の向こうからリッターさんに追われて、脱兎のごとくこちらに駆け寄ってきたロイさんは、そのまま有無を言わさず私達を壁から引き離すと、私達の背後にさっと隠れた。そして、早すぎる展開になされるままの私達の元に、やや遅れてリッターさんもやってくる。


「……えーと。あの、リッツ先輩。ボクら、どういう状況に巻き込まれてるんです?」

「お二人ともすみません、突然に。別に大した事じゃな、」

「大した事でしょーが失敬な! 年上の先輩を部屋に押し込めて、あげく外出する事すらろくに許さず閉じ込めるだなんてとんだ横暴よ! 自由を! 自由を私に!」

「……明日提出するべき原稿用紙十枚分のレポートが終わっていないから助けてー、と私に泣きついてきやがりましたのは、はてどこのどなたでしたっけ」

「「……………」」


 私とポーラはただ黙って、ロイさんの前からそそくさと離れた。


「あん? ちょっ!? 後輩ちゃん達なにして、げぇっ!?」

「はいはいそれじゃ帰りましょうねー。ノエルさん達もすみません、お騒がせしました」

「ノーウ! 負けてたまるか! 私がここで屈したら報道の自由は、」

「黙らっしゃいこの三文ゴシップ記者」

「ぐえー……」


 ロイさんは首根っこをわしづかみにされたまま、遠く遠く路地の奥まで連れていかれたのだった。


「……うん。ノエル。今日はもうここまでにしよっか」

「あはは……そうね」


 色々と考えも吹き飛んでしまい、私はとりあえず笑うしかなかった。昨日はあんなに頼れる雰囲気を出していたはずなのに。と思い返したところで気付く。


「そんな状況だったのに、ロイさんは昨日文化祭に来ていたのね……」

「自由だなぁ……」


 彼女については最早考えたら負けなのだろう。私は彼女の暴走っぷりを一旦頭の片隅に置いておき、これからの予定について考える事にした。


「ねえポーラ。これからどこかに行きたい所とかある? どこでも付き合うけれど」

「そうだねー……あ、それじゃあさ――」


 と、喋りながら二人そろって踵を返そうとした、その時だった。


「あーっ! ちょっと待ったそこ二人!」


 ついさっき路地の奥に遠ざかっていったはずの声が背中に飛んできて、私達は恐る恐る振り返る。その時には既に、ロイさんはすぐ目の前まで駆けつけてきていた。


「……もう庇いきれませんよ?」

「違うわよ失敬な! そうじゃなくて、助けてほしいのは私じゃなくてね。昨日の学校にいた子がカツアゲされてんのよ!」

「昨日学校にいた……」


 もしかして、という嫌な予感。私はポーラと頷き合い、彼女の後に続いて走り出した。

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